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捜索の行方
05
 スノーリルはぽかんと扉を開けて入ってきた人物を見つめた。
「よかった。いた」
 緑色の視線とあった瞬間にやはり緊張と共に心拍数が上がる。
「どうして、一人の時に会いにこれるのか教えてもらえますか?」
 そんな皮肉が出るほど、どうしてなのか、一人になったときに会いにくる男性にスノーリルは眉を寄せた。
「怪我は?」
「だから、どうして…」
 スノーリルの吐き出すため息にふわりと笑う男性はぱたりと扉を閉め、窓の外を見ながら近づいてくる。
 避けるべきか、動かないほうがいいのか、そんな事を騒がしい心臓をなだめながら考え、別のことを口にする。
「何かあったんですか?」
「この前の襲撃者がわかって一掃しているらしい」
「王城に潜んでいたの?」
 トラホスでは考えられないことだが、これだけ広大な城ならばありえるのかもしれないし、ある程度それは覚悟して生活しているのだろう。周りの様子からも大騒ぎはしておらず、どこか静かに事が遂行されている観がある。
「だからリルは一人にならないほうがいい」
 言葉のやり取りの間に触れられる距離にいて、片手をとって壁のほうへ誘導される。
「一人にさせられた場合はどうしたらいいの」
 今いる状況は明らかに不可抗力というやつだ。
 長細い形の部屋は窓と椅子、扉が一つ。調度品は他に何もなく扉を押さえられたら武器も逃げ場もない、いわゆる密室。
「できるだけ人に近付かないようにすることだな」
 忠告なのか、脅しなのか、そんな言葉にスノーリルが男性を見上げるとにっこりと微笑まれ、あっという間に壁を背に捕らえられた。体の両側に男性の手で檻を作られたのだが、ある意味一般男性の常套手段であるその体勢に、スノーリルはため息を落としてみせた。
「それで? 私はどうなるのですか」
 何故か危機感はない。
 それは目の前の男性が楽しそうに笑っているからなのだが、体の中では猛烈に心臓が早鐘を打っていて、正直普通に呼吸するのもやっとだ。
「リル。警戒心を持てって言わなかったか?」
「うん。言ってたわね」
 確かに言っていたし、聞きもした。
「僕は大丈夫だと思ってるわけだ?」
 そう言われ即座に否定しようと思考が動き出したが、なぜか途中で停止してしまった。
 それなりに危険だと感じる行動をこの男性は何度かとっている。なのに、それを嫌だと思っていない自分がいることにも気がついた。
 見上げて沈黙したスノーリルに男性はくすりと口の端を上げた。
「リルが一人の時に現れるのは、僕が反乱分子でリルを狙っているからだとしたら? 一瞬にして奪える命なんかどうだっていい。そんなものより、一生残る傷のほうがよっぽど効果的だと思わないか?」
 上から見下ろしてくる緑の瞳が無表情に輝き、それを認めた瞬間に冷たいものが背中をぞろりと這い上がる。向けられているのは悪意か、敵意か。心を侵食してくる闇に怯みそうになるのを必死で堪え、声を出す。
「貴方にはできないわ」
 スノーリルの答えに男性はにっこりと微笑む。
「そうかな?」
「いっ!!」
 突然走った痛みに思わず声を上げる。
 強くつかまれた腕は、ダイアナに打ちつけられた場所。大事には至ってないが、それでも痣ができているほどの怪我だ。
 予期していなかった衝撃にみるみる涙と汗が浮き上がってくる。反射的に男性の手首を掴んで外そうとしたがびくともしない。
「僕がリルを傷つけない保障はどこにもないよ」
 耳元で嘲笑を含んだ低い声が落ちてくる。
 突然豹変した男性の態度に、スノーリルは一度目をぎゅっと瞑った。それからゆっくりと呼吸を繰り返し、落ち着くように自分に言い聞かせる。
「そうね」
 男性を掴んだ手を離してゆっくり顔を上げる。
「ここにいるのが危険なら、明日にでもトラホスに帰るわ」
 毅然と、まるで決定事項を告げるように、きっぱりと言い切ったスノーリルに男性は固まった。
「私の役目は終わってるし、命の危険があるのなら誰も文句は言わない」
「…リル」
「私がここに留まっているのは、貴方がいたから。そして見つけてって言われたから。探さなくていいのならすぐにでも…」
「リル!」
 スノーリルの正しい言い分に、男性は手を離して慌てた様子で名を呼んだ。そのまましばらく睨みあうように二人とも動かなかった。
 沈黙に耐え切れなくなったのは男性のほう。
「ごめん」
 そう、ポツリと洩らして視線を落とした。その仕草が妙に子供っぽく、先ほど凄んできた男性はどこへいったのかと思えるほど小さくなってしまった。
「私は自分の身を守れるほど強くないけど、予防くらいならできる」
「太陽王の娘だしな」
「そんなことまで知ってるのね」
 スノーリルの言葉に男性は落としていた視線を上げた。しかし、スノーリルの顔を見る前に止まり、それからゆっくり微笑んでぐらりと揺らいだ。
「え?」
 そのまま倒れてきた男性はスノーリルの肩に頭を置いてため息をつく。
「リル。早く見つけて」
 一瞬、泣いているのかと思った。
 それほど弱い声で懇願される。
 なんと答えればいいのか逡巡し、息をついて天井を仰いだ。
「そう思うなら、名乗って欲しいんですけど」
 一番手っ取り早い方法であるのに、頑として名乗りはしない男性。ちょっと愚痴っぽい口調になったのは仕方がない。
「それはダメ」
「……もしかして、とっても有名なの?」
「リルには劣るよ」
 肩からはなれた男性は何事も無かったようににっこりと笑い、ふいに扉を見つめた。何かとスノーリルもそちらに目をやり、少しして気がついた。
 誰かがこちらに向かって歩いてくる音がする。
 もしかしたらアドルが来たのかもしれない。そう思って目の前に立つ男性を見上げた。姿を見られてもいいのだろうか?
 しかし、足音はそのまま扉を通り過ぎていってしまった。
「迎えは来るのか?」
「うん。確実に」
 そもそもアドルがここに閉じ込めて行ったのだ、彼がくるに決まっている。
「それじゃあ、僕は行くけど、ちゃんと確認して」
「わかってる」
 扉に向かう男性について歩き、頷いた。
 そっと開けて外を窺うともう一度こちらに顔を向ける。
「そうだ、リル。もう一つ」
「?」
「僕以外の男に髪を触らせるな」
「はい?」
「その距離は危険だ」
 髪に手が届くという事は、それほど近い距離だということだ。
 その指摘に、スノーリルは納得し素直に頷いた。
「わかった」
 その返事に男性は満足そうに極上の笑顔を向けて出て行った。ぱたりと閉じた扉を見つめてから背を預ける。
「また、結局何も聞けなかったわ」
 アドルがくるのを待つ間、あの男性の様子を思い出す。
 どうやらダイアナとの決闘を知っている様子だった。打たれた腕の場所も知っていたという事はあの決闘を見ていたのだろうか。
 屋内鍛錬場であるが壁はあるものの、外から見ようと思えば見れる。
「やっぱり監視?」
 それにしてはいつも身なりがいい。あれでは普通の侍従として動くに目立つだろう。でも、こちらの動きを全て把握しているわけではなさそうだ。あの昼食会でのことは彼は知らなかったようだし。という事は誰かに聞いているということだろうか? まあ、手に入れようと思えば手に入る程度の情報だ。
 情報と言えば、トラホスの太陽王をどうやら知っている様子だった。
 トラホスの王を「太陽王」と呼ぶのは一般でもある。しかし、スノーリルを異称の「白姫」ではなく「太陽王の娘」と呼ぶ人は限られている。それは"太陽王"の本当の意味を知っていて、その力がスノーリルにもあるだろうと仮定する言い回しだ。
「それで、探せるなんて言ったのかしら?」
 そういえば何度となく言われている。だとしたらそれは大きな間違いだ。スノーリルは太陽王の持つ力を授かっているわけではない。ごく普通のお姫様だ。
「!」
 深く考えこんでいると不意に扉に力が加わり、背を預けているスノーリルごと部屋の中へ向かう。が、スノーリルが力を加え押し戻すとあっさりと扉は閉まった。
「誰?」
「あ…申し訳ありません。アドルです」
 その声にスノーリルは扉を開ける。少しだけ開いた扉の隙間から間違いなく煉瓦色の髪を持つ護衛が見えた。
「申し訳ありませんでした。何もなかったですか?」
 無表情で謝るアドルに、スノーリルは首をかしげた。
「恋人?」
「は?」
 スノーリルの脈絡の無い言葉に、アドルは少しだけ眉を寄せた。
「あの女性」
「…いいえ」
 何を指して言ってるのかわかったのか、また無表情に戻り否定する。いつもと同じ様子に戻っているアドルに、スノーリルは少し面白くない気分だった。
「え。もしかして男性のほう?」
「………」
「あら。否定しないの? いえ、男性の恋人が悪いとは言わないけど」
「姫…」
 からかってくるスノーリルにアドルが何か言葉を重ねようとした時、廊下の向こうから声がかかる。
「アドル!」
 怒鳴り声ではないが、怒っているとわかる低い声で、スノーリルには馴染みの声だった。
 まだ部屋に入ったままだったスノーリルは扉からひょっこり顔を出してその人物を確認する。
「カタリナ」
「スノーリル様。よかった、大丈夫ですか?」
 多分、部屋にいないスノーリルを心配して探しに来たのだろうことはすぐに察せられた。
「大丈夫よ。お話は終わったの?」
「はい。…こんなところで何を」
 質問はアドルに向けられていたが、おそらくアドルは答えないだろう。そうなるとなんとなく立場が悪くなる気がした。
「なんでもないの。ただ、アドルさんが恋人の逢引現場を優先させた結果よ」
「は?」
 スノーリルの説明にカタリナが思い切り眉を寄せ、「なんだそれは」と顔に書いてアドルを見やる。その様子にスノーリルがくすくす笑っていると、アドルは無表情ながらも不機嫌そうに窓の外に視線をやって逃げた。
「スノーリル様?」
「うん。アドルさんも普通の人なのよ。目の前で恋人を横取りされるのを黙ってみてるわけに行かないじゃない」
 どこまでも面白そうに話すスノーリルを、カタリナはじぃっと見つめたがやがて諦めたように息を落とした。
「スノーリル様がご無事ならそれでいいです」
「ありがとう。さ、戻りましょう」
 二人を引き連れて歩きだしたが少し歩みを緩めて振り返ると、心得たようにアドルが前に出て道案内をしてくれる。そんな二人の様子を見てカタリナもようやく心を落ち着けふと呟く。
「職務怠慢」
 その呟きにスノーリルはカタリナを見て笑った。
「アルジャーノン大臣に告げ口すると面白いかもね」
「なるほど」
 そんな主従の会話を、前を歩くアドルがどんな顔で聞いていたのかは不明であるが、後にトーマスが「何かありましたか?」と尋ねてくるくらいには感情が表れていたのだろうと思われる。
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