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言葉と意味と
01
 夜会の襲撃事件の後、スノーリルの部屋は離宮から本城の賓客室へと移された。同じように、隣――といってもかなり遠い距離だが――はエストラーダに与えられた部屋になる。
 襲撃があったこともあり、当然のごとく設けられた警備のための部屋には、スノーリルの護衛としてついてきたトーマスと、他三人が入っていた。
 それほど狭くはない部屋ではあるが、男ばかりが入っているとやはり狭く感じる。その部屋のど真ん中に、直立不動で立つ男が低く呟いた。
「なるほど」
 スノーリルの護衛長であるトーマスだ。
 トーマスはどっしりと落ち着いた雰囲気を持つ人物で、きっちりと制服を着込んだ体は逞しく、一目見て鍛えられた体であるとわかる。そして、視線の先にいる男性の上でひたりと止めた黒い瞳が、融通のきかない性格を物語っていた。
 彼らのトラホスの護衛四人の他にもう一人。ディーディラン側からも護衛が付けられた。
「つまり、私たちだけでは心許ないということか?」
「はい」
 どこか棘のあるトーマスの言葉に一言返事をすると、後は全くの無視を決め込んだ。煉瓦色の髪をしたこの人物がディーディラン側からの護衛である。
 大柄といえるトーマスと違い少し細身で、兵士というよりは文官といった風情の男性は護衛としてはどこか頼りない印象を与える。
 しかし、トーマスはそんな彼を観察するように上から下までじろじろと見やる。
 無表情に視線も合わせず対峙する二人の様子に、その場にいた他三名ははらはらして事の成り行きを見守っていた。緊張した空気の中、観察を終えたトーマスが彼ら三人を見やり、「姫様に会ってくる」と言い出て行くと、ほっとしたようにため息を吐き出した。
 

◇ ◇ ◇ ◇

 
 あてがわれた部屋は間取りが違いはしたものの、調度品や窓の大きさなどはほぼ離宮と同じ感じだった。
 全体を淡い色で統一されており、一つ一つが高級そうで、スノーリル付きの侍女であるリズは一瞬ぽかんと口を開けてから大きく息を吐き出した。
「ディーディランってどこの部屋もこんな感じなんでしょうか?」
 少ないながらもある荷物を持って、侍女部屋に入るとマーサにそんな事を呟いた。彼女たちのいる侍女部屋もかなり豪華なのである。
「大陸の侍女は貴族しかなれないって話だから、彼女たちの矜持も考えてあるのでしょう」
「仕える立場なのに贅沢ですね」
 マーサの説明でリズが呆れたように部屋を見回した。
 そんな年下の侍女の感想に笑っていると部屋の近くから扉を叩く音がした。
 侍女部屋はスノーリルの部屋の入り口…次の間に設けられている。侍女部屋の入り口の真正面に護衛たちの部屋があるのだ。
「トーマスかしらね」
 マーサが扉を開け確認を取るとやはりトーマスだった。
「姫様にお会いしたい」
「はい。お待ちください」
 マーサが次の間を抜け、スノーリルのいる居間に向かう。その様子を目で追ったトーマスの視線はすーっと左手、侍女部屋へと向けられた。
「何か?」
「えっ。いえ! あの! なんでもないんですが。はい、あの…ごめんなさい」
 こっそり覗いていたリズは突然声をかけられ、慌てた様子でなにやら言うと、最後はうな垂れるように謝って扉を閉めた。その様子にトーマスはただ首をかしげるだけだった。
 
 
 トーマスがマーサの許可を得て居間に通されると、主であるスノーリルが居間の片付けをしているところだった。
「姫様。お元気そうですね」
「トーマス、久しぶりだわ。相変わらず難しそうね」
 スノーリルの言葉に表情を緩めると、少し部屋の様子を窺う。
 荷物自体は少ないのですぐに片付く部屋はかなり広い。窓を全開にして空気の入れ替えをしながら、執事と一緒に離宮から持ってきたものを整理している姿はトラホスにいるときと変わらない。
「何か問題でもあったの?」
「いいえ」
 本を数冊テーブルの上に置きながら尋ねるスノーリルの言葉を否定し、トーマスは沈黙した。
 そんなトーマスの反応にスノーリルは手を止め、首をかしげて彼を見上げる。
「あの男は何者ですか?」
「アドルさん? 護衛だそうよ」
 スノーリルは他になにも聞いていない。ただトラホスの護衛たちでは行き届かないこともあるだろうし、いざというときは土地勘のある者のほうが動きやすい。その説明で納得もしたし、紹介してくれたのはアルジャーノン大臣だ。
 しかし、トーマスが聞きたい事はそうではないだろう。そのくらいはわかっているので少しだけ考えた。
「どんな人かは知らないわ。ああ、でも他国の王族にも動じたりしない人よ」
「会った事が?」
「ええ、一度だけ。てっきり侍従だと思っていたんだけど…。もし護衛として使えないならそう言って? 他の人に替えてもらえないか聞くから。でも、ただの人じゃない事は保障するわ。あのアルジャーノン大臣の紹介だから」
 どこか諦めたような、呆れたようなため息をついて椅子に座ると、丁度カタリナがお茶を持ってやってきた。
「トーマス殿もいかがですか?」
「いや、私はこれで。姫様のお顔も見たし、多分あの三人が居心地悪くしているだろうから」
 護衛の部屋は侍女部屋と違い簡素なもので、寝るためのベッドがずらりと並び、後はテーブルに椅子があるだけで、寛げる場所ではない。そこに親しくない人物がいるだけでも居心地は良いものではないだろう。
 配下を気遣い引き上げるトーマスの背中を見送って、スノーリルはお茶を淹れるカタリナを見た。
「トーマスが気にする人なの?」
 彼らの持つ剣士の勘ともいえるものを全く理解できないスノーリルには、あの煉瓦色した髪を持つ男性は普通の人にしか見えない。話もしなかったし、一度姿を見たときは侍従が板についていた。
 しかし、トーマスが聞いてきたということは何かある。それくらいはわかっていた。
 カタリナは茶器をスノーリルの前に出すと、微笑んだ。
「トーマス殿の勘です。何かある事は間違いないでしょうね」
「カタリナは何も感じないの?」
 こういうことには敏感なカタリナが言う台詞にしては大人しい。それともスノーリルへの気遣いかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
「ここはディーディランですから、何があっても驚きません」
 微笑んではいるが瞳が笑っていない。いや、ある意味不敵な笑みともいえる気がした。その笑みに、スノーリルは何ともいえない表情でため息を吐いた。
「私はあまり騒動に巻き込まれたくないんだけど」
 渋い顔で呟くスノーリルは、はっと何かに気がついたように顔を上げた。
「カタリナ。忘れていたけど、決闘ってどういうものなの?」
 あの大きな騒動と、それ以上の出来事に、それらの前に申し込まれていた決闘のことなどすっかり忘れていたのだ。
 カタリナも「そうですね」と今思い出したような言葉を呟き、首をかしげた。
「通常の決闘ですと、真剣にてどちらかが倒れるまで。あるいは参ったと負けを認めるまで剣を交えるものですが。あのダイアナ様の言う決闘もそれに近いものではないでしょうか?」
 剣は試合用の剣だといっていましたし、死ぬ事はありません。と少し恐ろしいことを平気で言うカタリナに、スノーリルは少し唸った。
「試合用の剣ってどんなものなの?」
「木で剣をかたどったものがほとんどです。女性が使う場合は大概が木剣ですから、おそらくそれでしょう」
「ふーん。カタリナもそれで練習したりするの?」
 何となく尋ねたのだが、目の前の執事は一瞬だけぽかんとした表情を見せた。
「? 練習とかしないの?」
 そういえば見た事はない。カタリナが剣士だと知ってからも一度も見た事がない。時々いなくなりはするので、その時に何かしらの訓練はしているのだろうが。
 しかし、カタリナの反応はもっと別な気がした。
「もしかして、いつも真剣?」
「人に教える場合は使いますよ」
 スノーリルの質問にくすりと笑って答えたカタリナに、それ以上つっこんだ事は聞かないほうが良い気がして、スノーリルは「そう」と頷くに留めた。
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