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神様の贈り物
02
「スノー。大丈夫よ、ほら笑って」
 わかってる。
「僕たちが付いてるから、怖くないよ」
 わかってる。
 右に姉。左に兄。
 両側から励まされ心配をされるがまったく効果はない。
 すでに会場にいる両親が子供たちを呼ぶ。控えの間にいたスノーリルたちは大臣に連れられ賓客のそろう会場へ出た。
 瞬間。一斉に会場内がどよめく。
 わかってる。わかってる。
 ぎゅっと両手に力を込めると、両方からにっこりと笑顔が返るが慰めにはならない。ただただ、両親を目指し、他に視線を移すことなくスノーリルは歩いた。
 人の視線がここまで怖いものだとは思わなかった。
 直接聞こえては来ない囁きが、ここまで痛いとは知らなかった。
 できるだけ顔を伏せ、泣かないように唇を噛み締める。
 わかってる。わかってる。
 そればかりを心の中で繰り返す。
 みんな珍しいだけ。
 だって神様の色だもの。
 恥ずかしがることはない。
 でも、父上。
 怖くて、痛いときはどうしたらいいの?
 荒れ狂う嵐が過ぎ去るのを待つように、ただじっと一点を見つめ固まったスノーリルに気がついたのはどのくらいの人だっただろうか。
 姉と兄が紹介され、優雅に礼を取る中、ドレスを握り締め目の前に並ぶ人々の色とりどりの靴を睨む。
「スノーリル?」
 父がそう優しく声をかけ頭を撫でてくれる。それでようやく顔を上げると、じっとこちらを見る大人たちの顔がある。
 目を見開く青年。口元を隠す婦人。眉を寄せる紳士。数人の子供が「あれは何?」と指を指す。
 そのどれもに好意はない。
「スノー。挨拶は?」
 優しく父に促され、かろうじて頭を下げる。それが限界だった。
 出てきた控えの間を目指し逃げ出した。
 緊張なのか耳の奥がガンガンする。どうしてなのか、控えの間に入った途端に転んだ。立ち上がろうとして手に力を入れるがまったく力が入らない。
 遠くで誰かが叫ぶ声がする。
「全部、私が悪いんだもん」
 わかってる。わかってる。
 
 
「どこか痛いのですか?」
 胸の真ん中が痛いの。何もしてないのに。不思議でしょう?
 きっと神様からもらった色を嫌いだって思ったから。だから罰があたったの。
 でもね、好きになれないの。そういう時ってどうしたらいいの?
「スノーリル様…」
 スノーって白いって意味なの。知ってた?
「はい。スノーリル様に相応しい名前です」
 相応しいってなに?
「とても似合っておいでです」
 白なんて嫌い。みんなが嫌い。私も嫌い。どうして私なの? 何もしてないのに。神様は私が嫌いなのよ。だからこんな髪にしたんだ。
「そんなことありません。白が現れるのは神に愛されている証拠ですよ」
 知らない。嫌い。大っ嫌い――。
 
 
 ふと気がつくとベッドの上にいた。
 重い頭を持ち上げ部屋を見回す。まだズキズキと頭が痛い。
 どうやら医療室であるようだ。薬の入った瓶が並ぶ棚があり、水の入った桶が置いてある。
 部屋の外で誰かが話をしている声がわずかに聞こえる。
 ぼんやりと、どうしてこんなところにいるのか考え、逃げだした会場からの記憶がない。
 横になると、ぱさりと頬に白い髪がかかる。
 突然意識がはっきりとなり、その髪をわし掴む。
 がばりと起き上がり、その白を消す道具を探した。
「こんな髪。いらない」
 書類のたくさん置いてある机に刃物があった。それで見えるその白を、どんどん切り落とす。
 なんだ。簡単なことじゃないか。これで誰も自分を嫌いにならない。
「スノーリル様! 何をしているんですか!」
 快調に白を切断する中、突然腕を取られ止めさせられた。切るための道具を取り上げたのは、目を吊り上げて立っているカタリナだ。
「返して」
 せっかくいい解決方法見つけたのに、邪魔しないで欲しい。
「本気で怒りますよ」
「どうして怒るの?」
 嫌いになるならわかるのに。
 カタリナが隣に膝をついて髪を撫でた。
「髪を切っても何も変わりません。髪が長くても短くても、黒くても白くても。スノーリル様はスノーリル様なんですよ」
「嘘だ。私の髪が父上みたいに金色だったら、きっと誰も酷いこと言わないもの。みんな私を好きになってくれる……なによ、カタリナなんか嫌い! 大っ嫌い!! あっち行って!」
 カタリナは私がみんなに嫌われていてもいいんだ。だってカタリナはカタリナで、私じゃないもの。
「わかりました」
 そう言って立ち上がったカタリナの足元に何かが落ちていく。
 落ちるたびにぱさっと乾いた音が立つ。綺麗な亜麻色のそれ。歪んだ視界にはそれが何かがわからない。落ちてくるほうを見上げるとカタリナの真直ぐで綺麗な髪がばさばさと肩の辺りで切られていく。
 何をしているの?
 首をかしげてその行為が何かを認識した瞬間、叫んでいた。
「カタリナ! ダメ!!」
「どうしてですか?」
 不思議そうに尋ねてくる。この人は何を言っているんだと本気で腹が立った。
「どうしてじゃないの!! ダメよ! ダメなの! 髪を切るなんて!!」
「では、スノーリル様もやめてくれますか?」
 どうしてそこで自分が出くるのかわからない。わからないけど、そうしなければカタリナは止めないだろう。
「わかった。やめるから、だから、ダメ。ダメなの!」
「本当ですね?」
 優しく微笑むカタリナに何度も頷いて泣きついた。
「私も、スノーリル様に髪を切って欲しくないのです」
「わかった。わかったから。ごめんなさい。もうしないから…ごめんなさい」
 頭から背中をゆっくりと撫でてくれるその優しさに、カタリナに髪を切らせた罪悪感に、後から後から涙が溢れて止まらなかった。
 

◇ ◇ ◇ ◇

 
 腰に抱きついてしばらく大泣きしていたが、泣き疲れて今は腕の中で寝てしまった。
 倒れたときは驚いた。まるで糸が切れたようにぱたりと動かなくなってしまったスノーリルが、焦点の合わない瞳で呟く独白はひたすら自分を責めていた。
 胸が痛いのだと、悲しすぎて笑顔まで作らせていた。
 決して六歳の少女がする表情ではない。
 腕の中にすっぽり入る、小さな小さなスノーリルにそっと触れた。
「こんなに小さいのに…」
 本来はみんなに守られ、慈しまれ、愛される存在であるはずだ。兄弟がそうであるように。
 足元には切ってしまった白と亜麻色の髪が散乱したままだ。
「重症だわ…」
 追い詰められて自分の行動をまったく理解していなかったのだろう、叱ると何を怒っているのかときょとんとしていた。
 その心の内を見て深くため息が出る。
「これは派手にやったね」
「陛下」
 声に振り返ると、医療室の戸口に立って笑っているのはトラホスの王だ。
「まあ、カタリナ。その髪はどうしたの?」
 王妃までがやってきた医務室は途端に華やかになった。
 幼い娘の様子がおかしいと知って駆けつけたのだろう。普段あまり気にかけていない風でも実は一番甘い二人だと聞いている。
「切りました」
 事実だけを伝えると、両陛下は顔を見合わせ眠る姫を見る。
「また切ったのね。私の小さなお馬鹿さんは」
 王妃は跪いてそっと白い髪を撫でた。すると小さく呟く声が返る。
「…ごめんなさい…」
 起きているのかと思ったがそうではないようだ。
「スノーリルのせいじゃないわ」
 少しだけ悲しそうに微笑んで声をかける王妃のほうが謝っているようだった。
 誰のせいでもない。何が一番の最善かなどわからない。きっと途方に暮れているのはこの小さな姫だけではなく、周りもそうなのだ。
 女官長がまだ年若いカタリナをスノーリルに付けたのは、年が近ければ少しは懐くかもしれないと思ったからだ。
 しかし、事態はもっと深刻だ。
 スノーリルは完全な人間不信に陥っている。
 全ての元凶は自分だと思い込んでいる。
 そしてそれを解消するには血の繋がった人間ではだめなのだ。
 眠っているのに、まだ涙を流し続ける姫の髪をそっと撫でる。
「カタリナ。スノーリルをお前に預けてもいいか?」
 思いついたように聞く王に、反射的に答えた。
「はい」
 王を見上げるとそこには真剣な表情がある。どうやら今の話をしているのではないようだ。
「スノーリル様は私を好きではないようですが」
 嫌いだと何度も言われているし、逃げられることもしばしばある。
 しかし、そんな心配など王はどこ吹く風だ。口の端を上げて笑う。
「大丈夫だ。その子も現実を受け止めるだけの強さが必要だ。逃げてばかりいても何にもならん。私たちも」
「そうね。せめて回りから見られている自分というものを理解しなくては、余計なことで傷つくばかりだわ」
 王妃も頷いて手を取って真剣に見つめてきた。
「この子をお願いできる?」
 もとより断る意思も言い訳も持っていない。
「はい。この名にかけて」
 まるで騎士の誓いのような言葉に王妃は深く頷いた。王もこの人には珍しく穏やかに微笑んだ。
「今日のように、必要だと感じたときだけ助けてやってくれ」
「はい」
 しっかり頷いて返事をすると、王は深く眠る姫の頭に手置いて、言い聞かせるように穏やかに声をかける。
「スノーリル。世界はそれほど怖くはない。お前が見つければたくさんの優しさがそこにある。だから、その小さな場所から出ておいで」
「ゆっくりでいいの。みんな待ってるからね」
 傷ついて眠る小さな姫に、優しく包み込むような愛に、早く気づいて欲しいと思った。
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