適度に雨が降り、太陽の光が降り注ぐ。
しかし、だからこそ庭園の手入れは怠ると、どんどん育ち大変なことになるようだ。そのため王城にある庭園はあちこちにあり、手入れをしている間は閉園することもある。
閉園するところがあるということは、別なところでは手入れが終わった場所が開園される。驚いたことに、ディーディランにはその開園式が存在するというのだ。
「それは全部の庭園でやるのですか?」
「いいえ。王城にある四つだけよ。私の滞在している間に一度あったわ」
朝早く訪問者があり出てみれば、エストラーダが一人で立っていた。驚いたマーサがカタリナを呼び、とりあえず人目についても平気な場所での会談となったのだが、場所は渡り廊下のど真ん中での立ち話だ。
「それで、スノーリル様にも出て欲しいと?」
「正式に王家から招待状が届くわ。ただ、気をつけて欲しいの。必ず何か起こるわ。何がとは具体的に言えないけど…スノーは太陽王の娘だから。ね…」
その言葉で大体のことは想像ができた。おりしも主であるスノーリルも言っていた言葉だ。
「わかりました。ご忠告ありがとうございます」
「それと、一つ聞いてもいいかしら? スノーは剣を学んではいないのよね?」
「はい」
「もしかしたら、近いうちに試合を申し込まれるかもしれないわ」
「そうですか」
あっさりとしたカタリナの返事に、エストラーダは目を瞬いた。
「大丈夫です。スノーリル様は衆目をよくご存知ですから」
泰然と構えるカタリナに、エストラーダは面白そうな顔をした。
「なるほど。今に始まったことでは……ということかしら? でも気をつけてね。女の執念って怖いんだから。それじゃあ、帰るわ」
嫣然と微笑んで目を細めるエストラーダに返答はあえてしなかった。ただこっそり口の端をあげ、頭を下げた。
◇ ◇ ◇ ◇
「いい天気ね〜」
「そうですね〜」
硝子窓越しに小さな庭園をリズと一緒に観賞していた。
小さいながらもしっかりとした庭園で、背の高い生垣が両側にあり、真正面になるにつれ徐々に背の低い生垣になる。その効果によるものなのか、小さいはずの庭園に奥行きが生まれ広く見える。
園を縁取るように白い花が咲いていて、その下に絶妙な色加減で黄色から赤、紫、青とたくさんの小花が咲き乱れている。景観はまるで天国の花畑だ。
「この庭園を作った人は女性でしょうか?」
スノーリルより年下のリズがすっかりこの庭園を気に入り、仕事が暇になるとよく見入っているのを知っている。
「あら、私は男性だと思っていたわ。だって、あの小さな花って種を散らしただけに見えるもの」
「スノーリル様は夢がないです」
スノーリルの評価にリズは唇と尖らせて抗議した。
「リズ。お仕事よ」
「あ、いけないっ。はーい! では失礼します」
パタパタと駆けていく後姿を見送り、スノーリルは大きく伸びをした。
「は〜。本当にいい天気」
ここが故郷のトラホスだったらやることはたくさんあるのだが、残念なことにここはディーディラン国。うかつに町に出るわけにもいかないし、知り合いもいない。本も読んでしまったし、縫い物はマーサやリズたちで手が足りている。
かといってどこかのお茶会にも参加したくない。
カタリナもマーサに呼ばれて出て行ったきり帰ってこない。そう、今この時間スノーリルは一人だった。
眠気を覚まそうと硝子窓を開いて風を引き入れた。ふわりと花の良い香りが届き、逆に眠りを誘うようでスノーリルは苦笑した。
「ん?」
木陰を落とす一本の立ち木に何か光るものがあった。
目を凝らすとやはり何か光っている。風に揺れるたびに太陽を反射して輝いている。
先ほどそんなものがあったかと首をかしげ、庭園に出てみたが、このままだとカタリナに怒られる気がすると思い、二、三歩進んで止まった。その直後、左手――光るものと逆側から、かさりと物音が聞こえた。
ぱっと振り返ると生垣の隙間から金髪が見えた。
「誰?」
声をかけたと同時に走り去る。
「スノーリル様?」
「ここにいるわ」
丁度カタリナが帰ってきたようだ。返事をするとすぐに庭園に現れた。
「どうかされましたか?」
「人がいた」
金髪が去ったほうを指差すと、カタリナがすぐに確認へ向かう。
その間にスノーリルは光っているものの正体を突き止めた。
「ナイフ?」
柄の部分に紐をかけ、抜き身のまま逆さ吊りになっていた。取ってみるとスノーリルの手くらいの小型のものだ。周りを見回してみるが特におかしなところはないように見える。
「スノーリル様。大丈夫ですか?」
「うん…大丈夫。ねえ、これって何?」
まさかアクセサリーでないだろうが、なぜ紐に括られて逆さ吊りになっていたのか、全く想像がつかない。何かの儀式だろうか?
カタリナに見せてみるが、首をかしげるだけだ。
「どこに?」
「ここに吊るされてたの。でも、リズと見てたときはなかったと思う」
あの金髪が置いて行ったのだろうか? だとしたら、なぜ反対側に逃げたのだろうか?
とりあえず部屋へと戻り、カタリナが庭園を注意深く見て、硝子窓を閉めた。
「以前、スノーリル様が見た夢の人物とは違うのですか?」
椅子に座ってナイフを見ているスノーリルに尋ねると、目を丸くして、少しだけ頬を染めた。
「あの人は黒髪に緑の瞳よ。金髪じゃないわ」
「そうですか」
それを聞いてカタリナは庭園の立ち木をじっと見つめて何か考え込む。その様子に少しほっとしてため息をついて、水差しから水を注いで一口飲んだ。
「思いのほか、黒髪は多いですね」
カタリナの突然の一言に、スノーリルは危うく口に含んでいた水を噴き出すところだった。けほけほとと咽るスノーリルに、にっこり微笑んで「大丈夫ですか」など聞いてくる。
「カタリナ嫌い」
顔を紅潮させ、ぷいと顔を背けてぼそりと呟く。
「私は該当する人物を見つけましたよ」
「ええ!! 本当!?」
音をたてて勢いよく立ち上がるとカタリナが苦笑した。
「はい。昨日の観劇にいらした方の中に」
「…たくさん、いたわね」
それを聞いてストンと腰を下ろす。
カタリナの言うとおり、ここディーディランでは黒髪は多いほうである。
「探す気はないのですか?」
「そんなことは、ないけど…」
スノーリルが諦めかけている理由。催し物には必ず黒髪が数人いるのだ。遠目にそう見えるものを含めればもっといる。片端から声をかけるのは立場上、中々できるものではないため、瞳の色の確認もできない。
「せめてお名前がわかっていればいいのですけどね」
何か手がかりがあればいいのだが、十二年前に年に一度開かれるトラホスの式典に参加した人物、などというものは全く役に立たない。
「あれが夢で、ディーディランにいなかったらどうしよう」
せっかく会えたと思ったのに、まるで全部夢だったのではと思うほど、変化のない日常を送っている。
そもそも会いにくると言ってはいたが、まさかあんな出会いを言っているのではないだろうなと、少しだけ腹も立ってきている。寝ぼけていたため顔もろくに見なかったし、覚えていないのだ。小さい頃の顔は覚えてはいるが、十二年も経っている。彼も今では立派な大人だ。
しかも、その人はスノーリルが寝ている場に現れたのだ。
「不審者としてカタリナに殺されそう」
自分の思考に没頭しているスノーリルの洩らした言葉に、カタリナは口元を押さえて笑った。
「笑い事じゃないんだから!」
今さっきのことを考えると、それもありえるかもしれないと真面目に考えてしまうではないか。
「そうですね。笑い事ではありません。スノーリル様を殺すほど度胸のある方はいないと思いますが、それでも用心してください」
スノーリル以上に真剣に告げるカタリナに、スノーリルは気を取り直して頷いた。
「わかったわ。丁度いいから、これもらいましょう」
回収したナイフは、女性が携帯するには丁度いい大きさである。
「鞘を作りますね」
そう言って立ち上がったカタリナに、そういえばと思い出したように尋ねた。
「どこに行ってたの?」
食事が終わると同時にどこかへ行ったのだが、それ自体はそれほど珍しいことでもない。しかし、マーサの様子が少し変だったのだ。
「エストラーダ様からの呼び出しがありまして。今後の注意点をいくつか教えていただきました」
にっこり微笑んでいうカタリナにスノーリルはしばらく沈黙した。
なるほど、それでマーサの様子がおかしかったのか。エストラーダの使いがくることはあるが、それがカタリナを指名したとなれば何かおかしいと思う。そう思うのは何もマーサだけでない。
「何か隠してるわね」
「はい。私は執事ですから」
「はいはい」
こういう時のカタリナは何を聞いてもはぐらかされる。それに、本当に大切なことは話してくれるし、こちらから核心を聞けば大概のことは教えてくれる。あえてカタリナが話さないということは、知らなくてもよい事ということだ。
それは長い年月に作られた暗黙の了解だった。
そんな日の午後。
スノーリルに一通の招待状が届けられた。
ディーディランの王家からのもので、翌日の昼前から王城の中にある庭園の開園式をするという。夜会まであるという内容だ。
「ディーディランって意外に平和なのね。私はもっと緊張感がある国だと思っていたんだけど」
スノーリルがそうもらすとマーサとリズが頷いた。
「私ももっと怖いところだと思っていました」
「庭園は見事ですし、人も優しいですわ。でもスノーリル様の悪口は許せません」
「リズ」
ついうっかりいらない事まで口を滑らせる若い侍女をマーサが叱る。
「あっ。あの、えっと」
マーサのお叱りに、しまったとしどろもどろに視線を彷徨わせ、顔を真っ赤にしてうつむいた。そんなリズに笑いかける。
「いいのよ。わかってるから。でもよかった、そのせいでリズとマーサがいじめられたりしないかと思ってたから」
「大丈夫ですよ。私たちは何を言われても平気ですから」
「そうです。スノーリル様はとってもステキな姫様なんですから」
「ありがとう。でも、本当に気をつけてね」
ディーディランに行くとなったとき、スノーリル付きの侍女はほとんど置いてきた。本当はカタリナだけでいいと言ったのだが、この二人は付いてくると強く主張し、本当にくっついてきてしまった。
ディーディラン国は今表面上は平和を保っている。しかし、戦争の連鎖はいまだ根深くある国だ。貴族が剣を必ず所持しているのもそのせいである。
本当に平和なトラホスで生まれ育った彼女たちには全くの未知の世界。その中でも明るさを失わずにいてくれるのは、スノーリルにとって心の支えにもなっているし、カタリナがいないときは、やはりいてくれて助かったと思っている。
「ところでスノーリル様。夜会にも出られるんですか?」
招待状を見つめながら、リズが首を傾げて尋ねた。
「そうね。できれば出たくはないけど…」
「エストラーダ姫次第ですか?」
「そんなところ。だけど…」
今その話をしにカタリナがエストラーダのいる離宮へ行ったところだ。
「用意はしておいたほうがよさそうですね」
マーサがにっこりと笑いながらの言葉に、スノーリルも重いため息を吐き出して頷いた。