どうにか心を落ち着けたフェリスは、目の前から次々消えていく軽食をようやく食べることにした。
「なんだか考えている自分が馬鹿みたい」
ぼそりとそう呟くとスープを手に取り、スプーンは使わずそのまま口へと流し込んだ。
暖かなコーンスープは喉を通り、胃の腑へと落ちていく。
自然、満足なため息が洩れる。それを自分で認識すると苦笑がもれた。
結局のところ体は正直だ。
「それで、お前はこれからどうするんだ?」
あらかた食べてしまう頃に男性がフェリスに尋ねる。
当然聞かれるだろう質問に、フェリスは手にしていた茶器をテーブルへと置く。
「ここに居たいと言ったら、置かせてもらえますか?」
まっすぐ男性の目をみて話すフェリスの言葉に、執事も男性を見た。
「構わない…と言いたいところだが、今は無理だ。それにお前は誰のものにもなるつもりはないんだろう?」
その言葉でフェリスは沈黙した。
確かに、それが嫌でフェリスは逃げてきたのだ。あの小さな光から。
「ここに置く条件は一つだ。それ以外は今の状態では無理だ、な?」
男性は近くに立つ執事に向かって聞く。執事も困ったように微笑み頷く。
「そうですね。できればフェリス様にと思いますが、誰のものにもなりたくないとおっしゃるのでしたら、少し無理ですかね」
二人は会話を成立させているが、実のところなんのことかはわからない。
フェリスは少し首をかしげ二人を見る。
「命を欲しいって、私を殺すということではないようだけど。詳しくは聞けないですか?」
それを知ってからでないと判断はできない。
そう、考えるのが普通ではあったが、二人にとっては違うようで、ただ笑うだけだった。
「話してもいいが、厄介でな」
「そうですね。全てを投げ打ってでもという気持ちがなくては無理ですね。ああ、ただ勘違いなさらないでくださいね。決して死を招くような話ではありませんので」
にこやかに付け加えられた言葉にフェリスはさらに首をかしげる。
「忠誠を誓えということ?」
自分で口にしてから、このグリフイーセン伯爵は国に多大な影響力を持つことを思い出す。情報を集める人間が欲しいとか、そんなところだろうか。
ふと、この家には人の気配がないことに気がつく。
執事以外で姿を見たのはあの御者だけだ。これだけ大きな城だ、維持するためにはそれなりの人数が必要だ。
しかし、出された軽食はどう考えても執事が作ったとは思えない。あの御者は論外だ。
フェリスがそんなことを考え始めると、男性が立ち上がり窓へと近づいた。
「どうやら迎えがきたようだな」
「え?」
その言葉にフェリスも立ち上がり窓へ駆け寄る。
このサロンからちょうど外門が見える。そこから一台の馬車が入ってきた。
一頭の馬を先頭にやってくる馬車は二頭立てだ。小さなランプを付け、その灯りに反射して家紋が見えた。
その紋を認識するとフェリスは思わず窓から後ずさった。暖かくなったはずの体から一気に血の気が引き、指先が冷たくなる。
「大丈夫か?」
「…どうして?」
気遣う男性にフェリスは絶望的な目を向けた。
「言っただろう? お前の世界へ帰れ」
薄く笑っていう男性は、あの雪の中確かにそう言った。
「私の世界…」
支配と搾取の渦巻く世界。
そこがフェリスのいるべき場所。
「そうね、逃げる場所はもうないわ」
ぽつりと呟く声は自分に向かっていた。逃げたのに、結局逃げる場所すらもなかったのだ。
思わず自嘲がもれた。
ホールから大きな声がしたのもそのときだ。
「グリフイーセンはいるか!!」
フェリスはその声に目を固く瞑った。
執事が出て声の主と話しをしているが、怒鳴り声はここまで聞こえる。
「ここにいると聞いた。あれは私の父のものになる女だ! 引き渡してもらおう!」
「今少しお待ちくださいませ。フェリス様はお倒れになって憔悴しております」
「お前では話にならん! 邪魔だ。どけ!」
「お待ちください」
「グリフイーセンはどうした!? あの男、まさかあれを手篭めにしたのではないだろうな!!」
「我が主に限ってそのようなことはありません。ご心配には及びません。今しばらく」
「お前、この私が誰かわかっているのだろうな?」
執事の制止を聞く気配はない。それどころか強行手段にでたようだ。
「まったく」
その会話を聞いていた男性は呆れのため息とともにサロンから出ていった。
フェリスもその後をこっそりとつけた。
「これは、コールドレイゼン公爵。お久しぶりですね」
にこやかに声をかけると声の主は、はっと振り返ると、睨み殺す勢いで男性を見た。
「グリフイーセン伯…」
押し殺した声は歯軋りさえ聞こえそうなほどだった。振り向いた顔は怒りよりも恐怖が色濃く、その様子にフェリスはどうしてここまで恐れるのだろうと疑問に思った。
一応この城の主が現れたのだ、公爵は姿勢を正すと男性に向き直った。
「貴殿の城に我が従妹のフェリス・アンファレスがいると聞き迎えにきた。早々にフェリスを出してもらえるか」
固い声でそう厳然と言う公爵に対し、男性はにこやかに柔和な顔で頷いた。
「ええ。それはもちろんです。こちらから連絡を差し上げたのですからフェリス嬢をお渡しすることに文句はありません。ただ、この雪で衣服が汚れています。今着替えをさせていますのでしばらくお待ちください」
その言葉に公爵はしぶしぶ引き下がり、仁王立ちのまま腕を組んだ。それを見て執事が素早くフェリスのいるサロンへと向かう。
「…あの」
こちらへきた執事に小さく声をかけると、執事は頷き、フェリスをサロンへと促した。
「今のうちに確認をしておきます。フェリス様はアルス様の提供者になるつもりはないのですね?」
提供者? と首をかしげ、命のかと思いつく。
「…私は私のものだわ」
視線を落としつぶやくように意思を伝える。
「はい」
やさしくそれを肯定する声が聞こえ、フェリスは唇を噛んだ。
「いいのですよ。それで。こちら側に足を踏み入れるには貴女は若い。その未来を奪う権利はアルス様とてありません」
まるで自分の娘にでも言い聞かせるように、ゆっくりとやわらかく伝える。
泣くのを堪えているフェリスの手をそっととると、両の手で挟みこんだ。
「ですが。もし、貴女が人生を捨てるつもりなら、喜んでお迎えに参ります。その時は是非アルス様の名をお呼びください。強く」
まるでおとぎ話だが、精一杯の慰めだろう。
フェリスは今日会ったばかりの、やさしい執事に今できる最高の笑顔を送った。
「ありがとう。きっとそうするわ」
おとぎ話にでもすがりたいほど、フェリスはこれから起こる未来をすでに見すえていた。