城で催される夜会は基本的に国王や王族、重役についている貴族に名前と顔を覚えてもらう場所である。それは男女問わず同じことで、身分の低い貴族たちはにこやかな笑顔で、必死に周りに自分を売り込んでいる。
席が設けられていることもあり、スノーリルはゆったりと席に身を預けたまま、目に見えない権力抗争を繰り広げる貴族たちを見つめていた。特に、隣にエストラーダが座ってからは思わず感心してしまうくらい、彼らはなんとも努力家だなと、のん気な考えを持ったりもしていた。
スノーリルの席へやってきたエストラーダの元へは、ひっきりなしに男性がダンスの誘いにやってくる。身分年齢関係なく。中には憧れを抱いている青年や純粋にエストラーダの気を引きたい人物もいるのだが、そのことごとくを退けている。
「エスティ、もしかしたら的が外れた?」
また一人去っていく男性を一緒に見送り、スノーリルはエストラーダに話しかけた。
「まったくだわ」
何がといえば、スノーリルの隣にいれば誘いの手も少しはなくなるだろうと考えていたのでは? という質問だ。エストラーダは渋い顔をしてため息をつく。
「スノー。貴女は随分楽しそうね?」
「ええ、勉強になるわ。さすがミストローグの"蜜輝姫"ね。女性の反感もほとんどないわ」
「その異称、知っていたのね」
スノーリルの言葉にエストラーダはお酒を口に運びながら言う。
スノーリルが"白姫"と呼ばれているのと同じように、エストラーダも"蜜輝姫"と呼ばれている。他国にまで知れ渡るほどの姫の異称は、それほど強烈な印象を人に与えているということだ。
エストラーダは言うに及ばず、同じ女性が憧れるほどの美貌の持ち主だ。今夜の衣装はその名に相応しく、まさに蜜色の姫だ。その隣にいるスノーリルも足元が淡く紫色をしている以外は白いドレスで、まさに白色の姫である。
そんな二人が並んで座っている様子はまるでそこだけが別世界に神々しく、迂闊に踏み込めない雰囲気があるのだが、それを乗り越えてでもエストラーダに近づきたい男性が何と多いことか。
中にはスノーリルに声をかける男性もいた。
それはひとえに、エストラーダがスノーリルに良い感情を持っているらしいとわかった人物で、魅惑的な笑顔を向けられるたびに笑いが込み上げる。
それを素直に顔に出し、スノーリルも丁寧に断っていたのだが、その中で一度、エストラーダの後ろでレイファがくすりと笑う気配がした。
それまではほんのり笑顔を貼り付けていたレイファのその反応に、カタリナが注意を向けた。
「今の方は?」
「ベルデ親王です。あの方はどうしても姫を手にしたいようですわ」
親王ということは王家の人間だ。
「あれほどの目にあってもまだ来るのですから、その根性だけは買いますわ」
いつもは静かなレイファの声が一気に冷たくなった気がして、スノーリルは驚いてレイファに目をやった。しかし、そこには何もなかったようににっこり微笑むいつもの補佐官がいる。
一瞬、先ほどの親王が酷く可哀相に思えた。
「レイファさんって、絶対に敵に回したくない人ですね」
「あら。ありがとうございます」
褒めてはいないが、カタリナが口元に手をやったのを視界に捕らえ、スノーリルも少し呆れたように微笑んだ。
大体の貴族がエストラーダに誘いをかけ終えたのか、人が近づかなくなってきた頃、ゆっくり動き出した人物がいた。
二人がお互いの国の文化の違いなどで盛り上がっていると、目の前にその人が立つ。
エストラーダはすぐに視線を上にあげたが、スノーリルはその人物の手を見るに留めた。視線を上げなくても誰なのかわかっていた。意識しないようにしていても、どうしてもそちらを意識していたのだから。
「楽しまれているようですね」
昼間庭園で聞いた声が頭上から降ってくる。
「ええ、おかげさまで。王子は楽しまれてます?」
エストラーダが受け答えする声がどこか遠くで聞こえる気がして、自分がどうしてこの場にいるのか不思議な気さえしてきた。
「スノーリル殿はお疲れですか?」
名を呼ばれて一つ心臓が跳ねた。
それを目を閉じて押さえつけてから視線をようやく上げる。
「いいえ。とても楽しいです」
見上げればやはり間違いなく、濃い焦茶色の髪をした緑の瞳を持つ男性が立っている。笑顔を返すと、上から見下ろしてくる緑色の瞳も笑っていた。
視線が合うと、そのまま動けなくなり、急に心臓がせわしなく動き出す。
「スノー」
どれくらいそうしていたのか、その声に我に返るように隣に目をやった。
「大丈夫?」
そう言うと手を握ってくる。しばらく呆然とエストラーダの深い青い瞳を見つめてから頷いた。
「ええ、でも少し気分が悪いみたい。風に当たってきますね」
指先がやけに冷たい。笑えているのかもわからないが、とりあえず笑顔らしいものは作ってみた。
立ち上がって、目の前の男性に一度礼を取り、カタリナを伴って開け放してある会場のテラスへ向かった。やけに長く感じるその道のりで、倒れてしまわなかったことに大人になったなとぼんやりと思ったりしていた。
「スノーリル様」
テラスにある欄干に手を置いて初めて震えていることに気がついた。
「はぁ。信じられない、こんなに動揺するなんて」
自分の両手を見てそんな事を呟くスノーリルに、カタリナは少しだけ安堵のため息をついた。
「寒くないですか?」
「ドキドキしてそれどころじゃないわ」
多分赤くなっているであろう頬に、冷たい手を当ててはわ〜とため息をついて答える。その様子にカタリナも少し微笑んで頷いた。
「…そうですか」
それきり、言葉もなくしばらくそうしていたが、突然カタリナがスノーリルの手を引いた。
こういう事態には声を出すなと昔言われた事があり、スノーリルはそれ以来、カタリナが何も言わずに手を引くときは素直にそれに従うことにしていた。
「いないぞ。確かか?」
「間違いない」
二人の男の声だ。声音が硬く、鈍いスノーリルにもどこか切迫した様子が窺えた。声に続いて突然、会場からの光が遮られた。どうやら括られていた暗幕を落としたようだ。スラリと金属の擦れる音がする。
スノーリルには真っ暗闇に、わずかに洩れ出た光が線を描くテラスが見えるだけだ。カタリナに引かれ、欄干から移動して壁際、おそらく柱の影にいることはわかったが、他に会場へ戻る道はわからない。
相手の足音もないのは目を闇に慣らしているからだろう。カタリナも不用意に動こうとはしない。しかし、見つかるのは時間の問題だということはスノーリルにもわかる。
全面的にカタリナを信じているスノーリルはさして緊張もしていなかった。
やがて密やかな足音が耳に届くと、カタリナがスノーリルを二度軽く叩く。ここにいろという合図だ。
ふっと隣にあった体温が離れ、短い呻き声と金属が落ちる音がした。
「いいですよ」
カタリナの声にそっと顔だけを出すと、一人は倒れ、もう一人はカタリナに剣を突きつけられた状態で手を上げていた。
「誰の手下だ?」
静かに紡がれる声はいつもの優しい音ではない。厳しい剣士の音である。
しかし男は答えない。当然と言えば当然か。
前触れもなくカタリナは唐突に剣を下ろした。その瞬間、ばっと明かりが差し込み、アルジャーノン大臣と衛兵が現れたのがスノーリルのほうからも見えた。男は眩しそうに手をかざすと思いついたように逃げ出そうとしたが、衛兵に取り押さえられる。
「こちらで引き取らせていただけるかな?」
大臣の質問に、カタリナはスノーリルに視線を向けた。
「スノーリル様に怪我はないようですから、どうぞご随意に」
カタリナの言葉にスノーリルは、怪我があったらどうするつもりだったのかはあえて聞かないことにした。
衛兵が男二人を引きずっていく様子を見送りながら、アルジャーノン大臣はカタリナとなにやらひそひそと話しこんでいた。そんな二人を見てから、スノーリルは会場へと目を向ける。暗幕を侍従がもう一度括り直している姿が見えた。
今の騒動に何人かがこちらを見ていたが、それほど大きな騒ぎにはなっていないようだ。戦争が身近い国はこれくらいでは驚かないのかもしれない。
「スノーリル様、一度…」
カタリナが話している途中で会場内から悲鳴が上がった。それと同時にアルジャーノン大臣が走りだした。衛兵の何人かもそれに続く。
「何があったの?」
「どうやら反乱分子のようです」
「ディーディランの?」
質問にこくりと頷く。
「エストラーダ様は大丈夫かしら」
スノーリルが襲われたのもそのせいだとしたら、当然エストラーダにも何か向かっているかもしれない。
「あの方たちは大丈夫です。会場内にいればここよりは安全でしょうから」
「でも」
たった今その会場内から悲鳴が聞こえたのだが。
スノーリルの言いたい事がわかっているのだろう、カタリナはスノーリルを会場内へと促しながら言った。
「ここよりは明るいですから」
その言葉にそうかと納得した。剣士であれば戦いやすい場所であるということだ。
会場内はどこか騒然としていた。日常として剣をたしなむ国の人々がこれだけ騒いでいるのだから何かあったのだろう。
騒ぎの元がここから遠いことからして、おそらく王族に何かあったのかもしれない。反乱分子だと先ほどカタリナも言っていたことだ。
「あの場所に戻ったほうがいい?」
今行くと何かと問題が発生しそうな気が大いにするスノーリルは、カタリナにどこか投げやりに尋ねた。
「少しここで様子を見ましょう。今戻ってもいいことなどありません」
それに頷いてため息を吐き出す。
何人かの貴族がスノーリルに気がついて、嫌悪も露にこそこそと何か話し合っている。何か騒動があれば、白異である自分が問題視されることをよく知っていた。
暗幕とカタリナに隠されるようにして立つ背中には夜の庭園がある。
テラスから一望できるそこは会場と違いなんとも静かだ。
ここは一階であるのに、庭園が少し見下ろせているということは、少し建物が高いということであるのだろうか? なんとなくそんな事を考えながら、トラホスの庭園を思い出す。
トラホスは国自体が高低差のある土地で、城も階段や緩やかな坂が多いところだ。気づかれない程度に斜面になっている庭園は、歩いているといつの間にか見下ろせるようになる面白い作りだ。
「スノーリル姫はご無事か!?」
会場内から聞き覚えのある声がかかり、思い出から引き戻される。
カタリナ越しに覗くと髭の大臣がきょろきょろと辺りを見回している。何人かの貴族がこちらを指差すと大臣もこちらに視線を向けた。カタリナの横に立って大臣を迎えると、大臣が走り出した。
「スノーリル様!」
カタリナに後ろに突き飛ばされ、そのままテラスに出る。同時にまた暗幕が下ろされ、テラスは真っ暗だ。
何かが砕ける音と、悲鳴が起こり、暗幕が開かれる。
そこにいたのはカタリナではなく、男が二人。手には剣がある。
とっさにスノーリルはテラスを走り、欄干に手をかけて飛び降りた。