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コンクリート・フィッシュ 02
「しかし、暑いね。はい」
「ありがとうございます」
 男性は公園内にある自販機から冷たいお茶を買ってくれた。あまりにも喉が渇いていたため、お礼を言うと一気に半分ほど飲み干した。
 男性もお茶を飲んで一息入れる。
「それで、きちんと確認したいんだけど。キミは見たんだよね? 魚」
 喉を潤したことで少しは落ち着いた心に最後の言葉がひんやりと響いた。
 緊張のせいか缶を握る手に少しだけ力が入る。
「はい。見ました」
「そう」
 意を決した俺の答えに、男性は気の抜けるほどあっさりと頷いた。
「あれはね見てわかるように、この世界の生き物じゃないんだ」
「…はぁ」
 あまりにすんなりと口にするその話に、俺は肩透かしをくらった気分だった。いや、もっと厳かに話して欲しかったとかそういうのではないのだが、あまりにもあっさりしすぎて逆に現実味がない。
「僕たちの間では"コンクリート・フィッシュ"って呼んでるんだけどね。科学ではもちろん説明できない生き物だ。当たり前だよね、道路を泳ぐ魚なんて存在するわけが無い。でも、実際キミが見たとおり存在してるんだ」
 どこにでもいそうなサラリーマン姿の男性に、こんな非常識な話をされていると、なにか得体の知れない宗教の勧誘のようだ。
「信じられないのはわかるよ。でもあれは幻なんかじゃない。僕も見たわけだしね」
 怪訝そうな俺に気がついたのか男性ははっきりと現実を突きつけてくる。
 確かに俺が見たものが幻だったとしたら、この男性に「魚」とは判断できない。
 この男性もあの魚を見たということは、やはりあれは現実。
「………」
 ふいに寒気を感じた。
 どうしよう。俺はもしかしたら開いてはいけない扉を開いてしまったのでは…。
 突然襲ってきた不安で思考が止まる。現実として受け止めるにはあまりにも現実離れしすぎた話だ。
「あ。そうだ」
「!」
 何も考えられなくなっていたところに突然声をかけられ、思わず身を縮めてしまった。
「僕は"あきやま はじめ"っていうんだ。これ名刺ね」
「あ…はい」
 とっさに逃げる体勢を作った俺は、男性ののんきな声に思わずこけそうになった。
 差し出された名刺を素直に受け取り、それに視線を落とすとそこにはこうあった。

 【 警察庁 生活保安部 特殊捕獲課  秋山 一 】

「警察庁…特殊捕獲?? 警察官なんですか?」
「まぁ、一応所属はね。ああいう生き物を捕獲するのが主な仕事。自衛隊でもいいんだけど、それだと何かと面倒だからね」
 名刺に並ぶ怪しげな文字と男性、秋山さんの笑顔に不信感が頭をもたげる。
「そう警戒しないで。変な団体に所属してるよりはいいでしょう? それで本題なんだけど、キミの見たコンクリート・フィッシュは変質したものでね、普通の捕獲方法では無理なんだ」
 普通の捕獲方法がどんなものかもわからないが、少しため息混じりに話す秋山さんの表情で厄介だということはなんとなくわかった。
「そこでね、キミに協力してもらいたいんだ」
「はい!?」
 まさに自分の耳を疑った。
 この人はいったい何を言い出すのだ。そもそもあれが現実であるということも信じたくないのに、協力なんかできるわけがない。
 そもそもこの怪しい人の言うことをそのまま鵜呑みにしていいのだろうか?
 いいや、よくない。絶対によくない!
 俺は今あるだけの勇気を振り絞って抗議した。
「無理です! だいたいあんなものどうやって捕まえるんですか?!」
 相手は道路の中を泳ぐという非常識極まりない魚だ。水中の魚を網ですくうのとわけが違う。
「うん。普通のコンクリート・フィッシュは飛び上がったところを特殊な網で捕まえるんだけど、あれはちょっと大きすぎるからね。籠に入ってもらうしかないんだけど、その"籠"っていうのが動かすことができないんだ。ここまではいい?」
 普通に説明する秋山さんは小首をかしげて確認を取る。
「いいもなにも全然よくないです! それってもしかして…」
 なんとなく話の落ちが見えてしまった自分が呪わしい。
 魚でなくても他の生き物を捕獲する場合、大体使われるものといえばアレだ。
 そしてその嫌な予感が的中していることを秋山さんの笑顔で悟った。
「そう、キミに囮を頼みたいんだ。初めてでも大丈夫、簡単だから」
「いや! 簡単とかそういう問題じゃなくて!!」
 囮と言えばまだいいが、はっきりいえば餌だ。
 いともあっさりと言ってくれる秋山さんに必死で抗議した。しかし秋山さんは涼しげに笑うと爆弾を落としてくれた。
「別に僕は困ってないから放っておいてもいいんだけど。あれ見て心臓止まった人いるからね〜。実際キミも負担かかったんじゃない?」
「それは……」
 確かに一度目の遭遇では、ヒロが現れなかったらあのまま倒れていただろう。そして今回もかなり心臓に負担がかかったことは自覚している。
 そのセリフに俺が何も言えずにいると、隣で秋山さんは楽しそうにしていた。
 これは間違いなく脅しだ。これで協力せずにもし人が死んだりしたら、当然後悔するのは俺で、秋山さんじゃない。
「どうする? 本当に簡単なんだよ?」
 この人は間違いなく話の持っていき方を知っている。いや、所詮学生でしかない俺が経験を積んでいる社会人に敵うわけもなく。
「うぅ……わかりました。協力します」
「ありがとう。助かるよ」
 脅しに負けた俺にお礼まで言ってくれる。
 このっ!笑顔悪魔ぁ!!
 心の中でそう叫んだ俺を誰が責めるだろうか。
 気分は一気に下降線をたどり、これ以上はないくらいどん底にいる俺に、秋山さんは陽気に聞いてくる。
「それで、キミ名前は?」
「…南です」
「南ちゃんか。なつかしいな〜」
 できることなら殴りたい…。
 ふつふつと湧き上がる衝動を何とか抑えるために、残りのお茶を一気に飲み干した。
 午後の日差しは強まる一方で、気温はどんどん上がっているように思えた。
「できることなら今すぐ捕まえたいんだ。コンクリート・フィッシュは熱くなった道路が好きらしくて、冷えてくる夕方以降はめったに現れない」
「はぁ…」
 この異常な暑さと、突然降りかかった災難に落ち込んでいる俺を無視して、特殊捕獲課とかいう怪しげな名刺を差し出した秋山さんは話を続ける。
「大丈夫。南くん運動神経よさそうだし。案ずるより産むが易し、だよ」
 にこにこと笑うこの人は本当に悪魔のような人だった。
「よし、じゃあ行こうか」
「はい?!」
 特に説明があったわけではないが、「行こう」とはおそらくコンクリート・フィッシュを捕まえにだろう。
 俺は大いにあせった。いや、心の準備くらいさせて欲しい。
「暑さもピークだし、"籠"は用意してあるし、平気平気」
 秋山さんは俺の動揺を見事に無視し、涼しげに笑う。
 何が平気なんだ! どこが平気なんだ!!
 叫びたい衝動を抑え心の中でそう叫んだ。
 聞こえないはずの声を聞いたのか、秋山さんはベンチから立ち上がるとにこやかに俺を見下ろして告げた。
「やめる?」
「……いえ、やります」
 笑顔ではあるがこんな言い方は間違いなく脅迫だ。
 鬼だ。間違いない。この秋山という人は鬼だ。半分以上泣きたい気分だ。
「大丈夫。コンクリート・フィッシュは人に危害は絶対に加えないから。もしあったとしても僕たちが絶対に止めるから」
 そう力強く言うと俺に手を差し伸べた。見上げた先にはやはりあの涼しげな笑顔。
「絶対ですからね。信用しますからね!」
 差し出された手を取って念を押す俺に秋山さんは笑って頷いた。
 
 公園から歩いて移動すること五分。
 どうやら元々ここに誘い込むつもりだったようで、秋山さんが言っていた"籠"が用意されていた。
「笑えるでしょう。あんなもの入れるのにこれって」
 秋山さんはそう苦笑したが………。
 笑えるとか、笑えないとか、そういった問題じゃありません。
「なんですか? コレ?」
 車がやっとすれ違えるほどの道幅の道路いっぱいに、白いビニールテープで四角形を作り、その角に蓋の開いた水入りペットボトルと、四角の真ん中に砂の入ったよくある縁が波状の金魚鉢が置いてあった。
「うん。籠」
 一言だけいう秋山さんは説明してくれない。いや、してもらっても俺には多分わからないだろうが、それでも俺の精神を安定させてくれる程度の説明は欲しかった。
「あの。俺が見た魚って、だいぶデカかったような気がしたんですけど?」
 飛ぶ影しか見てないが、それでも俺の腕で抱えられないくらいの大きさだったと思う。それを捕らえるのにこの金魚鉢では絶対に無理だ。
 俺の『大丈夫なのか?』という目に秋山さんはくすりと笑った。
「大丈夫、大丈夫。見た目よりも大きくはないんだよ」
 秋山さんはそう笑うが俺は限りなく不安だ。
「南君にはここに立っていて欲しいんだ。それだけ」
 そういって指し示す場所は四角く貼ったテープの外側。
「え。それだけですか?」
 俺はもっと物々しいものを想像していただけに驚いた。
「そう。簡単でしょ?」
 それはもう立っているだけですから。
 ぽかんとしてしまった俺に秋山さんはくすくす笑う。
「それと、一つだけ約束して。何があっても絶対にその場から動かないで。ましてやそのテープを踏んだり超えたりしないでね」
「はい」
 声のトーンが微妙に変わった気がして秋山さんを見る。今まであった笑顔と同じだが、目は真剣に俺を見据えていた。
 一気に緊張が高まり手の汗をズボンで拭った。
「大丈夫!」
 ぽんと俺の肩に手を置くと、秋山さんは俺の真後ろに移動した。やはり四角いテープの外側に立つ。前を向くように指差すので俺は素直にその指示に従った。
「さて。じゃあ、呼ぶから覚悟してね」
「はい」
 そうして二人、道の真ん中に白いテープで作った四角を挟んで立つ。
 今のこの様子を、他の人が見たら間違いなく「何をしてるんだ、あいつらは」と思うだろう。
 そんなことを考えるほど俺自身、意外なほど落ち着いていた。
 今のところ特に問題はない。何も起きない気がするほど回りは静かだ。
 ただ、日差しが思ったよりも強くない感じだけが少し不思議だった。
 もしかしたら雲が出てきた?
 なんとなくそう思って空を見上げた。
「…あ…」
 その視界を本日三度目の影が飛ぶ。
 しかし、今回はなぜかその姿がはっきりと見えた。
 魚の形をしてはいるが、似ても似つかない姿だ。卵形の大きな石にコンクリートの板を何枚もくっつけたような異様な姿をしている。
 その異様な魚が頭の上を通過するのをただ見ていた俺は、何か違和感を覚えたのだが、それが何かわからないまま、コンクリート製の魚は俺の真後ろに落ちていった。
 その直後、ガラスに砂がぶつかる儚い音がした。おそらく金魚鉢の中に入ったのだろう。
「あれ? 南君、もういいんだけど…」
 秋山さんの声に後ろを振り向くと、当の秋山さんは腕を組んで首をかしげていた。
「どうかしたんですか?」
 失敗ではないはずだ。それは俺にもなんとなくわかる。
 秋山さんの視線の先、金魚鉢の周りには砂が少しだけ道路にこぼれている。後ろで聞こえた音とコレを見ればおそらく捕獲は成功したのだと思う。少なくともあのデカいコンクリート・フィッシュはこの金魚鉢の中………ん?
 俺が少し首をかしげると秋山さんが問う。
「小さくなかった?」
 そうだ、俺が今朝見たコンクリート・フィッシュはもっと大きく太陽が隠れるほどだった。影という認識しかないのはそのせいだ。
 秋山さんはペットボトルとテープを取り除くと金魚鉢を手に取った。
「今くらいのサイズだと網で十分なんだよね。別なのがきちゃったか〜。…ま、いっか。南君には悪いけど、もう一度付き合ってくれるかな?」
「あ。はい」
 あまりにも簡単な協力だったので俺はつい二つ返事で引き受けてしまった。
「ありがとう。じゃあ、明日の昼あの公園で待ってるね」
「明日?」
 その言葉の意味が理解できずにおうむ返しに聞くと、秋山さんは金魚鉢を抱えたまま笑顔で頷いた。
「籠は一度しか使えないんだ。だから明日。あ、もしかしたらあのコンクリート・フィッシュが出てくるかもしれないけど気にしないで。あれが見える人がいたとしても心臓止まるくらいだから。その時は急いで救急車呼んでね」
「はい?」
 言うだけ言うと秋山さんは近くにあった車に乗り込み、窓を開けて顔を出した。
「じゃあ、明日よろしく」
「え?」
 サラリーマンの皮を被った笑顔悪魔は一人俺を置いてとっとと帰ってしまった。
 何が起きたのかわからず、数秒間その場に固まったままその車を見送った。事態を飲み込んだときはすでに車は遠くへ行ってしまっていた。
「…えっ! ちょっと待った! 秋山さん!! それってどういうことですか!!」
 誰もいない道路の端であの独特の音が聞こえた気がした。
 ――ドッブン。
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