それが恋の始まり
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ayumu side  1.
 答えを出したのは結構早い段階だったのかもしれない。
 それでもゆっくりとコーヒーを飲み、それなりの時間を稼いだのは、出した答えに自分自身戸惑ったからだ。
 いや、結局は嫌いではなかったってだけなんだろうけど。
 
 
「とりあえず、一ヶ月の約束は有効だから」
 そう告げた時のアユちゃんの表情はそれはそれは、凶悪なくらい可愛いものだった。一瞬信じられないようにぽかんとし、ゆるゆると嬉しさをその可愛い顔いっぱいに表現して、頬を染めて「嬉しいです」と言った。
 なんで男なんだ。おい。と、心の中で突っ込んだ。
「なんか、頭痛い」
「え? 大丈夫ですか?」
 本当にこれからを思うと頭が痛い。一ヶ月後が妙に遠く感じた。
 額に手をやった私に、アユちゃんは心配そうに覗きこんでくる。いや、原因はあんただよと言ってやりたい。
 そのままじっと観察する。
 初めて会ったときの印象はそのままある。異性をどこに感じればいいのだろうかと疑問が生じるほど、アユちゃんは女の子だ。間違いなく女性である私よりも、断然、女の子なのだ。微妙に凹むのはしょうがないと思う。
 観察するこちらの視線に何を思ったのか、ぴたりと動きを止めて恥ずかしそうに微笑むと、そのまま俯きがちに両手にカップを包み込んでコーヒーを飲んだ。
 全ての仕草が可愛い。
 もう一度、今度は気付かれないようにそっとため息を落とした。
 
 まあ、とりあえずこれで事件は解決した。
 任務完了な気分で水を口にする。
「あの」
「ん?」
 コップに口をつけたまま聞き返すと少し言いにくそうに切り出した。
「連絡先教えてもらえますか?」
「ああ、そっか。いいよ」
 最もな質問に、バックから携帯を取り出して、番号とアドレスを交換する。
「あ。一つ言っておくけど、私普段は携帯出ないこと多いし、メールも返信遅いってよく怒られるから。繋がらなくても気にしないでね」
「あ…はい。わかりました」
 事実なのだが、体のいい言い訳に聞こえたかもしれない。
 なんだか一気に疲れた気がする。それは間違いなくこのアユちゃんのとんでもない告白が多くを占めているだろう。家に帰ったらまずお風呂に入って、ゆっくりしたい。明日も仕事だ。
「川上さんは…」
 携帯を弄りながらそんな事を考えていたら、アユちゃんが声をかけてきた。
「今忙しいんですか?」
「ん? 定時には帰れてるけど」
「そうですか」
 バックに携帯を入れて、さてそろそろ出ようかと準備していると、先にアユちゃんが席を立った。
「一ヶ月はお付き合い、してくれるんですよね?」
 そう言いながら私の席の隣に立って見下ろしてくる。その雰囲気に何か特別な含みがある。
「私、そういう方面は考え方、堅いからね」
 遠まわしに先手を打ってみたが、アユちゃんは止まらない。マズイかな。
「順を踏めってことですか?」
「そう」
 会話の合間にするりと頬を撫でられる。
 うーん。やっぱり異性を感じない。普通に女の子に触られてるのと変わらない。
 見上げる顔は近くてもやっぱり可愛い。その顔がどんどん近付いてくる。これはやっぱりマズイ。
「私、そもそも経験ないから」
 その言葉でぴたりと止まった。距離にしておよそ二十センチくらい。
「キスも?」
「小さい頃にお遊び程度ならあるけど。お付き合いもしたことないから」
 すると今度はどんどん離れていく。じっと見下ろされ、次の反応を待った。
「手を繋ぐところから始めろって事ですか?」
「さあ?」
 そんなのわかるわけ無い。大体私はお付き合い自体よくわかってない。
 手を繋ぐ行為が恋人であるのなら、そこから始めるべきだろうけど。その前に確かめることがあるだろう。
「別に手を繋ぐのも、キスするのも、それこそセックスまでしても構わないけど」
 さすがにそこまで子供じゃないし、いい加減適齢期とやらもきている。経験が無いほうがオカシイと言われる年齢でもあるし、私自身その行為にさほど抵抗は無い。
 私の言葉を了承ととったのか、アユちゃんはにっこり微笑んで、先ほどの続きとばかりに顔を近づけてくる。両の頬を包まれて上を向くように促される。慣れてるな〜なんて思いつつ、見つめていると先に相手が少し照れたように目を伏せた。
「その行為に、私の感情は伴わなくてもいいの?」
 至近距離からの問いに、ぴくりと長い睫毛が震えたのがわかった。鼻先数センチにアユちゃんの顔があって、閉じていた瞼が持ち上がる。
「川上さんの感情?」
「言ったでしょ? 私がアユちゃんを好きになる保証はないって」
「…可能性は?」
「初めに言ったよね? 印象よくない」
 トイレでも言ったその言葉に反応してぱっと離れた。
「私のこと嫌い?」
 表情を硬くして聞いてくる瞳が不安に潤んでいて、一瞬だけアユちゃんが男だというのを忘れた。
「それを、この一ヶ月でなんとかするつもりなんじゃないの?」
 しばらくそのままお互いに視線を逸らさずにいた。どのくらいの時間かはわからないけど、結構長いことそうしていたと思う。
 
 
「そろそろ帰ろっか?」
 そう切り出すまでアユちゃんはそのまま何かずっと考え込んでいた。このままでは埒が明かないと思って、視線をそらして伝票に手を伸ばすと、その手の上に白い手が重ねられた。こうして見ると私より少し大きい手だ。
「それって、川上さんが僕を好きになってくれれば、延長もありってこと?」
 突然口調の変わったアユちゃんに驚いて、思わず見上げてしまった。そこにあるのは先ほどと寸分違わないアユちゃんなのだが、何かが違う。
「それは私の気持ちを変えてから言ってくれる?」
 少し動揺しつつそう答えると、アユちゃんは綺麗に笑った。それがとっても大人っぽくて一瞬にしてマズイと思う。何に対してなのかはわからないけど、何故かそう思った。
「まかせて。絶対に好きだって言わせるから」
 何を任せるんだ、何を。
 突っ込むべきかと悩んでいると、伝票の上にあった手をそのまま掬い取られ、アユちゃんの手の中に納まる。そのまま上に引き上げられて、人差し指の付け根に唇を寄せると、ゆっくり微笑まれた。
「今日はこれで我慢するね」
 そのまま人差し指の爪先をぺろりと舐め上げられた。
 その行為に絶句しているこちらに、満足そうにくすりと笑う姿は、初めに告白を受けた時に見せた顔だ。
 あの時、確かに感じたのだ。
「まあ、とりあえずがんばってみて」
「うん。がんばる」
 あまり感情が顔に出ないほうで助かった。とりあえずそう言って手を取り戻したけど、その場所が妙に熱を持っているように感じる。
 
 マズイ。こういう時の勘は本当に良く当たる。
 
 
 
 
 アユちゃんととりあえず別れたあと、すぐさま電話した。
「知ってたの? っていうか、知ってて連れてきたんでしょ!」
 怒鳴った先はもちろん一人しかいない。
『だって〜。アユちゃんがどうしてもって言うんだもん』
「だもん。じゃない!」
『そんなに怒んないでってば〜』
「怒ってない。初めに言って欲しかっただけ!」
『怒ってるじゃん』
 電話口の声は少し困っている。それ以上は強く言えず、溜まった物を吐き出すようにため息を吐き出した。
『ち〜さ〜』
「はいはい。わかってるって。月子が悪いとは思ってないよ」
 私も存外甘い。
 
 その後、友人の話しを聞くところによると、アユちゃんこと歩クンとは随分前からの知り合いだそうだ。
「彼は俗に言うニューハーフなの?」
『うーん。多分?』
「なにその頼りない返事は」
『ホモセクシャルだってのは公言してるんだけど、女装に関してはどうもはっきりしないって言うか』
 友人の言葉に、そういえば歩クンも微妙なこと言ったなと思い出す。
『それにほら、"こうじ"はしてないっていうし』
「こうじ? 道路工事とかの工事?」
『うん』
 その単語にしばらく沈黙する。
『ちさ? 大丈夫?』
「大丈夫」
 ああ。やっぱり頭が痛い。
「あれで男なんて反則だ。世の中の女を敵に回してる」
『否定はしない。カワイ過ぎだもんね〜。実際』
 電話の向こう側でも凹んでる様子だ。
 そんな人物に告白された私っていったいどこの立場なのかしら。なんて考えたりしたがそれこそ不毛だ。
『それで、ちさ、どうするの?』
「一ヶ月って約束したし。とりあえずその期間はお付き合いするよ」
 その一ヶ月で何が変わるとも思えないが。
『まあ、正式にお付き合いするようなら教えてね』
「…機会があれば」
『なによそれ!』
 けらけらと笑い声の後に「応援するから」と訳のわからない言葉をもらった。
 パタンと携帯を閉じて、一つため息。今日何度目だろう。
 疲れた。精神的に疲れた。明日の仕事のためにも早く寝よう。そう決めて家路に着いた時には九時になりそうなところで、歩クンとの食事は二時間強を要したことを知った。
「はぁ…なんか、微妙に強敵そうだったなぁ」
 それが三度目のアユちゃん改め、歩クンの印象だった。
 
 
 これが私と歩クンとの、恋戦の始まり。



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