自分たちが食べ終わった後、昼食の食器類を下げるために給仕室に入る。侍女の仕事はどの国でも大体同じだ。物の配置や、扱いが違うが給仕室の様子も大体同じようなものだった。
トラホスでは結構規則が緩いのだが、ここディーディランはさすがに規則に煩い。戦争やら暗殺やらが日常な国であるためそこは仕方ない。
主と一緒にディーディランにきて一ヶ月と半分くらいがたって、規則にも慣れ仕事も早くなったマーサはディーディラン侍女たちとも結構早く打ち解けていた。
リズは商家出身だけあり、貴族の女性と話をするのは結構緊張するようだが、マーサは自身も貴族であるためすんなりと馴染んだ。なので情報収集は主にマーサが行っている。
今日もいつものように食器類を所定の位置に置いていると、後ろから声をかけられた。
「あら、マーサさん。こんにちは」
同じく食器を持った侍女は赤茶色の髪で、年齢的にマーサとさほど違わないだろう。
「こんにちは、メアリーさん」
にこやかに挨拶を交わすと彼女も食器を置く。ちょうど時間的に侍女たちが食器を下げにくる時間帯で、給仕室は結構な人がいた。彼女と同じようにマーサに声をかけてきたものは意外にも多いが、良い感情だけで挨拶する人間は少ないのが現状だ。
「今日も人気者ね」
隣で食器を置きながら苦笑して小声で話しかけられ、マーサも苦笑を返した。
こそこそと聞こえる声はトラホスの侍女がどうたらというもので、ここ一ヶ月でだいぶ治まりはしたが無くなりはしない。初めの頃はもっとあからさまに言われた。それにリズが耐えられず一度怒鳴った事があったりもした。
マーサはさすがに年齢と経験が違うだけあり、対処も冷静で波風立てることなく仕事をしていた。
それに敵ばかりではないと知っていたことがマーサの強みでもある。
その一人がこのメアリーである。
彼女は結構な苦労人らしく、ディーディランではわりといる没落貴族の一人娘のようだ。
「怪我でもしたのですか?」
「え? ああ、これね。ええ、私の主は結構気の短い方なの」
食器を持つ手にくっきりと何かで叩かれた痕が残っている。いつものことよと笑いながら片付けを終えるとマーサにお茶をしないかと誘った。断る理由はないし、聞きたいこともあったのでマーサは快く承諾し、侍女たちの休憩場になっている簡素な部屋に向かった。
「マーサさんの主は優しい方?」
部屋にはちょうど誰もいなかった。さほど広い部屋でもないが、休憩するさいに飲み物を飲めるように小さな焜炉がある。
「スノーリル様は優しいですよ。時々こちらが困ることもあります」
メアリーが火をつけ、ポットの水を入れている間にマーサは茶器を用意する。その合間の会話で、マーサはどうやってメディアーグのことを話そうかと思案していた。
「そういえば、アルジャーノン大臣にお会いしたとか」
「ええ、今朝。……それが、なにか?」
突然の話題にマーサはにこやかに、それでも少し慎重に言葉を紡ぐ。
「いいえ。ただ私の主がその件についてとても興味を持っていて、どうしてかは知らないのですが」
「そうですか、大変ですね。スノーリル様が何を相談にいったのかは、侍女の私では存じ上げないので」
親しくしてくれている侍女も敵ではないが、味方でもない。マーサはその事を十分よく知っていた。だからこそ、何も知らないということを前面にだして首を傾げて見せた。
「そうね。普通侍女には言わないわよね…」
マーサの答えにメアリーはため息混じりに俯いた。
「…でも、マーサさんなら知っているでしょう?」
「メアリーさん……!?」
にっこりと笑ったメアリーの後ろにあった扉から一人新たに入ってきた。その人の顔を見てメアリーに視線を戻した瞬間、マーサはそのまま言葉を発することなく立ち尽くした。
◇ ◇ ◇ ◇
コンコンと扉を叩く音がして、リズが応対に出た。
しかし、扉に手をかける前に扉の隙間から一枚紙が差し込まれた。
「?」
何かと思いつつもその紙を取って扉を開け廊下を確認する。しかし、そこに人の姿はなかった。きょろきょろと左右を確認してリズは二つ折りの紙を開き、そこに書かれている文面を目で追い、蒼白になってリズは駆け出した。
「カタリナさん!!」
侍女部屋に駆け込んできたリズのただならぬ様子に、カタリナも表情を固くして立ち上がった。
「どうしたの?」
「こんなものが!」
リズが差し出した紙面を目で追い、カタリナは眉を寄せしばらくその紙を凝視したのち、小さく息を吐きだした。
「どうしましょう……」
リズが目に涙を溜めて声を震わせた。
「大丈夫よ。スノーリル様にお話してくるわ」
くるりと背を向け歩き出したカタリナの後を、ついていこうか迷い、それでも叱られるのを覚悟でついていった。
カタリナとリズが侍女部屋から出てきたのを目にしたスノーリルは、その様子に少しだけ首をかしげた。
「どうしたの?」
「マーサが捕まりました」
カタリナの簡潔な説明にスノーリルは眉を寄せた。差し出された紙面を読みさらに表情を固くした。
「どういうこと?」
「わかりません。ですが、マーサが捕らえられたことだけは確かです」
紙面にはこう記されていた。
――侍女を預かっている。護衛に知られずに、女だけで離宮に来い。――
「離宮って、初めに通されたあの場所かしら」
「おそらく」
女だけということは、スノーリル以下、カタリナとリズもということだろうか。
「スノーリル様…」
リズが小さな声で呼ぶのを、スノーリルが視線を上げてそれでも微笑んだ。
「大丈夫よ。脅してきたということは、マーサは無事なはずだわ」
人質は無事である事が条件だという。だったら、スノーリルが離宮に行くまでの間はマーサは無事だということだ。
「本当にマーサは捕まったのかしら?」
スノーリルの言葉にカタリナが頷いた。
「デマである可能性もあります。幸い時間指定はありません。このまま少し待っても大丈夫かと」
この提案に頷いて、リズに向き合う。
「マーサが出て行ったのは?」
「私たちの昼食が終わってからですから、まだそんなに経ってはいません」
「情報収集にあたってたとしても、日暮れ前には戻ってきます」
ここがトラホスだったのならば夜になることもあるだろうが、ディーディランがどういう国かを知っているだけに、無茶な行動やこちらが心配するほどの時間をどこかで過ごす事はない。いつもなら夕食前には必ず戻っている。
「わかった。少しだけ待ちましょう。リズ、大丈夫?」
青い顔をして今にも泣き出しそうなリズに声をかけると、唇を噛んで頷いた。
「大丈夫です」
「トーマス殿に知らせますか?」
「いいえ。それはしないほうがいいわ。でも、保険くらいはかけておいてもいいかもしれないわね」
手元にある紙を見て呟くスノーリルの意図に、カタリナも頷いた。
それから短いような長いような時間が経過したが、マーサが戻ってくる気配はない。
常ならば夕食の準備などもあるため戻っている時間になっても、戻ってくる気配はない。
「そろそろ行きましょうか」
窓の外を見ていたスノーリルがカタリナに告げると、真剣な表情で頷いたが、ふとリズを見て柔らかく微笑んだ。
「リズ。ここに残ってもいいのよ?」
「いいえ。大丈夫です。私も行きます」
ここまでついてきた侍女だ。頑固なところがあるのはよくわかっていたカタリナはそれを聞いて頷いた。
「スノーリル様。いいですね?」
「多分、脅しだと思うわ。そう考えると命の危険はないと思うけど…」
眉を寄せ難色を示すようにリズを見る。対するリズも視線だけで連れて行ってくれと訴える。
トラホスは平和な国で実際死というものを身近に感じたことなどない。危機感が低いといってしまえばそれまでだが、それでも何度か脅しをかけられているスノーリルにはリズの事が心配だった。
「お荷物なのは十分よくわかっています」
「向こうはこちらのことを調べています。リズがいないことで逆に命の危険が増すことも十分考えられます」
二人に言われ、スノーリルは重いため息を落とした。
「わかったわ。行きましょう」
時間的に護衛は交替で食事に出ている。先ほどアドルともう一人が食事に出ますと報告に来ていた。つまり、今いるのはトーマスを含め三人。
どうしても護衛部屋の前を通らなければならない部屋の構造に、この時ばかりは困ったが、なにくわぬ顔でカタリナが扉を開け中の様子を窺うと、トラホスの護衛の声が聞こえる。
「カタリナさん」
「すみません。少し部屋を出ますので」
「わかりました。大丈夫だとは思いますが、お気をつけてください」
「ええ。ありがとう。頼みましたね」
話をしてぱたりと扉を閉めると二人に頷く。
それを合図に速やかに静かに廊下へと出る。その際にスノーリルはあの紙を床に落として置いた。
しばらくは無言で歩き、不審がられることのないよう堂々と歩く。
「気付かれなかったかしらね」
「大丈夫だと思いますが、トーマス殿がいますからね」
急ぎましょうとできる限りの速度で歩き、離宮に向かう。
「計ったように誰にも会わないわね」
「はい」
離宮近くの廊下まで侍女一人と、侍従三人にしか会わなかった。まだ王城では仕事をしている貴族が沢山いるはずで、この人数にしか会わないなど奇跡に近い。
「リズ、大丈夫?」
後ろを歩くリズがどんどん緊張で固くなり、足元が危うい。スノーリルが手を繋いで励ますと少しだけ持ち直した。
「大丈夫よ。リズは私が守ってあげるから」
にっこり微笑んで告げると、リズは一瞬だけぽかんとし、それからぶんぶんと大きく首を横に振った。
「そ、そんなの、ダメです。姫様を守るのは私の役目なんですから!」
「うん。ありがとう」
心底嬉しそうに笑うスノーリルの表情に、リズはぐっと繋がれていないほうの手を握り締め、決意を新たに固めた。
離宮へは長い廊下があるのだが、その途中に赤茶色の髪をした侍女が待っていた。
「約束をお守りくださったことに感謝します」
にっこりと微笑むと「こちらに」と案内する。
日没間近の橙色の光が渡り廊下を染め抜いていた。