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こたえる声
07
「では、行きましょうか」
「はい」
 柔らかな声が後ろからかけられる。
 知らず、王城の一番高い場所に目をやっていたスノーリルはその声に素直に従った。
 
 朝一のトラホスへ向かう船に乗るために、スノーリルは朝日が昇る頃には港へ向けて城下を出た。早朝ということもありその際の見送りも微々たるもので、エストラーダと比べるとなんと質素なものかというほどだ。
 それでもアルジャーノンや大臣数名に、メディアーグやアトラス、グレイブス家からは兄妹に執事まで来てくれていた。
 グレイブス兄妹には突然の話だったようで、残念だとか、なぜ突然などと言葉をかけられた。ダイアナは近くにいるアトラスが気になるようであまり話しはしなかったが、アーノルドからは色々と気遣いをもらった。
 挨拶する人物も少ないこともあり、すぐに馬車に乗り出立となる。
 その馬車にはメディアーグ夫人も同乗し、部屋を抜け出したときの話などをして港まで賑やかに話をした。
 スノーリルが一人で来た時とは違い、今回は町の真ん中を通りぬけて船着場まで行く。馬車を降りるとすぐ目の前の船に乗り込む人たちがいた。
 その船を見ていると、こちらに気がついてやってきた役人らしき人物がメディアーグ夫人に礼を取り、なにやら告げていた。
「トラホス行きはこの船のようです」
「そうですか」
 しばらく話をしていた夫人がスノーリルを振り返り笑顔で告げる。
 ディーディランにきたときは大型船舶だったが、今回のは中型の貨客船で、人よりは荷物のほうが沢山積まれる船だ。人のほうが「ついで」になるので、梯子に近い階段を使って乗り込む、普通は貴族など乗らない様式の船である。
「大丈夫ですか?」
 乗るというより登っていく感じの船を、少し心配げに見上げたメディアーグ夫人にスノーリルは微笑んで答えた。
「大丈夫ですよ。王城の二階よりは低いですから」
 脱走した場所と船の高さを比べれば、船のほうが低い。
 その指摘にメディアーグ夫人も一瞬ぽかんとしたがついで笑った。
 少ないながらあるスノーリルたちの荷物も積まれる中、メディアーグ夫人がふと首をかしげる。
「随分騒がしいわね」
「そうですかね? ここではいつもこのくらいですよ」
 メディアーグ夫人の呟きに答えた声があった。振り返ると煙草を片手に持つ人物、セルバだ。おそらく夫人とは顔見知りであると察せられたが、やはりよく知った人のようである。
 気安くなにやら話しているがスノーリルにはその会話が、いや、世界の全てが壁一枚向こうの世界のように、どこかぼんやりとしていた。
「スノーリル様」
 隣に立つカタリナが心配そうな声をかけてくる。それに笑顔を向けはしたが、どう答えるべきかを迷った。
 大丈夫だ。だいじょうぶ。
 そう、この船に乗ってさえしまえば、全てに終止符を打てる。
「荷物は積み終わった?」
「はい」
 それを合図にスノーリルも気持ちを切り替えた。
「ミアさん、荷物が積み終わったようです」
 セルバとなにやら話しているメディアーグ夫人に声をかけると、ぱっと振り返って頷いた。
「そうですか。…短い間でしたけど、楽しかったですわ」
「私もです。それに大変お世話になりました。メディアーグ様にもよろしくお伝えください。お腹の子の無事を祈ってますね」
「まあ、ありがとう。絶対に元気に生まれてきますわ。機会があればまたお寄りくださいね」
「はい」
 そんな事は金輪際ないが、それでも微笑んで頷き、小さく頭を下げた。
「スノーリル姫」
 最後の挨拶を交わして船に向かうスノーリルにどこか真剣な声がかけられる。
 振り向けばそこにいるのはメディアーグ夫人だ。
「愛は誰にも止めることなどできません」
 突然の言葉に足と一緒に思考も止まる。
「もちろん、自分でも止めることなどできないのです。貴女が愛することも、貴女を愛することも。そこに選択や権利などありません」
 真剣に真正面から告げられる言葉に思わず反論しようと、息を吸い込んだその一瞬をついたように夫人が声を発する。
「選択できるほど、貴女は偉くないのですよ?」
 最後に茶目っ気たっぷりに微笑まれ、声を飲み込んだ。飲み込んだ声と一緒に夫人の言葉もストンと胸に落ちる。
 愛すること、愛されること。その相手を選択できる権利などありはしない。
 例え寄せられるのもが迷惑でも、愛に選択などないし、権利などあるはずがない。それはつまり愛してもいいということだし、愛されてもいいということだ。
 しばらく柔らかく微笑む女性を見つめ、隣に視線をやるとそこにも微笑む灰色の瞳がある。
「止めるのなら今ですよ?」
 ふわりと降ってくる声に、涙が溢れそうになる。
「決めたの」
 優しい提案をゆるく頭を振って拒否する。
「いいの。伝えなくても、私がクラウド王子を好きな気持ちは変わらないもの」
 変わらない。何があっても。絶対に。
 抱えている感情は、きっと、「好き」以上の特別なものだから。
「そうですか」
 カタリナの声に笑顔で頷き、振り返って深く頭を下げる。
「ありがとうございます。機会があったらまたきますね」
「ええ。その時はどうぞ尋ねてくださいね」
「はい」
 吹っ切れるのとは違い、揺るがないほど強くなった想いを抱えて船に乗り込む。晴々としているのはきっとようやく認めたからなのだろう。
「これでお別れですね」
「そうね」
 落下防止の欄干に手を置いて、遠く王城のある場所を見やり、それから下を見下ろす。
 たおやかに微笑む女性は近くにいたセルバと話をしている。時々こちらを向いて微笑んでくれていた。
 そんな束の間をはさみ、港と繋がれていた極太の綱が外され、乗船のための梯子のような階段も引き上げられると出航の合図に鳴らされる管楽器の高い音が響き渡る。
 いよいよお別れだ。
 もう一度下を見て、メディアーグ夫人に手を振ろうとした、その時。
「スノーリル!」
 聞こえた声に、我が耳を疑った。聞こえる方角を見やれば黒い髪の男性が馬で駆けてくる。
 あっという間に船の下まで来たその人物は船上からでもはっきりと認識できる。
「見つけたら考えるって言っただろう!」
 まだ動いてはいない船の、すぐ下で叫ぶ彼の言葉が何を指しているのか、あまりの展開にわからなかった。
「スノーリルが誰を好きでも構わない」
 続く言葉にあの庭園での言葉を思い出す。
「だから、僕の側にいて欲しい」
 その言葉に体の機能が全て止まった。
 何が起きているのかわからない。幸せな夢だなとぼんやり思った。
「スノーリル様」
 近くでする声に、ぽんと置かれた手に、ここが現実なのだと認識して隣にいるカタリナを確認した。それから恐る恐る、下を見る。
「…っ」
 そこにはちゃんと、先ほど見た通りに、こちらを見上げる黒髪のディーディラン国皇太子の姿がある。
「…嘘…」
「本当ですし、現実ですよ」
 カタリナの声にふらりと足元が揺れる。
「どうしますか?」
「どうって?」
 何をどう考えればいいのかわからない。
「スノーリル! 僕は諦めない。例えトラホスに戻っても、絶対に連れて帰る。約束しただろう?」
 一歩踏み出して叫ばれる声に、船が動いている事がわかった。
「好きだ!!」
 ゆっくり動く船の上。
 全身の血が沸騰したような感覚に陥る。
 許容しきれない感情が涙となって溢れて止まらない。
「……好き…」
「スノーリル!」
「スノーリル様」
 二人に急き立てられ、スノーリルは首を横に振る。
「だって、カタリナ。もう、無理よ」
 船は動いている。トラホスに向けて。
「私を信用しますか?」
「…え?」
「できますね?」
 強く、真直ぐ微笑まれ、無意識に頷いた。
 それと同時にカタリナが欄干の上に立つ。
「さあ、行きましょう」
 笑顔で手を差しだされ、それに手を置くと腰にも他に手があり、欄干の上に乗せられる。
 振り返ると下にトーマスが難しそうな顔をしていて、どうやら手伝ってくれたらしい事はわかった。わからない事は一つだけ。
「でも、カタリ…なっ――!!」
 手を繋いだ先に問おうとした瞬間。
 腕を引かれる強い衝撃と、世界が反転して、見えたのは今日も青い空――。
 落ちる。
 それを本能的に悟った瞬間に体を縮めて、目を閉じた。
「ぐっ」
「うっ」
 意外に少ない痛みと、うめき声と、終わった落下に止めていた息を吐き出す。
 恐る恐る開けた視界に見えた船に、何があったのかを認識したのか、心臓が激しく脈打つのを感じる。
「くっそ、信じられん」
 近くでそんな罵倒を聞き、ようやく自分が誰かの上になっていることを認識した。
 のろりと動き、寝そべるような体勢から上体を起こし、後ろを見る。
 そこには青い顔をしたセルバがゆっくりと人を地面に寝かせている。セルバの手の中でぐったりとしているのは黒髪の男性だ。
「…あ」
 近くで見ても、間違いなくそれはクラウド王子だ。
 落ちたスノーリルを受け止めた衝撃で気を失っているようだ。もしかしたらどこかぶつけたのかもしれない。
 一瞬にして、自分に起きたことと、今クラウドに起きたことを把握して身を起こして顔を覗き込む。
「クラウド!」
 呼びかけてもピクリともしない彼に、胸の奥にざわりとした嫌な予感が過ぎる。
「やだ、クラウド…」
 目の前が真っ暗になりそうだ。
 震える指でそっと頬に触れるとぐいと引き寄せられる。
「!?」
「捕まえた」
 気がついたときにはすっぽり腕の中にいた。
 事態が飲み込めないスノーリルの耳にくすくすと笑う声が届く。
「リル」
「あ…」
 耳元で囁かれた声に、冷たくなった指先が一気に熱くなる。ゆっくり解かれる腕に顔を上げると、そこには微笑む鮮やかな緑。
「これが答えだと思ってもいい?」
「これって…」
 何? と思った瞬間。
 目の前で悪戯っぽく笑う瞳に射止められる。
「逃げたかった?」
「え」
「諦めるつもりだった?」
「や」
「僕が嫌い?」
「あの」
「でも、逃がさないよ」
「な…に」
 衝撃が強すぎて完全に思考回路が機能していない。そこに質問攻めでさらにわけがわからなくなる。必然的な体勢でスノーリルがクラウドの上にいる。下から見つめてくる瞳から視線をそらせられなくて、さらに混乱を引き起こす。
 体中が熱い。
 その中でも一番熱くなっているだろう頬に、少し冷たい手が触れる。
「それで、リル。教えてもらえるんだろう?」
 甘い声と捕らえる瞳に、何のことだと目を瞬く。
 ゆっくり確認するように頬にある指が唇をなぞった。
「リルの好きな人」
 確信を含んだ、イジワルな問いに一瞬にして思考が沸騰する。
 ぱくぱくと何度か口を開け閉めしたが声は出ない。
「ん?」
 恥ずかしすぎて一度目を閉じて深呼吸する。
 開いた視界にあるやわらかな笑顔に夢ではないと再確認して、涙と一緒に笑顔が溢れた。
「あの……絶対に、驚くんだから!」
 問いへの返答は、愛しい人をしっかりと抱きしめることで保留にした。
白姫とイジワルな妖精 第一部 終わり
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