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こたえる声
01
 コンコンと二度扉を叩く音に返事が返り、開けてもらった扉を潜って部屋に入ると苦笑した大臣に迎えられた。
「ご無事で何よりでした」
「ご迷惑をおかけしました」
 スノーリルの謝罪に大臣はにこやかに微笑んだだけだった。
 
 
 昨日、重苦しい空気を連れて城下へ入るとすぐに迎えがやってきた。
 そこでトーマスとリズに怒られ、カタリナとマーサに苦笑され、アトラスに心配された。
 隣にいたクラウドの表情は最後まで見る事はできなかった。ただ、声はあの会議室で聞いたときと同じように、冷静で落ち着いたものだった。
 おそらく皇太子が仕事を放ってしまったために忙しくなったのだろう大臣には、その日のうちに会う事はできなかった。しかし今朝、会いに来るようにと使いをもらった。
 
 
 椅子に座るように促し、いつもの通りに落ち着くと、ふいに扉が開いた。
「お。外すか?」
 後ろで聞こえた声にスノーリルが振り返るとそこには若い男性が立っていた。
「いや。…覚えておいでですか? クロチェスター大臣です」
 紹介されて爽やかに微笑んだその人を見て、スノーリルは一ヶ月半前の記憶を引っ張り出した。確かにクロチェスター大臣その人である。
 彼はアルジャーノン大臣の許可をもらい、自分の机なのだろうそちら側に歩み寄ってそこに寄りかかった。
「とにかく、何もなくてよかったです。どうでしたか? 我が国の港は」
「トラホスとは比べ物になりません。とても賑やかでした」
 どこかからかいの混ざる口調で聞かれ、スノーリルは少し複雑そうに笑って答えた。
 もしかしたらものすごく怒られるかと思っていたのだが、アルジャーノンにはスノーリルの脱走劇も面白いものと捉えられている節がある。
 しばらく、スノーリルが居なくなってからの皆の様子や、どうやって脱出したのかなどを聞かれていたが、ふと、それまで沈黙していたクロチェスター大臣が口を挟んだ。
「そういえば、クラウド王子と何か話しましたか?」
「はい。少しですけど」
「そうですか」
 そう言うと視線をアルジャーノン大臣にやる。その仕草にスノーリルは首をかしげたが、正直これ以上この話はしたくない。
「よほど心配したのでしょうな。自ら出向いて行ったのには驚きましたが、あの後アトラス王子も行くと言い出しまして、諌めるのにどれほど苦労したことか。いやはや、いつの間にスノーリル殿は我が国の王子二人を射止めたのか」
 にこやかに笑って言われているが、どう聞いても厭味である。どう反応したものかと思っていると後ろから冷ややかな声がかかる。
「厭味ですか」
「カタリナ」
 そのやり取りにくっくっく、と笑う声が聞こえる。
 見れば拳で口元を押さえて笑うクロチェスター大臣だ。こちらもやはり曲者っぽい印象を崩さない人だ。
「あの、迷惑ついでに一ついいでしょうか?」
「はい。何なりと」
「トラホスに帰りたいと思います」
 スノーリルの発言に笑い声が止まり、目の前のアルジャーノン大臣も表情をなくした。
「できれば早くに。港で聞いたのですが、二日後の船があるようです。それに乗れるように手配していただけませんか?」
 港から帰ってきてからカタリナを始め、トラホスからきた面々には話をした。リズとマーサは顔を見合わせてカタリナを見ていたが、結局はスノーリルに従うと言ってくれたし、トーマスは特に何の変化もなかった。
「二日後ですか。それはまた急ですな」
「すみません。勝手ばかりで」
 小さく頭を下げたスノーリルにアルジャーノン大臣は視線を動かして、カタリナを見て、クロチェスターを見た。
「…確か二日後の船は大型船ではないはずです」
「とりあえず私だけ帰れればそれでいいんです。贅沢は言いませんので、できれば二日後の船に…」
「そんなに帰りたいのですか」
 聞いてきたのはクロチェスター大臣だ。
「はい」
 これにはしっかりと目を見て答える。
 そう決めたのだ。一夜明けてますます早く帰るべきだと思った。
「昨今のお姫様方は行動力がありすぎですね」
 苦笑しつつ洩れた言葉にはきっとエストラーダも入っているのだろう。彼女も同盟が成り立った翌日に帰国の途についている。
「そう、すべきだと思うからです」
 誰に言われるでもなく、自身をよく知っているから。だからこそ、取るべき行動がわかる。ただ、それだけだ。
 少しの沈黙が部屋を満たし、やがて目の前から溜め息が落とされる。
「わかりました。手配しましょう」
「お願いします」
 話はこれで終わりだ。暇を告げようとするとアルジャーノン大臣がふと思い出したように尋ねてきた。
「ところで、探し人は見つかったのですか?」
「はい」
 そう答えると周りから短く息を吐き出す音が複数聞こえる。後ろはカタリナ。もう一つはクロチェスター大臣。失笑のような気配だった。
 スノーリルはアルジャーノン大臣のくれた情報は外れていたのだと思っていた。見つけたのは皇太子で、メディアーグの弟君ではなかったのだから。
 メディアーグと言えば、ふと港で会ったセルバの言葉が蘇る。
「メディアーグさんは港町を仕切ってらっしゃるんですか?」
 彼が「メディアーグの旦那」と親しく呼んでいたことを思い出す。そういえば、クラウドを「若」と呼んでいた人物もいた。ディーディランは意外に貴族と民衆の交流ができているのかもしれない。
「スノーリル様」
 スノーリルの素朴な疑問に後ろにいるカタリナが控えめに声をかけてきた。
「なに?」
 見上げると複雑そうな表情でスノーリルを見ている。一度アルジャーノン大臣を睨みつけるようにしてから話しだす。
「ミア・メディアーグ様の伴侶の方というのは、前皇太子殿下だそうです」
「前、皇太子?」
 言い聞かせるようにゆっくりと紡がれた言葉を、ゆっくり言い返す。すると、カタリナはなおも神妙に頷く。
 その言葉の意味を飲み込んで、スノーリルはゆっくりとアルジャーノン大臣に視線を戻した。大臣はにこにこと笑うだけで何も言ってはこない。
 その笑った顔を見やりながら、スノーリルの思考は一気に一ヶ月半前の記憶にまで遡った。
「まさか、最初から、知ってたんですか?」
 スノーリルの探していた相手が誰か。
「ええ、口止めされていまして」
 悪びれることなく、にこやかに言ってのけるその顔を今ほど憎いと思ったことはないが、同時になぜと思う心もある。
「どうして口止めなんて」
「さあ? それはご本人でないとわかりません」
 少しだけ困ったように眉を下げたアルジャーノン大臣の表情には苦笑がある。
 そういえば会いにきた理由や、探して欲しい意味を聞き損ねていることに気が付く。結局、彼は何がしたかったのか。単身探しにきた理由もよくわからない。
 ――リルがいるから――
 蘇った優しい声に涙が溢れそうになって、目を閉じる。
 考えても仕方がない。これ以上ここにいる理由はない。
「そうですね。それでは、船の手配をお願いします」
「わかりました」
 それだけ告げると席を立った。
 
 今日はアルジャーノン大臣の従者であるサミュエルがいなかったので、カタリナが扉を開けてくれた。
「あ」
 それと同時に扉の向こうから声があった。
 どうやら誰かが立っていたようだ。
 カタリナが一瞬止まり、扉を大きく開けると、おそらくスノーリルに気が付いたのだろうその人が道を譲ってくれた。
 その人物に軽く会釈して扉を潜り抜けると来た道を戻るべく足を向ける。
「スノーリル姫」
 しかし後ろから呼び止められ、意外に思いながら振り返った先にいたのは知らない男性だ。立っている位置からしておそらく先ほどの人物である。
 カタリナがちらりとスノーリルに視線を寄こして、少し後退した。
「少しいいか?」
「…はい」
 おそらく貴族だろうが、話し方に他国の王族に対する敬意がない。妙に気安く声をかけてくるその人を見上げてふと首をかしげる。どこかで会った気がするのだ。
 スノーリルのその仕草にその人は微笑んだ。
「名乗ったほうがいいな。…エディウス・メディアーグです。妻のミアが大変お世話になったと話しておりました」
 突然敬語になった男性の自己紹介にスノーリルは小さく声を上げた。
「お世話になったのはこちらのほうです。ご迷惑ばかりおかけして」
 とっさに頭を下げて謝った。
「弟達とも仲良くしていただいているようだ」
 その言葉に一瞬息を止める。
「はい。仲良くさせていただいています」
 なんとか笑って顔を上げた。目の前にいる人は前皇太子であり、現在は"サニー"メディアーグという地位にいる貴族であるが、クラウドとアトラスの兄であることは変わらない事実だ。
 見上げるスノーリルを、メディアーグもしばらくじっと見つめてくる。その緑色の視線はアトラスよりも柔らかく、クラウドよりも強くない。横柄である物言いをすんなりと許してしまったのは、どこかふんわりとした印象を受けるからだ。
「トラホスに帰るとか?」
 ふと、今気が付いたように口にされ、スノーリルも素直に答える。
「はい。今アルジャーノン大臣に頼んできたところです。できれば二日後の船で帰ることになります」
「そうか」
 その言い方に弟である人が重なった。
「アトラス王子とクラウド王子はあまり似ていませんでしたけど、メディアーグ様とクラウド王子はよく似てますね」
 アトラスとクラウドがもっと似ていれば兄弟だと思えたかもしれない。二人はそのくらい似ていないのだが、メディアーグは個別に見てもクラウドと似ていた。
「そうか?」
「はい」
「アトラスが好きだというのは本当か?」
「…え?」
 話題が突然変わってスノーリルは数度瞬いた。聞き返した声にもう一度応える声はやってこない。
 アトラスが好きだ…とは、「スノーリルがアトラスを好き」なのか、「アトラスがスノーリルを好き」なのか…。あまりにも抑揚がなく、あまりにもさらりと口にされた、どこか曖昧などちらにでも取れる質問。それともどちらも聞いているのだろうか。
「事実ではありません」
 迷った挙句どちらにも当てはまる答えを告げる。
 するとメディアーグは満足したように頷いた。
「つまり、逃げるのか」
「………」
 何から、とも、どこから、とも言ってはいない。
 しかしそれは核心を突き刺した。あまりの衝撃で言葉にすらならない。
「仕方ないか。あいつも逃げてるから。スノーリルだけを責めるのはお門違いだ。でも少しだけ考えてやってくれないか?」
「な、にを…ですか?」
「側にいる事を」
 全てにおいて主語の抜けた会話。
 それでも、何を言っているのか十分にわかった。
「それは……その、選択の権利は、私にありません。……ないんです」
 絞り出した言葉は喉の奥ですぐにでも潰れそうだ。それでもなんとか口にする。
「そうか。呼び止めてすまなかった」
「いいえ。では」
 軽くお辞儀をして少し足早に廊下を歩く。
 何度か行き来した廊下は意識せずともちゃんと覚えているらしく、気が付けば部屋にいた。隣にカタリナがちゃんといるのをここにきてようやく確認して思わず抱きついた。
「スノーリル様……」
「ごめっ…少しだけ」
 ――逃げるのか――
 はっきりと断言された言葉。
 クラウドに聞かれたときは違うと言えたはずだ。
 でもそれは断言ではなく、問いだったからだ。
「カタリナ」
「はい」
「カタリナ…私…」
「はい」
「クラウド王子が好きなの」
「はい」
「どうしよう。好きなの…」
「はい」
 搾り出すように、泣くのを耐えるように吐き出される言葉を、カタリナはただ優しく受け止めた。
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