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捜索の行方
02
 翌朝。スノーリルは朝早くにカタリナを伴い、アドルを道案内に王城の鍛錬場へと足を運んだ。
 王城の左右にそれぞれ鍛錬場があるらしいが、グレイブス兄妹が練習場としているのは屋内の鍛錬場だろうとアドルの説明で、そちらに向かった。
 ようやく朝日が昇ってきた頃の清清しい空気の中、遠くから号令の合図が聞こえる。
「兵士も同じ場所で訓練しているの?」
「いいえ。騎士でない限りは屋外でやっていますが、騎士も平民出のものは屋外を好んでいるようです」
「アドルさんは?」
「…そこはトーマス殿と気が合うようです」
 ということは屋外であるということだ。
 アドルの答えに小さく微笑み、案内の先を見据える。
 あまり近付くのは好ましくないとの言葉に同意し、少し離れたところから中の様子を窺うが、たくさん居すぎてどれがどれやらわからないし、遠すぎる。
「仕方ない。少し待ちましょう………ちなみに、二人にはわかってる?」
 見えているような気がしての問いに、アドルはスノーリルをチラリと見ただけで答えなかった。カタリナは苦笑して「おそらく」と答えたが、やはり言葉を濁した。
 しばらくすると合同練習が終わったのか、ばらばらと人が動き出した。
 その中に見覚えのある金髪がいた。背の高いのと、低いのが並んでいる。
 その二人の前に黒髪の人がいる。いるが、顔ははっきりと見えない。
 これ以上近付くとすぐにばれるだろうし、さて、どうするかと思っていると、廊下から人が歩いてくる音がした。
「スノーリル姫。こんなところで何をしているのですか?」
 覚えのある声に振り返ると、やはり思い描いたとおりの人物がそこに立っていた。何も言わずにそのまま立ち尽くしていると、その人物の視線も鍛錬場に向かう。
「ああ。ダイアナ嬢の練習風景でも見にきましたか」
「アトラス王子はどうしてここに?」
 スノーリルの質問ににっこり微笑むと、ゆっくりと近付いてきた。
 その歩みにあわせるようにアドルが下がり、カタリナも一歩後退した。従者として当然の行動であるが、カタリナはスノーリルの背後一歩後ろでしかない。それを見てアトラスが笑う。
「嫌われたかな。そんなつもりはなかったのだけど」
「いつものことですから気にしないでください」
 スノーリルが視線をそらさずに告げる頃には、手の届く場所まで来ていた。
「貴女には警戒されているようですね」
 少し困ったように微笑むアトラスから視線を外すと、顎に手を添えられ、視線を合わせるよう促される。
「何がそんなに怖いのですか?」
「…貴方は怖くないのですか?」
「白は神の色です。怖いと言えばそうですが、貴女はただの人だ。違いますか?」
 細められる緑色の瞳が王女のシルフィナによく似ており、血の繋がりを感じさせた。
「…姫は、ご自身が怖いのですか?」
 答えないスノーリルにアトラスが重ねて尋ねる。
 当たりではないが外れでもないその問いに、スノーリルはまた視線を外した。
「そうですね」
「俺は貴女を怖いとは思いませんよ」
「そうですか?」
 視線を合わせて笑うと肯定が返ってくる。その肯定にスノーリルはどこかぼんやりとした調子で言葉を吐き出した。
「そうか…まだ知らないのね」
「え?」
 アトラスが瞬きを一つした直後、遠くから名を叫ばれた。
「スノーリル姫!」
 四人が同時にその方角へ視線を向けると、怒れる美少女が鍛錬場を飛び出し、こちらに駆けてくるところだった。
「スノーリル姫」
 ようやく普通の会話ができる距離にやってきた金髪の美少女、ダイアナを見て笑いたくなる衝動を抑えて「はい」と返事をしたが、すぐにダイアナに腕を引かれて連れて行かれる。
「あの?」
「ちょっとお付き合いください。アトラス殿下、少しスノーリル姫をお借りしますわ」
「ああ…」
 声に怒気があることで怒っているとわかるダイアナは極上の笑顔でアトラスに声をかけ、スノーリルを鍛錬場から引き離すように連れ去る。
 目の前でさらわれるスノーリルを驚いた様子でアトラスが見送っているが、アドルがなにやら声をかけ、カタリナも少し間を開けて二人を追った。
「ダイアナ様? あの…」
 ようやく腕を解放してくれた美少女に、スノーリルが行動の意味を尋ねようと声をかけると、きっと睨まれてしまった。
「初めてお会いした時にも、私、言いましたよね? 貴女はご自分の立場をご存知なのかと!」
「はい」
 あまりの迫力にスノーリルは目を瞬いて頷いた。
「貴女はクラウド様の花嫁候補なのですよ!? それなのに、アトラス様とあれほど仲良くしていては周りの人間が要らぬ噂をたてるとなぜ気づかないのです!」
 一応抑えられている声に理性はまだあるのだと思いながら、スノーリルは頬を上気させて怒るダイアナを見つめた。
 またしても恐ろしく勘違いをされている。そう自覚はあったが果たしてこれだけの興奮状態の少女に何か言って効果はあるのだろうか。そんな事を考えていたのだが、停止したスノーリルにダイアナはさらに言葉を重ねる。
「そもそも、一国の姫である貴女がなぜこんなところに居るのですか? まさか私を偵察にいらしたの? だからってどうしてアトラス様とご一緒なのか、説明をいただけます?」
 ここにいる理由はダイアナに剣を教えているという侍従が目当てなのだが、まさかそれを言うわけにもいかない。すると、ダイアナの偵察という所が一番無難な返答かもしれない。
「そうですね。一応気にはなりましたので、見学に。ここへの案内は護衛の方に頼みました。アトラス王子とは偶然そこでお会いしただけですよ」
「そのわりに親しそうにしていらっしゃったようですけど?」
 スノーリルの説明に少しは納得したのか、スノーリルの後ろにいるだろう煉瓦色の髪の侍従に視線を走らせ、それでもなお言い募る。その言葉でようやくスノーリルは自分に向けられたダイアナの感情に気がつく。
「親しいというほど話してはいないです。私も、社交辞令を嬉しく思うほど子供ではないつもりですので」
 にっこり微笑みはっきりとそこに特別な感情はないと匂わせる。
 それを受けようやくダイアナも怒りを納めた様子で、スノーリルとその後ろへと視線を行き来させ、気まずそうに唇を引き結んで鍛錬場へと視線を投げた。その横顔が赤く染まっている。
 初めて会った時はただ単にスノーリルが気に入らないのだと思っていた。"白異"であるスノーリルが皇太子の花嫁候補としてきたことに。あのエストラーダと張り合うことに。
 それだけでもおそらく気にいらなかっただろうにアトラスが声をかけた。上位貴族であるダイアナには耐えられなかったのだろうと、そう思っていたのだ。
 しかし、目の前で繰り広げられたこの可愛らしい態度は、間違いなく一つの感情からくるものだ。
「大丈夫ですよ」
 だからこそ、そう強く断言した。
 もしかしなくても、この決闘もその可愛らしい感情からである。よく考えてみれば、剣を持ったこともないスノーリルに決闘を申し込むこと自体おかしな話だ。
 この騒ぎもここで終わりを見た気がして、スノーリルが気を緩めたその時、後ろから声がかかる。
「スノーリル姫」
 振り返るとカタリナの隣にいるのはアドルではなく、アトラスだった。
「貴女は社交辞令だと思っていたのですか?」
 少し不機嫌そうな色を湛えた緑の瞳がスノーリルを捕らえる。
「俺は本気です。信じていただけないのならもう一度いいますよ。俺は貴女が欲しい」
 向き合った状態でしばらく見つめ合う。表情はお互いに無い。
 アトラスは何度も本気だという。
 しかし、何度聞いてもスノーリルが感じるものは同じ。
 その瞳から、告げる声から、纏う空気から、特有の熱を感じない。愛を口にしている人とは到底思えないのだ。
 人二人分の距離にいるアトラス。それがそのまま心の距離であると感じるほどに、随分と冷めている。まるであらかじめ決められた台詞を吐き出しているかのように淡々としていた。
 見つめ返すだけで何も答えないスノーリルに、アトラスのほうが諦めたように視線を外した。
「どうしたら信じてもらえるのかな」
 ぽつりと呟き少し騒がしくなっている鍛錬場に目をやってから、再び視線を真直ぐ向けて、ゆっくりスノーリルへ一歩を踏み出した。
 その行動に近くから息を飲む音が聞こえたが、スノーリルは視線を外すことは無かった。いや、そらせないほど強く見つめられた。迂闊に動けなくなる視線に初めて会った庭園を思い出す。心臓の音がやけに大きく聞こえるのは余計なものを排除しているからで、カタリナの存在を視界の端に捕らえていることに妙な安堵感を覚えている。
 もう一歩近づくアトラスがふいに手を上げた。それでも視線をそらすことなく、その行動の全てに集中し、意識する。
 目の前に立つ男を見上げれば、端整で柔和な顔がある。
 しかし、だからこそ余計に冷たい緑の瞳が強烈な印象を落とすのだ。
 上げられた手が白い髪を一房すくい上げ、スノーリルが見上げる前で口元がゆっくりと笑みを作る。
「俺は貴女を、兄上のところにやるつもりはありません」
 少しゆっくり。噛み締めるように告げられた言葉に反応したのはスノーリルではなく、やや後ろに立つダイアナだった。
「必ず手に入れます」
 そう告げると髪から手を離し、一歩後ろに身を引いてから背を向けて歩き出した。
 その背を見送る先に、カタリナが心配そうにスノーリルを見ているのに気がつき、ようやく息を吐き出した。
「スノーリル様」
「大丈夫よ」
 緊張で心臓は煩いのに指先が冷たい。この感覚に覚えがあった。
「スノーリル姫……」
 物思いに耽ろうとしたスノーリルの耳に、女の声ではあるが低い声に、一瞬カタリナに視線を送ったが当然執事のものではない。声は後ろからしている。
「ちょっと、よろしいかしら?」
 極上の笑顔で告げる美少女にいつかのエストラーダの笑顔が重なる。
 もしかしなくても、これはかなりの怒りを買っている。アトラスの発言を考えれば当然と言えた。
 怖い笑顔で迫るダイアナに、一応笑み返して「なんですか?」と答えたが、そんなことでダイアナの怒りが収まるとは到底思えない。
 すでに廊下からダイアナに手を引かれ、屋外へと出ている。そのため遮るものがないので当然鍛錬場から丸見えで、遠目にもわかるスノーリルの存在にどうやら他の人間も気づき始めているようだった。
 その筆頭で会ったことのある人物が、アトラスが去ったのを見計らったようにこちらに駆けてきた。
「ダイアナ」
 やってきたのはダイアナの兄、アーノルドだった。
 言葉にしたのは名前だけであるが、どこか咎めるような声である。しかし、そんな事で止まるようなお嬢様ではない。
「お兄様は黙っていて!」
 兄をぴしゃりと跳ね返すと、スノーリルを真正面から睨みつけた。
「どういうことか説明していただけますか?」
 怒り爆発寸前な様子で、それでも一応話を聞くだけの余裕はあるようだ。
 そんな事を思いながらも、さてどう説明したものかと、スノーリルは気づかれないように息を吐き出した。
「どういう事かと聞かれましても、私も困っています」
「どうしてお困りになるのです?」
 思ってもみない質問に、スノーリルは一瞬だけ思考を止めてしまった。
「……私は皇太子妃候補ですので……」
「アトラス王子に求婚されたのであれば、そちらを取ればよろしいではないですか。何を迷う必要があるの? それともまさか、皇太子妃になれると思ってらっしゃるの?」
「いいえ…」
 ダイアナの捲し立てる言葉に、明らかな矛盾を感じる。
「ダイアナ様は、アトラス王子が好きなのではないのですか?」
 それなのにどうしてこんな発言になるのか、スノーリルには全くわからない。
 しかし、ダイアナはその言葉にさらに怒りを高めたようだった。
「ええ、貴女のおっしゃるとおりです! だから、どうして、すぐに答えないのですか!? あのアトラス王子に求婚されたのよ!!」
 怒りだけではなく紅潮するダイアナを、スノーリルはまじまじと見つめた。
 つまり、こういうことか?
 ダイアナ憧れのアトラス王子に求婚されたのに、スノーリルの態度自体がダイアナには信じられないだろう。あんなにステキな王子様に「欲しい」なんて言われたのだ。普通ならきっと頬を染めて恥らうのがお姫様だろう。そして間違いなくアトラス王子に恋心を抱く……そう、ダイアナは信じているし、またそうでなければならないのだ。
 そもそも皇太子妃候補としてきたスノーリルを口説くこと自体やってはならない行為ではないのかとも思うのだが、恋する乙女はそんな事に目を向ける余裕はないようだ。
「私でもまだやっと名前を覚えていただいた程度なのに……。エストラーダ様のような方ならいざ知らず……」
 悔しさを滲ませた声で呟くと、スノーリルをきっと睨みつけた。
「もう、限界ですわ。スノーリル姫、今、ここで、私と決闘してください!」
「ダイアナ!!」
 怒りに震えるダイアナの発言に、兄であるアーノルドが驚愕の声を上げた。
「お兄様は黙っていて! これは私とスノーリル姫の問題です!」
「馬鹿なことを言っているんじゃない! 問題にすらなっていないし、こんな決闘はただの八つ当たりだろう!」
 兄の正論に、ダイアナはさらに何かを言い募ろうと口を開けた瞬間、二人ともぴたりと口を閉ざした。
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