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こたえる声
03
「スノーリル様」
 声がして振り返るとカタリナが立っていた。
「なに?」
「アルジャーノン大臣から、トラホス行きの船の手配ができたと連絡がありました」
「二日後の?」
「はい。二日後と言いましても出航は日の出と共にだそうです」
 つまりは残りの滞在は明日一日しかないのと同じだ。
「条件は出なかった?」
 突然の予定に船のほうも準備ができなかっただろう。乗船にあたり、それなりの条件が出たはずだ。
「荷物は手持ちだけ、人数を七人までと制限が付きました。ですから、トーマス以下三人と、リズ、私とスノーリル様となります」
「マーサが残るの?」
「リズ一人では気詰まりでしょうし、護衛は外せません。私が残るのも手だと思いましたが、マーサがそれを許さないでしょう」
 スノーリルの素朴な疑問に苦笑しながら答える。確かに、執事のカタリナが残るのは少し問題があるだろう。それにマーサなら次のトラホス行きまで、ディーディラン貴族の中でも上手く対応できるはずだ。
「アルジャーノン大臣がマーサの身元を引き受けてくれるそうです」
「アルジャーノン大臣なら大丈夫ね。わかったわ。ありがとう」
 お礼を言ってまた窓の外に視線をやる。
「スノーリル様」
 やや間を置いて遠慮がちに声をかけられたが、窓の外に視線をやったまま返事をする。
「きちんとお考えになりましたか?」
「ええ、考えたわ。考えて、やっぱりここにいるわけにはいかないと思った」
「そうですか」
「……カタリナ。私が決めたの」
「はい」
 そう、他の誰でもない。最終的に自分で決めた。
「だから、大丈夫」
 後悔はしない。
「会えただけで十分よ」
 一生会えなかったかもしれない人にもう一度会えたのだ。会って話もした。それだけで十分ではないか。他に何を望むというのだろう。
「想いは打ち明けないのですか?」
 その問いに思わず笑ってしまった。
 窓から視線をカタリナに移すと、執事は真剣な眼差しを向けていた。
「打ち明けてどうするの?」
 打ち明けても結果は見えてる。
「困らせるだけだわ。それに、打ち明けたからといって、どうとなるものでもないでしょう?」
 それで変わる未来があるとは思えない。
 今までがそうだったように、きっとこれからも。
「私は平和なトラホスで幸せに暮らすの。カタリナは反対?」
「…いいえ」
 スノーリルの幸せを一番に願う執事がそれを否定するとは思えない。スノーリルの安住の地はあの場所以外にはないのだから。
 小さく首を横に振るカタリナを見て、また窓の外を眺める。
 いつの間にか外の景色は夕闇に染まっていた。それほどの時間ぼんやりしていたのだとようやく気が付く。
「せっかく海に行ったのに」
 結局、また同じように考えることを止めてしまっている自分に気がついて苦笑が洩れる。暗い窓に写りこむ自分の姿を認めて窓から視線を引き剥がし、手元に視線を落とす。
「私、逃げてるのね…」
 ずっとメディアーグの言葉が耳について離れない。
 そうなのだ。スノーリルは逃げている。それはクラウドを見つけたときと同じだ。答えを知るのが怖くて逃げ出した。それは昔、小さな頃に会場から逃げ出したときと同じ感情だ。
 でも、怖いのは向こう側の感情を知らないからだとその時に知った。
 だからこそメディアーグの言葉は痛かった。
「私はクラウド王子の感情が怖いんだわ」
 好きだと自覚したのはまだいい。それでも十分苦しかったが、それ以上に、相手にこの感情を知られるのが怖い。
「カタリナ。私の幸せってなに?」
 答えることなどできないだろうとわかっているが聞いてしまう。視線をやるとやはり困ったように微笑んでいた。
「知らなくていいことってあるわよね?」
「そうですね。否定はしません」
 やんわりと微笑んだ執事は「でも」と続ける。
「知らないことが幸せであるとも思いません。知って幸せになることもあります」
「そう?」
「私はそうでした。あの時スノーリル様の想いを知って、私は幸せだと思いました」
 優しい瞳で告げるカタリナの「あの時」が、自分にとっても一大決心をした時でもあった。
「カタリナは私の事が好きだって言ってくれてたでしょう? 私はただそれを信じたの。カタリナは私の事が好きなんだって。ただそれだけだったもの」
 もしあの時、カタリナがスノーリルを拒否していたら、それはそれで終わったことだ。スノーリルの声にカタリナが答えたことで今、こうしてカタリナはスノーリルの側にいる。
「…カタリナも怖かった?」
 あの時、逃げ出したのはカタリナだ。
 今ならその時の執事の感情がよくわかった。
「そうですね。今のスノーリル様と同じでした」
 静かに微笑むカタリナがゆっくり頷く。
「決して知られたくないことを、知って欲しくない相手に知られるのは、なによりも怖いものです。それが負の要素ならばなおのこと」
 静かに静かに語る声に、今この執事がかつて味わった立場と同じ位置に居るのだろうかとぼんやりと思った。
 知られたくない。
 何よりも、あの人に。
 例え、どんな誤解があっても。
 伝わったそれが真実ではないとしても。
 自分の抱えるものを知られるくらいならそれでいい。
「卑怯なのかな」
「そうですね」
「でも、それでもいいの、だって……」
 予感がする。
 伝えた想いに返る答えが良いものなら、これまでの逃避が全て面白おかしく過去の話として笑っていられる。
 しかし、そうでない場合。
「怖いの、カタリナ。また髪を切ってしまいそうで…」
 もう、心配させたくない。だからこそ強くならねばと思った。
 中傷には笑顔を。非難には肯定を。嫌悪には静止を。
 でもそれは完全な鎧ではない。せめて大怪我を負わないようにと持った盾でしかない。それは敵だと判断した相手に向けられるもので、味方だと判断した相手には全く意味をなさない。
 クラウドはすでにその盾の内側にいる。そんな相手から切りつけられたらただではすまない。それが本能のようにわかっている。そして、それは確実な未来だ。
 また真っ黒に支配されそうな心を、ダメだと叱咤するようにぎゅっと目を閉じる。
 大きく息を吐き出すとふわりと髪を撫でる手を感じた。
「トラホスに帰る。クラウド王子には伝えない。例えそれが間違いだとしても」
 それは初めから決まっていた事。選択の余地などスノーリルにない。
「初めから、権利なんてなかったんだもの」
 生れ落ちたその日から、特定の人を愛する権利など与えられていない。
 白異は忌み子ではあるが神の使いであることには変わらない。人に愛される対象であり、人に与える愛は等しく皆に与えなければならない。神に愛された子の当然の義務だ。
「スノーリル様。時には大声を出して泣くことも必要です」
 頭上から聞こえるいつもの調子の声に思わず微笑む。
「大丈夫よ。もう子供じゃないわ」
「わかっています。だから心配なのですよ」
 上を少し見上げると赤い色の混ざる灰色の瞳が覗きこんでくる。
「カタリナ。大好き」
「私も好きですよ」
 カタリナに言うのも苦労したのに、それ以上の感情を抱えて告げることなど到底できそうもない。
「好き、なの…」
「ええ」
 ぽつりと洩れた声に柔らかく返事が返って視界がぼやけた。
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