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言葉と意味と
05
「あの、スノーリル様は大丈夫なのですか?」
 リズが心配そうにカタリナに問うと、カタリナは苦笑して頷いた。
「大丈夫よ。色々考えることが必要なだけだから」
 王妃主催の茶会から二日。
 その間、彼女たちの主はどこかぼんやりとしており、時々深いため息を吐き出しては顔を真っ赤にして机に突っ伏すという行動を繰り返していた。
「スノーリル様は何年かに一度くらいはああいう状態になるのよ」
 カタリナに次いで長い侍女歴を誇るマーサがリズに説明する。
 二人の先輩方が平常心を保ち、なおかつ、穏やかに微笑む姿を見てようやくリズも納得して仕事にかかった。
 

◇ ◇ ◇ ◇

 
 中座したスノーリルの後すぐに王妃も席を外した。
 付いていこうとしたカタリナを制したスノーリルの勘に、やはりかと思いつつも庭園を離れ個室へと向かう。すると、すぐにスノーリルを案内した王妃付きの侍女が現れた。
 王妃が話があるので呼び出したのだと告げられ、カタリナは内心焦った。脅してでも場所を聞き出すかと思ったが、その侍女はこうも言った。
「スノーリル姫の安全はこの私がお約束します。無事お戻りになりますから、もうしばらくここでお待ちください」
 真剣なその侍女の口調と視線に、カタリナは一応の信頼をして、庭園へ続く長い廊下の辺りでしばらく待っていると、顔をほんのり赤くしたスノーリルが現れたのだ。
 あの夜の庭園と同じ様子に確信があった。
「お名前は聞いたのですか?」
 そう尋ねてみたが意外にも無反応だった。
 それからすぐにお茶会はお開きになり、様子のおかしいスノーリルにエストラーダが心配そうにしていたが、スノーリル自身が彼女に平気だと言ってそれ以上の質問を拒否した。
 カタリナにどうしたんだと尋ねてもきたが、スノーリルから何も聞いていないので答えようがない。大丈夫ですからと答えはしたが、エストラーダもやはり王妃も同じ時にいなくなったことを気にしている様子だった。
 

◇ ◇ ◇ ◇

 
 王妃付きの侍女が言ったのだ、スノーリルが王妃と何か話した事は間違いない。しかし、当のスノーリルが沈黙を続けているし、おそらくそればかりが問題ではないはずだ。
「お腹が空きませんか?」
 出したお茶は飲みはするが、今日も昼食は食欲が無いと言って結局食べなかった。心配したリズがディーディラン国で流行っているというお菓子を用意したのだが、それも摘まむこともしていない。
 一日二日くらい食事を抜いても大丈夫ではあるが、何が起こるかわからない国にいることもあり、できれば食べてもらいたい。そろそろ限界だと感じて、カタリナはスノーリルの前の席に座るとお茶を淹れながら尋ねた。
「王妃に何を言われました?」
 机に突っ伏したスノーリルにお茶を差し出す。
 いつもカタリナの質問には素直に答えるスノーリルは、机に顎を乗せてカタリナを見上げた。
「…皇太子の花嫁になるのかって」
「それで?」
「…私に決められることじゃありませんって答えておいたわ」
「王妃は納得なさいましたか?」
「うん。多分」
 まさに目の前に置かれた茶器に、スノーリルはようやく姿勢を正して、その茶器を持ち上げる。
 納得したかどうかは別として、とりあえず危ない橋は切り抜けたようだ。
 ならばスノーリルが落ち込む原因は一つしかない。
「あの庭園でお会いになった方とまたお会いになったのでしょう?」
「………うん」
 確信をもって尋ねると、間を置いてから頷いた。
「それで、また名前を聞けなかった」
「うん」
「それだけですか?」
 これほど落ち込む理由がそれだとは思えない。ましてや、振られた様子でもない。しかし質問には沈黙が返る。
 スノーリルが口を閉ざす時はあまりよくない。
 言葉と同時に、感情も心の奥に閉じ込めてしまう。それは小さい頃に自分を守るための手段の一つだっただけに、今も根強く残っている。いわば癖のようなものだ。
 この状態が長く続くのを防ぐ方法は一つ。根気強く聞くことだ。
「もしかして、諦めるおつもりですか?」
 カタリナの言葉に視線が揺れる。
「あの人、間違いなく貴族の人だわ」
「はい」
「多分すごく身分の高い人」
「そう、ですか」
 なるほど。そうか。アトラス王子の時とだいたい同じ理由なのだ。白異である事が恋路の邪魔をする。
「それで?」
 先を促すと、また大きく息を吐き出す。
「わからないの」
 予想した答えと違い、おや? と思った。
「何がですか?」
「…私が」
 自分自身がわからない。いや、スノーリルは誰よりも自分をよく知っている。ということは、外見の問題ではないということか。
「スノーリル様はその方が好きではないと?」
 質問に首を横に振る。この反応は当然だろう。好きでもない人に執着するほどスノーリルは酔狂ではない。
 好きなのに、それがわからないということか。それは、つまり…。
「…恋かどうかがわからないと?」
 今度は頷く。
 その反応にカタリナは思わず笑ってしまった。
 しばらく、くすくす笑うカタリナに、さすがのスノーリルも口を尖らせて抗議した。
「何よ。笑い事じゃないんだから」
「ふふっ。すみません。いえ、あまりにも可愛らしいので」
 カタリナの言葉にさらにむっとした様子で睨みつける。その視線を真正面から受け止めて静かに言う。
「スノーリル様は誰がどう見ても恋をしています。その方の言葉や行動にどれだけ動揺されていると思います?」
 普段は平静を保つことを心がけていることもあるし、自分が特殊な立場にいることをよく知っているため、他人から受ける反応はとても静かだ。
「アトラス王子の求婚に近い話にもほとんど動揺されなかったスノーリル様が、その方のたった一言であれだけ大騒ぎするのですよ?」
 そう、あの"思い出し乱心"はたった一言がきっかけだったはずだ。
「それほど心を乱す相手が他にいますか?」
 いいや、いないはずだ。
 そう確信できるほど、カタリナはスノーリルの側近くで見て来た。
「スノーリル様の中にある感情は間違いなく恋です」
 だからこそ、まっすぐ断言してみせた。
 
 そのカタリナの断言をスノーリルはそれでもまだ疑っていた。
「でも、ただ会いたかった人に会えて嬉しいだけかもしれないわ。その人がものすごくカッコイイ人だったから、そう勘違いしているだけかもしれないじゃない」
 そう、この想いはただの勘違いかもしれない。
「かっこいい方だったのですか?」
「うん。ものすごく」
 造作は整っていたのは確かだが、美人というよりはかっこいい人だった。男性としての個性を強く感じた。
「アトラス王子も十分かっこいい方でしたが」
 確かに、アトラス王子も十分造作の整った人物だった。あの場にいた女性たちがスノーリルを敵視する理由を考える必要もないほどに。
「ついでに言えば、ダイアナ様の兄君のアーノルド様も」
 あの美少女の兄であるアーノルドも確かに美形。
「その中から、どうしてその方を選ばれたのですか?」
 先ほどから話に付き合ってくれているカタリナはずっと笑っている。まるで小さな子供のどうしようもない言い訳を聞いているような笑顔で。
「だから、それは、会いたい人だったから」
「アトラス王子を最初そうだと思っていらしたのでは? あの時はあっけないほど簡単に諦めませんでしたか?」
 その言葉でそういえばそうだと思って答えに詰まった。
「だって、あの時は最初から……」
 王子だとわかっていたから? それなら今だって同じだ。あの人は間違いなく上位にいるディーディランの貴族だ。いいや、それよりももっと前、出会った時に貴族だとはわかっていたはずだ。
「それに、あんなことするから…」
 口の中でもごもごと呟いて右目に触る。あの柔らかい感触を思い出して、うぅと唸るとカタリナが笑みを深くして、見ていないふりでお茶を飲んでいる。
 そうなのだ。あのキスがずっと頭から離れないのが悪いのだ。だいたいディーディランで初めて会った時も、寝ぼけてはいたがもしかしなくても…。
 いらない事まで思い出して耳が熱い。
「きっと普通に出逢っていれば…」
「そうやって諦める理由を探すほど、好きなのではないのですか?」
 カタリナの矛盾した発言の意味がわからない。
「? どういうこと?」
「スノーリル様は白異です。それを理由に本来なら諦められるはずです。実際アトラス王子の時はそうでした」
 確かに、考えることもなく諦めた理由はスノーリルが白異だから。実らない恋だとわかっていたから。
「でも、その方のことは「白異だから」では諦められないのです。だからそれ以外で諦める理由を探しているのでは? 逆を言えば、それほど…白異だということを払拭するほど、その方が好きなのです」
 明確な答えを突きつけられて、ようやくそうかと思い至る。
 そうなのだ。
 あの時、初めて会ったとき、スノーリルは自分から彼に告げたのだ。白異だからお嫁には行けないと。
 それを聞いた上であの約束がある。
 そしてそれをあの男性は覚えていて、その上で今、スノーリルに「探して欲しい」と言っている。つまり、初めからスノーリルが白異であることは問題にはなっていないのだ。だからこそ、諦めるのに他の理由が必要になった。
 そもそも諦める理由を探すという事は、もう好きになっているという何よりの証拠だ。
 大きく息を吐くとカタリナが微笑んで尋ねた。
「納得しましたか?」
「うん。これでようやく諦められるわ」
 納得した。喉の奥につっかえていた物が取れた気がした。
「え?」
「だって、私はトラホスの"白姫"だもの」
 幼い頃の約束と、今現在の自分の立場と相手の立場を考えれば、どちらを優先すべきかは考えなくてもわかる。
 笑って言うと、カタリナは少し呆れたようなため息を落としてから返事をした。
「わかりました。が、いいのですか?」
「悪いの?」
「スノーリル様はそれで幸せになりますか?」
「…今も十分幸せよ」
「では、相手の方は?」
「それは……」
 それは、それこそわからない。
 自分のことではなく、他人のことだ。
 ふいに、掴まれた手を、寂しそうな声を思い出した。
 緩く、強く、掴まれた手をそっと握って見つめる。
「見つけて…」
 ぽつりと呟く。
 カタリナには聞こえなかったのか首をかしげてスノーリルを見ている。昔、自分を見つけてくれた灰色のその瞳が心配してくれている。
 彼の持つ、スノーリルにも覚えのある感情に、少しだけ心がざわつく。
 あの人は今も小さな場所に蹲って泣いているのだろうか?
「ねえカタリナ。もし、私が髪を切るようなことになっても、カタリナは怒らない?」
 言葉だけの意味ではない。
 じっと見つめて尋ねると、あの時と変わらない優しい笑みで頷いてくれた。
「誰かのためにそれが必要なら、怒りませんよ」
「うん」
「決まりましたか?」
「ええ。決めたわ」
 もう、迷いはなかった。
 心の向かう先がわかればお腹が空腹を主張する。
「お腹空いたみたい。ご飯にしましょう?」
 その音に少し赤くなって言うとカタリナも頷いた。
言葉と意味と 終わり
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