主催のアーノルドは煌びやかな貴婦人方に囲まれ、男性にも熱心なあいさつを受けている。
先ほどまで一緒にいたエストラーダも貴婦人の一人とスノーリルの隣で話しこんでいたいのだが、スノーリルに話が振られることもないため、エストラーダに睨まれつつもその場から離れた。すると、待っていたかのようにエストラーダの周りに人が集まる。
ぽつんと一人佇んで、貴婦人、紳士たちの売り込みと華やかな様子を遠目に見ながら、スノーリルは考え事をしていた。
「これであとお二人ですね」
隣にいるカタリナの呟きに、スノーリルも頷く。
「ここにいるのは上位貴族ばかりよね」
「ええ、そうですね。身分だけで言えば一番低いのはメディアーグ夫人だけのようです」
メディアーグは確か"サニー"と言っていた。階位の中では真ん中。ただ、メディアーグ家は名門で大臣の補佐官をしているため、いてもおかしくはない。
カタリナの言葉に再び沈黙したスノーリルに、カタリナは少しだけ首をかしげた。
深刻になるほどの話題があったとは思えないのだが、思えばメディアーグ夫人との会話から少し様子がおかしかった。
会話の内容は侍従の服装について。それはきっと探している男性のことを示している事はわかっている。何度となく身につけている物がいいと言っていた。
そこまで考え、マーサの報告を思い出す。
「グランダル様のご子息が怪しいのですか」
「怪しいって…」
カタリナの言葉にスノーリルが少し眉をよせて繰り返す。
マーサの情報によるとミストローグとの交易で貴族の地位を手に入れた貴族だということだ。身分は下位。当然ここには呼ばれてはいない。
「ミストローグとの交流があるのですから、侍従たちもいい物を着ていてもおかしくはないです」
「うん…そうなんだけど…」
「難しい顔をされて、どうかなさいましたか?」
声をかけてきたのは黒髪の男性、グレイブス家侍従のクリスだ。手には銀盆、その上にティーセットが乗っている
「先日は本当に申し訳ございませんでした。どうぞ、おかけください」
物腰柔らかく促され、スノーリルは素直に従って近くの席に腰を下ろす。
茶会なのであるから、当然お茶が出てくる。これを合図のように全員が近くの席に腰を落ち着けていくと、アーノルドがエストラーダを連れこちらにやってきた。
「どうしたの、スノー。元気ないわね」
少し小声で尋ねるエストラーダにアーノルドが眉を上げたが、すぐにスノーリルに視線を移した。
「元気ですよ…?」
ここでエストラーダの後ろがいつもと違うことに気がついた。いつもいるレイファの姿はなく、今日は侍女の一人がついている。
そのことに少し首をかしげてエストラーダを見ると、件の美女は「ああ」と呟き、カタリナを見た。
「色々と問題があるのよ」
「そう、ですか」
アルジャーノン大臣の部屋にいたことと何か関係しているのだろうと予測できたが、それでどうしてレイファなのだろうと逡巡し、ある可能性に思い至った。もしかしたらミストローグもなにか関係があるのだろうかと。
「大変ですね」
「ええ、そうなのよ。ああ、ところでスノーリル殿は皇太子殿下にはお会いになって?」
スノーリルの言葉に片眉を上げて答えたエストラーダは突然話題を変えた。
「クラウド皇太子ですか? いいえ。まだ一度もお会いした事はありません。初めに三ヶ月は会ってはいけないと大臣方にも言われています」
二人の会話は、常に聞き耳を立てられている。スノーリルの返事に周りの貴族が聞こえるか聞こえないかの音で笑った。明らかな嘲笑であり、当然という失笑だ。
アーノルドが黙らせるようにそんな彼らを一瞥すると、見事にぴたりと止まりはしたが、所詮は一時的なものでしかない。
しかし、そんな様子を気にすることもなく二人は会話を続ける。
「エストラーダ様はお会いしたことがあるのですよね?」
「ええ、隣国でもありますし、ここにくるまでは私が国の代表をしていましたから、当然会った事はあります」
エストラーダの言葉にスノーリルは少しだけ目を見開いた。まさか国の代表などという言葉が出てくるとは思わなかったのだ。そこから察するに、つまりはエストラーダは次期国王ということだろう。
驚いて瞬くスノーリルに、エストラーダはどこか憂いのため息をついて目の前にある茶器を見つめた。
「実は先日、クラウド皇太子に直談判に行ってまいりましたの。私は貴方と結婚するつもりはないので国に帰らせてくれと」
普通の会話をしている程度の音量であるが、それでも聞き耳を立てている周りには十分に聞こえている。エストラーダの話に一瞬だけ貴婦人方の声が止む。
「でも、すぐに無理だと言われました。なんでも、まだスノーリル殿にお会いしていないのでそういう判断はできないということでしたわ」
「判断もなにも…」
「さすが、クラウド王子です。ご本人を見もせずに判断を下すなど浅慮なことですから」
スノーリルの言葉を遮りアーノルドがにこやかに自国の皇太子を庇う。というより、周りの貴族への牽制のような発言だった。おかげで今度はスノーリルの言葉に笑った貴族たちが黙り込む。
それと同時にスノーリルも「自分は範疇外だ」と言えなくなった。
「アーノルド様はクラウド王子をよくご存知なのですか?」
グレイブス家の子息とはいえ、まだ当主は父親でありアーノルドではない。なので、皇太子との面識もそんなにないだろう。案の定というか、スノーリルの質問にアーノルドは一瞬喉に何かつまらせたような顔をして咳払いをした。
「お会いした事は、まだそれほどありませんが、お噂は常に耳にします。とても優秀な方で、物事を私情で判断をすることはなく、常に相手の立場に立って物を考える方だと聞いております」
「私の立場にも立っていただきたいですけどね」
アーノルドの皇太子賛辞の声に、低くぼそりと漏らしたエストラーダは固まったアーノルドの視線ににっこりと極上の笑みを返した。
「そうですわね。クラウド王子はとても優秀な方ですわ。でも表情をあまり動かさない方なので冷たい印象が……いえ、常に笑みを絶やさないでいる必要はありませんし、国の代表としては威厳があっていいのですが。人は見た目ではありませんものね」
エストラーダの王子の評価に、アーノルドは曖昧に笑っただけだった。
「だから、こちらからお会いしたいといえば会って下さると思うわよ?」
「そうですか。ではアルジャーノン大臣に相談してみます」
そう返すと、真剣な瞳で「できれば早めに」と聞こえるか聞こえないかの声で言われた。どうして突然皇太子の話などと思ったが、これが言いたかったらしい。
どうやらエストラーダはかなり切羽詰っているようだ。
上位貴族ばかりが集まるこの茶会の席で、「国の代表」とあえて言うことになにかあるのだろう。レイファがいないのも関係があるはずだ。
見えない水面下の動きに、関係のないスノーリルも少しだけ憂うつになる。
「難儀なことですね」
「ええ、全くだわ」
一国の姫二人が視線を落としてため息を落とし、そんな台詞を口にする。そんな憂いに満ちた雰囲気に、貴族でしかない彼らの間に困惑に似た空気が流れた。
エストラーダが普通の"お姫様"でないことは、ディーディラン貴族もよく知っていた。何度かディーディランの国賓としてやってきたことのある、「蜜輝姫」は次期女王でもおかしくはないほどの才覚と風格の持ち主である。
一方、同じように「白姫」という異称をもつスノーリルは、最初こそ弱小国の"お姫様"だと誰もが思っていたのだが、ここにもいるメディアーグ夫人の昼食会での一件で認識がわずかばかり揺らいでいた。
それに加えたった今、ダイアナの件もあり、さらにエストラーダと対等に話をしていることで、貴族たちの困惑の主な理由はスノーリルにあると言っていい。
「アーノルド様、そろそろお開きのお時間に」
にわかに広まりつつあった緊張に、侍従であるクリスが主催のアーノルドに声をかけた。
警備は万全であるだろうが、それでもつい先日、国の危機管理が動いたばかり。平穏が完全に戻ったわけではないが、主催がグレイブス家であるために開けたお茶会でもある。
しかし、だからと言って派手なこともするわけにはいかない。そんなことをして大臣たちに疑いを向けられるような事は、さすがに上位貴族も避けたいだろう。あらかじめ短い時間でということで集まったこともあり、早々にお開きとなった。
「皆さん、どうやら時間になったようです。また開催したいと思いますので、今日はお開きということでご了承ください」
元々アーノルドの主な用件はスノーリルへの謝罪である。侍従の言葉に素直に従いお開きを告げる。
各々、茶会の席を立ち、馬車で王城あるいは城郭内にある屋敷へ戻る。
「スノーリル姫」
声をかけてきたのはアーノルドだ。その水色の瞳を見てスノーリルは苦笑した。
「本当に、もう大丈夫ですので。あまり気になさらないでください。アーノルド様があまり気にしすぎると、ダイアナ様はもっと居たたまれなくなってしまいますよ」
ダイアナのためにも、もう気にするなと笑顔を向ける。
しかし返答が何もなく、スノーリルは少し首をかしげてアーノルドを見上げる。
「アーノルド様?」
「あ。はい、わかりました。そうですね、ええっと、あの、悪い子ではないのです。嫌わないで欲しいなと、思いまして」
少し顔を赤くして早口に言うアーノルドに、スノーリルは笑顔で頷いた。
「大丈夫ですよ。嫌いになどなりません」
「そうですか。よかった」
スノーリルの言葉に本当に嬉しそうに息をついた。その様子に思わず微笑んでしまう。
「本当に、仲がよろしいんですね」
「ええ、はい」
「スノーリル様」
アーノルドがぎこちなく返事をすると、カタリナが呼んだ。おそらく馬車が来たのだろう。スノーリルはカタリナに返事をしてアーノルドに一礼する。
「では、これで失礼します。ダイアナ様にもあまり気にしないでくださいとお伝えください」
「はい。ありがとうございます」
晴れやかな顔で頷くアーノルドを置いてその場を去ると、カタリナが何か言いたそうにスノーリルを迎えた。
「なに?」
「いいえ。特には何も」
複雑そうに首を横に振るカタリナに首をかしげたが、馬車に一緒に乗り込み王城へ向かう途中。
「アーノルド様は妹思いなのね。兄上を思い出したわ」
「兄上、ですか」
「ええ…他に何かある?」
引っかかる言い方をしたカタリナに目を向ける。
「いえ。きっといい兄なのだと思います。ダイアナ様も可愛い妹なのでしょう」
柔らかく笑うカタリナは姉を思い出すと思いながら頷いた。
「そうね。あれだけほっとしていたんだもの」
「そうですね…」
スノーリルの台詞にカタリナが困ったような苦笑を洩らしたが、スノーリルは全く気がつかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
その日の夕食を摂っていると訪問者があった。
応対したマーサがやってきて内容を告げる。
「アルジャーノン大臣からの言付けです。明日また早朝で申し訳ないが執務室まで御足労願えないかと」
「やっぱり忙しいのね」
「そうですね」
仕事前の早朝しか時間が空いていないのだろう。以前もこちらからの面会は少し情勢の悪い時であったし、今回もまた重なってしまっているので、この申し出は予想していた。
「返事は?」
「はい。以前お預かりしておいたものをお渡ししました」
「そう、ありがとう」
それだけ告げるとマーサは侍女部屋に引っ込んだ。
アルジャーノン大臣からの返事がいつきてもいいように、マーサにあらかじめ了承の返事をしたためた紙を渡しておいたのだ。
「口頭できましたね」
「うん? どうかした?」
パンを口に放り込んで口をもごもごさせながら首を傾げてきく。
「お行儀が悪いですよ。…いえ、珍しいなと思いまして」
「ああ、そういえばマーサは何も持ってなかったわね」
通常、立場のある貴族の会合は確かであるという証拠として紙面でやりとりされる。お茶会の招待状と同じくらいそれが普通だ。
でも全くありえない自体でもない。
「忙しいみたいだし」
「…そう、ですね」
あまり納得してはいないようだったが、一応頷いた。