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白姫への挑戦状
04
 エストラーダが立ち去った後、庭園の広場には昼食用の料理が運ばれてきた。日傘の下で貴婦人たちは優雅に食事を取り始める。
 スノーリルのいる末席でもそれは同じで、適当に運ばれてくるものを食べていたのだが、給仕をしていたカタリナの手が止まった。
「どうしたの?」
 見上げるとポットを持ったまま一点を見つめている。
 その視線の先を追うと、あのアトラス王子の従者がこちらを見ていた。見るというよりは睨むという感じで、あまり好意的なものではなかった。
「カタリナ」
 声をかけると、ようやく視線をスノーリルに向けた。無表情であるが目が厳しく、ちらりと寄こした視線は剣士のものだった。
「どうしたの?」
「すみません。少し席を外させてください」
「構わないけど」
 何か不都合かと視線で問うと、顔を近づけて声を潜めた。
「あのナイフは?」
「大丈夫。持ってるわ」
 カタリナが厚手の布で鞘を作ってくれたのを、わからないようにドレスに忍ばせてある。
「人の目があるからそんなに大騒ぎにはならないわ」
 何かあっても。と付け加える。
 その返事を聞いて、カタリナは一度目礼をとってからその場を後にした。カタリナが動くと同時にあの従者も動いた。それをカタリナが追うように姿を消す。
 残されたスノーリルは何でもないように振る舞い、食事を続けた。
 
 食事も終わり、座ったままでは少し遠い場所に置かれたポットを取ろうと立ち上がると隣に誰かが立った。傾けてある日傘があり上を見上げてもその人の顔を見ることができなかった。
 スノーリルが気がついたときには背中に硬いものがあてられた。
「お静かに」
 声は男だ。首を少し動かして見た服装も男性のものである。
「お話があります」
 視線を他に向けるが末席であることもあり、誰もこちらの異変には気がついていないようだ。カタリナも戻ってくる気配はない。というよりはカタリナがいなくなったのを確認しての行動のようだ。
「どうぞ。手短にね」
 落ち着き払ってそれだけを言うと、人物は立ち位置を斜め真後ろ、スノーリルが座らないように、逃げないように立ちふさがる。
「トラホスへお帰り願いたい」
「どうして?」
「貴女はご自分の立場がお分かりか?」
 少し苛立った様子で背中にあたる硬いものを押し付けた。少しちくりとする感覚がありおそらく刃物であることがわかる。どうやら完全な脅迫であるようだ。
「私の今の立場は皇太子妃候補です。その私がディーディランで死んだりしたら、大変なことになりますよ。誰に何を言われてきたのか知りませんが、私がここにいるのは私の意志ではないし、そのうち帰りますのでご心配なく」
 全く動揺していないスノーリルの態度に、脅迫者のほうが動揺したようだ。言葉につまり、背中にあたる刃物が離れた。そう思ったと同時に、背後にいた人物が突然走り去った。
 慌ててその後姿を見ると金茶髪の男性である。スノーリルが確認できたのはそこまでで、またしても後ろから声をかけられた。
「スノーリル姫」
 一瞬無視しようかと思ったが、名前を呼ばれては振り返らないわけにはいかない。一度目を閉じ気持ちを切り替えてから振り返る。
「はい」
 返事をして振り返るとそこに少女が仁王立ちしていた。
「貴女。ご自分の立場をご存知なの?」
 つい先ほども言われた台詞に、スノーリルはまじまじと少女を見つめた。
 巻き毛の金髪に、大きな水色の瞳。白い肌に薔薇色の頬。唇はほんのり色づき、少しだけ幼さが残っている感じのする、いわゆる美少女だ。その少女が侍女を一人従えてスノーリルを睨んでいる。
 向けられているのは敵意であると、鈍いスノーリルにも察せられるほど、憤慨している様子の少女に首をかしげた。
「私の立場といいますと?」
 先ほどの脅迫者とこの少女では、質問の内容は同じでも聞きたいことは違うように思えて尋ねたのだが、それが少女の怒りをさらに煽る結果になったようだ。
「貴女は、ディーディラン国皇太子妃の候補として、ここにおいでなのでしょう? それなのに! アトラス殿下の手を取って歩くだなんて…!」
 握った拳を震わせ、頬を真っ赤にして怒る美少女は、どうやら先ほどのスノーリルの行動を非難しているようだ。しかし、それがどうしてここまでの怒りを買ったのかはわからない。
「差し出されたので取ったのですが。ディーディランではいけないのですか?」
 純粋にそれがいけないことなのかと、スノーリルは「次は気をつけます」と言ってお茶を注ぎ、ポットを置いて座った。
 その行動が少女には許せなかったらしく、スノーリルが座っている前のテーブルに両手をついた。
「随分と余裕があるのですね。まさかスノーリル姫は、あのエストラーダ姫に敵うと思っていらっしゃるのかしら?」
 その言葉に少女の目を見つめる。
 敵うとか敵わないとか、そういう問題はとっくの昔に通り過ぎ、今は協力関係にあるとも言えるのだが、それをこの少女にわかれというほうが無理だろうか。
「貴女様は敵うと思っているのですか?」
 誰がどう見ても勝ち目のない戦いだろうし、スノーリルはどこへ行っても厄介者だ。まさか怒りに我を忘れ、スノーリルの持つ色に気がついていないなどということはないだろうし。
 答えは貴女の思っている通りですよ。と、そういう意味での質問だったが、少女はなぜかさらに怒りを増しているように見えた。首をかしげてどうしたのだろうと声をかけようとした瞬間。爆発した。
「私は、"イーチェ"グレイブスの娘です! 貴女より相応しい立場にいますわ! それなのに、クラウド様だけでなくアトラス様にまで手を差し伸べて戴くだなんてっ……」
 叫ぶのを理性でなんとか押し込めて告げられる言葉に、スノーリルは激しく誤解されていると思いはしたが、解決策が見当たらない。
 テーブルについている両手はいつの間にか拳に変わっていた。
「この私を押しのけて花嫁候補に選ばれたのだから、それなりの覚悟がおありでしょう?」
「覚悟?」
 なにやら話がわからない方向へ進んでいっている。疑問符ばかりが頭を埋める。この美少女はそもそも何をこんなに怒っているのだろう?
 話と空気に置いてけぼり状態のスノーリルは一度、少女の後ろにいる侍女に視線をやったが、その侍女も目が合うと笑っただけで何もしない。
「スノーリル姫」
 ようやく落ち着いたのか、少女がゆっくりと静かな声で話しかけてきた。
「私、ダイアナ"イーチェ"グレイブスから決闘を申し込みます。もちろんお断りはなさいませんよね?」
 にっこりと笑顔を見せる美少女は、そうしていると本当に美少女だった。しかし、話の内容は穏やかではない。
「決闘?」
「はい。もちろん、真剣ではありません。試合用のものを使ってです。受けていただきますわ。皆さんが証人です」
 そこで初めて周りの貴族たちがこちらに目を向けていると気がついた。
 何人かの女性がくすくすと笑っているし、青い顔をしている人もいた。それらをざっと見渡し、スノーリルは頷いた。
「いいですよ。ただ、私は剣を取ったことなどありません。少し時間は頂きたいのですが」
 まさかスノーリルが了承すると思っていなかったのか、少女ダイアナの侍女が驚いたようにスノーリルを見て口を挟もうとした。しかし、それもダイアナによって阻まれる。
「ええ、いいですわ。私のを貸して差し上げますので、ゆっくりご準備なさってください」
 その約束だけを取り付け、勝ち誇ったように踵を返して去って行った。
「なんだったの」
 呆然とその後姿を見送ると、周りの人たちもざわざわと今のやりとりについて何か噂している。
「スノーリル様」
「カタリナ。お帰り」
「大変なことになりましたね」
 どうやら今のやりとりを聞いていたようだが、どこか面白そうな顔をしている。
「助けられたみたいだから、お誘いには乗っておこうかと思って」
 ふうとため息混じりの台詞にカタリナは周囲を見渡し、スノーリルを見る。
「……大丈夫でしたか?」
「うん。トラホスに帰れって。多分同じ金髪だと思うわ」
 先ほど自分で入れたお茶をようやく口に運びながらカタリナに報告する。同じとは昨日離宮の庭園から逃げていった金髪の人物のことである。
「もう…?」
「いない」
 短い会話を成立させるとカタリナはため息をついて少し俯いた。
「すみません」
「カタリナのせいじゃないわ」
「スノーリル殿」
 遠くから声をかけてきたのはエストラーダといなくなったギリガム大臣だった。純粋に驚いていると、髭の大臣は怖い顔をしてテーブルにまでやってきた。
「女同士で決闘など、おやめください。だいたい貴女は剣などもったこともないのでは?」
 以前は遠くに立っていたので背丈はわからなかったが、どうやらかなりの長身を持つ人のようだ。スノーリルより背の高い、立っているカタリナが見上げている。
 以前と変わらず非難的な言葉であるが、味方だとわかったからだろうか、どこか心配しているような、呆れているような、そんな表情をしているような気がした。
「やめろと言われましても、ダイアナ様が断るなと言っているのですから。それに…」
 視線を落として、囁くように、しかしはっきりと告げた。
「売り言葉に払い戻しはありません」
 言い終わるとにっこり微笑んで、「ね?」とカタリナを見上げる。それを受け、カタリナは大臣に視線をやってから「はい」と頷く。そんな主従のやりとりに、呆然としていた大臣は苦虫を噛み潰したような表情をして去っていった。
「やめさせると思う?」
「どうでしょう」
「アルジャーノン大臣なら面白がったと思うわ」
 一騒動終わると、お昼の席はこれで終わりだと侍従が告げに来た。
 それぞれ仲の良いもの同士で庭園を去る人々を見送り、少しだけ静かになった庭園を見る。
「生垣が多いわね」
「ああ、そうですね」
 人の高さ以上の丈がある垣根は目隠しであり、防衛策である。トラホスの庭園にもあり、父が話していた言葉を思い出す。
「綺麗で立派だけど、盗み聞きや覗きには恰好の盾になる…か」
 思えばそれは諜報活動をしている者への教えだったのかもしれない。
「ディーディランにも当然いるのよね?」
 何がとは言わないが、カタリナには十分理解できるだろう。立ち上がって問うと、灰色の瞳がじっと見つめてきた。何の感情も映さないその瞳に、スノーリルは頷いてみせた。
「はい。執事のカタリナには言えない事が沢山あるのよね」
「出来の悪い執事ですみません」
 

◇ ◇ ◇ ◇

 
 一度離宮に戻り、カタリナに庭園であった一部始終を話す。
 着替えを手伝いながらカタリナが背中を見たが傷はないようだ。
「ごめんね。上手く聞き出せなかった」
 誰に言われてきたのか、目的は何か。知りたいことはあったものの、それらをどうやって聞き出せばいいのかわからなかったのだ。
「スノーリル様はそのようなことはしなくていいのですよ」
 カタリナが苦笑しながら夜会用のドレスを整えるマーサのところへ行った。
「そうですよ、スノーリル様。危ないことはしないで下さいね」
 リズが心配そうに背中を見て言う。
「そういうことはトーマスさんが何とかしてくれます」
「そうね」
 そういえばまだトーマスたちが寝泊りしている場所を見ていないと思い至る。話に聞くと剣の指導をしてもらっているとかで、充実した毎日を送れているようだ。
「剣…か」
 カタリナがドレスから抜き取った、あのナイフを手に取ってまじまじと見てみる。
 随分と細いもので、ナイフというよりはカミソリに近いかもしれない。鍔はなく、刃から柄まで同じ幅で、握る部分は棒のように丸いのではなく、楕円の筒のようになっていてとても握りやすい作りだ。刃の長さと柄の長さが大体同じくらい。
「これってちゃんとした武器なのかしら」
 そう思えるほどほっそりと華奢な印象である。
 刃は鏡のように研磨されているため自分の瞳が映りこむ。父譲りの薄い茶色の瞳で、これだけは姉兄と同じ色だ。
 ふとあの緑色の瞳を思い出す。
 似ていると思った。
 しかし、確信が持てない。
「見つけて欲しいってどういう意味だったの?」
 見つけたと言えばいいのだろうか? それで何が変わるのだろう?
 言ったところでスノーリルは"白異"だ。王子であるなら素直には飛び込めない。
 そっと右目に触れてみた。
「貴方は誰? わからなかったらどうするの?」
 問いに返る答えはなく。
 吐き出した息と同じように、ただそこに漂うだけだった。
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