心配させたお詫びに一緒に昼食をとり、その後は何事もなく過ごしていたのだが、午後のお茶を持ってきたカタリナが少し声を潜めて「いいですか」と話し出した。
正面ではなく斜め前に座る。こういう時は従者としての意見を言うときだ。
「しばらく行動を控えていただけますか」
つまりスノーリルに人探しをするなと言っている。その言葉を受けて、今日の出来事を振り返る。
「理由を聞いてもいい?」
「どうやら狙われているのはディーディラン王家だけではないようです」
それはあの襲撃を言っているのだろう。
あの時、カタリナが成敗したのはただの脅しだろうと予想できた。暗殺目的で近付いたにしては言葉数が多いし、カタリナに悟られるような腕前でしかない。しかし、その次に来たのは全く別だ。どのくらい強いかなどわからないし、目的が何かもわからないが、カタリナが切迫するくらいには危ない人物なのだ。
「脅しとは別に動いている人がいるのはわかってるわ。大臣たちは犯人を特定したの?」
「はい」
「そう」
誰かを聞いてもおそらく答えないことは長年の付き合いでわかっている。
「どのくらいかかりそう?」
「それは、何とも」
ここはディーディランだからカタリナには把握しきれないことである。そこはスノーリルにも理解できた。しかし、だからといって捜索を諦めるつもりはない。
「お茶会には出てもいい?」
「小規模であれば」
「カタリナはアドルさんを信用してる?」
どう思考が動いたのか、そんな質問をするスノーリルにカタリナは直感的に答えた。
「はい。足るとは思っています」
「そう。よかった」
「…スノーリル様?」
カタリナの無言の質問に、スノーリルはお茶を一口飲んでから答えた。
「アドルさんは間違いなくアルジャーノン大臣の情報源だわ。そんな人を私に付けてるということは、初めからそれなりに危険があったのよ」
スノーリルの言っている事は間違いではない。しかし話が見えない。
「ここはディーディランだから」
にっこり微笑み告げられた言葉に、カタリナは眉を寄せた。
「スノーリル様。何かあってからでは遅いのです。王妃も言っていますでしょう? 起きてからではダメなのです。それに、スノーリル様はディーディランの人間ではありません」
つまりその言い回しは通用しないということだ。
一通り意見を言い終えるとカタリナはスノーリルの正面に座りなおした。
「諦めるつもりがないのは十分わかっています」
執事に戻ったカタリナはそういうとふわりと微笑んだ。姉のようなその眼差しに、スノーリルも微笑み小さく頷いた。
「あ。そうなの。あの部屋に現れたわ」
「例の方ですか? あそこに…やはり監視でしょうか?」
どうしてあの部屋に入っていたのかを聞かれ説明をしてある。
アドルが緊急事態に仮にあそこへ押し込めたので、あそこにスノーリルがいると知って扉を開けるにはその直前から見ていたか、あるいはアドルが知らせたかだ。
しかし、アドルにその余裕があったかと聞かれると頷けない部分がある。
そう考えると一番妥当なのは彼が監視役であるということ。
「でも全部を知っているわけじゃないし。服装がすごくいいの」
思えばあの庭園で掴まえた服もものすごくいい手触りだった気がする。今回も略装ではあったが、手触りはよかった。さすがにスノーリルも王族であるためあの感触には覚えがある。ミストローグ産の高級生地。普通の侍従ではあの生地を入手するのは困難だろう。
「他には?」
「私を"太陽王の娘"って言ってた」
思えばエストラーダも言っていた。
「太陽王の本質ってどのくらいの人が知っているのかしら」
政治に関わる人物でもそうとう深く中枢にいないと無理なはずだ。そうでなければあんな小さなトラホスなどあっという間に消されてしまう気がする。一握りの人間の間でのやりとりだからこそ国家機密であるとも言える。
それを知りえる人物となると、そうとう政治に精通しているか、あるいは…。
「…警告もされたわ」
つかまれた腕をそっと押さえる。あれは本気だったのだろうか。それともただの脅しだろうか。無表情な緑の瞳は感情がなかった。
「警告?」
「あの人、襲撃者を一掃してるって言ってけど、それって国王側の人の仕事よね?」
「はい。今日の騒ぎは国王へ謀反を働いた者の取り締まりだったようです。中心は貴族の子弟にあたる方たちだとか」
「黒幕は王妃だと思う?」
「ないとは言い切れないでしょうね」
カタリナの答えに重いため息が出たのは仕方がない。
「その方に警告されたのでしたら、やはり国王側についている人でしょう」
「うん。私もそう思う」
推測の一つにあった国王がつけた監視役。十分ありえるが、いつでもどこでもという感じがしないのは距離をとっているからだろうか? そうじゃなくても、スノーリルにはほぼ常にカタリナがついている。そのせいもあるかと、少し納得して目の前の剣士を見つめる。
「なにか?」
「今日知ったんだけど、アドルさんも灰色の目だったわ。…そうか、それでなのね」
「…はい?」
今日初めて認識した瞳は灰色だったのだ。赤味のある灰色のカタリナと違って、ごく普通といえる灰色ではあったが、素直に従ったほうがいいと思える妙な既視感を覚えたのはそのせいかと思った。
「とりあえず、狙われてるわけなのね?」
「はい」
「わかった。できるだけ気をつけるわ」
「お願いします」
スノーリルの言葉にカタリナは少しだけ頭を下げた。守ってもらう立場なのはスノーリルで、お願いするのはスノーリルな気もするがカタリナのお願いが何かわかるだけに苦笑してしまった。
「ここはディーディランだもの、さすがに単独行動はしないわ」
それでも一度、王妃のお茶会であるだけに少し信用はないかと困った表情を作る。そんな主にカタリナも微笑み、自分にもお茶を注いだ。
◇◇ ◆ ◇◇
カタリナに釘を刺されるまでもなく、行動を起こすといっても「皇太子妃候補」という国賓であるスノーリル自らお茶会を開くことはない。どこかで開かれるお茶会のお誘いを待つだけで、日常はいたって平坦である。
襲撃者一掃の手が入ったこともあり、城内でのお茶会はほとんどない状態だ。
まあ、確かに少しは自粛するべき時期ではあるだろう。
そんな日常を五日ほど過ごした後、スノーリルにトラホスから手紙が届いた。
「随分早いわね」
スノーリルがトラホスの父に手紙を出したのは十日前のことだ。普通に手紙を出すと一ヶ月は掛かるはずだ。
「貴族の手紙は伝書鳥を使いますので」
「あ。そっか」
手紙を持ってきたマーサが説明してくれた。
いつもシェハナ海の向こうにいる友人に宛てた手紙は、友人が貴族ではないため伝書扱いにはならない。
とりあえず開封して中を読み、スノーリルは額を押さえた。
「どうなさいました?」
目の前にいたカタリナに手紙を差し出し、内容を読ませる。
「"父は忙しい。笑い狸に聞け"」
読み上げるとしばしの沈黙が訪れた。
「ええ? それだけですか? 体には気をつけろとか、辛い目にあってないかとか…そういったこともないのですか?」
マーサが覗き込んだ紙には本当にその一文だけ。
「ある意味、予想通りだったわ」
スノーリルは出す時の予想を裏切らない父の返事に、それ以上言う言葉を失った。
しばらく呆然とするスノーリルとマーサを見つめ、カタリナが尋ねる。
「それで、どうなさいますか?」
初めにアルジャーノン大臣に尋ねなかった理由は、トラホスにとって不利益になるかもしれないと思ったからである。しかし、当事者でもある父が大臣に聞けというのであれば問題はないということだろう。
「アルジャーノン大臣に聞くしかないわね。といっても、全部を答えくれるかどうかは別問題だわ……今忙しいわよね、きっと」
それでも一応面談の申し入れをしておくに越したことはなく、マーサを使いにやると、しばらくして訪問者がやってきた。
リズが応対し紙を一枚持ってくる。
どうやらお茶会の招待状である。薄い水色の紙を二つに折り封がされている。
「スノーリル様。黒髪に緑の瞳の方でした」
「え?」
リズの言葉に慌てた様子で封を開ける。しかし、そこで一度落胆を見せ、次いで不思議そうに首をかしげた。
「どなた様ですか?」
「アーノルド"イーチェ"グレイブス。ダイアナ様の兄君からだわ」
「お詫びでしょうか」
「それなら、もうもらってる」
あの決闘の次の日に大量の花束が届けられた。おかげでしばらくは目を楽しませることができたのでとても感謝している。
「怪我が癒えた頃合いを見計らって、改めてお詫びですよ。きっと」
リズが少し嬉しそうに推測を口にする。
ありえないことではないし、しごく当然でもあるかもしれない。
「それに、ダイアナ様本人からの謝罪もまだです」
少しきつい口調になったリズに、スノーリルは苦笑した。怪我をさせたのに謝りにこないダイアナを、大変な剣幕で怒っていたとマーサが言っていた。
「そうね。そっちかもしれないわ。言い出しにくいのかもしれないし」
初めて負けた相手が、剣をろくに知らない素人である。精神的にダイアナのほうが傷ついただろうしと、スノーリルはあまり頓着がなかった。
「いい?」
ちろりとカタリナを見上げてスノーリルが尋ねると、カタリナが小さく笑って頷いた。