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白姫への挑戦状
05
 夜会は日が暮れる前から催された。
 集まるのに時間がかかるからであるが、それほどの人間が集まるのだ。
 開園式のあった庭園が見渡せる広間を使い、夜の庭園も干渉できるよう、ところどころ明かりが設けられている。硝子を特産にしてるだけあって巨大なランプのようなものが庭園のあちこちに配してあるのだ。
 しかし、この広間の一番の見物は天井から釣り下がる照明である。硝子を使っているのかキラキラと光を反射させて目映いほどに輝いている。
 スノーリルはそれを見て、落ちてきたらどうするのだろうなど考えたのだが、ディーディランの貴族たちはその下で普通に会話を繰り広げている。
「クラウド王子は夜会にも出られないのか?」
「あの方は元々社交の場にはあまりお出にならない方だからな」
「昼間の騒動お聞きになって?」
「ええ、あのダイアナ様がまたやったらしいわ」
 そんな会話があちこちから聞こえてくる。
 当然、スノーリルの耳に入るか入らないかの囁きで。
 あの昼間の決闘騒ぎは夜会が始まる前に、城中いや、ディーディラン全土に知れわたったのではという勢いで広まったようだ。夜会に出る前に噂を聞いたマーサが血相を変えてスノーリルに「本当ですか!?」と悲鳴をあげていた。
 
「決闘とは穏やかではありませんな」
 開園式と同じように設けられた席に座るスノーリルにゆったりと近づき、話しかけてくる人物がいた。見上げれば品のよい笑顔をたたえ一度礼をする。
「アルジャーノン大臣」
「あのお嬢さんは、また懲りずに仕掛けたようですな」
「また?」
「ええ。エストラーダ姫にも申し込んで、玉砕したばかりです。いやはや、女の恨みというやつは根深いものですな」
 カタリナに席を勧められて腰掛けながらそんな話をしてくれる。
「受けて勝ち目はあるのかな?」
「条件にもよります」
 誰が見ても圧倒的不利であるはずだが、そんなことを言うスノーリルに、アルジャーノン大臣は「はて?」とカタリナを見やる。
「スノーリル様はお強いです」
「剣をやっているとは聞かないが」
「カタリナがいるんですから、私が持つ必要はありません。それに、主人より侍女が強いのは大陸でも同じようですから」
 カタリナがそうであるように、レイファがそうであるように。ダイアナの侍女もそうだろう。つまりはダイアナはスノーリルと同じであるといえる。
「それに、買うのは慣れていますから」
 いわれのない恨みを買うことには慣れている。
 小さい頃はいじめの対象であった白い髪も、年齢を重ねるうちに妬みの対象になっていた。白異である以上特別である自覚はあったが、それは周りの感情であってスノーリルのものではない。
「トラホスでも決闘を申し込まれたことがあると?」
「剣を持つことのない人が、そんな正攻法で来ると思いますか?」
 その言葉にさしものアルジャーノン大臣も口をつぐんだ。じっと見つめてくる大臣にスノーリルは微笑む。
「…なるほど。人の妬みは怖いですからな」
 苦笑と同時に吐き出される言葉には覚えがあるような音が含まれている。
 確かアルジャーノン大臣は貴族出身ではないとカタリナが聞いてきていた。それでも、今現在は"イーチェ"つまり階級第一位の称号をもらっている人物だ。ここまでの道のりはけして楽なものではなかったのだろう。
 そういえば自己紹介のときに階級を告げなかった唯一の人だ。
「ダイアナ様も"イーチェ"だと言っていましたけど、もしかしたら花嫁候補に入っていたんですか?」
 どう考えてもあれだけ不況を買う覚えがない。あるとしたら今回のこの騒動。エストラーダにも申し込んだと聞けばそれなりの状況が見えてくる。
 スノーリルの質問にアルジャーノン大臣はにんまりと笑っただけだった。
 その時、会場の雰囲気がざわりと動いた。
 何かと思い、周りの視線が集まるほうへと視線を移すと、ディーディラン国王がやってきたところだった。続いて王妃もやってくる。濡れたような黒髪を綺麗に結い上げ、一部を背中に流している。静かに凛とした印象を抱かせる女性だ。
 両陛下を見るのは初めて会って以来であるが、やはりため息が出るほど秀麗な二人だ。
「そういえば、アトラス王子にお会いしたとか」
 アルジャーノン大臣は両陛下が来たにもかかわらず、スノーリルの隣に陣取ったまま寛いでいる。その姿を見て少し驚いたが、まだ夜会が始まったわけでないので何も言わずにおいた。
「はい。庭園でお会いしました」
「どうでした?」
「庭園ですか? アトラス王子ですか?」
 その質問にアルジャーノン大臣はくすくすと笑いをこぼした。
「いやはや。これは…」
 一人でなにやら呟く大臣に、スノーリルはカタリナを見やった。カタリナは無表情で大臣を見ているだけで、スノーリルには首を傾げて見せた。
「アトラス王子です」
 姿勢を正し、表情を改め、尋ねてくる大臣の思惑が何かはわからない。その瞳を見つめて考える。いや、経験値で劣るのだ、考えるだけ無駄なのかもしれない。
「求婚に近いお話がありました」
 庭園での言葉はつまりそういうことだろうと解釈してもおかしくはない。アトラス王子が何を言い、スノーリルがどう答えたのか、この"笑い狸"なら全部知っているだろう。
「……そのお顔では、王子は玉砕しましたか」
 まだ結論は出していない。いや、そもそも本気かどうかもわからないのだから、スノーリルが振ったわけでもない。しかし、アルジャーノン大臣は確信をもって発言しているように感じる。
「…あの、聞いてもいいですか?」
 確信のあるアルジャーノン大臣と違い、スノーリルの中にはそんなものはない。
「なにかな?」
「アトラス王子は十二年前、トラホスに渡ったことはありますか?」
「十二年前?」
 意外な質問だったのか。アルジャーノン大臣は少し眉を上げてから考え出した。
「十二年前ですと、ちょうど王妃が変わったときですね。あの年は…確かに。アトラス王子もトラホスへ渡りました。継承権争いで命の危険があったので」
 最後は表情をなくして呟いた。
「まだ幼い王子に回避する能力はありませんでしたので、一番安全であるトラホスへ。…陛下がトラホス王に直々に頼み込んだはずですよ」
「え? 父に?」
「はい」
 その言葉にスノーリルは盛大に顔を顰めて額を押さえた。
「うわぁ。父上には、聞かなかったわ。ああ、何たる失態っ…」
 突然嘆き始めたスノーリルに、アルジャーノン大臣はカタリナを見上げた。そのカタリナもぽかんとスノーリルを見ていたが、アルジャーノン大臣の視線に気がつき、笑みを浮かべた。
 スノーリルが嘆く中、夜会の開会を知らせる涼やかな鐘が鳴らされ、貴族たちはそれぞれの席へとつき始める。
「では。私もこれで」
「あ、はい。すみません」
 その声に慌てて顔を上げたスノーリルの謝罪に、にっこり笑って去っていった。何気なく大臣の後姿を見送っていると、その隣にあの焦茶色の髪の男性が現れた。
 スノーリルがその男性をじっと見つめる。
「見つけましたか?」
 カタリナの声に、スノーリルはびくりと肩を震わせた。
「な、何を?」
「スノーリル様。この期に及んでしらを切り通せると?」
 にっこり最高の笑顔を見せるカタリナには確信がある。それを見るスノーリルはどこか罰が悪そうに赤くなった。
「アトラス王子が初恋の相手なのでは?」
 両陛下が立ち上がり、大臣の合図で貴族も立ち上がる中。スノーリルも勢いよく立ち上がった。挨拶の後、両陛下が先に座る。そのすぐ近くにその人はいる。
「でもね。カタリナ」
 じっとその人物を見つめるスノーリルは頬を染めてはいるが、どこか悲しそうな目をしている。
「私の場合。見つけたからといって、どうしたいわけでもないの」
 ここの皇太子は初恋の相手と結婚がしたいということだが、スノーリルにはそんな期待や希望はない。いや、持つだけ無駄なものかもしれない。
「あと二ヶ月でトラホスに帰るんだし」
 笑って告げはしているが薄茶色の瞳は潤んでいる。
「スノーリル様」
「それにほら。初恋は実らないものでしょう?」
 こんな時、白を持つという意味が重く伸しかかる。それはスノーリルだけではなく、近くにいるカタリナにも言えた。そんなこと気にするなと言えるほど軽い問題でないのだ。特に国にかかわる場合は。
 相手が王子だとわかった時点で、スノーリルの淡い恋は終わったといえる。
 せめて貴族なら。いや、それでも結果は同じかもしれない。
 慰める術を持たないカタリナは、スノーリルの背中をゆっくり撫でた。
「ありがとう」
 見上げて笑う顔はもうどこにも悲しさはなかったが、カタリナもそれに騙されるほどスノーリルを知らないわけではない。
「次の恋は実ります。スノーリル様はディーディランの王子に求婚されるほど魅力のある女性なのですから」
 優しく微笑み断言するカタリナに小さく笑って礼をいう。
「うん。ありがとう……でも、大丈夫よ」
 大臣の開始の合図と同時に音楽が流れ出す。その中をずんずん進んでくる蜜色の美女を見つけ悪戯っぽく囁いた。
「もしお嫁に行けなかったらエストラーダ様がもらってくれるらしいから」
 冗談を言えるくらいには心に余裕がある様子のスノーリルの台詞に、カタリナもくすりと笑いを洩らした。
 
「スノー」
 ひそめているがどこか怒りの含まれた声が聞こえる距離で、いつもの様子と違うことに気がついた。
「御機嫌よう?」
 首をかしげて尋ねるように挨拶をすると、少し芝居がかった口調が返ってくる。
「ええ、御機嫌よう。貴女、あの小娘の決闘を受けたんですって?」
 微笑んではくれたがその迫力と紡ぎ出された言葉に、スノーリルは一瞬何を言われたのかわからず、小さく「小娘…」と呟いて理解した。
「あ〜。そうなの。うん。…エスティ、今日のドレスが一番素敵ね」
 美女が怒ると迫力が増すと聞いた事があるが、確かにそうだと実感しつつ。エストラーダの怒りを緩和しようと話題を変える。
 しかし、そんな小手先の努力は無駄であったようだ。
「ありがとう。それで? 貴女、勝ち目はあるの? いいえ、絶対に勝たないとダメよ。あの小娘は貴女には勝てると踏んで申し込んだに違いないだから」
 先ほどからエストラーダの言う「小娘」は間違いなくダイアナだろうが、それにしても酷い言いようだ。何かイヤな目にでも合ったのかとレイファに視線を送ってみる。すると、赤毛の麗人は一度周りの様子を見て、スノーリルに微笑んだ。
「姫はああいったお嬢さんが一番嫌いなのです」
「わからないでもないですが、あまり大きな声では言わないほうがよいのでは?」
 カタリナが少しだけ周りを気にして進言するが、スノーリルにはいまいちよくわからない。
「ああいうって?」
 スノーリルの質問にエストラーダはそれはそれは深いため息を吐いた。
「周りに褒めそやされて生きてきた人間よ。無駄に自信があって、自分が一番だと思い込んでいる人間よ!」
 その説明を聞いて、ようやく「ああ」とだけ答えた。そのスノーリルの態度も今は怒りの対象になっているらしく、エストラーダは柳眉をピクリと動かした。
「ああ。じゃないのよ。そういう人間がどれほど厄介なものかっ」
 夜会用のドレスが金色に近い渋い色の黄色であることもあり、エストラーダは蜜色の髪もあいまって、まるで女神か何かのようである。その女神と見まごう美女が怒っている様子は、決して近寄ってはいけないと本能が知らせる何かがある。
「ねえエスティ、落ち着いて。私のことなんだから。それにほら、周りの人が見ているし、敵対関係だと思われるとまずいでしょう?」
 そんな怒れる美女にスノーリルがにっこり微笑んで告げると、一瞬にして怒りを面から消し去った。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ。私これでも慣れてるから」
 スノーリルの言葉にエストラーダはなぜかカタリナを見る。
「なるほど。貴女の言っていた意味が、よく、わかったわ」
「?」
 いつの会話を引き出しているのか、スノーリルにはわからず首をかしげてカタリナを見るが、とうのカタリナは微かに剣士の顔で微笑んだだけだった。
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