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捜索の行方
13
 事件の翌日。アトラスがスノーリルの部屋を訪ねてきた。
 昨日から少し警戒を強め、扉は護衛が開けるようになっている。この時たまたま扉を開けたのは煉瓦色の髪の護衛だ。思いがけず現れたその人物にアトラスは眉をよせ思わず名を口にする。
「アドル」
「おはようございます。アトラス様」
 いつ見ても無表情で必要以外のことを口にしないアドルを見ていると、皇太子である兄を重ねてしまうのか、時々上手く言葉が出てこなくなる。
 そのまま沈黙してしまったアトラスを何でもないように、アドルは扉から離れて入るように促し「お待ちください」と言い置いて、侍女部屋の扉を叩き侍女を一人呼んだ。
 奥でなにやら話し、正面の扉が開くまでの時間、またしても沈黙が落ちる。この間が非常に気まずく、アトラスは一つため息を吐き出した。
「クラウド様はお元気ですか?」
 唐突な質問に、アトラスはアドルを見て少し不機嫌な声で答える。
「聞かなくても知ってるだろう」
「そうですね」
 やはり無表情で肯定され、だったら聞くなと言いかけたところで扉が開いた。
「おはようございます。どうぞこちらへ」
 出てきた執事ににこやかに声をかけられアトラスは扉の中へ入る。
 
 
「おはようございます。アトラス王子」
「今回は大変な目にあったようですね。お怪我はないのですか?」
「おかげ様で、侍女も私も大事無いです」
 にこやかに話しかけるアトラスと、少し固い顔のスノーリルのやり取りはここで止まってしまった。
 二人とも立ったまま視線をそらすことなく、まるで睨みあうようにしていたが、カタリナが割ってはいりとりあえず椅子に座るように促した。
「貴女はディーディランの国賓です。もっとご自身を大事にしてください。さすがのアルジャーノン大臣も肝を冷やした様子でしたよ」
 苦笑して忠告するアトラスに、スノーリルは少し視線を落として「すみません」と呟くような謝罪をした。
 そのまま出されお茶を飲み、気まずい雰囲気のまま沈黙していた。
 どうも話すきっかけがない。
「そういえば、ダイアナ嬢と決闘なさったとか?」
「え? ああ、はい。あのあとすぐに」
 スノーリルの中ではすでに終わった話であるが、アトラスにはつい最近の出来事として認識されている。
「怪我をなさったと聞きました」
「大したことはないんです。もう痛みもありませんし」
 噂ではダイアナが負けたということだったが、スノーリルが怪我をしたのならばスノーリルが負けたということだろう。ダイアナがそれを言わないのは経験者と素人の決闘だったからか。
「もう少し側にいればよかったですね」
 この発言にスノーリルは一瞬口を開けたが何も言わずに苦笑した。
「? 何か?」
 珍しい反応にアトラスが聞き返すと、スノーリルは話をはぐらかすようにお茶に口をつけてしばらく沈黙した。
「アトラス王子はクラウド王子が好きですか?」
 今の話と何の脈絡もない突然の質問に、アトラスは一度眉を寄せ質問の意味を考えたがさほど間を置かずに答えた。
「ええ、好きですが」
「それなのに、どうして私なのですか?」
 すぐに出てきた次の質問に、アトラスは納得した。
 実にわかりやすい質問だ。兄が好きなのにその花嫁候補としてきているスノーリルにどうして告白などするのだろうと。兄弟間で波風は立たないのかという心配も含んでいる。
 おそらく平和なトラホスの王族兄弟では考えられないことなのだろう。
 真直ぐ見つめてくる瞳をアトラスも真直ぐ見返した。
「兄上よりも、貴女のほうが好きだからです」
「一ヶ月前に初めて会ったのにですか?」
 予想した答えだったのか。スノーリルの質問は考える間もなくするりと出てくる。
 確かに会ったのは数えるほどだ。しかも、まともに会話をしたともいいがたい気がするほどの逢瀬でしかない。それでどうして好きなのだというスノーリルの質問に、アトラスはゆっくり微笑んで答えた。
「貴女は運命を信じませんか?」
 優しく、言い聞かせるように紡がれた言葉に、少し目を見開いてスノーリルは沈黙した。じっとアトラスの瞳を見つめ、何かを考えている。
 やがてゆっくり視線を外し、膝の上に置かれた自身の手を見つめ、その手を重ねるようにぎゅっと握った。
「これが運命なら、悪くはないかもしれませんね」
 ふわりと微笑み紡がれた言葉に肯定の意思が覗く。
「では…」
「でも」
 アトラスの声を強く遮り、スノーリルが視線を上げた。
「その運命の相手はきっと、アトラス王子ではありません。アトラス王子も私ではないはずです」
 きっぱりと断言したスノーリルに、アトラスは呆然と見つめ尋ねた。
「なぜ…」
 そこまではっきりと断言できるのだろうか。もしかしたらという思いがアトラスの思考を埋め、それはないと心中で否定し言葉にする。
「スノーリル姫は、もしかしたらすでに想う相手が?」
 反応を見逃すまいとじっとスノーリルを見つめるアトラスの前で、スノーリルは大きく息を吐き出した。
「それがよくわかりません」
「……わからない?」
「ええ。わからないんです」
 吐き出した答えを聞いたアトラスが怪訝そうに繰り返し、スノーリルは本日初めての満面の笑みを浮かべて同じように繰り返した。
 アトラスは何がそんなに楽しいのだろうなど、どうでもいいような感想を思い浮かべ、今告げられた言葉を考える。
 予期した答えとまるで違う反応に、次の言葉が思い浮かばない。
「スノーリル姫は皇太子妃になりたいのですか?」
 どこか幸せそうにすら見える笑顔に、意図せず尋ねた自分に驚いて口に手をやった。何を聞いているのだと後悔が広がる。
「いえ。忘れてください」
「アトラス王子」
 表情を消し視線を落としたアトラスを呼ぶ声に、視線を上げると不思議そうな瞳とぶつかった。
「私が皇太子妃になれると思っているのですか?」
「可能性は無いわけではないでしょう」
 確かに可能性は皆無であるという保証は無い。
 ディーディランの呼びかけにトラホスは応じ、その結果スノーリルはここにいる。
 ディーディラン貴族が反対していても、皇太子である兄がスノーリルを気にいって花嫁にしたいと言えばそうなる可能性は十分ある。たとえ正妃でなくても、後宮のあるディーディランでは愛妾も珍しくはない。
 その結果、今のディーディラン王妃がたどったように、王妃になる可能性もある。
「皇太子がそれを望むと?」
「絶対。は、ないです」
 少し重い口調で告げると、スノーリルも考え込んだ。
 スノーリルもディーディランの後宮は魅力的だと口にしたことがある。しかしそれはありえない現実話としてのことだが、実際、絶対にありえないかと聞かれてもそれは断言できない。
「確かに絶対はないですが…」
 スノーリルは皇太子に会った事がないだけで、会えば好きになる可能性はあるし、皇太子がスノーリルを好きになることも十分ありえる。今はアトラスの憶測の中でしかないが、絶対にありえないとは言い切れないのだ。
「俺がもし、王子でなければ答えは違いますか?」
「え?」
「冗談です」
 以前、執事のカタリナがそんなことを言っていた。少し自嘲気味に笑って見せるとスノーリルが突然席を立った。
「?」
 どうしたのか見ていると隣に立って見下ろしてきた。
「私が貴方の手をとらない理由は簡単です。貴方を好きではないから。それともう一つ」
 少し目を細めて声を落とした。
「貴方も私を好きではない」
 きっぱりとした断言に、アトラスは反論を口にしようとして言葉をつまらせた。薄い茶色の瞳が全てを見透かしたように揺らぎもせずに真直ぐ見下ろしてくる。その瞳に漠然と「知られている」と思った。
 手が届きそうなほど近くにある白い髪に視線を移して、しばらくそこに視線を固定した。何かを言えば全てを見破られるような、そんな錯覚すら抱くのはこの髪の色のせいか。
「俺は貴女が欲しい。それは嘘ではありません」
 挑むように視線を上げて告げると、スノーリルはそれを難なく受け止めて笑った。
「では、がんばってください。"白異"の私を手に入れるのは結構大変ですよ」
 そこにあったのは今まで見せたことのない笑顔だった。こちらの手の内を全て見透かしたような…子供の嘘を知らぬふりをする親のような。その笑顔は全てを許容する大きさがあり、これではまるで立場が違う。
「貴女は…」
 出かけた言葉をぐっと飲み込み、アトラスは立ち上がった。
「わかりました。これで失礼させていただきますが、俺は諦めません」
 その宣言に、スノーリルはやはり余裕の笑みを返しただけだった。
 
 
 スノーリルの部屋を辞すると、そこにはやはりアドルがいた。
 すっかり忘れていたアトラスは、またもやとっさに動けずに煉瓦色の髪を持つ護衛をしばらく凝視した。
「お帰りですか?」
 真直ぐにその視線を受け止め尋ねるアドルを無視し、廊下へと続く扉に向かって歩く。心得たように扉の前にいたアドルが扉を開き、アトラスは止まることなく廊下に出て、そこで一度ぴたりと足を止めた。
「白姫は応じてくれそうですか?」
 不機嫌な表情のまま動かないアトラスの背にそんな声をかけられ、睨むように振り返って低く声を発する。
「聞かなくても知ってるだろう」
「そうですね」
 さらりと出てきた返事に苛立たしさを募らせつつ、アトラスは歩き出す先に視線を移し「だったら聞くな」と入る前に言いそびれた台詞を口にして去っていった。
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