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白姫への挑戦状
01
 隣で蜜色の髪をしたとびきりの美女が、ほとんど表情も唇も動かさずに少し低い声で呟いた。
「飽きてきたわ」
 その芸当を、本当に近くで見ていたスノーリルは一瞬、呆気に取られたように口をあけた。しかしすぐに今いる状況を思い出し、唇を噛んで視線を落とす。
「スノー。ドレスがしわになるわ」
 笑わないように必死でドレスを握り締めて耐えるスノーリルへ、何でもないことのようにさらりと告げられる声に、さらに笑いがこみ上げる。
「エスティ…お願い。それ以上、やめてっ」
 出会ってから実はまだ三日目でしかない。
 しかし、なぜか件の美女にとても気に入られ、頻繁にお茶会に誘われる。
 重役全員に会ったことが解禁の合図だったのか、たいした役職、階級でもない貴族が主催するお茶会やら、花見やらが次々と催される。
 スノーリルはとりあえず、あと二ヶ月と少しをこのディーディランに滞在しなければならないが、別に皇太子妃になる必要はないとわかり、それらを辞退しようと思っていた。しかし、そうも言っていられない事態が舞い込んでいる。
「侍女の中に敵がいると、嫌でもこういう芸が身につくの」
 そう、その事態というのが、隣に座る美女。ミストローグ国のエストラーダ姫の侍女が原因である。
 エストラーダはどうしても皇太子妃につくわけにはいかないのだが、侍女の中に是が非でもその座に付かせたい人間がいるという。そして、それは好意からくるものではなく、つまりはエストラーダが国に帰ることを良しとしない人物の息がかかった間者であるということだ。
 それが何故スノーリルと関係があるかといえば、立場が同じであるスノーリルが皇太子妃につく意思がないとわかれば、侍女たちが一気に動き出す可能性があり、またスノーリルを受け入れたくはないディーディランもそれに賛同して動くことを恐れてのことだ。
 エストラーダが出る催し物にスノーリルが出ないとなると、目下の敵にいいように事を運ばれかねない。それを阻止するために、協力して欲しいとの要請に応じているのだが、それも結構大変である。
 今回の催し物は観劇であるのだが、恋愛をテーマにしたものだ。敵対関係にある貴族の物語で、両家の親に反対されるもその子供たちは、親たちの企てる障害を見事に乗り越え結婚し、両家もそれによりしがらみがなくなり、幸せになるという、なんとも時節にあったお話だ。
 しかし、この観劇。実際のところ誰も見ていない。
 いくつかこういった場に出てはいるが、大方の人間はエストラーダとスノーリルを見にきているのだ。皇太子の花嫁候補である二人が、仲良く一つの日傘の中でお茶を飲んでいる姿はそれだけでも目を引く。世間の目には二人の姫が皇太子妃の座につくべく、牽制しあっているようにしか見えない。
「ところでスノーリル殿は昼食会にはいらっしゃるの?」
「え?」
 にっこり極上の笑みで普通に話をするエストラーダに、スノーリルは首をかしげる。
「いいえ。そんな誘いはありませんので、下がらせていただきます」
「あら。"ガウィ"ジェイソン殿はスノーリル殿をお誘いにはならなかったの?」
 エストラーダは後ろに控えるカタリナに声をかけた。
 その声は当然周りの貴族にも聞こえている。カタリナが答える前に、主催者のジェイソンが慌てた様子で割って入った。
「いいえ、お誘いしていなかったわけではなく、この観劇が終わってから尋ねようと考えていただけです。なにぶんトラホスは遠いですし、スノーリル姫もお疲れでしょうから」
 確かに、トラホスは遠く、ディーディランにきてからも疲れることばかりが続いていて、そろそろゆっくり休みたいと思ってもいる。
 エストラーダはスノーリルが着く数ヶ月前から、このディーディランに滞在していると聞いている。隣国ということもあるが、早く帰りたいエストラーダにしてみれば相当な足止めを食らっているといえる。強行で国に帰ることも考えたようだが、そこは国交に問題が生じると判断し、断念したようだ。
 どうしても、あと二ヶ月ここに滞在しなければならないスノーリルと全くの逆の立場にいるといっていい。
「あら、それは私は疲れていないということかしら?」
「いいえ、あの、お疲れでしたら、無理にとは」
 ジェイソンはあまり高い地位にいない貴族だ。そのため王族のエストラーダには強く言えないのだろう。しどろもどろになりながら、後ろにいるレイファに視線を送り助けを求めている。
 内心可哀相だなと思いつつも、できれば気疲れの増す昼食会など出たくないスノーリルは、視線を観劇に向け知らぬふりをした。
 それが機嫌をそこねたように見え、ジェイソンはますます青くなり、額に汗が光っている。ますます気の毒であるが、エストラーダも容赦がない。
「そうですか。では、私も下がらせていただきます。どんなにおいしいお料理も一緒に食べる相手の顔にもよりますので」
 にっこりと極上の笑顔ですっぱりと切り捨てられたジェイソンは、笑顔を引きつらせて下がっていった。
「お気の毒に」
「いいのですか?」
「あの男は姫に用があるのではありません。その後ろになるかもしれないディーディラン王家をもてなしているのです」
 後ろに控える二人の女性の話を聞いて、エストラーダがわずかに頷いた。
「そういうこと。あの男に誘われるのは五度目なの」
「私は口実ですか」
 昼食会辞退の口実に使われたのだとやっと気がついた。スノーリルを昼食会に誘っていないことを見越して、エストラーダはスノーリルをこの観劇に参加して欲しいと言ってきたのだ。
 スノーリルの指摘にエストラーダは花開くように微笑んだ。
 どんな表情をしても綺麗な人だなと本当に思う。自然とこちらも微笑んでしまうのは見ていて感銘を受けるからだろうか。
「ところで、スノー。貴女気がついてる?」
 愛称で呼んで欲しいとエストラーダから言われ、それではこちらもと今日から愛称で呼び合っているが、完全に公私を区別して呼んでいる。
「何にですか?」
「視線よ」
「視線?」
 声を潜めて告げられる言葉にスノーリルは首をかしげ、カタリナを見た。
「二日前からあります」
「二日? そろそろ動きそう?」
「そうですね、おそらく近日中には動くと思います」
 このやり取りにエストラーダがかけている椅子の肘掛をコツコツと叩く。
「スノーはそういうのには気がつかないのね。トラホスの女性は剣はしないって聞いたけど、それでも少し鈍いわ。でも…カタリナは間違いなく剣士ね」
 最初の挨拶からわかっていただろうなと、スノーリルも感じていたが、確信を持って呟かれる。いつもは上品で優雅な女性のカタリナであるが、その実、スノーリルの護衛でもある。
「私がそれに気がついたのは、カタリナがきて三年経ってからだったわ」
 少しだけ渋い顔をして呟くスノーリルに、エストラーダは顔半分を扇で隠した。
「私、貴女のそのちょっと鈍いところが好きだわ」
 少しの緊張と別の意味で楽しい観劇が終わると、二人はさっさとその場を離れた。
「今日はありがとう、スノー。おかげで午後はゆっくり過ごせるわ」
 本気かどうかはわからないが、それでもどうでもいい昼食会に出るよりはよほどいいのだろう。晴れやかに微笑んで礼を告げ、これでもかというほどの侍女を伴い去っていた。
 

◇ ◇ ◇ ◇

 
「エストラーダ様は強いの?」
 離宮に戻り、お昼の用意をしているマーサとリズを見ながら、ふと尋ねてみた。
 着替えを手伝っていたカタリナが少しだけ考える風にしてから、頷いた。
「そうですね。エストラーダ姫もお強いと思います」
 脱いだドレスをしまいながらの台詞にスノーリルは首をかしげる。
「も?」
「レイファ殿は強いです」
 断言して振り返って見せた淡く赤い灰色の瞳は剣士の目をしていた。
 赤毛の麗人は今日も静かにエストラーダの後ろに控えていた。そういえば、紹介は侍女ではなく筆頭補佐と言っていた。つまり、ただの人ではない。
「エストラーダ様には王位継承権がないのかしら?」
「さあ。でも、その問題に絡んでここにいらっしゃるのでしょうね」
 それだけは間違いない。
「スノーリル様。お食事の用意ができました」
「ありがとう、リズ。今行くわ」
 返事をして髪を一纏めにする。
「今は人のことよりも自分のことだわ。何か嫌な予感がする」
 カタリナは、視線は二日前からあると言っていた。つまり、エストラーダの茶会の次の日からだ。その日からエストラーダに誘われあちこちの催しものに参加している。おそらくエストラーダはその時から気がついていたのだ。それなのに忠告してきたのは今日。
「そうですねぇ。難儀な事です」
 カタリナの困ったような声に笑って頷いた。
「仕方ないわ。私は白異だもの」
「今回はそれだけではないと思いますよ」
 カタリナの真剣な声にスノーリルも頷いた。
「そうね。今回は立場が違いすぎるわ」
 トラホスにいるときは忌み子だからという単純な理由からだったが、ここではそれに加え複雑な位置に立っている。
 ディーディラン国皇太子の花嫁候補。トラホスの太陽王の愛娘。
「私の強みは"白姫"であることね」
 音に聞こえたトラホスの姫である。普通の人間は好んで寄ってはこない。それにより大雑把な敵味方の選別ができているようなものだ。それに加え、白は神の色。そう信じている者が大半だ。
「ですが、油断はしないでくださいね」
「わかってる。父上も言ってるもの。人の感情は神にも勝るって。さあ、お腹が減ったわ、食べましょう」
 これから何が起こるにしても、今できることは何もない。
 カタリナもそれに続き、賑やかで平和な食卓を囲んだ。
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