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捜索の行方
12
 ぱたりと閉まった扉の向こうをトーマスは難しい顔で睨んでいた。
「どうかしましたか?」
「おかしくないか?」
「でも、カタリナさんが出て行くときはいつも突然ですし、彼女一人なら何があっても大丈夫ですよ」
 応対に出た同僚の意見にもう一人が賛同する。
「そりゃそうだ。俺、一度も勝ったことがない」
「それは僕もです」
 部下二人が苦笑して評価をするスノーリルの執事は、それほど強い人だった。
 しかし、トーマスはしばらくしてからガタリと席を立った。
「少し様子を見てくる」
 上司の判断に特に文句もなく、扉を出て行く後姿を見送りしばらくするとけたたましく扉が開けられた。
「姫様が危ない! 離宮まで行くぞ!」
「え!?」
 次の間に一枚の紙切れが落ちていたのを見つけたトーマスは、廊下に飛び出たが肝心な離宮がどれなのか、またそこまでの道を知らない。
「どうかされましたか?」
 立ち往生しているところに、運よくディーディランの護衛がもう一人を連れて戻ってきた。
 

◇ ◇ ◇ ◇

 
 離宮に入ると真っ先にマーサの姿があった。
「マーサ! 無事? 怪我はない?」
「スノーリル様。申し訳ありません」
 マーサは縛られたりしているわけではなくすぐに解放され、彼女を捕らえていた人物がゆっくりとスノーリルたちに近付く。
 入ってきた扉にはあの赤茶色の髪をした侍女が立ちふさがっていた。
「それで? ご用件を伺いましょうか……」
 マーサを後ろに庇い、目の前に立つ剣を佩いた男性を見据えスノーリルはその人物の名を呼んだ。
「アリスガード様。…確か、これで二度目ですね。貴方からの脅迫は」
「覚えていただいて光栄です。スノーリル姫」
 金茶色の髪に青い瞳。夕方の橙色の光を湛えた髪は、姉のエストラーダのものととてもよく似ていた。
 スノーリルの口から出た言葉に、カタリナはレイファの言葉を思い出す。
 大臣の執務室で、レイファはスノーリルがとった行動に疑問を持っていた。それはアリスガードを見た時の表情だった。じっと視線をそらさず、何かを考えていた様子で、その考えが何かに思い至り、そして何か言いたそうにカタリナを見たらしい。その時にレイファと視線が合い、その後スノーリルはエストラーダに何かを聞こうとしていた。
「スノーリル様。もしかしたら、予想していたのですか?」
 茶色味が強い金髪。今受けている脅迫。そして、それは以前にもあった。
 もしかしたら、スノーリルがエストラーダに聞きたかったことはこれかと。レイファが聞きたかったこともこれなのだと、一瞬にして思い至った。
「予想はしてなかったわ。ただ、驚いていないだけ」
 確かに、ひどく落ちついている。
 それはミストローグの王子が、ディーディランでトラホスの姫を殺すなどありえないと思っているからであるが、しかし。そうならないとは限らない。カタリナはすぐにでも全員を扉に走らせようとしたが、周りに複数の気配がする。
「スノーリル様」
 声だけで注意を促す。
 武器を持っているアリスガードが当面の危険であるが、カタリナは少し焦った。一人で三人を庇って、何人いるかわからない敵を相手に無事逃げ切れるか…。
 カタリナがそんな思案をしている間にアリスガードが話しだす。
「こちらの用件は一つです。今すぐトラホスへお帰りください」
「できるならしています」
「できるはずです。それとも、犠牲が出ないと動けませんか?」
 言うとアリスガードは剣を引き抜いた。
 手を繋いでいるリズが震えているのがわかり、スノーリルはその手をしっかりと握り締め、できるだけ自分の後ろに隠した。
「貴方は、エストラーダ様にディーディラン王妃になって欲しいのですか?」
「ええ。いけませんか?」
「いいえ。ただ、エストラーダ様はそれを望んでいないようですが」
 スノーリルの言葉に、アリスガードは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「姉上の望みなどどうでもよいのです。私が、それを望んでいるのです」
「それは、言葉通りの意味ですか?」
 ただ、エストラーダがディーディラン王妃になることを望んでいるのか。それとも、エストラーダがミストローグにいることを嫌っているのか。
 スノーリルの質問に、アリスガードは少しだけ目を見開いたその一瞬、口の端をわずかに上げた。
「なるほど。姉上が懇意にするわけですね……出てこい」
 アリスガードが命令を下すと、閉じていた部屋の扉から複数の侍女が現れた。手には剣が握られている。ざっと見渡して気がつく。全員ミストローグの侍女だ。
「別にいいのですよ。ここで侍女もろとも死んでもらっても」
 アリスガードの声に反応し侍女たちの剣が持ちあがる。
 総勢八人。アリスガードと後ろにいる赤茶色の髪の侍女をいれ十人。スノーリルたちは四人だ。圧倒的に不利であるし、剣を使えるのはカタリナだけだ。トーマスがあの紙面に気がついていない場合、このままでは最悪の事態も考えられる。
 カタリナは後ろのスノーリルに視線をやる。しかし当のスノーリルがアリスガードに視線をやったまま動かない。アリスガードを見るとこちらも同じく、スノーリルに視線を合わせたまま動かない。
「くだらない」
 呆れたような、馬鹿にしたような、そんな呟きにもう一度カタリナはスノーリルを見た。
「あのね、王位が欲しいのなら実力で奪いなさいよ。器もないのに王になっても国が潰れるだけだわ。それに、脅迫する相手を間違えてる。私をトラホスに帰したいのならアルジャーノン大臣に言いなさい。私だって帰りたいのよ」
「その大臣に会って、貴女は何を聞いたのですか?」
「聞くって何を? 貴方の姉上がディーディランの皇太子に会ってくれっていうからその相談よ。もちろん、私が会うなど無理でしょうけど。
 貴方は何か聞いて欲しかったの? 私を殺す理由が欲しかった?」
 真直ぐ睨みつけて告げる言葉に、周りを囲む侍女たちが少し動揺したようだった。
「大体、最初に脅迫にきたときにも言いましたよね? 私はそのうち帰ります。このディーディランに私が留まること自体あり得ません」
 だんだん口調がきつく、纏う空気も怒りで険悪になっていく。色素の薄い瞳が夕日の光で赤く輝き、赤に近い橙色に染められた髪がまるで燃えているような錯覚が起きる。
 神の使いとされる白異。
 その怒りでさえ、まるで神の意を借りたかのように神々しく、畏怖を与えるほど鮮やかに人の目に焼きついた。
 どこかからごくりと息を飲み込む音がした。
 まるでそれを合図のように、スノーリルはくるりと踵を返して扉へと向かった。その行動に弾かれたように刃が向けられる。
「殺すなら殺しなさい。好きにするといいわ」
 目の前の一人を睨みつけ、そのまま無造作に歩を進める。
 まるで剣先など見えていないように、真直ぐ。
 どんどん迫るスノーリルに、怖気ついたように剣を落として後ろにあとずさる侍女を尻目に、廊下への扉まで進む。そこには赤茶色の髪の侍女がいたが、分が悪いと思ったのかあっさりと扉の前を明け渡した。
 
 
 扉を開け、手を繋いだままのリズを引きずるようにして歩き、王城の回廊に出るころようやくカタリナが声をかけた。
「スノーリル様。もう大丈夫です」
 その言葉にぴたりと足を止め、カタリナを振り返る。
 振り返った瞳は真直ぐカタリナを捕らえ、マーサを見て、リズを見た。気弱なリズの瞳を見た瞬間、スノーリルの表情も崩れた。ゆっくり吐き出し、握り締めていたリズの手を離すとリズがストンとその場に腰を落とした。
「…っふぇ」
「怖かった…」
 泣き出したリズの隣にスノーリルも腰を下ろすと、ぎゅっとリズを抱きしめた。抱きしめるとひっしと抱きついてくる。
「ひめさまぁ〜」
「ごめんね、リズ。大丈夫? マーサは? 本当に怪我はない?」
 リズを抱いてマーサを見上げると、マーサも膝をついてスノーリルとリズを抱きしめた。
「私は大丈夫。怪我はないです。スノーリル様、ご迷惑をかけました。助けてくださってありがとうございます」
 ほっとして廊下に座り込んでいるとバタバタと複数の足音が迫ってきた。
 その場に座ったままのスノーリルたちは一瞬にして強張ったが、遠くからかけられた声に安堵の息をつく。
「姫様! ご無事ですか!!」
「トーマスさん、遅いです!!」
 叫んだのはリズだった。ぐずぐずになった顔を真っ赤にして、ありったけの怒りをトーマスにぶつけた。知っているトラホスの護衛が来て、危険がなくなったことで一気に気が緩んだ結果だろう。
 リズの怒りをマーサが鎮め、トーマスにカタリナが謝罪している中、スノーリルは立ち上がって離宮の方角に目を向けた。
「ご無事でよかったです」
 静かな声をかけてきたのはアドルだ。声と同じく表情も静かだったが、灰色の目だけはどこか厳しかった。ディーディランからの唯一の護衛であるアドルはアルジャーノン大臣との繋がりもある。何かあったら責められるのは間違いない。
「心配をかけて、ごめんなさい」
 こんな謝罪では到底足りないが、それでも言わずにはいられなかった。
「そう思うのでしたら、動くよりも先に相談してください。そのためにいるのですから」
 もう少し信用しろと言外に言われているようで、スノーリルは微笑んだ。
「それで? 犯人は」
 その言葉にちらりとトラホスの人間を見て、スノーリルはアドルの袖を引っ張って彼らから少し離れ背を向けた形で、隣に立つアドルに囁く。
「ミストローグ国のアリスガード王子と侍女たちよ」
「…そうですか。わかりました」
 名前を聞いてもさほど驚きもせずアドルは頷いた。
 気と一緒に腰の抜けたリズをトーマスが抱え、全員でとりあえず部屋まで戻るとマーサが思い出したように声を上げた。
「忘れていました。初めからあの場にいた侍女…名前はメアリーです。彼女はディーディランの侍女です」
「え?」
 この報告に驚いたのはスノーリルだ。カタリナはただ静かに頷き、アドルに視線をやる。
「おそらくディーディラン側でも動きがあります。アルジャーノン大臣からの返事が、紙面ではなく口頭だったことも、今考えるとおかしいですし。離宮までの間、あまりにも人が少なすぎました」
 夕食前の時間で侍従侍女たちは一番忙しいはずだ。それなのに、王城の廊下ですらあまり人に会わなかった。
 アドルは頷くとスノーリルに退室の許可を求め、一人部屋を出て行った。
「しばらくは大人しくする必要がありますね」
「うん。リズは大丈夫?」
 侍女部屋に運ばれたリズの様子を尋ねると、マーサが頷いて椅子に座るスノーリルの前に膝をついた。
「スノーリル様は大丈夫ですか?」
「うん。怖かったけど、大丈夫よ」
「本当に申し訳ありませんでした」
「マーサのせいじゃないわ。怖い目にあわせてごめんね」
 逆に謝罪をされマーサは俯けた顔を上げ、首を横に振った。
「いいえ。スノーリル様は私たちを守ってくださいました。本来守るべきは私たちのほうですのに」
 本当は見捨てられても決しておかしくはない立場なのだ。それを自らが表に立って助けに来てくれたのだ。感謝こそすれ、謝罪すべきは失態を犯したマーサがすべきなのだ。
 しかし、この主はなかなか謝罪を受取ってはくれない。なので別の言葉を返すしかない。
「本当にありがとうございます」
「無事でよかった」
 あの時見せた鮮やかな色合いは消え、今は本来の白い色を宿している。
 真っ白な髪は、この主が神に愛されているのだと強く実感させる。カタリナが思う守護の気持ちとはまた別に、マーサも強くこの神に愛された主を守ろうと思っている。それは酷く個人的な理由だったが、それでもいいと思っている。
 マーサにとってスノーリルは守護してくれる人であり、またマーサが守護すべき相手であった。
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