「皇太子殿下にお目通りを願いますか?」
「ああ…そうね。どうしよう」
アーノルドのお茶会でエストラーダが切羽詰った様子でそんな事を言ってきたのを思い出し、スノーリルも眉を寄せた。
「秘密裏に会っても意味ないわよねぇ。でも、会ってそれが大々的に広まったりしたら早く帰れってことにならないかしら」
「それは、アルジャーノン大臣が何とかしてくださるのでは」
約束の三ヶ月まで、残すところ一ヶ月と半分くらいだろう。つまり約束の半分の期間が残っているということだ。父が提案した日数であるが、実際はスノーリルがディーディランに渡る事が重要であって、日数は関係ないのかもしれない。
「一応、言っておきましょうか。エストラーダ様もかなり焦ってるみたいだったし。結局私には判断できないことだもの」
結局のところ、帰るのも留まるのもディーディラン次第で、スノーリルがどうこうできるものでもない。
早朝であるため静かな廊下を歩いていると、声をかけられた。
「スノーリル姫」
目をやると、そこにいたのはアルジャーノン大臣の侍従サミュエルだった。
「おはようございます。これからお迎えに上がろうと思っていました」
「おはようございます。ちょうど良かったですね」
前の時も迎えにきた侍従にスノーリルも微笑んで答えた。
朝のあいさつをして途中からサミュエルに案内される形で執務室にたどり着く。
サミュエルが先に入り、アルジャーノン大臣の到着を知らせ、それから中に通される。執務室の仕事机に座っていた大臣が立ち上がってあいさつをするのに、スノーリルも膝を折ってあいさつする。今回ももう一人の大臣は不在だった。
「さて、今回はどんな御用ですかな?」
いつもにこやかな大臣は腰を下ろすとスノーリルにも席を勧める。
そこに座りながらスノーリルは単刀直入に尋ねた。
「実は人を探していまして。その人がこのディーディランにいる事がわかったんです」
「ほほう。それはよかったですね。なるほど、その人物を探して欲しいと?」
アルジャーノン大臣は驚いたように眉を上げ、それからにこにこと微笑んで頷いた。
「いえ、そこまでお手を煩わせるわけにはいきません。ただ、お話を聞きたいと思いまして」
「話し?」
スノーリルの言葉に大臣は首をかしげた。
それで十二年前の話しをし、その時の渡航者を父に聞いたのだがアルジャーノン大臣に聞くようにと言われたことを話した。
話を聞き終わった大臣は顎に手をやり「ふむ」と考え込んだ。何せ十二年も前の話しだ。
しばらくそうしていたが、やがて視線をスノーリルにあてた。
「十二年前、前王妃が亡くなり一騒動あったことはお話しましたね?」
一度、十二年前のことを尋ねた夜会でそんな話をされた。スノーリルが頷くと大臣も小さく頷いて話を続ける。
「平和なトラホスでは考えられないでしょうが、ディーディランでは小さな王子たちもその騒動に巻き込まれ、常に守るにはディーディランでは危なかったのです。
それでいっそのこと王子たちを騒動が治まるまでどこかに隠そうということになりまして、その隠し先がトラホスということになりました。もし見つかっても渡航に一ヶ月かかりますし、トラホスで過ごしている間に陛下になんとかがんばってもらおうと…。まあ、結果としてすぐに帰る事ができるほどすぐに治まったのですが。その時の渡航者の中に探し人がいるということですね?」
「はい、おそらく」
「そうですねぇ。スノーリル殿と同じくらいの年齢に黒髪となると……王子たちも黒髪でしたので、背格好のよく似たものを集めてかなり連れて行きました」
もちろんいざという時、敵の目を欺くためであろう。
「どのくらいの人を?」
「そうですね、ざっと二十人ほど」
「二十…」
マーサの持ってきた情報で五人。それが突然桁が違うほど増えたことに、スノーリルは軽い眩暈を覚えた。
「…あの、えっと。ここにきてから何度かお会いしたんです。もしかしたら王城にいる人かもしれないんですけど」
スノーリルの言葉に大臣は小首をかしげた。
「名前は聞かなかったのですか?」
「はい。名乗ってくれないんです」
「ほほう。それで、こちらから探していると」
説明に納得したのかどうかは定かではないが、少し考える風に視線を執務室の仕事机に向けた。
「王城で見かけるということは、もしかしたらメディアーグの弟でしょうか。年齢も二十二と近いはずですし、十二年前確かにトラホスに行っています」
出てきた意外な名前にスノーリルは目を瞬き、カタリナも一瞬だけぽかんとした様子で大臣を見つめた。
「め、メディアーグさん。ですか」
「ええ、おそらく。それ以外となると、容易には思い当たる人物はいません」
「…グランダルさんは?」
「グランダル? …ああ。ええ、確かに十二年前集めた少年の中にいたと思います」
呆然とスノーリルの口から出た名前に、大臣も少し考えてから答えたが少し眉を寄せた。
「グランダルには息子が二人おりますが、どちらも王城には詰めていませんので、出会う機会は少ないかと思いますが」
「そう…ですか」
どこか呆然としてスノーリルが呟くと、大臣はにこやかに尋ねた。
「お会いしますか?」
「え? いえ、えっと。…いいえ、それは大丈夫だと思いますので。お話だけで十分です。どうぞお構いなく」
大臣は忙しいだろうし、突然こういった形で会うのにはかなりの躊躇いがある。いや、それよりも、もかしたら別人ということもありえるのだ。それに、メディアーグ夫人とは面識がある。こちらでなんとかならないわけでもない。
そこまで思ってため息が洩れた。これではまるで見つけたくないようではないか。
「もし違えばもう一度お尋ねください。こちらでも過去の記録を引っ張り出してみますから」
「ありがとうございます。でも、これは本当に個人的なことですから、そこまでしていただかなくても大丈夫ですので」
スノーリルのため息に気を使ってくれた大臣の申し出に、スノーリルはにこやかにお礼を告げると立ち上がった。
「お忙しいでしょうから私はこれで。本当にありがとうございました」
「いえいえ、お役に立てたのかどうかわかりませんが」
大臣も立ち上がり一緒に扉まで近付くと、ふいにスノーリルが振り返った。
「あの、もう一つだけ」
「はい」
「クラウド王子にお会いできますか?」
唐突な質問に、大臣は眉をあげ何かに思い至ったように「ああ」と呟いた。
「エストラーダ殿にでも何か言われましたか」
そのものずばり言い当てられスノーリルは思わず苦笑した。
「はい。期限までまだあるのでどうかとも思うのですが、エストラーダ様の様子を見てるとそうしないわけにもいかないような気がして。できればでいいんです」
スノーリル自身はそれほど会いたいわけではない。いや、今はそれどころではないと言ったほうがいい。
「わかりました。伝えるだけはしておきます」
アルジャーノン大臣は頷くとそれだけ言った。
スノーリルが立ち去ると奥の間の扉が静かに開いた。
「探し人か」
手に書類を持ったその人はスノーリルの去った扉に目を向け、それからアルジャーノンに視線をやって眉を寄せた。
「お前、やっぱり性格悪いぞ。教えるならちゃんと教えてやればいいだろうに」
今回は奥の部屋で一部始終を聞いていた彼は、スノーリルに話した内容に文句を言う。
「嘘は言っていない」
「それはそうだが…」
複雑そうな顔をしてサミュエルに視線をやると、侍従もどこか複雑そうだ。
「簡単に教えては面白くないだろう?」
二人の表情に、にっこりと微笑むその顔はとても楽しそうだ。そんなアルジャーノンに、彼は盛大にため息をついた。
「俺もお前には負けるよ」
「坊ちゃんにまだ負けるわけにはいきません」
アルジャーノンの懐かしい呼び名に彼は頭をかいた。
「…坊ちゃんは止めろ」
「はいはい」
◇ ◇ ◇ ◇
「よくよく、メディアーグ様とは縁があるようですね」
大臣の執務室を出てしばらく歩くとカタリナが話しかけてきた。
「そうね…」
「グランダル様の線は薄くなったようですね」
「…うん」
「何か心配事でも?」
どこか上の空な主に尋ねると少し間を置いてから話し出した。
「ありえないとは思うけど、メディアーグさんの弟があの侍従だったりしたらイヤだなと思ったの」
あの侍従とはこの間会ったキースのことだろう。しかし性はヘレイズだ。全くの別人だろうと思ったが、名前を変えるくらいは造作もない。しかもその人は探し人ではないとすでに確認済みである。
「グランダルさんの線も完全に消えてはいないわ。王城で会ったといっても頻繁にではないし…」
その台詞にカタリナは、ふとミストローグと繋がっているなら別な線もあると思った。思っただけで口にはしない。スノーリルに接触もないのだから、今のところ大丈夫だろう。
「もし違ったら、あと何人になるのかしら」
大臣の告げた人数は二十。こちらで確認したのは四人でしかない。
「身動きできないのって本当に面倒ね」
これがトラホスだったのなら、自分で確認にいくらでも行くだろう主の性格に、カタリナは少しだけ同情した。
「ですが、迂闊に動くわけにはいきません」
「わかってるわ。ここはディーディランだもの。ね?」
確認をとるような物言いにカタリナはくすりと笑って頷いた。
部屋に戻るとマーサとリズに報告をした。
すると開口一番。
「そんなにいるのですか!?」
と、驚愕の声を上げた。
「でも、条件を当てはめると少ないと思うの」
その中でももっともありえそうなのが、アルジャーノン大臣から聞いたメディアーグの弟である。しかし、今まで話にも上らなかったし噂も聞かない。
それには情報収集にあたったマーサも首をかしげた。
「それほど人気がない方なのでしょうか?」
「う〜ん。そうねぇ」
それはよくわからない。
「顔はいいのに人気がないとなると、すでに結婚してるとか?」
「性格が悪いとか?」
「もしかして、遊び人とかじゃないですか?」
商家出身であるリズが痛いところをついてきた。彼女は常々貴族は遊び人ばかりだと言っている。
「それは、ないとは言い切れないわね」
あの容姿に性格はわりと意地が悪いし、でも女性の扱いには慣れていそうだった。貴族は大体あんなものだとスノーリルは思っているのでさほど気にはしなかったが。
「言い切れないんですか!?」
スノーリルの言葉にリズは「姫様ぁ」となにやら情けなさそうな声を上げた。
「大丈夫よ、リズ。ただ探してるだけで、どうにかなろうとかは思ってないんだし、見つからなかったらそれはそれで…」
最後は少し弱く、苦笑ではぐらかした。
「とりあえずは、メディアーグ様の弟君の情報ですね」
マーサが気分を変えるようににっこりと微笑んで告げると、スノーリルも頷いた。
「うん。お願いね」
「いいえ、姫様の心を射止めた相手ですもの。どんな方かとっても興味ありますわ」
少ーしだけ怖い目になった気がしたがそこはあえて誰も突っ込まなかった。