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確信者の笑み
01
 その日も良く晴れた朝。
「旦那様。スノーリル姫をお連れしました」
「おはようございます」
 侍従のサミュエルに連れられてやってきたのはトラホスの姫である。膝を折っての挨拶に、こちらもにこやかな笑みで答える。
「おはよう。あれから何もなかったかな?」
「はい。大丈夫です」
 あの襲撃があって以来、きちんと会うのは久しぶりだ。
 昨日の夕方、スノーリルの侍女から申し入れがあり、仕事の始まる前でよければということでこんな早朝での面会になったのだ。しかし、それに文句を言うこともなく、トラホスの姫君は時間通りやってきた。
「すみません。お忙しいのに無理を言って」
 性格からしてこんな無茶をいう人物でもない事は、大臣職の長いアルジャーノンもわかっている。だからこそ会うべきだとも思った。
「いいのですよ。私もそろそろお会いしたいと思っておりました」
 仕事もあるということで会っている場所は大臣の執務室だ。ここにはもう一人の大臣が仕事をしている。そのためそれなりの広さもあり、仕事用の机が二つ、応接用の低いテーブルをソファーが挟んでいる。
 そこに腰掛けるように促し、スノーリルの前の席に座ると、姫の後ろにはいつものように彼女の執事が立っていた。
「さて、何のお話をしましょうか?」
「王妃にお会いました」
 唐突に切り出された話題にアルジャーノンは、一度スノーリルの薄い色素の瞳を凝視した後頷いた。
 お茶会があったのだから当然だが、おそらく二人きりで会ったことを指してのことだろう。そのことは聞いている。
「彼女に何があったのかは知りません。でも、一つだけお答えいただきたくて。あの夜会の襲撃は王妃も関係していますか?」
 真剣に尋ねるスノーリルの目は、ごまかしは許さないと語っている。ごまかそうとしても、スノーリルは襲われているのだ、本当のことを言うしかないだろうが…。
「はい。王妃も、関係しています」
 スノーリルの言葉をそのまま返し、口元を歪める。
 そうなのだ。王妃「が」ではなく、王妃「も」とこの姫君は尋ねてきた。つまりは他にも敵がいて、その中の一人が王妃ではないのかと尋ねている。
「…やっぱり…」
 視線を落として静かにため息とともに言葉をこぼした。
 直接王妃に会って何を話したのかは知らないが、おそらくその会話の中で何かを掴んだのだろう。それを明確にするためにここにきたというわけだ。
「大丈夫でしたか?」
「はい。なんとか……」
 ここで会話が途切れた。というより、スノーリルが何かを口にしようと言葉を止めたのだ。しばらく沈黙し、やがて意を決したように手をぎゅっと握り締めた。
「アルジャーノン大臣は私に監視をつけていますか?」
 これまた随分直球だ。
 いや、遠まわしに聞いてもはぐらかされるとわかっているのかもしれない。
 じっと視線をそらすことなく、真実を見逃さないように見つめてくる。さすがあの男の娘であると評すべきか。
「…監視されているのですか?」
 こちらも真剣に聞いてみた。するとわずかに眉を寄せる。それは不快を示すものではなく、純粋に疑問を浮かべただけだ。
「もしかして、アドル・イトのことですか?」
「いいえ」
 今度は驚いたように首を横に振った。どうやら意外であったらしい。
「アドルさんは監視役なのですか?」
「ええ、一応」
 この答えにはさすがに二の句が告げないようだ。しかし、後ろに控える執事は平静にこの話を聞いていた。彼女は間違いなく気がついているだろう。いや、気がつかないほうがおかしいか。
 そう、剣士ならばなんとなく気づくだろうし、特に隠すつもりもなかった。
「さて? では誰のことをおっしゃっているのかな?」
 アドルのことではないとしたら他にそう感じる人物がいるということだ。
 他にトラホスの姫にちょっかいをかける人物というと幾人か名前は出てくる。さて、誰の末端か。思わず口元を緩めてしまったのを目にして、スノーリルの表情が引き締まる。
「王妃に会ったあと、現れた男性がいました」
「ほう」
 スノーリルと王妃が会ったのは王族専用の庭園近くの大臣会議室だ。滅多な人物は近づけない。だからこそ、王妃もその場所を選んだのだろう。
「黒髪に、緑の瞳の男性でした」
 真剣に、どこか切迫したように尋ねる声に一つ可能性が持ち上がる。
「…アトラス王子?」
 しかしこの質問には首を横に振って否定した。
 どうやら遠まわしに答えているわけではなく、本当に知らない人物だったのか。
 いや、おそらくその人物のことを知りたくてこの話題を持ちかけてきたのだろう。そして、どうやらこの話題が主題であるようだとここまでの会話で窺える。
「さて…黒髪に緑目ですか。ディーディランには多い組み合わせです」
 そう、この組み合わせはわりといる。スノーリルがそう感じる範囲がどのくらいまでかはわからないが、その人物が誰かの配下…貴族以外であるなら結構な数になる。
「何か特徴は?」
「身分の高い人だと思います」
 もしあの場所にすんなり入れたとしたらそうかもしれない。しかし、そうだとは断定はできない。入る方法ならいくらでもある。
「ふむ。難しいですね」
 もし、その人物がスノーリルを監視しているとして、一つ疑問が持ち上がる。なぜ姿を現したのか? 王妃に会った後となると助けに来たというわけではないのだろう。だとしたら、余計に必要のない行動であるといえる。
 もう少し情報が欲しいが、これ以上を要求するには温室育ちのお姫様では無理だろう。これがもしエストラーダであれば、もう少し何かを感じ取ったかもしれないが。
 気がつけば沈黙が部屋を満たしていた。
 視線を上げればサミュエルが渋い顔をして何か言いたそうだ。それにくすりと笑ってやってから目の前に座る少女を見やる。
 本当に真っ白い髪だ。
 生え際から毛先まで純粋な白。僅かなりとも他の色が混ざってはいない。まるで染める前の白い生糸のようだ。何色にも染まりそうで、実のところ染まり難い。
 そんな事を考え、ふと昔似たような事を言われたのを思い出す。
「以前に会った事が?」
「えっ?」
 何か考え込んでいた顔を、ぱっとあげて驚いた声に確信を掴んだ。
「あるのですね?」
「えっと、はい。あの襲撃があった時、庭園で。助けてもらったんです」
 動揺を抑えて答えはしたが、表情は正直だ。ほんのり頬に朱がさす。
「なるほど。では少なくとも王妃の手のものではないですね」
 ちらりと姫の後ろに立つ執事を見ると、彼女も少し固い表情をしている。王妃の噂をそれなりに聞いてはいるのだろう。
「わかりました。それはこちらで調べましょう。できれば二度と接触が無ければいいのですが、何かありましたら、このサミュエルでもよいのでお話ください」
「…はい」
 視線を落として返事をする姿は何か言いたそうだが、ちょうどもう一人の大臣がやってきて話はここで強制終了となる。
「本当にお忙しいところをありがとうございました」
「いやいや、こちらも申し訳ない。次はきちんと茶会にご招待します」
 廊下まで見送ると今度はにっこり微笑んでから立ち去った。
 
 
 執務室に戻ると、アルジャーノンが使っている机にもたれる人物と視線がかちあう。
「姫は何用できたんだ?」
 横柄な物言いだが、アルジャーノンは気分を害することなく机へと向かう。
「答えて欲しいのか? それならばそれなりの態度を取るべきではないか?」
 腕を組んで偉そうに尋ねてくる相手にこちらも上から言ってみる。
 すると肩をすくめて自分の机へと戻って行くその背中に声をかける。
「話が聞きたかったのならもう少し早くここに来るべきだったな」
「アルジャーノン。お前、性格悪いぞ。俺がここに来るのに遅れたのはお前の用事を足しにいったからだ。つまり、厄介払いだったわけだよな?」
「わかっているじゃないか」
 眉を寄せ、半眼で睨みつけてくる相手ににっこり微笑み返してやると、その人は扉の前にいた侍従に向き直ってアルジャーノンを指差した。
「サミュエル。後で殴れ。俺が許可する」
「なっ! そのような恐ろしい事はご自分でなさってください。私はまだ命がおしいですっ」
 しばらくそんな二人の押し付けあいを耳にしつつ、アルジャーノンはニヤリと一人笑っていた。
「さて、どう報告したものか」
 黒髪緑の瞳で、以前彼女に会った事があり、あの表情をさせる人物など一人しか思い当たらない。
「そうか、今日で二ヶ月を切ったんだな」
 三ヶ月の滞在では短かったか。
 そう思いはしたがこればかりはどうにもならない。緩く首を振って、今日も山のようにある書類に向き合った。
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