ぱたぱたと歩く音に目が覚めたが、そのままもぞもぞと寝具の中で丸まってしまう。
「スノーリル様。起きて下さい」
「んー…」
朝なのはわかるがまだ眠い。昨日はなんだか酷く疲れた。やっぱり式など出るべきではなかったのだ。
そこまで思いぱちりと目を開け、寝具から顔を出す。
「お目覚めですか? 着替えたら髪を整えましょう」
「カタリナ?」
呼びかけににっこり微笑むのは間違いなくカタリナだ、しかしいつもと違う。
「髪……」
どうしたのかと聞こうとして、思い出す。
そうだ、夕べ切ったのだ。腰まであった真直ぐで綺麗な亜麻色の髪を。
「どうしました?」
肩で切りそろえた髪を揺らし、不思議そうに尋ねるカタリナに、どう声をかけようかと視線を彷徨わせる。
「この髪型は似合いませんか?」
そんな質問に思わず頭を横にぶんぶんと振った。
「そうですか。よかった。スノーリル様もその頭を何とかしないといけません」
「私?」
頭と言われ手で触る。撫でる感触がいつもと違う。何か不揃いな感じだ。
「あ…」
そうだ。自分で切ったのだと思い出し、そして青くなった。
「あの、カタリナ…」
「はい?」
仕事の手を止めスノーリルの寝台の側で膝をつき視線を合わせる。
「は、母上は知ってる?」
気まずそうに尋ねるスノーリルに、カタリナは満面の笑みで答えた。
「はい。知ってますよ。それはそれは激怒しておられました」
「あうぅ」
知らないはずがないが、それでも頭を抱えて唸ってしまうくらいには、知られたくなかった。
「それに女官長も怒っていましたよ」
ダメ押しに言われスノーリルは寝具に身を包んで隠れた。
「ですから、早くなんとかしないと。そのままだとさらに怒られますよ」
そういえばいつもいる女官長が今朝はいない。他の侍女もいないようだった。
不思議に思い、顔を出すとカタリナはすでにそこにいなかった。仕方がないので寝台から降りていつもの定位置につく。
スノーリルの全身を映し出す大きな鏡の中に、ざんばら髪の自分の姿が映った。確かにこれは酷い。
一人で鏡の前で唸っているとカタリナがやってきた。
「座ってください。切りそろえたら男の子と変わらなくなりますね」
椅子に座らせ、髪を梳きながらカタリナも唸る。
本来なら背中の中ほどまであってもおかしくないのであるが、以前結った場所からぶっつりと切ってしまったため、肩の長さだったのだ。それを夕べさらに切ったことで、もうどうにもならないくらい短い。
それでもなんとか見れるくらいには切りそろえてくれた。
「こうして見ると王子に似てますね」
兄は父似である。ということは、スノーリルも父に似ているのだろうか?
「もう切ってはだめですよ」
随分と軽くなった髪に触れているとカタリナが道具をしまいながら言う。
それに頷くだけで答えると、ふわりと頭を撫でてくれた。
「さあ、朝食にしましょう」
振り返るとなんでもないような笑顔が返ってくる。
「…うん」
無意識に撫でられた髪に触って頷いた。
朝食が終わると、心配した姉が覗きにきてくれた。
「スノー。母上が怒っていたわよ」
「カタリナに聞いた」
スノーリルの短い髪を見て泣きそうになる姉に、どうも罰が悪かった。
「姉上。髪はまた伸びるから」
そんなに悲しそうにしないで欲しいと訴えたところ。眉をピクリと動かした。
「スノー。私を気遣うのなら、もう、二度と! こんなことしないでちょうだい!」
低い声で始まり、最後は怒鳴られた。
「うぅ。ごめんなさい」
「謝ればいいって問題じゃないのよ!」
その後、散々姉に説教をされ、続いて女官長、侍女たちとなり、最後に母である王妃が登場した。
「さて、スノー。お前に罰を与えます」
いつも厳しい母は厳然と立ったまま、スノーリルを見下ろして言った。
「今日はちゃんと皆さんに挨拶をすること。いいわね?」
「え?」
「服はそのままでいいわ。朝食は終わったのね?」
カタリナが頷くと、王妃も頷きスノーリルの手を取った。
「行くわよ」
「母上!?」
どうしよう、どうしよう。
頭の中が真っ白になって何も考えられない。
ずんずん進む母の手は決して離してはくれないだろう。引っ張られるようにトコトコ歩き、昨日逃げ出した会場の入り口で一度止まる。
「いい? スノー。貴女は良い人と、悪い人を見分ける力をつけなくてはダメよ。貴女を傷つける人の言葉など聞かなくていいけれど、そうじゃない人たちを同じように見るのは彼らに失礼だわ」
母の言っている意味は理解できる。しかし、その判断が自分にできるとはとても思えないし、自分を傷つけない人などいるのだろうか?
下を向いて返事もしないでいると、母である王妃が握っている手に力を込めた。それに促されるように見上げると、真直ぐ会場の扉を見つめていた目をこちらに向ける。
「スノーリル。自分を守るために戦うことは悪いことじゃないわ」
心の準備もできないまま、王妃は無情にも扉を開けた。
「さあ、みんな。この子も混ぜてあげて」
そこにいたのは始めて見たときにいた大人たちではなく、全員子供だった。
「さあ、あいさつして」
「えっと、スノーリルです」
訳がわからずとりあえず習ったとおり、膝を折って自己紹介をする。
「知っている子もいるわね。じゃあ仲良く遊ぶのよ。シャイマ、スノーをよろしくね」
「はい。わかりました」
シャイマと呼ばれた少年がいい返事をすると、王妃はスノーリルの頭を一撫でして会場を後にした。
ざわざわと会場内にいる子供たちがなにやら囁きあっている。
どうしていいのかわからずその場にぽかんと突っ立ったまま、そんな子供たちを見ていたら、初めて見る子が多いことに気がつく。
「あれがトラホスの王女様?」
「うん。王女様よ…多分」
同年くらいの女の子たちが妙な目で見る。そこで初めて自分の髪の事情に気がついた。恥ずかしくてうつむいていると、シャイマが大きな声で子供たちに説明し始める。
「あの子がトラホスの"白姫"だよ。名前のスノーは白っていう意味なんだ。わかりやすくていいだろう。白は神様からの贈り物なんだってさ。だからあのお姫様の近くには寄らないほうがいいぜ」
シャイマの言葉に赤毛の少女が目を丸くして尋ねる。
「どうして?」
「知らないのか? 白はトラホスでは不吉な色なんだ。死神の色なんだぜ」
「それなら知ってる。死を運ぶ色だって」
「やだ。怖い」
「あの子もそうなの?」
「だから王妃様もすぐいなくなっただろう?」
その言葉でどよどよと不安と恐怖が広がる。
スノーリルの母親ですらすぐに側を離れたという事実があるだけに、シャイマの言葉が本当に思えたのだ。
会場にいる子供たちの年齢はバラバラであるが、一番年長がおそらくシャイマだろう。シャイマは今年で加冠の年齢、つまりスノーリルより六つ年上である。年長の言うことに反論するような子供はいない。特に女の子と小さな子はスノーリルから遠ざかった。
その様子を満足そうに見て、シャイマはスノーリルに向き直る。
「スノー。その髪どうしたんだよ」
言いながらスノーリルに近づく。するといつも彼の周りにいる少年たちも出てきてはやし立てる。
「昨日、挨拶もしないで逃げたんだ。それで神様に切られちゃったんだよ」
「そういえば、スノーの髪、どんどん短くなってるな」
「ねえ、止めようよ。怖いよ」
「大丈夫だって。大人は怖がってるけど、スノーなんか怖くないさ。いつも逃げるし、泣き出すし……スノー。ちょっとその髪触らせろよ」
シャイマは大臣の子で、スノーリルとは兄弟ぐるみで遊ぶことのある少年だ。
他の子が怖がる中、スノーリルに近づき、その髪を触ることで優越感に浸りたいのだ。そして何度か触った事もあり、姉兄を知っている分気安かったのだろう、シャイマは何の配慮もなくスノーリルの髪に触れようとする。
しかし、その行為は途中で払われることになった。
他でもない、スノーリルの手によって。
「なんだよ」
「触らないで」
思い切り叩かれた手をさすりながら尋ねると、思いも寄らないほど強く睨まれ、さらに拒否を口にされた。
今まで一度たりとも抵抗をされた覚えのないシャイマは一瞬、ぽかんとスノーリルを見た。何を言われたのか把握できず止まったシャイマに、隣にいた少年が声をかけた。
「なんだよ、シャイマ。スノーが怖いのか?」
「違う! スノーなんか怖くない!」
からかわれ顔を真っ赤にして怒鳴ると、再びスノーリルの髪に触ろうとする。
その手をまた払われ、睨まれる。
「こいつ! スノーのくせにっ!」
「うるさい! あっち行って!! 私に触らないで!!」
最初の声の数倍の音量で命令した。
その怒声に会場内が静まり返り、時が止まったように誰一人動かなかった。
しかし、くすくすと笑う声でシャイマが我に返る。
後ろを振り返れば何人かが笑っていた。それは間違いなく、シャイマを笑っている。小さな女の子に抵抗され、怒られ、その声でしり込みしたのだ。あれだけ得意げだったシャイマも実は大したことないではないかと。
矜持を傷つけられたのか、シャイマは真っ赤になってスノーリルの服に手をかけた。襟元をつかんで引き寄せる。
六つも下のスノーリルは当然怖がるだろうと思ったのだが、的が大きく外れたことに気がついたのは、耐え難い激痛が走り、スノーリルのドレスの裾がその場を去るのを見届けてからだった。
いつも先頭に立って攻撃してくるシャイマをやっつけた後、スノーリルはあっという間に人気者になっていた。
良い意味ではなく。
「スノーは?」
「こっちにはいないよ」
「そろそろ止めたほうがいいよ。大人たちにバレたら大変だよ」
あれから追いかけっこが始まった。同時に隠れんぼも。
会場内を逃げ回るには小さなスノーリルには不利だ。知らない少女が扉を開けて外へ逃げるように言ってくれて、そのまま会場を後にした。
国外からきた子供たちは会場から出ることはしなかったが、トラホスの子供たちは当然追いかけてきた。先頭はもちろんシャイマだ。
勝手知ったる我が家で負けるはずもなく、スノーリルは無事逃げおおせていたのだが、途中から妙なことが起きている。
隠れて待ち伏せている少年が悲鳴とともに出てきて助かったり。見つかったはずなのに、途中から追いかけてくる少年がいなくなったり。
今隠れている場所も、大きな物音がして驚いて隠れた部屋だ。
このまま自室へ帰ればいいのだが、会場に戻らないと母である王妃が来たときに恐ろしく怒られそうで、スノーリルはなんとか会場へ戻る道を探していた。
シャイマたちが行ったのを確認するとスノーリルも部屋から出る。
静かに足音を立てないように廊下を歩き、角をそっと覗き込み、誰もいないことにそっと息を吐き出す。
気分はまるで泥棒だ。
「姫はいつもあいつらに追われてるの?」
「きゃあ!」
後ろから突然声をかけられ、驚いて悲鳴をあげる。
「いた! あっちだ!」
まだ近くにいたらしい少年たちがこちらに気がついたようだ。
スノーリルは条件反射のように走り出す。声をかけてきた少年のことなどすっかり頭にない。