それが戦の始まり
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「別れよう」
 聞き慣れた台詞に涙も出ない。
 いつもこの台詞を聞いてから、どれだけの想いだったのかがわかるというのも学習能力が無いことの証明だと思う。
「いいよ」
 簡単に了承だけを伝えると目の前の男は少し不機嫌そうに眉を寄せ、視線をテーブルの上にあるコップへやった。
「理由とか聞かないのか?」
「言いたいの?」
 理由なんか聞かなくても知ってる。
「私、じゃダメなんでしょう?」
 抱きしめるたびに諦めたようなため息を吐かれていれば経験上わかる。
「彼女と仲良くね」
 確信を含めてそう言うと、男はこちらを見て口を開いたが、結局何も言わずに黙り込んだ。
 気まずそうなその顔を見るのも嫌で、早々に店を出た。食事代は向こうが払ってくれるだろう。食べ損ねたデザートが悔やまれる。



 別れ話が終わってからいつものお店に向かう。
 ちょっと道からそれた場所にある、いわゆる「隠れ処的」なお店で、母の親友がやっているお店だった。カランコロンとドアベルが鳴ると奥からその人、城崎春子さんがやってくる。
「あら、歩ちゃん。いらっしゃい。久しぶりね。元気だった?」
「はい。元気です」
 実家が遠いのでこの土地にいる間は母親代わりの春子さんに笑み返すが、彼女は一瞬にしてわかったらしく、少し苦笑して小首をかしげた。
「また何かあったわね?」
 それには答えず微笑むと、「入って」と奥に通される。
「ご飯は食べた?」
「はい。何か甘いものが食べたくて」
「デザート、食べ損ねた?」
「…はい」
 何でもお見通しな春子さんはちょっと振り返って悪戯っぽく笑った。
 
 外見がいいのは知っている。
 言い寄られる事は多いし、好きだと言われることも多い。
 でも、大概向こうから好きだと言ってくる場合は、ちょっと事情が違うのでお断りしている。だから付き合う人はこちらから好きになった人ばかりだ。
 無意識にちゃんと"そういう"人を選んでいるのか、一度とて断られた事はない。でも、いつも振られるのはこっちで、理由も大体同じだ。
 
 そして、振られた後にここにくるのも同じ。
 春子さんは何も聞かずに苺の乗ったケーキを出してくれた。
「ねえ、歩ちゃん。好きな人ができたらここに連れてきなさい」
「え?」
「私が見てあげるわ。これでも人を見る目はあるのよ?」
 それは知っている。このお店のオーナーシェフである旦那さんや、息子がこんなでも平気で受け入れた母の親友なのだ。器の大きさを見る目はあると思う。
 でも、だからこそ見てもらいたくない。
「春子さんのお眼鏡に適う人なんて、捕まえられないよ」
 苦笑してそう返すと春子さんも苦笑した。
 そう、選んでいるのはこちらなのだから、向こうが悪いのではない。毎度同じ振られ方をしている点で自分に見る目が無いことくらいはわかってる。でも、同じような人を選んでしまうのも事実だった。
 
 
 
「アユちゃん。そういうのをイマドキは「だめんず」っていうのよ?」
 数日後、どこで聞いたのか振られたのを知った友人の月子さんが電話してきて、飲みながらそんな説教をされるのもいつものことだった。
「ダメな人じゃなかったよ? ちゃんと働いている人だったし。変な趣味があったりしなかったし」
 そこまで言って、ふと笑った。
「ああ。変な趣味があるから、僕と付き合ったんだよね」
 この言葉に月子さんは複雑な表情をしてオレンジ色のカクテルを一口飲んだ。
 世の中綺麗な女の子は沢山いる。それなのに"僕"を選ぶ変な趣味。
「ねえ、アユちゃんはさ、どうしても男の人じゃなきゃダメ?」
「ん。ダメなんだと思う」
「それって、やっぱり、される側だから?」
「…そんな事はないと思うけど……だって、普通に経験あるよ?」
「そうなんだ」
 少し目を丸くして友人は少しだけ考え込んだ。そのまましばらく沈黙が落ちる。静かなバーに控えめに流れるジャズか何かの曲をぼんやりと聞いてた。
「ね。今度合コンやるんだけど、ちょっと来てみない?」
「え?」
「もしかしたらいるかもよ? 運命の人」
「まさか」
 悪戯っぽく言った月子さんは「合わせてみたい人がいるのはホント」と笑った。
 
 三日後の合コンをとりあえず約束させられて月子さんと別れた。
 あまり乗り気ではないが、彼女が心配してくれているのは知っているため断るのも気が引けたし、少しだけ興味があったのも事実だ。
「運命ね。合コンなんかに転がっているなら苦労は無いって」
 月は見えるが星など全く見えない空を見上げてため息を吐き出した。
「ねえ、お姉さん、暇?」
「俺らと飲みましょーよ」
 この時間に一人で歩いていると大抵声がかかる。どんな格好をしてても。
「…急いでるから」
「ええ〜。いいじゃん」
「俺ら大丈夫よ?」
 肩に手を回され、両側からべったりと寄り添われる。青年二人は少し酒が入ってる様子だ。
 しばらく何のかんのと言いながら歩いていたがそろそろ限界だ。肩にある手を振り払って走る体勢を作る。しかし手首をがっちりとつかまれて走るどころか引き寄せられてしまう。
「離して! 一緒になんて行かないってば!」
「いいから。来いって」
「大丈夫だって、何もしないから〜」
 こういう時に颯爽とカッコイイ人が現れれば間違いなく惚れるだろうが、あいにくと世の中そんなに都合よくできてない。僕の声に周りは反応しても、助ける気はさらさら無い。ちらりと視線を投げて通り過ぎるだけだ。
「イヤだってば!!」
 とりあえず騒ぐだけ騒げば、もしかしたら誰かがお廻りさんくらい連れてきてくれるかもしれない。とにかく声を出してイヤだと訴える。しかし、青年二人も面倒になってきたのか、どんどん雰囲気が険しくなってきた。
「ねえ、その子。私の知り合いなんだけど、離してくれる?」
 青年二人が実力行使に出そうな雰囲気で手を伸ばしてきたが、その声に反応して二人とも振り返る。
 そこにいたのは女性だ。手には開いた状態の携帯電話を持ってる。
「それとも留置場に行ってみる? 結構快適だって話だけど」
 そう言って携帯をふりふりと振ってみせた。
「おい。行こうぜ」
 気分が削がれたように青年二人はその場を去った。
 意外にあっさりと手を引いた青年にその女性は「警察が怖いなら初めからするな」とぼやいていた。
 少しだけ何が起きたのかわからずぼんやりしていると、女性はくるりと踵を返して携帯を耳にあて話し出した。どうやら通話中だったようだ。
「遊んでないって。今そっちに向かってるから」
「あの!」
「ちょっと待って。……お礼ならいいからさっさと帰りなさい。また絡まれても知らないよ? 次も助けてもらえる保障なんてないんだからね」
 電話の相手に制止をかけて、こちらが何かを言うよりも早くそれだけ言うとさっさと歩き出してしまった。
「ありがとうございました!」
 とりあえずそれだけを伝えると女性はちょっとだけこっちを向いて、手を振ってくれた。どうやら感謝の気持ちは届いたようだった。
 
 女性を見送って、ちょうど止まったタクシーに乗り込み駅まで頼む。距離は近いんだけど、また絡まれてもイヤだし。
 タクシーに乗り込んだ瞬間に安堵の息が落ちる。
 ちらりと窓ガラスに映った自分を見て今度は憂いの溜め息が出る。
 服装はいたってシンプル。スリムなパンツに花柄をデザインしたシャツ。でも全体的にモノクロスタイルで黒のほうが強い。わりと男性的な服装だと思う。
 化粧などしてないし、髪は後ろで一つに結ってる。友人と会うときは大体こっちの自分でいる。でも、細いせいか間違いなく女の子と間違われるし、声を出しても意外に気づかれないのはやっぱり男としては少し高いんだろう。
 女顔なのは自覚がある。大いに利用してもいるし、体型も細いから仕方がないのかもしれない。
 でもふと先ほど現れた女性を思い出す。
 肩までの緩いウェーブの黒髪。濃い茶色のスカートスーツを着ていて、どちらかといえばスレンダーな印象だった。でも太さをきちんと感じたのは女性の持つ丸さからだろうか。
 彼女はどうみても女性だったが、でも自分と違い頼りなさがなかった。だからあの青年二人も彼女の言葉にさっさと引いていった。
 もしかしたら自分と同じ服を着せたら彼女のほうが男の子と思われたかもしれない。ある意味、僕とは正反対の人。
「カッコイイ人だったな」
 ぽつりと言葉に出して頷いた。
 そうなのだ、カッコイイ人だった。女性なのに。
 
 
 それが、彼女の第一印象。
 そしてそれは二度目に見た時も変わらなかった。
 
 
 
 三日後。約束の合コンで彼女に会った。
 一瞬だけ間違いかとも思ったが、間違いない、あの人だ。
 僕が呆然と見つめている前で、乗り気ではないとありありとわかる態度でたった一言だけ挨拶をした。
 気合を入れる周りに対して、服装はジーンズに薄い水色のシャツで、なにも飾り気がない。そのせいかベルトの銀のバックルが妙に目を引いた。
 一番端の席に座った彼女の隣に、いやに近寄る男が一人。そっけない彼女に必死で何か口説いている。その様子をなぜか目で追っている自分に気が付いて、彼女の隣にいる男性に苛々している自分を見つけた。
 いつもなら逆なのに、この日は全く男性に目が行かない。
「アユちゃん、つまんない?」
 そう声をかけられてようやく隣に月子さんが座っていることに気が付いた。
「ううん。楽しいよ」
 にっこり微笑んで答えるが実のところそんな気分ではない。
「でもあんまり飲んでないでしょ〜」
 月子さんと逆側にいる男性がお酒を片手に体を寄せてくる。それに笑顔で応じていると男性の向かい側にいる女の子が何か話しかける。男女の駆け引きが始まっている中で、ほぼ無関心なのは彼女だけ。
 彼女、名前は川上さん。それしか自己紹介がなかった。
 周りの視線が他に外れた間をついて、ふと月子さんが耳打ちをしてきた。
「あのね、アユちゃんに合わせたかったのは彼女。川上って名乗ってたでしょ?」
「え?」
「今はあんなだけど、その辺にいる男より断然カッコイイんだから。女の私でも時々惚れそうなくらい王子様なの」
 唐突に三日前に出会った彼女が蘇って、ドキドキと心臓が騒がしくなる。
 その言葉に、あの一瞬で恋に落ちていたことに気が付いた。
 颯爽と現れた王子様。
 形は違うが、そう表現しても間違いではない。
「…月子さん」
「なに?」
「ありがとう」
「? うん。よかったわ」
 何を言われてるかわかっていない様子だったけど、言わずにはいられない。
 
 
 また周りの会話に強制参加させられると、静かに川上さんが席を立った。
 その後姿を追いかけるのに躊躇いは微塵も感じなかった。
 
 
 
 これが僕と川上さんの、恋戦の始まり。



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