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こたえる声
06
 後宮で行われた夕食は滞りなく進み、余計な事件も起こることなくすんなりと終わってしまった。
 その事に半分泣きながら抗議したエマリーアをなだめてくれたのがシルフィナで、結局「いつかまた」と約束させられて後宮の出入り口まで送られてきた。
「それでは、これで」
 出入り口の扉が開かれるとシルフィナに向き直って暇を告げた。
 原則として王族の女性は国王や大臣の許可なく後宮から出てはならない。昨日の今日で許可が下りるわけもなく、だからこそエマリーアは駄々をこねた。
「見送りにいけなくてごめんなさい。ミアさんが行ってくれるようだから」
「はい。私もミアさんから聞きました」
 スノーリルの返事にシルフィナも頷き、そっとスノーリルに近付いた。
「最後に一つだけ聞いてもいいかしら?」
「はい」
「メディアーグの弟のことを聞いてきたでしょう? あれってわかったのかしら」
「あ。えっと。はい、わかりました」
 少し悪戯っぽく微笑まれてスノーリルも苦笑して頷いた。そういえばあの時質問したまま答えを聞くことなく立ち去っていたのだ。
「誰のことだったのか聞いてもいいかしら?」
 メディアーグの弟、つまりディーディラン国の王子たちであるが、スノーリルが聞きたかったのはその中の誰なのか。どこか面白がっているような好奇心の覗く質問に苦笑しつつ答えた。
「クラウド王子です」
 その答えにシルフィナは目を丸くした。
「どうして、探していたのか聞いてもいい?」
「探して欲しいと言われて」
「メディアーグに?」
「いいえ。クラウド王子に」
 シルフィナは目をぱちくりと瞬かせ、しばらく考え込んだ。
「クラウドに、メディアーグの弟を探せって言われたってこと?」
「探して欲しいと言われたときは、クラウド王子だと知らなかったんです」
 事は結構複雑で、説明したほうがいいだろうかと思うが、立ち話するような場所でもない。それに近くにはマーサとリズにポーラ、すぐそこに衛兵とアドルがいるのである。
「それ、いつ言われたの?」
 ちらりと、周りを気にしたスノーリルを気にすることなく、シルフィナが再び質問してきた。
「ずっと昔です。トラホスでした約束で…」
「見つけたらお嫁にするって?」
「えっ」
 なぜ、それをシルフィナが知っているのだろう。
 絶句したスノーリルにシルフィナはゆっくりと微笑んだ。
「そう。そうなのね。なるほどね」
 一人納得したシルフィナは何度も頷き、そしてぽんとスノーリルの両肩に手をのせた。
「スノーリル姫。また、お会いしましょうね」
 にっこりと極上の笑顔で告げられ、それ以上の会話を打ち切られてしまった。
「は、い」
「では、これで。よい旅を」
 それだけ言うとひらりとドレスを翻して去って行った。
 しばらくその背を見送ったが、マーサに名を呼ばれ、ふらりと後宮を離れた。
「大丈夫ですか?」
 気遣わしげなマーサの声に顔を上げると、いつの間にやら今夜で最後になる部屋へとやってきていた。
「ええ、大丈夫。あ、アドルさんもありがとうございました」
 マーサの後ろにいた煉瓦色の髪を見つけ、一つ礼をすると「いえ」と声が返り、何事もなく立ち去った。その間を見計らったように扉が開く。
「お戻りですね。申し訳ありませんでした」
 中から現れたのはカタリナだ。
「戻ってきていたのね。何かあったの?」
 サミュエルが呼びにきたということはアルジャーノン大臣の用だろう。いきなり帰るなどと言ったので父である王へ何か伝言を頼まれたのかもしれない。そうだとしたらカタリナが答えるはずもないので別のことを聞く。
「船がだめになったとかじゃないわよね」
「大丈夫です。明日のトラホス行きは変わりません」
「そう」
「はい」
 着替えを手伝ってもらいながらそんな会話を交わすが、じっとカタリナを見つめる。ドレスをしまうその背中がどこか機嫌がよさそうな気がする。
「カタリナはトラホスに帰りたい?」
 なんとなくそんな質問が出た。
「スノーリル様は帰りたくないのですか?」
 やんわりと聞かれ、すぐには答えられなかった。
「…決めたの」
「はい。そうですね」
 優しく微笑んだカタリナに、何か言いたいのに何を言いたいのかわからず、唇を噛み締めて俯いた。その頭にふわりと手が置かれる。
「ゆっくりお休みください。明日から海の上ですから」
「うん」
 
 
 夜着に着替えディーディラン国最後の夜空を見上げた。これで本当の見納めである。
「花嫁候補か」
 ことの始まりを思い返してそんな呟きが洩れた。
 シルフィナの言葉が頭の隅に引っかかっているせいでもあるかもしれない。
 こつりと窓に額をくっつける。ひんやりと冷たく、頭をすっきりとさせてくれる。
 ここにくる前はこんなことになるとは思ってもみなかった。そもそも、あの時の少年がまさか皇太子だったなどと、どうして考えられるのか。
 あの時、もし知っていたらどうだったのだろう。
 いや、無理だ。あの時はまだそんなことわかりもしない。
 覚えているのは黒髪に、鮮やかな緑色の瞳。嬉しそうに微笑んだ顔。リルと呼ぶ声。それと…。
「見つけて…」
 何度となく呟かれた声が蘇る。
 あの願いは叶えてやる事ができたのだろうか。ふいにそんな事が心に浮かんだ。
 結局どういう意味だったのか。言葉の通りならスノーリルは約束を果たしたが、そうでなかった場合彼はどうなるのだろう。暗い闇に取り残されて泣いたりはしないだろうか。
「大丈夫よ。昔と今は違うもの」
 自分がそうであるように、彼もすでに闇から脱しているはずだ。それだけの長い年月であるはずだし、今現在の彼を見る限り闇に捕まっているようにも見えなかった。それでも時折、どこか寂しそうにしていた気がする。
「でも」
 彼にも心配してくれる人は沢山いる。アトラスはその筆頭だと思う。
「だから、大丈夫…」
 本当に大丈夫だろうか。港で見せた顔は大丈夫だとはいえない気がする。
 思わず手を差し伸べて抱きしめてしまいそうになる時がある。どこか危ういところのある人だった。
「………」
 硝子につけていた額を離して、窓の外に視線をやる。
 今頃どうしてこんなに考えているのだろうと不思議な気分になる。明日帰る事が確定したからだろうか。
「明日…」
 船に乗れば全てが終わる。
 きっとこの想いにも終止符を打つことができる。
 ぼんやりし始めた思考にことっと後ろで物音がした。
 振り返るが何もない。おそらく侍女部屋で何かしているのだろう。
 トラホスに帰れば心配していたカタリナたちも安心させることができる。アトラスたちディーディラン国の人たちも安心する。トラホス国の人たちは安心はしないだろうけど、それでも仕方のないことだと思ってくれるはずだ。何も悪い事はない。むしろ良いことのほうが多いはずだ。
 もう一度窓に視線をやる、硝子に視点を合わせるとぼんやりと白い輪郭が浮かび上がっている。それは間違いなく自分の姿だ。顔の部分が真っ黒に塗り潰されて見える。
 白異である自分。
 この器でなければもっと違ったのだろうか。
 過去も未来も、もっとずっと輝いていたのだろうか。
 普通に人を信頼し、普通に人を好きになり、普通に恋をして、普通に結婚し、子供を作り、幸せな家庭を築けたのだろうか。
 幼い頃から幾度となく考えた。
 もし、自分が普通の子であれば。
 しかしそれは願っても叶うことはない。
 白い枠にぽっかり空いている黒い穴をじっと見つめる。
 皆が見ているスノーリルそのものだ。
 誰もスノーリル自身を見てはいない。
 いいや。トラホスに行けば少なくとも見てくれている人はいる。両親に兄弟、カタリナやマーサ。親しい友人。
 それだけいれば十分だ。
 それ以上は求めない。
 その他大勢の中の「好き」でいてくれるだけで十分。
 ふとそこまで考えて、アトラスの言葉が思い出された。
 そういえば彼もスノーリルを好きだと言ってくれた。それはきっと「本が好き」と同等くらいの「好き」であるはずだ。それに「兄上も」と付け加えてくれた。それだけで十分幸せだ。
「花嫁候補なんて他にいくらでもいるんだし」
 それに、彼が将来誰かに恋をしないとは限らないし、初恋の相手を見つける事だってあるはずだ。そして、彼にはそれを手に入れるだけの力と協力者がいる。
 スノーリルが心配することなど何もない。
 ただ、少しだけ、あの不安定さが気になるだけだ。でもそれは将来隣に立つ人が支えてくれるはずだ。
「ディーディラン国皇太子の結婚式かぁ」
 これだけ大きな国の皇太子の結婚式となると、毎年一度あるトラホスの式典など遠く及ばない規模になるだろうことは容易に想像できる。
「幸せになるわ。大丈夫よ」
 メディアーグ夫人が言ってくれたことが本当なら、絶対に彼は幸せになる。
「うん。大丈夫」
 もう一度声に出してみる。
 だから自分も大丈夫だ。
 明日から海の上の生活が始まる。カタリナの言うとおりゆっくり休むべきだ。
 少しだけ軽くなった心を維持するためにも眠りにつく。
「大丈夫。だいじょうぶ…」
 明日もきっといい天気だ。
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