カタリナから受け取った招待状の封にはディーディラン国の紋が押されていた。開いてみればお茶会の招待の旨が記されている。
「アトラス王子ですか?」
難しい顔をしてその招待状を読むスノーリルに、思い当たるところで尋ねたカタリナだったが、スノーリルから手渡された招待状を読み、最後の署名に同じく難しい顔をした。
「王妃ですか」
「出ないとまずいわよね」
正直、気は進まない。
気に入られる必要はないが、嫌われてすぐに追い返されるわけにもいかない。スノーリルがディーディランに来た理由が、表面上皇太子妃候補である。その母親の招待だ。間違いなくスノーリル目当てだとわかる。
「エストラーダ様にもきてるのかしら?」
「聞いてきましょう」
カタリナが動こうとしたとき、マーサがレイファの訪問を告げた。
通された麗人は今日も穏やかに微笑んでいた。
「こちらにもきたようですね」
スノーリルの前にある招待状にいち早く目を留めたようだ。
「ということは、エストラーダ姫にもきたのですね?」
「ええ。正直気は進みませんが」
こちらも事情のあるエストラーダの補佐官は苦笑しつつ答えた。
「招待状を送られたのはどうやら姫様方と、ディーディラン側の王族数名に、重役にいる貴族の子息も呼ばれているようです」
あの騒動があったこともあり、規模はそれほど大きくはなく、場所も王族専用の庭園なので警備の心配はいらないということだ。
「反乱分子がいるってわかっているのに、こんなことをしてて平気なの?」
普通自粛するだろうとどこか呆れているスノーリルに、レイファがくすりと笑った。
「危機に疎い王族ですから」
一瞬冷気が通り抜け、スノーリルはレイファを見やる。
「…私も王族なのですが」
「あら、そうでしたね。我が姫に似ていらっしゃるので忘れていましたわ」
失礼しましたと、優雅に笑うレイファは実はとっても怖い人かもしれないと改めて思った。
「それで。レイファ殿がいらした理由は?」
カタリナが話題の方向を修正すると、レイファがカタリナに向き直って話し出した。
「ええ。おそらく何もないとは思いますが、油断はなさらないでください。こう言ってはなんですが、現在の王妃はあまりいい噂を聞かないので」
「噂?」
現在の王妃エリンダは、没落貴族ではあったが眉目秀麗で頭も良く、国王に見初められて側女として後宮に入ってからは一目置かれる存在になり、十二年前、前王妃が崩御した後、彼女が正妃にすえられても誰も文句を言わなかったという。
しかし、そこには黒い噂が取りざたされていることも事実だった。
「前王妃は病死となっていますが、もしかしたら…など、よくある噂です」
カタリナが一蹴すると、レイファも頷いた。
「ええ、よくある噂です。ですが、ここはディーディランですから」
レイファの言葉にカタリナは深くため息をついた。
「あのね、一つ聞いてもいい?」
スノーリルはそのやり取りに眉を寄せ、側に立つ同じ立場で頭を悩ます女性二人に尋ねる。
「ディーディランだからって、どういう意味なの?」
カタリナもここにきてからよく使う言い回しだ。それをレイファも使い、二人の間でそれだけで会話が成立しているように見える。
スノーリルの質問に答えてくれたのはレイファだった。
「この国の王家の血脈は一つではありません。それゆえに血塗られた過去が多く、下克上は当たり前。今の王もどこまで安泰でいられるかわかりません」
ここで一つ話しを区切り、レイファはスノーリルをじっと見つめた。
「姫は、権力を望むのは男だけと、お考えですか?」
それだけで、何を言われているのかを理解した。
「王妃という立場は絶大です。手に入れたいものはなんでも手に入ります。でも、一つだけ。王妃という立場ではどうしても逆らえない人物が一人だけいます」
「国王ね」
「はい」
国王が愚かで、王妃が頭がよいのであればそれはそれでいい。しかし問題なのは、国王がそこそこ頭がよく、王妃がそれ以上のものを持っている時だ。王妃が国を考えているのであればそれも良しとできるが、強大な力は人を狂わせる。
「過去に何度も例があり、ディーディラン王家の血脈が途絶える原因の最たるものです。国を支える王家ですらそうなのです。ここディーディランでは何が起きても不思議ではありません。明日、内紛があって王家が途絶えることすら十分ありえます」
ディーディランだから。
それは、何があっても不思議ではなく、噂が真実であることも否定できない。明日、国王が別の人間に成り代わっても、謎でもなんでもないということだ。
そして、それを率先してしまうのは権力を欲する人間である。
視線を落として考え込んでしまったスノーリルに、レイファが腰を落として視線を合わせた。
「トラホスの姫。貴女にはそんな人間の色に染まらないで欲しいのです。その御髪のように真っ白でいてください」
レイファの言葉にスノーリルは苦笑した。
「私は、人が思うほど清廉ではありません」
「それをわかっていることに意味があります」
強く真直ぐ微笑まれ、スノーリルは目を瞬いた。
「レイファさんは母上に似てるわ」
「あら、それは光栄ですわ」
いつもの表情を取り戻した補佐官は、立ち上がるとカタリナに視線をやって頷いた。
「では。これで失礼します」
カタリナもその視線に頷いてレイファを送る。
二人の後姿を見送ってから、スノーリルは窓の外を見た。
強大な力。絶対的な権力。
「父上は本当に、大変なのね」
この大国を左右するほどの力を持つ父はどれほど強い人なのだろう。その王妃である母も。
「兄上も大変だわ」
以前カタリナが「知られたくなかったようです」と言っていた事があった。今さらながらに父の知られたくない事が何か、わかった気がした。
◇ ◇ ◇ ◇
カタリナが扉まで送ると、レイファが鋭い視線を護衛部屋の扉へ向けた。
「カタリナ殿。十分お気をつけください」
「王妃が?」
「姫次第です」
これだけを聞くと何の話をしているのか全くわからない。
しかし、二人の間では会話は成立していた。
つまり、王妃がスノーリルを狙っており、今回のお茶会はスノーリルの出かたを窺うためのもので、スノーリルの言動いかんによって王妃の動きに影響があるということだ。
「我が姫も手を焼いています」
「断る事はできない状態なのですね?」
カタリナの遠まわしな質問にレイファは深く頷いた。
断るとはお茶会ではない。この婚姻問題のことだ。
そもそも、スノーリルと同じ立場の姫であるのに、隣国のエストラーダがこれだけの長い時間ディーディランに留まるのはおかしい。誰かの意思が動いているのは間違いない。
一度エストラーダは強行で自国に帰ろうとしたとも聞いた。しかし、結果的にエストラーダはそれをせず、いまだにここディーディランに留まっている。
「敵はここだけではないということです」
「太陽を頼る理由があるわけですね」
その言葉にくすりと微笑むと、レイファは今度こそ礼をとり、去っていった。
その赤毛の麗人の背をしばらく見送り、部屋に戻るとカタリナの主は窓の外をぼうっと眺めていた。
「スノーリル様」
呼びかけるとこちらを向き微笑む。
「ああいう強い笑顔を見ると嵐の予感がするのは母上のせいね」
スノーリルの母。トラホス王妃。白異を産み落としたその女性も、あのレイファのように強く真直ぐ微笑む人だった。
スノーリルの言い回しに答えずにいると、もう一度あの招待状を拾い上げて見た。
「王妃か。エストラーダ様と私だったら、間違いなくエストラーダ様を選ぶわよね。ミストローグとトラホスじゃあね〜」
苦笑してそんな事を言ってたがふと真面目になって見上げてきた。
「私がここにいる本当の理由は、王妃は知らないのよね?」
その質問に内心どきりとした。
「はい。知らないはずです」
もし、スノーリルを狙う理由がそこにもあるのなら。
このお茶会は絶対に何かある。
主に答えて、大きくため息を吐き出した。
「難儀な事です」
正直な気持ちを吐き出すと、きょとんとしたスノーリルがくすくす笑う。
「がんばってね。出来るだけ協力するから」
何のことかは多分わかっていないだろうに、何かを察することだけは人より優れている。そんなある意味扱い難い主に、カタリナは苦笑しながら頷いた。
「はい。頑張らせていただきます」