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確信者の笑み
03
 部屋に戻るとマーサがすぐにやってきて一枚の招待状を手渡した。
 小さな紙は王家の紋で封をされていたが、王妃のものとは違い、随分簡略的な小さな紋である。
「あの、それともう一つ」
 こちらはただ封がされているだけで何もない。
 立ったままスノーリルが封を切ると、一つをカタリナに読ませ、もう一方を自分が読む。
「シルフィナ様からだわ」
「こちらはミア・メディアーグ様です」
 カタリナの告げた名前に首をかしげる。
「メディアーグ…確か補佐官の一人だったかしら?」
 最初に会った補佐官の中にそんな名前がいたような気がしたが、一ヶ月も前であることもあり、どの人物だったのかはよく覚えていない。
「はい。確かクロチェスター大臣と一緒にお会いした方です」
「クロチェスター…。ああ、アルジャーノン大臣によく似た」
 スノーリルのその発言にカタリナはくすりと笑いをこぼした。
 外見が似ていたわけではないが、にこにこしている割に、腹では何を考えているのだろうと思わせる人物だった。
「あの大臣はよく覚えているわ。一番若かったし。でも、補佐官の顔はよく覚えていない」
 招待状を持って歩き出したのを見て、マーサは侍女部屋へ引っ込んだ。
「シルフィナ姫はなんと?」
「ご一緒にお茶をしませんかって。特にいつとは書いてないわ」
 ただ、エマリーアも一緒にと書き添えてあることから、シルフィナが会いたいというよりはエマリーアが会いたいとでも言ったのだろう。年齢的に誘いをかけてもおかしくないシルフィナに頼んだと思っていい。
「そっちは?」
 椅子に腰をおろして返事を書くために筆記用具を引き寄せる。
「今日の昼食をご一緒しないかと」
 スノーリルに見えるように招待状を机に置く。
 女性の字で確かにそう書いてある。
「ミアっていうのは伴侶の方かしらね」
「ええ。おそらく」
 本人ではなく、その妻が昼食を一緒にと言ってきた。会ったこともなく、夫であるメディアーグともそれほど親しいわけではない。
 相手は補佐官の妻である。時期が時期だけに別に断っても差し支えは無いのだが、断るべきかを悩ませる一つの問題があった。
 考え込むスノーリルの横で、カタリナも沈黙を守っている中、マーサがお茶をもってやってきた。
「マーサ」
「はい」
「アドルさんを呼んでもらえる?」
「…アドルさんですか? わかりました」
 スノーリルの言葉に目をぱちくりさせた後、何も言わずに呼びに行った。
 カタリナも何も言わず、マーサが持ってきたお茶を注ぎ、招待状をしまった。
 
 
 それほど待つことなくやってきたのは、ディーディランからの護衛という名目でスノーリルについている男性だ。
 一定の距離を保ち無表情に一礼するとまっすぐスノーリルを見る。
「メディアーグさんについて教えてください」
 前置きもなく、単刀直入で本題に入ったスノーリルにアドルは束の間沈黙してから答えた。
「クロチェスター大臣の補佐官をしている男です」
「ミアというのは?」
「彼の妻の名です」
「…アドルさんは、メディアーグさんに会った事はありますね? 好きですか?」
「どちらかにしろと言われれば」
 本当に表情を崩すことなく淡々と質問に答えるアドルに、スノーリルは一度息を吐き出した。
「私の事は好きですか?」
「……どちらかにしろと言われれば」
 わずかに眉を寄せて答えた声は少しだけ訝しそうだった。対して答えを聞いたスノーリルは笑顔を向ける。
「そう、よかった。嫌いだと思われながら身を守ってもらうのって結構辛いのよ。だって、そんな人に背中を預けるわけにいかないでしょう?」
「そうですね」
 淡々としていたアドルが一瞬だけカタリナに視線をやった。
「もう一つだけ。私がメディアーグさんと会うのは反対?」
「いいえ」
「そう、ありがとう。下がってもいいわ」
 笑顔でお礼を言うと、アドルは来た時と同様に無表情で一礼して去って行った。扉が閉まるとカタリナが確認する。
「お会いするのですね」
「うん。アドルさんもきっぱり返事をしたし。危ないことはないでしょう」
 アドルはアルジャーノン大臣の送り込んだ監視役だ。好きか嫌いかによらずスノーリルを守るのは彼の役目であるはずだ。事前に危機を食い止めるのも監視役としての仕事である。
 その監視役が会うことに反対しないということは、会っても大丈夫な人間であるということである。
「でも、不思議よね」
 どうしてメディアーグの妻が差出人なのか。
「興味本位かしら?」
 トラホスの白姫――。名前は各地に広がってはいるが、トラホスから出る事は全くなかった姫である。大陸にいる貴族にしてみれば一度目にして話の種にでもするつもりかもしれない。
 実際トラホスに来る賓客にもそういった人物はよくいた。
 多くが貴族の女性で、珍しそうに目を丸くして帰っていく。
 大陸でもその傾向は強い。皆とりあえず視線をスノーリルにやりはするが、近くには来ない。お茶会にやたらと人が多いのは多分怖いもの見たさでやってくる人物が多いからだろう。自分で誘いをかけるほど勇気はないが、それでも一度くらいは目にしておこうという、そんな心理だ。
 奇異の目にさらされるのはさすがにもう慣れた。
 カタリナが静かに息をつくのに視線をやると、何か言いたそうにするが結局何も言わない。
「人探しが優先よ」
「わかっています。ですから何もいいません」
 スノーリルが本来なら断ってもいい誘いに乗ろうとしているのは他でもない、貴族のお茶会ならば何かあの彼の情報が入るかもしれないと思ってのことだ。
「何か情報になるようなものがあるといいわね〜」
 小さな紙に返事を書き、もう一枚返事を書こうとしてカタリナを見上げる。
「シルフィナ様がいるのは後宮だと思う?」
「はい。おそらく」
 未婚の王族女性であるならば、その可能性のほうが高い。
 スノーリルはあの高い壁を思い出し、少しだけ難しい顔をする。
「行っても大丈夫なのかしら」
 あそこには王妃もいるだろう。
 すでに怖いという印象のある王妃にはあまり会いたくないと思っている。それに、何かあっても女ばかりというのは少し落ち着かない気もするのだ。
「あそこに行くようなことになったら、しっかりついてきてね」
「はい」
 王妃に呼び出されたあの一軒以来、女性に対してもそれなりに警戒をするようになっていた。
「でも、意外に敵ばかりではないようです」
 カタリナのそんな言葉に、スノーリルは返事を書いている手を止めた。
「スノーリル様が王妃と会っているのを知らせてくれた侍女は、おそらく王妃を監視している立場にいるのではと思いました」
「……誰かが王妃を監視しているかもしれないの?」
 その場合最もありえる人物は国王である。
「なにかイヤね」
 自分の両親に置き換えて考えると息苦しくなる。
「愛してないのかしら…」
 いや、それは禁句なのかもしれない。後宮に居る女性たちは、全てが国王の寵愛を得ているわけではないだろうし、その中にはあの王妃が抱えるような闇を持っている女性がいるのだろう。
「私もその中の一人かな」
 返事の続きを書きながらの呟きに、ポットを持って立ち去りかけていたカタリナがぴたりと足を止めた。
「スノーリル様はトラホスへは帰りたくないのですか?」
「え? いいえ」
 カタリナの質問にスノーリルは驚いたように目を丸くした。それから少し考えるように首をかしげて答えた。
「でも、このままディーディランに嫁ぐことは…ギリガム大臣じゃないけど、トラホスの大臣たちにはいいことだとは思うわ。トラホスは隷属国家にはならないだけの力があるもの」
 そう、トラホスはディーディランに対し、隷属どころか対等に渡れるだけのものを持っている。スノーリルが例え後宮の一人になったとしても、それは変わらないだろうし、白異のスノーリルではおそらく人質にすらなりえない。
「私ではトラホスの弱みにはならない」
 本来は人に関わることも避けなければならない。それが王女という立場で普通の人と同じように育てられた。しかし、白異であることには寸分も違わない。
「それに、トラホスにいてもディーディランにいても結局は同じだと思うのよ。だったら人の目に触れにくい後宮って、実はすごくいい場所だと思わない?」
 書き終えた返事を読み返して告げる声には自嘲や卑下はない。ただ事実を話しているだけ。まるで他人のことのように。
「私はスノーリル様に後宮などに入ってほしくありません」
「それが私の幸せに繋がるとしても?」
「人と関わらないことが幸せだとは思いません」
 カタリナの言葉ににこりと笑う。
「私もそう思うわ。私はカタリナに会ったからあの闇に捕まらなかった。だからね、あの人もそうなのだとしたらどうしても見つけなくちゃ」
 カタリナはその彼に会ってはいない。好きだということを否定しながらも、執着するわけが何かわからなかったのだが、ふと思い至った。
「あの時のスノーリル様なのですね」
 ぽつりと呟いたその言葉に、スノーリルは頷いた。
「好きとか嫌いとかじゃなくて、自己満足、なのよね。きっと」
 ほっとけないのは自分と同じだから。そう、感じたから。
 返事を書いた紙を二つに折って封をする。その作業をポットを持って立ったままのカタリナがじっと見つめていた。やがてスノーリルがその紙をカタリナへ手渡すと、カタリナはスノーリルの薄茶色の瞳を見つめる。
「? なに?」
 小首を傾げて尋ねる主に、盛大なため息を吐き出して首を横に振った。
「なんでもありません。では、少し席を外しますね」
 手渡した手紙を持って告げる執事にスノーリルは頷き返した。
「うん。気をつけてね」
 送り出すスノーリルに「はい」と返事をしながら、もう一度ため息をついた。
「……カタリナ。言いたい事があるなら言って」
「そうですか? では」
 五歩くらいの離れた距離で、カタリナはきちんと向き直ってスノーリルを見た。
「スノーリル様は恋をなさっています」
「はい?」
「では、失礼します」
「カタリナ?」
 
 ちょっと待ってと背中で声がするがそれを無視して侍女部屋に引っ込んだ。
「マーサ。少し出るわ」
「はい。いってらっしゃい」
 手に持っていたポットを置き、少しだけ身支度を整える。
「あれだけ騒いで、ようやく自覚したかと思ったのに」
 扉の前でもう一度ため息を吐き出した。
 どこか憂いに満ちた同僚の嘆息に、マーサがくすりと笑って告げる。
「スノーリル様は基本的に鈍いんです。特にご自分の感情に」
「わかってるわ。わかってるけど…」
「がんばってください、カタリナ。私も陰ながら手伝いますから」
「お願いね」
 そうなのだ。スノーリルは猛烈に自分の感情に鈍い。人から受ける感情にはとても敏感であるのに、自分の感情を見定めるのが酷く下手だ。根底にあるのはやはり"白異"であるということがある。その自分が「好きだ」といって受け入れられるのかをとても怖がっている。
 しかしだ。
 今回の相手はすでにスノーリルを受け入れているように感じる。
 幼い頃の不確かな約束をいまだに覚えている時点で、普通ではない感情だとなぜ気がつかないのか。会えた事にあれだけ騒ぐのはどうしてなのかをなぜ考えないのか。
 いいや、相手がはっきり「好きだ」と告げていないのが原因かもしれない。
「もしかして」
 スノーリルが先手を打った? あの主のことだ。十分ありえる。
 しかし、カタリナにはその前に確認するべきことがある。その相手が誰なのか。何の目的でスノーリルに近づいているのか。
 そして、その好意はどこまで本気なのか。
 もし害をなすようならば……。
 そこまで考えふと息を吐き出す。
「ディーディランの人間であることを祈るわね」
 カタリナの何より優先すべき事はスノーリルが傷つかないこと。あの小さな少女が手にした幸せを守ることだ。
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