「何かあったのかしら?」
スノーリルはどこか急ぎ足の侍従や、難しい顔をして立ち話をしている城詰めの貴族たちの姿に首をかしげた。
それは比較的城中心部から離れている鍛錬場近くでも見受けられ、城中心部に行くほど、廊下のあちこちにそんな人だかりができていた。
その中の一つから髭面で長身の男がこちらに気がつき近付いてきた。
「スノーリル姫。こんなところで何をしているのです」
会うときはいつも渋面である彼に、スノーリルはにこりと微笑み朝のあいさつをする。
「ギリガム大臣、おはようございます。ちょうど今、ダイアナ様との約束を果たしてきたところです。何かありましたか?」
周りのどこか緊張した雰囲気の中、のんきとも言える声で尋ねるスノーリルに、髭の大臣は眉を寄せカタリナを見て、それからスノーリルを見下ろした。
「すぐに部屋へと言いたいところですが、ちょっといいですか」
意外な申し出にスノーリルはカタリナに視線をやって首をかしげ、歩き出した大臣の後を追った。
歩く間に話を聞けるような様子ではなかったので、大人しく大臣の後ろをついていたが向かっている先に覚えがあり、隣を歩くカタリナを思わず見上げた。その視線にカタリナもスノーリルを見やり一つ頷いた。
ギリガム大臣の進む先は大臣たちの執務室が並ぶ一角だ。そして、一度来たことのある部屋を確認もなく開くと、中には意外な人物がいた。
「アドルさんに……レイファさん?」
意外すぎる組み合わせにスノーリルが目を瞬くと、レイファが少し緊張した面持ちで会釈した。
「いったい何が?」
スノーリルが扉に手をかけたままのギリガム大臣に問うと、渋面をさらに顰めレイファをちらりと見やった。その様子から間違いなく彼女が関係しているだろうことが窺えた。
「きましたね。すみませんが執事殿をお貸し願えないかな?」
別室からアルジャーノン大臣が、どこか緊張した雰囲気を払うように現れた。
偶然ギリガム大臣に会ったのではなく、もしかしたら探していたのかもしれない。そう、思いアドルを見てから後ろにいるカタリナに視線だけで問う。するとカタリナは心得たように頷いた。
「わかりました」
了承したことをアルジャーノン大臣に告げると、大臣からアドルに目配せがいく。
「ここでは何ですのでお部屋へお戻りください。アドルがお付きします」
つまりは聞かれたくない話であるので、席を外してほしいということだろう。
それに素直に頷いて扉に向かうとアドルが扉を開け、そのまま一緒に外に出てスノーリルを部屋まで送っていった。
「早速で申し訳ない。あの日。開園式の当日、襲撃がありましたな」
スノーリルが出て行くのを確認して、すぐにアルジャーノン大臣が話し始める。
「はい」
「その襲撃者を送った人物が判明したのです」
一瞬。王妃の顔が浮かんだが、部屋の様子を窺うとどうもそっちではなさそうである。カタリナは「それで?」と話しの先を促した。
「スノーリル姫を追いかけた人間がいましたね?」
口を開いたのはレイファだ。
「はい」
初めの二人の後に現れた襲撃者は複数で襲ってきたため、テラスを背後に一人で対処していたカタリナでは多勢に無勢で、結局一人をスノーリルが逃げた庭園へ逃してしまった。
「手を合わせてどう思いましたか?」
「かなりの手錬でした。ですが、剣士というよりは暗殺に長けた者の気が…」
「やはり」
呟いたのはギリガム大臣だ。
「心当たりが?」
「ギャレル=ロッシュ」
呟かれたその言葉の持つ意味に、カタリナは一気に表情を険しくした。
「かの国は二十年前に滅んだと聞いていたが、どうやらそうではないらしい」
ギリガム大臣も険しい表情で腕を組んで呟く。その言葉にカタリナは唇を噛み、アルジャーノン大臣に尋ねる。
「差し向けたのは誰です?」
「ミストローグ国、王弟ラウジード殿下です」
さらりと答えたのは当事者といえるレイファだ。
「ミストローグ王弟が、なぜスノーリル様を…」
率直な疑問だったが、簡単なことだ。
エストラーダがここにいる理由と、ディーディランが太陽王を頼った理由。それが答えだとも言える。
カタリナがトラホス王から聞いた話では、ディーディラン国はミストローグ国と同盟関係になろうとしている。両国王がそれに同意し盟約が交わされる直前、ミストローグ国王が倒れた。
その後を継ぎエストラーダが同盟へと動こうとした矢先、ディーディランから皇太子妃候補として赴くようにと使者がきたという。
あまりにも間が良すぎる。
「エストラーダ姫がここにくる原因を作ったのはディーディラン国王ですか?」
「表面上は、そうだが。…王妃の独断だ」
出てきた答えにカタリナは無表情に床に視線を落とした。
「ミストローグ国王弟……ディーディラン国王妃……ギャレル=ロッシュ」
あの開園式の襲撃はもしかしたら彼らの連携だったのかもしれない。
全てを知ってはいないカタリナでもそう判断できた。
「私が気をつけるべき点はそれだけでしょうか?」
ここに呼ばれた理由がスノーリルの命の危険であるのなら、早々に立ち去りたいところだ。
しかし、レイファがそれを止めた。
「実はもう一つ気になる事が。スノーリル姫の事なのですが…」
◇ ◇ ◇ ◇
アルジャーノン大臣の部屋を出て、煉瓦色の髪の護衛について歩いていると少しだけ周りに注目された。それはそうだろう。いつもはカタリナがついているのだから。
会話もなく廊下を歩いていると、ふと前にいるアドルが立ち止まった。
何かと思いスノーリルはわずかに視線を上げると、彼の視線が横に向かっている。自然そちらにスノーリルも視線をやり、眉を寄せた。
中庭の渡り廊下。そこに金髪の男性と赤茶色の髪の女性が立っている。顔を認識できない距離ではあるが、その人影が重なっていることで何をしているのかは大体予想ができる。
そんなものを目ざとく見つけて立ち止まって見るアドルに、スノーリルは一言文句を言ってやろうと口を開いたが、その途中でアドルが振り返る。
「少し寄り道をします」
そう言うとその渡り廊下へと歩を進める。
驚いてその後をついて歩き、問題の廊下を見るがすでに二人の姿はない。
少し早い速度で歩くアドルについて歩き、渡り廊下を渡りきり廊下に出る。左右を見て左を選択し、また早足で歩く。何が起きているのかわからず、それでも文句を言わずについてきているのは先ほど振り向いた顔が真剣だったからだ。
声をかけていいのかもわからず、かといって一人で部屋に戻るという選択肢はスノーリルの頭になかった。
早足で歩いたおかげか、二人がゆっくりと歩いていたのか、廊下の端に二人の影を見つけた。アドルが足を止め、片手で動くなと示すが舌打ちが聞こえた。
「姫、俺がくるまでそこにいてくれ」
ぞんざいな言葉で近くの部屋の扉を開け、スノーリルに有無を言わせずに中に入れ、扉を閉めてしまった。
何が起きたのかわからず一瞬ぱちくりと扉を見つめた。
「昔もこんな経験したわね」
なんとなく呟きアドルの行動にため息を落とす。おそらくあの二人のところへ行ったのだろう。近付くにはスノーリルが邪魔だったので置いていったということだ。
閉じ込められた――少し語弊があるが――部屋を見回すと窓があるが、他の部屋にあるものと少し違い、高い位置にある。スノーリルの肩くらいの高さであるため、かなり高い位置であるといえる。部屋自体もそれほど広くはなく、窓の反対側に壁にそって長い椅子が据えられている。
妙な配列にスノーリルは首をかしげ、窓の外を見てみた。するとそこから見える景色はスノーリルの部屋になっているテラスから見た広場であるようだ。
「本城に入ってたのね。ということは私の部屋はあの辺?」
見覚えのある黒ずんだ石柱の位置から自分の部屋の辺りを見上げる。しかし、並ぶ窓のどれがそうなのかわからない。
広場には結構人がいて忙しなく動いている。大臣たちが集まっていたし、その場にレイファとカタリナが呼ばれたのだ、きっと何かあったのだろう。ふと、ここにいる事がばれるのはまずいかと、窓から離れた。
「それにしても、アドルさんの追いかけた人って誰かしら?」
普段は無口であまり表情のない人だ。それがあれほど真剣な表情をし、口調を気にかける余裕がなくなっているようだった。
「…もしかしたら恋人? 逢引現場だったとか」
そう考えると辻褄はあう気がした。なるほど、それは真剣にもなるだろう。舌打ちもしたくなるだろう。
スノーリルがそんな事を考えていると前触れもなく扉が開いた。
◇ ◇ ◇ ◇
カタリナは少し急ぎ足で廊下を歩いていた。
ミストローグ国王弟が放った刺客はスノーリルを狙っている。ディーディランに助力する太陽王を断つためと、表面上ディーディランの失態に見せるために。
たとえ白異だろうと王女には変わりないスノーリルが他国で、しかも花嫁候補として招待されたディーディランで亡くなれば、トラホスが黙っているわけがない。
護衛であるアドルが付いているがそれでも心配だ。
「スノーリル様の人を見る目は確かです」
大臣の部屋でのレイファの言葉にカタリナは強く肯定した。
「そうですか。やはり何を言いたかったのかを聞きたいですね」
レイファは先日のメディアーグ夫人の昼食会で、スノーリルがエストラーダに何かを言おうとしたことを気にしていた。
カタリナもそれには気がついたが、その前のやりとりについては知らなかった。
嫌な予感がチリチリと首筋を焼く。
スノーリルが向かった先が酷く気になった。
急いで向かった部屋に入るとリズが迎えてくれた。
「スノーリル様は戻ってる?」
「いいえ。ご一緒ではないのですか?」
カタリナの言葉に驚いたように目を見開くリズを見て、すぐに部屋を出た。
まだ戻っていないなどおかしい。いくらカタリナが急いできたとはいえ、話をしていた側と、あの場をすぐに離れたスノーリルたちとでは時間が違う。
胸騒ぎは大きくなるが、それでもスノーリルがアドルを側に置いていることから彼自身に何かあるとは思えない。しかし、ここはディーディランである。スノーリルの勘もトラホス内のものであって、ディーディランでは通じないかもしれない。
今さらながらにカタリナは自身の甘さに舌打ちしたい気分だった。