王城の一角にある庭園の開園式はいつになく賑やかだった。
それというのも今回は二人の皇太子妃候補がいるせいだ。
「クラウド王子は出席なさるのか?」
「いいや、王子は多忙だとかでいらっしゃらないそうだ」
「あの方も少しはお休みになったほうがよろしいのに」
「仕方ありませんわ。皇太子殿下は仕事の鬼だという噂ですから」
王侯貴族が入り混じっての会場は初めてのスノーリルは、設けられた席に座りその様子を眺めていた。
当然、彼女に話しかけてくる人物はいない。皆一様に視線を投げはするが、近くの人となにやら囁きあうばかりだ。ある意味いつもの光景で見飽きてもいるが、さすがに国が変わるとその光景もいつもより賑やかに感じる。
昼間でこれだけの騒ぎだ。夜になったら何が起きるかわかったものではない。
「夜会には出たくない」
真剣にそう思い呟いたときだ。隣から静かな声がかかる。
「スノーリル様。エストラーダ姫です」
件の美女が現れると会場は一斉にどよめいた。賛辞であり、羨望であり、憧憬だ。スノーリルの時とまったくの逆の感情が注がれる。
蜜色の髪を背に流し、翡翠色のドレスは深い色の上に透けるほどの薄布が覆い、動くたびに見事な光沢を放つ。その薄布はミストローグ国の特産として有名だ。
いつ見ても圧倒的な美女はすぐにスノーリルを見つけてやってくる。
普段これでもかとくっついている侍女がいないのは王家の招待だからだろうか。控えめに筆頭補佐であるレイファが後ろにいるだけだ。
今日は庭園の開園式ということもあってか、いつもより華やかなドレスを纏っている。そう、いうなれば、童話に出てくる妖精の姫のような作りで、周りの貴婦人たちの視線を一身に集めている。
「なぜかしら。今日は諸悪の根源に見えるわ」
スノーリルの呟きにカタリナが薄く苦笑した。その表情を見てエストラーダは方眉を上げたが、すぐにいつもの表情に戻る。
「御機嫌よう。お隣、よろしいかしら?」
極上の笑顔で挨拶をされ、スノーリルは頷いた。
「御機嫌よう。どうぞ。私の隣でよければ」
本当はエストラーダの席は全く違う所に設けられている。入り口に案内の侍従がいたのだが、それを完全に無視してスノーリルの隣に腰を下ろした。おそらく誰も座らないだろう席なので、エストラーダが座っても差し支えないはずだ。しかし、侍従は毅然とエストラーダの前に立ち一礼する。
「エストラーダ姫。貴女様の席はあちらになります」
「あら。決まっているの?」
「はい」
当然知っているだろうに知らなかったように尋ねるエストラーダに対し、侍従はどこまでも静かに頷いた。
「では、こちらに移していただける?」
「失礼ながら、隣国であり第一位の王女である姫が末席に座ることは、我が国にとっても大変重要な意味を持ちます。できればあちらの席に」
つまり、スノーリルのいるこの席は末席。賓客席ではあるが、ディーディラン国にとってはどうでもよい地位の国であるという、無言の意味を持つ席なのだ。だから、他に誰も座らない。
案内の侍従はきっぱりとエストラーダは重要人物であると告げたに等しく、同時にスノーリルは重要ではないと言ったも同然だ。これほど強い態度に出る侍従もいないだろう。
エストラーダも少し眉を寄せ、目の前に立つ煉瓦色の髪を持つ侍従を見つめた。その視線に微かだが苛立ちが見える。
「エストラーダ様。どうぞ、ご自分のお席にお座りください。侍女殿も困っておいでですよ」
睨みあう二人の間に入ってスノーリルが進言すると、エストラーダは不満そうに、侍従は少し驚いたように見た。その二人の態度の違いに思わずにっこり微笑んでしまう。
「お気遣いありがとうございます。お連れしてください」
エストラーダと侍従に声をかけると、侍従がエストラーダに手を差し出す。それを無視して立ち上がり、一つため息をついて去って行った。
「いいのですか?」
「彼女は他に見るべきものがあるわ」
その返事にカタリナはスノーリルの顔が見える位置に移った。自然、見上げてきたスノーリルに視線だけで問う。その視線にスノーリルは悪戯っぽく笑い返した。
「何か聞いているんでしょう? しっかりね」
何か起きるかもしれない。いや、起きると断言したエストラーダ。その人を遠ざけたのは無意識であるようだが、実はちゃんと知っているようだ。
カタリナも微笑んで頷いた。
そんなやりとりがあり、開園式が始まるとスノーリルの席は本当に末席であるとわかる。誰かが庭園について何かを話しているが声がするだけで内容はまったく聞こえない。姿も目の前にある日傘群が邪魔してちらりとしか見えない。
特に興味もないのでいいのだが、あくびを噛み殺すのに苦労した。
長い話が終わると皆一斉に立ち上がり、それぞれ庭園を観賞し始めた。
「ご覧になりますか?」
「そうね、一応一回りはしないとダメよね」
一応庭園の開園式なのだ。観賞もせずに座りっぱなしでは後で何を言われることやら。仕方なく立ち上がると、見たことのある顔があった。
「ギリガム大臣も来てたのね」
エストラーダのいる近くにその姿が見えた。
そういえば、見渡してみれば重役が何人かいることに気がつく。開園式は意外に重要な式なのか、暇なのか。ただ、皇太子妃候補がいるのだから当然といえば、当然か。
「ご一緒してもいいですか?」
そんな人間を観察していると、突然声をかけられた。一瞬自分の事だとは思わなかったため、顔だけをそちらに向ける。
立っていたのは男性。黒髪…に見える焦茶色の髪に、緑の瞳の男性だ。
瞬間、時間を忘れたようにスノーリルの動きが止まった。
ぽかんと見上げたままのスノーリルの肘をカタリナが突いて合図する。
「あ。はい。…でも…いいのですか?」
返事をしてから聞き返したのは、彼越しに見える女性たちがものすごい剣幕でこちらを睨んでいるからだ。隣に立つ従者もスノーリルには視線をよこさない。
明らかに彼は回りに好かれている男性であり、スノーリルに近づく事をよしとしていない。これもよく見る光景で、よくする質問だ。
男性はスノーリルの返答に微笑んで頷き、手を差し伸べてきた。
その手の上にそっと自分の手を乗せ歩き出すと、周りがざわざわと騒がしくなる。スノーリルは自分といることでそうなったのだと思っていたのだが、少しだけいつもと様子が違うことも感じ取っていた。
庭園内を歩いて花の名前など聞いたり聞かれたりしつつ散策する。
「姫は兄上の妻になりたいのですか?」
「は?」
ちょうど周りに人が見当たらない場所で唐突に質問され、何のことかもわからずに聞き返した。
「兄上…貴方の?」
「はい」
しっかりと頷く男性をスノーリルはじっと見つめた。
スノーリルは皇太子妃候補としてきていて、「妻」といえば「皇太子妃」と同義語である。つまり、目の前の男性は皇太子の弟であるということだ。なるほど、どおりで周りが騒がしいわけだ。一人納得して首をかしげた。
「貴方は反対ですか?」
王族はどう見ているのだろうと、何となくの質問だった。いやそもそも、そう聞いてくるということは反対なのだろうとも思ったが。しかし、スノーリルには予想外の答えが返った。
「兄などやめて、俺にしませんか?」
「え?」
近くでがさりと誰かが植え込みに突っ込んだような音がした。目を向けると彼の従者が片手で体を支え、中腰でこちらに驚愕の眼差しを向けている。
「俺は本気です。…姫君」
真剣な響きの声に視線を戻すと目の前に緑の瞳がある。
「スノー」
口を開きかけたとき、後ろからそう声がかかった。
このディーディランでスノーリルをそう呼ぶ人物は一人しかいない。スノーリルが振り返るより早く、目の前の男性が声をかけた。
「これはエストラーダ姫。トラホスの姫と仲が良いのですね」
「ええ。おかげ様で。アトラス殿はスノーリル殿をご存知でしたの?」
レイファを伴い、一度転んでいる従者に目をやり、笑顔でやってくる。
「アトラス?」
スノーリルが呟くと、エストラーダが少しだけ眉を上げた。
「あら、名乗っていないの?」
エストラーダの質問に、アトラスと呼ばれた男性は苦笑した。
「ええ。実はまだです。失礼しました、私はアトラス・ケムフェゼロ・ディーデルと申します」
スノーリルに向き直り、ようやく自己紹介をした。
「女同士積もる話もあるでしょう。私はこれで失礼します」
そういうと従者など無視しさっさと歩き出してしまった。
その後姿をぼんやり見送るスノーリルに、エストラーダが首をかしげた。従者が慌てて走っていくのを見送ってからようやく声をかける。
「スノー? 大丈夫?」
「ええ。大丈夫…」
しかし、そのまま難しい顔で考え込んでしまった。
「エストラーダ姫はあの方をご存知なのですか?」
カタリナがスノーリルの代わりに質問をすると、エストラーダは腰に手をやって頷いた。
「ええ、よく知ってるわ。クラウド王子より知ってるといってもいいわね」
「弟君だとおっしゃっていましたが」
「弟と言っても三日しか違わないのよ。クラウド王子より王位に近かった人よ」
エストラーダの説明を、何となく聞いていたスノーリルがようやく我に返ったようにエストラーダを見て眉を寄せた。
「弟なのに?」
トラホスではそんなことはありえない。しかし、大陸ではよくあることのようだ。エストラーダは長い息を吐き出して頷いた。
「ミストローグはまた違うけど、ここディーディランでは母親の地位で子供の地位が左右されるわ。クラウド王子の母君は出身こそ低いのだけれど、十二年前に正妃の座についたわ。それによって子供の順位も変わったの」
「十二年前…」
「前の正妃に御子は?」
スノーリルの呟きをしっかり聞き取りながら、カタリナはエストラーダに話を振る。
「王子がいたわ。当然その王子が第一位だったのだけれど…」
「五年前に継承権を放棄したのです」
「放棄?」
レイファの答えにスノーリルとカタリナが同時に呟く。
そんな立ち話をしていると同じく散策をしている人たちがやってきた。まさかこんな話をディーディランの貴族たちに聞かれるわけにはいかない。スノーリルたちも早々に立ち去り、初めにいた場所に戻ってきた。
「あのね、スノー…」
「おお、いらしたか。エストラーダ姫。少しよろしいかな」
ギリガム大臣が待っていたようにエストラーダに声をかけてきた。
何か言いかけたエストラーダは大臣を見ると少し厳しい表情をして、スノーリルを振り返った。
「行くわ」
「ええ。また」
笑顔で返事をすると、エストラーダが近づいてそっと囁いた。
「スノー。いい? 気をつけるのよ」
「ありがとう。でも、大丈夫です。カタリナもいるし」
「そうじゃなくて…まあ、いいわ」
スノーリルの答えに額を押さえため息を落として立ち去るその後ろを、今度はレイファが微笑して去っていく。
「なに?」
「さあ…」
振り返ればカタリナも笑いを堪えているような顔をしていた。