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神様の贈り物
04
 しばらく走り、息を整え後ろを振り返るが、誰も追いかけてこない。
「はぁ。どうしよう」
 窓から太陽を見上げると中天を指しそうだ。お昼になれば絶対にお迎えが来るはずだ。あるいはあの会場にいる子供たちだけで昼食を食べるだろう。大人たちが話をしているときは大概そうだ。
 どうあってもスノーリルは戻らなければならないし、それはシャイマたちも同じであるはずだ。しかし、会場からどんどん遠のいている気がして、お昼に戻れるのか本気で心配になってきた。こういうときに限って暇な大人に会わないものだ。
 侍従や侍女には会ったのだが、事情を話せば「仲が良いですね」とか、「友達がおできになったのですか」とか訳のわからないことを言われ相手にされない。
「うう。会場に連れて行って欲しいよ〜」
 あるいは王妃にこういうことで戻れませんと伝えて欲しい。
 一度諦めて自室へ戻ろうとしたのだが、廊下を守る衛兵に「陛下の命令で午前中は入れるなといわれている」と言われた。あの衛兵は例えスノーリルが泣いても、絶対に動揺しない大人であると知っている。
「カタリナもいないし」
 廊下の明り取りの窓枠に手をかけ、空を見上げて唸っても何も解決しない。
 そもそもどうしてあんな行動をとったのか自分でもわからない。シャイマに言われるのはいつもの事だ。聞き流すこともここ最近できるようになっていたというのに、自分でも信じられない暴挙に出た。
「だって、シャイマが悪いのよ。髪に触ろうとするから、だから…」
 誰にともなくした言い訳に、はっと気がつく。
 そうか、だからかと納得した。
 今は一番触って欲しくないのだ。ああいう自分勝手で興味本位な手に。
 短い髪に自分で触れてみる。
「髪は髪よ。みんな同じ」
 ぽつりと呟きカタリナの言葉を思い出す。
 そうなのだ。結局何も変わらない。ただ白い、それだけなのだ。
 でも、だからといって触らせたいわけでもない。
「同じだけどさ、触ってみたいんだよ」
 驚いて声のしたほうへ目を向けるが誰もいない。
「?」
「スノーリルっていい名前だと思うけどな」
 ちょうど死角になるやや後ろ、それも下にその声の主はいた。
「きゃあ!」
「ああ。待って。逃げないで」
 確認した瞬間、スノーリルは走り出した。その後ろから慌てたように声がかかるが、気にしてなどいられない。
「話がしたいだけだから」
「あっち行って!」
 必死で走りながら今見た少年を思い返す。
 見たことのない少年だ。黒い髪に緑の瞳。一瞬でしかないが、それだけが印象にある。
 どこをどう走ったのか、気がついたら会場の近くだ。
「あ! 姫様がきたです」
 少女が会場の中に声をかけた。それに、スノーリルが反射的に回れ右をすると、もうひとつ声がかかる。
「大丈夫だから、待って! お願い、戻ってきてください」
 その声に速度を緩めて振り返ると、栗色の髪に黄色いリボンをした少女が少し息を整えていた。
 スノーリルが止まったのを見るとにっこり微笑んで自己紹介する。
「よかった…初めまして。私は、ロントレル・ロイジャーの娘で、クレアって言います」
 口にされた名前に覚えがあり、怪訝そうに尋ねる。
「…ロイジャー大臣の?」
「はい。今まであのシャイマに邪魔されてて…ああ、それより会場へ急ぎましょう。王妃様がいらしてるの」
「母上が?」
 遅かったかと青くなったのをクレアは見なかったのか、にっこり微笑んで力強く頷いた。
「はい」
 クレアはスノーリルより少し年上のようだ。ちょっとだけ高い位置にある目を見上げると手を差し出された。その手をじっと見つめると、クレアはゆっくりその手を下ろした。
「ごめんなさい」
「え?」
「早く行きましょう」
 それだけを言うとクレアは先を歩いた。
 その後を黙ってついて歩いたスノーリルは何か悪い事をしたような、居たたまれない気分で目の前で揺れる栗色の髪を見つめた。
 会場の中に入ると数人の大人がいた。シャイマたちはその大人たちがいるせいでどうやら動けないようである。
「姫様お帰りなさ〜い!」
 そう言って突進してきたのは会場の前にいた少女だ。
 抱きついた少女をどうしていいのかわからず固まるスノーリルに、助け舟を出してくれたのはやはりクレアだ。
「アネット。まずはご挨拶よ」
「はい! 私はハイネアネット・ガッセです。姫様はスノーリル・レシェフォンです。お姉様はクレスティア・ロイジャーです〜」
 赤い巻き毛の少女はそれだけ言うともう一度ぎゅっと抱きついてくる。
 ぽかんとするしかないスノーリルと、苦虫を噛み潰したようなクレア。そして、一人ご満悦で微笑んでいるアネット。そんな三人を遠く王妃が見守っていた。
 
 
「本当に、シャイマったら意地悪でね…」
 昼食は数人の大人とともに取ることになって、適当に大きなテーブルについて始まった。スノーリルは両隣をクレアとアネットが占領し、二人の会話、ならぬ愚痴を聞きながらの食事となった。
 ここまでの話を聞くと、どうやらこういうことらしい。
 大臣の息子、シャイマはその地位を利用し――クレアの話では――他の貴族の子供たちを、スノーリルに会わせないよう仕向けていたらしい。
 同じく大臣の娘のクレアは何度もシャイマに抗議したらしいが、年齢の問題か、いつもやりこめられていたのだそうだ。
「だから、今回姫様が式典に出るって聞いて、私嬉しかったんです。他のには私たちは出られないでしょう? やっと会えると思っていたのに、またシャイマのやつが……」
 聞いていて、そういえば子供が会場にいるような式典には出た事がないことにきがついた。いつも見たことのある大臣や貴族しかいないため、小さいころから顔を合わせているので彼らが髪について何かを言うことはない。
「私も姫様にお会いしたかったです!」
 力強く言うのはアネットだ。彼女はどうやらトラホスの人間ではないようだ。
「だって白は神様の色ですよ! お父様が綺麗だって言ってたのです!」
 アネットは出会ってから少々興奮気味である。声が大きくて同じテーブルにいる子供たちの視線を集めるが、意外に無関心に視線を逸らす。
 しばらくは不思議に思っていたが、実はいじめてくるのは極一部…シャイマについている少年たちだけのようであることがわかった。
 仲良く食事をし終えると、大人たちが子供を迎えに来た。
 クレアの父、ロイジャー大臣は知っている人なので、さして驚きもしなかったが、アネットの両親を見てスノーリルは目を瞬いた。
「アネットだけ赤い色なんですって」
 両親が現れ、真っ先に走っていったアネットの後姿を見つめていたことに気がついたクレアが説明してくれる。
「いつもは私と同じ年の姉が来るんですけど、彼女もご両親と同じで金髪なんです。だからアネットを見たときに驚きました。今回はアネットが、姫様にどうしても会いたくてついてきたんですって」
「私に?」
 今まで会いたくないと言われることのほうが圧倒的に多かったので、会いたいという人がいるとは思わなかった。
 驚いて目を丸くしていると、クレアがくすくすと笑う。
「アネットにとって姫様は"奇跡のお姫様"なんですって。姫様が来る前、ずっとその話をしていました」
「ひーめーさーまー! 明日も会いにきますですー!!」
 どうやら今日はもう引き取るようでアネットが両親の元から、それはそれは大音量で声をかけてきた。大きく手を振っているので、スノーリルもつられるように手を振り返すと、いっそう微笑んで手の振りも大きくなる。
 金髪の両親の間に生まれた赤毛のアネット。
「私と一緒」
 ぽつりとこぼれた声に、クレアは頷いた。
「だからいつもご両親に姫様の話をされていたようですよ」
 隣にいるクレアを見ると彼女は思いのほか真剣にスノーリルを見ていた。
「姫様の髪はただ白いだけです。アネットの髪が赤いのと一緒。もっと言えば、私の髪が栗色なのと同じです。シャイマの言うことなんか気にしないでください」
 シャイマの父上なんか髪が無いんですから――。近づいてこっそり耳打ちするクレアの指摘に思わず吹き出した。
 二人でくすくす笑っているとロイジャー大臣が近づいてきた。
「楽しそうですな」
「お願い、父上。もう少しだけ」
「残念だが時間は守らないとダメだ。明日もある。スノーリル様はいなくなったりしないから大丈夫だ」
 同じ栗色の髪をした大臣に諭され、クレアは不満そうだったが、やがて諦めたようだ。
「姫様。明日もお会いしましょうね」
 真剣に言うクレアに、スノーリルは頷いた。
「ああ、よかった。では父上、行きましょう」
 安心したように胸に手を当てて微笑むと、今度は父親を促した。
 娘のそんな行動に大臣は苦笑し、スノーリルに目礼してクレアを連れて行った。なんだか信じられず、呆然とその姿を見送ると名を呼ばれた。
「スノー」
 その声がシャイマであるとわかったが、視線をそちらに向けることはしなかった。
「明日もくるのか?」
「うるさい」
 静かにそういうとスノーリルは王妃のところへと足を向けた。
 まだ遠くにいる王妃が優しく微笑んでいるのを見て、今日なぜこんなところへ放りこまれたのかわかった気がした。
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