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確信者の笑み
02
 大臣の執務室を出てすぐ、スノーリルが庭園に行きたいと言うのに、カタリナは一番近くにある庭園まで案内した。
 王城の外側に作られている小規模の庭園の一つで、この場所では小さな白い花が咲く低木が円を描くように植えられている。その真ん中に噴水があり、女性像が持つ水瓶から絶えることなく水が注がれている。
 まだ朝であるためどこか柔らかい太陽の光を浴びて、伸びをするスノーリルの後ろから声がかかる。
「どうして聞かなかったのですか?」
「ん〜。何を?」
 カタリナが尋ねたい事はわかっている。アルジャーノン大臣に探している人のことをもっと話せばよかったのではということだ。つまり十二年前トラホスに来た人物であるということを。
「何か良くない事が?」
「そうじゃないんだけど…」
 観賞用の椅子があるのを見つけそこに腰掛けて、隣に座るように促した。
 そして誰もいないことを確認し、カタリナを見つめる。
「あのね。王妃が向けた敵じゃなく、アルジャーノン大臣の監視でもなく、私を助けてくれる人で、十二年前トラホスにいた人なのよ」
「はい」
 ゆっくりと一つ一つを確認するように告げるスノーリルにカタリナは頷いた。先を促す視線に一瞬だけ躊躇い、窺うように少し声を潜めて話す。
「トラホスの人、ってことはありえない?」
「トラホスの、ですか」
 最初と違い貴族だと断定していない、どこか含んだ言い方でわかるものがある。
 つまりトラホスの目や耳として働いている家柄の人物ではないか、ということだ。
 カタリナはその言葉にしばらく考えていたが、ゆっくりとスノーリルを見て頷いた。
「可能性としてはありますね。だから聞かなかったのですか」
「うん」
 もし、その人物が諜報員としてディーディランに潜り込んでいるのなら、それも核に近い部分にまで入り込んでいる人物なら、迂闊に尋ねるわけにはいかない。その人の立場が危うくなるからだ。
「会っているのがばれるとまずいって言ってたから監視役だと思ったんだけど、アルジャーノン大臣が付けているのはアドルさんだって言うし…」
 それも驚いたけどと付け加え、カタリナに苦笑する。
「それ以外で私を助ける人なんか思い浮かばないし、その人がトラホスにいたことを考えると…」
 そこで黙り込む。
「でも、可能性だけで断定じゃないわ。私を守っているとは限らないし」
「そうですね。スノーリル様にディーディランにいる間に何かあると困るのは軍部の者と、もう一人います」
 カタリナも考える顔で呟くように言った。
「もう一人? ギリガム大臣?」
「いいえ。肝心な方を忘れていますよ」
 楽しそうに微笑むカタリナに、首をかしげて考え、初めて会った時のアルジャーノン大臣の話を思い出す。
「あ。国王」
「はい」
 そう、スノーリルがディーディランに来ることになった最大の原因を作った人物である。
「もしかしたら、国王が差し向けているかもしれません。そう考えると、十二年前アトラス王子についてやってきたとしても不思議ではありません。あるいは、アトラス王子が彼ら親子に紛れてトラホスに渡ったとも考えられます」
 カタリナの推測を聞くとなるほどと頷ける部分が多い。
 十二年前、正妃問題に絡んで同じく皇太子問題も持ち上がったはずだ。それによりアトラス王子はトラホスへと渡ったとアルジャーノン大臣が話してくれた。命の危険があったのであれば、毎年トラホスへ渡る貴族に紛れて行ったとしてもおかしくはない。
「父上は間違いなくその時の事情を知っているわよね」
「そうですね。アルジャーノン大臣もそうおっしゃっていましたし…。手紙でも出してみますか?」
「そうね。送るだけ送ってみるわ」
 ディーディランからトラホスまで普通に手紙を運ぶとかなりの時間がかかる。それでも王族の出すものならそれなりに早く着くだろう。
「問題はあの父上が正直に答えてくれるかよね」
 スノーリルのぼやきにカタリナは口元を押さえて笑った。
「でも、もしそうであればディーディランの貴族ということで探しやすくはなります」
「そうね。とりあえずはこっちでも探したほうがよさそうね」
「没落していなければいいのですが」
 ぽつりと洩らしたカタリナの言葉にスノーリルは眉を寄せる。
「それって、捜索範囲が広がるって意味?」
 没落貴族が城内にいることはほとんどない。侍従として働いてる場合もあるが、ほとんどは城下へと落ちる。
「大丈夫ですよ。とりあえず、城内をうろつける人物であることは間違いないのですから。城下からわざわざ通っているとは考え難いです」
「そう?」
「おそらく」
 どれをとっても結局は憶測でしかない。
 アルジャーノン大臣には切羽詰った時にでも尋ねることにして、とりあえず地道にこの巨大な城を捜索することにした。といっても、客であるスノーリルたちが動ける範囲は決まってしまう。
 
 部屋に戻りながらそんなことを考えていると、通り道である廊下から高い城壁が見えた。知らず足を止めてその城壁を見る。
「あれは後宮の城壁だそうですよ」
「後宮…そう」
 その説明に先日の王妃の姿を思い出す。
 妖艶な姿。忌々しそうに告げた言葉。狂気の瞳。
 あの高い高い壁の中は想像もつかないほどの闇が潜んでいるのかもしれない。
「トラホスはいい国ね」
 経済的に豊かではないにしても、人を歪めるほどの闇はない。
 いや、それもスノーリルが知らないだけだろうか。
「私は幸せだわ」
 例えあるにしても、その闇を見せられた事はない。それから守ってくれる人たちがたくさんいた。
 そんな見えない闇が渦巻く国がディーディランである。その事実と対面を果たした今、不安がないとは言い切れず、知らずため息も出てしまう。
「私に探せるのかしら」
「大丈夫ですよ。そのために私たちがいます」
 弱気になるスノーリルをいつも支える執事は力強く告げる。
「そうね。頼りにしてるわ」
「あら。スノーリル姫。こんなところで何をなさっているのです?」
 どこか暗かった雰囲気が、妙に明るいその声で払拭された。
 聞いたことのある声にスノーリルが振り向くと、そこにはいつぞやの美少女がにっこりと微笑んでいた。
「ダイアナ様。おはようございます」
 まだそうあいさつする時間である。そんな時間に貴族のお嬢さんがこんなところにいるのも不思議な気がした。
「おはようございます。いいところで会ったわ。スノーリル姫、私との約束はちゃんと覚えていらっしゃるのかしら?」
「もちろん覚えています。でも、しばらくは無理なのではないですか?」
 あの襲撃があった夜から、貴族のお茶会は控えられている。当然他の催し物も控えられていることもあり、ダイアナの告げた決闘もお流れになっていた。
「あら。怖くなりました?」
 遠まわしに「やめましょう」と聞こえたのか、挑発的にそう告げられた。スノーリルは明確な返答はせず困ったように微笑むに留めた。
 よく見てみればダイアナの服装は通常よりも随分こざっぱりした姿だ。見事な金髪は結い上げずにそのまま背に流しているが、視線を下に落とすとスカートではなくズボンで、手には長い棒を持っている。
 その姿に少し首をかしげているとダイアナの後ろからパタパタと足音が近づく。
「ダイアナ様!」
 小走りでやってきたのは彼女の侍女だ。スノーリルを見つけると急いでその場でお辞儀をし、ダイアナにお小言を告げる。
「あれほど朝の訓練は控えるように言いましたのに」
「もう、大丈夫よ。狙われたのは王族なのよ? それを守るのが貴族の役目じゃない。のんびりしている人のほうがおかしいわ」
 侍女の言葉に口を尖らせて文句を言うダイアナに、スノーリルは少しだけ彼女の評価を上げた。エストラーダが嫌うほど「お嬢様」ではないようだ。
「ああ、そうだわ。コレをスノーリル姫にお貸しします」
 差し出されたものに何かと首をかしげれば、ダイアナが手に持っていたのは木製の剣である。それを見て、これがカタリナの言っていた試合用の剣であると認識した。訓練とは剣術の訓練のことだったようだ。
「お借りします」
 そう言って受け取ると意外に重い。手を止めて木剣を見るスノーリルを姿にダイアナが首をかしげた。
「もしかしたら、それも手に取るのは初めてなのかしら?」
「はい」
 素直に頷くと、ダイアナはくすっと勝ち誇った顔をして笑った。
「近いうちに試合場所をお知らせします。それまでがんばって練習してくださいね」
 そう言うと心配そうにスノーリルを見る侍女を連れて立ち去って行った。
「観客も呼んだりするのかしら?」
「さあ? どうでしょうか」
 呟くスノーリルの手にある木剣を、カタリナがそっと受け取って苦笑する。
「練習なさいますか?」
「今から練習して勝てると思う?」
「剣では無理ですね」
 少し背の高いカタリナを見上げて聞いた台詞に、きっぱりと否定が返ってくる。
「でしょう? それに、私はカタリナに守ってもらっているんだもの。必要ないわ」
 にっこり見上げる薄い茶色はしっかりカタリナを見つめている。
「はい。私はそのためにスノーリル様の側にいます」
 信頼を寄せるその瞳に、灰色の瞳を持つ剣士はしっかりと頷いた。
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