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陽だまりの妖精
06
 朝から降っていた雨が少し弱まり出した午後。
 スノーリルはカタリナを伴い、指定された場所へと向かっていた。用向きはエストラーダ姫とのお茶会である。
「今日は忙しいわね」
「そうですね」
 ギリガム大臣はもしかしたら時間稼ぎでもしていたのか? というくらい時間がかかったというのに、あの大臣に会ってから時間が元を取るように、加速しているような気がする。
 それほどことは円滑に動いているのだが、それが一日に集約することはないと思う。
 つらつらとそんな事を思いながらカタリナが聞いた部屋へと到着する。
 入り口前に四人侍女がいる。みな一様に視線を下へ落としている。
 一人がカタリナに声をかけ、中へ入るように言われる。
 次の間に五人。一人だけ、姫の護衛なのか、金茶色の髪をした男性がいる。
 その人を横目に部屋へ進むと圧倒的な美女がそこにいた。
「ようこそ。応じていただけてよかったわ。レイファ」
 呼ばれた侍女が、その部屋にいた三人の侍女に部屋を出るよう目配せする。
「これで少しは落ち着けるわ」
 三人の侍女が部屋から出るのを確認し、どこか辟易した様子で扉の向こうを見やり呟くと、スノーリルに視線を移しにっこり微笑んで自己紹介をする。
「初めてではないけど、初めまして。ミストローグ国王サグレイシードが第一子、エストラーダと申します。こちらは筆頭補佐のレイファ」
「お初にお目にかかります。レイファと申します」
 蜜色の髪をした美姫の隣に、赤毛の麗人が表情をわずかに緩めて挨拶をする。どこかため息の洩れる光景で、スノーリルは目をぱちくりさせて、隣にいるカタリナを見た。
 カタリナはいつものように沈着冷静にスノーリルを見ると、傍目には気づかないくらい小さく頷いてみせた。
「初めまして。トラホス国、ソレイユ・レシェフォンの娘、スノーリルと申します。こちらは執事のカタリナです」
 カタリナは目礼を取っただけで済ませた。
 女同士がするには堅苦しい挨拶であり、あまりにもあっさりとしたものだった。
 挨拶が終わるとエストラーダ姫は座るよう手だけで促した。
 会議で使われるような少し大きな円卓の半分に、スノーリルとエストラーダが座り、その脇にカタリナとレイファが立って控えた。
「あの太陽王の娘だというから、どれだけ高飛車な女かと思っていたのですけど、予想が大きく裏切られました。随分と可愛らしい方ね」
 からかわれているのか、侮辱されているのか、はたまた本気で言っているのか、どれとも判別つき難い口調で次々と紡がれる声は、落ち着いていて女王の風格を漂わせる。
 午前見たときよりも近い距離で、見れば見るほど綺麗な女性だった。そして、どうやらスノーリルより年上であるようだ。
「ありがとうございます。お話というのは?」
 一応の笑顔を貼り付け、スノーリルは本題に切り込んだ。
「私がお嫌い?」
「は?」
「よかった。そうではないのね」
「………」
 唐突すぎる質問に、どうしたものかと考えた。沈黙するスノーリルにお構いなくエストラーダは話を続ける。
「お話したいことはひとつだけ。スノーリル殿はクラウド皇太子をどう思っていらっしゃるか。それにより私の今後も左右されるの。ですから、どうしても答えていただくわ。皇太子の正妃に納まる気はあるのかしら?」
 さて、困った。内心そう思ったのだが、なぜか危機感や嫌な感じはしないのだ。じっと深く青い瞳を覗くが、どこか面白そうな感情が見えるだけ。
 しばらく沈黙が部屋の中に居座った。
「私は王子を見たこともないのでお答えできません」
 スノーリルの言葉に、エストラーダは円卓に乗せていた左手で卓をコツコツと叩いた。瞳から面白そうな感情が薄れていく。
「見ていない? お会いしてないの?」
「はい」
 迷いのない返事に、またコツコツと卓を叩く。
 頭のいい女性であると聞いているが、そもそもこの状況をどう見ているのだろうか。国同士の結婚となれば本来は通じない言い訳でもあるのだが。
 スノーリルが視線を外さずに何やら考えているエストラーダを観察していると、レイファがくすりと笑った。
「姫。この方には全部話したほうがよさそうですわ。そのほうがきっと、上手く事が運びます」
「それは筆頭補佐としての勘?」
「はい。姫と同じ人ですわ」
 この評価にエストラーダは眉をぴくりと動かし、ふうと息を吐いた。
「レイファもそう感じるならそうなのね。大体が卑怯よね、私の意見を言わずに貴女の考えを聞くなんて」
 ばつが悪そうに笑っても綺麗な人だった。
「あまり大きな声では言えないのだけれど、私はここの正妃になるつもりはないの。私はミストローグを守らないといけないから。
 ただ、一緒にきた侍女たちの中には私を、是が非でもディーディラン国の正妃に据えたい人がいるのよ」
 話すエストラーダの表情からなにやら切迫したものを感じる。
「そんな事になったら、ミストローグが死ぬわ…。あと二ヶ月もこんなところで足踏みなんて、業腹ものなのに。さらに正妃になんて冗談じゃない」
 扉の向こうに聞こえないようにか、声を潜めている。しかし、エストラーダの押さえ切れない怒りがにじみ出ている。
「エストラーダ様はどうしても正妃になりたくないんですね。でも、私はそれに協力できません」
「なぜ?」
「ディーディラン国は今、白をとても嫌っています。それでなくても引き入れたくはないでしょう? 一国を背負う立場としてお考えください。私の存在は、逆にエストラーダ様をディーディランの正妃につける恰好の餌にしかなりません」
 スノーリルの言葉は正論であり、事実である。
 だからこそ、エストラーダもレイファも反論できず黙り込んだ。
「ごめんなさい。何もできなくて」
「いいえ! 貴女のせいではないわ。謝らないで。私こそ無理を言ってごめんなさい。好きでもない人と結婚だなんて、ないほうがいいに決まっているのに」
 謝罪の言葉に大きく首を振り、スノーリルの手をとって逆に謝るエストラーダに、無条件で素敵な人だと思った。
「王子の初恋の相手とやらが見つかれば、問題は解決するのですけど…姫はご存知ありませんか? 隣国といっても交流がなければ無理でしょうが」
 カタリナの声に、エストラーダが反応した。
「クラウド王子の初恋の相手…聞いた事はあるわ。彼が第一位の王位継承権を得たときに、各国が自慢の姫を売り込んだことがあったの。でもそれは断りの口実だと思っていたわ…でも、そうね。今回私がここに呼ばれたのは、その時にディーディランにこなかったからよ。スノーリル殿もそうでしょう?」
 エストラーダが至極真面目に尋ねてきたので、スノーリルは首をかしげた。
「エストラーダ様も花嫁にと呼び出されたのですか?」
「ええ。十分、胡散臭いとは思ったけれど、正式なものだったわ」
 胡散臭いと思ったのに、ここにいるということは何か事情があるのだろう。おりしも、スノーリル自身も知らなかった事情によりここにいる。
「なんだか、似たような境遇みたいですね」
「そうみたいね。でも、ちょっとだけ感謝してるわ、貴女に会えたもの」
 極上の笑顔で、会えてよかったと言われ、スノーリルは頬を染めた。
「あの、えっと。私も、そう思います。会えてよかったです」
 少しどもりながら、なんとか言葉を伝えるスノーリルに、エストラーダはさらに微笑んだ、というより笑み崩れた。
「ああ、もう! こんな可愛らしいのに……スノーリル殿! 貴女もっと自分に自信を持ちなさい。もしお嫁に行けなかったら私がもらってあげるわ」
「ええ?!? エストラーダ様!?」
「お話は済みましたか?」
「ええ、済みました。我が姫にさらわれる前に、早くお引取りになったほうがよいですよ」
 なぜかしっかりと手を握りしめ、力説するエストラーダに、当然慌てたスノーリルの悲鳴を聞き、後ろからカタリナが冷静に声をかけ、答えたのはレイファだった。
 

◇ ◇ ◇ ◇

 
 部屋に戻ると、スノーリルはどっと疲れ、あの白い絨毯へと倒れこんだ。
「すっごく強烈な方だったわね。綺麗な方なのに」
 嘆きにも聞こえる声に笑いを堪えるカタリナは、疲れを癒すというお茶を出し、絨毯に転寝するスノーリルに差し出すと、上半身だけ起こして受け取った。
「ありがとう……晴れてきたわね」
「はい。少し窓を開けますね」
 今日は一日中締め切っていたので、空気を入れ替えようとカタリナが硝子窓を開ける。それと同時にレースのカーテンが揺れた。
 何気なくその光景を見ていたスノーリルが突然、音を立てて茶器を置いた。
「どうしました?」
 その音にカタリナが振り返ると、呆然と見上げてくるスノーリルがいる。
 何か呟いたが聞き取れず、側によって尋ね返す。
「何ですか?」
「…思い出したぁ!!」
 大音声で叫ぶスノーリルに、カタリナが目を丸くする。
「思い出したのよ! あの、夢! そうよ、あの人確かに言ったのよ! 私のこと"リル"って…って。え? ちょっと…待って…じゃあ@△*□$☆!!」
 真っ赤になったかと思ったら、最後は声にならない悲鳴をあげ、転がっていた背当てに顔を埋め足をバタつかせた。
「スノーリル様…落ち着いてください」
 数年に一度発生する主の"思い出し乱心"に、ため息をつきつつ落ち着くよう声をかける。
「今度は何を思い出したのですか?」
 しばらく言うべきかどうかを葛藤するスノーリルが沈黙する間、カタリナはその「あの夢」を思い出していた。
「やはり、誰かいたのですね?」
 真剣な声音にスノーリルはようやく顔を上げた。まだ少し赤い顔を手でパタパタと仰ぎながら頷いた。
「そう、人がいたのよ。男の人。その人、きっと私が探してる人なの」
「……初恋の?」
 疑わしそうに言うカタリナに、スノーリルはうっと声を詰まらせながらも頷いた。
「その人だけなの。私を…その…"リル"って呼ぶのは」
 それだけを言うと、また真っ赤に逆戻りする。
 全部言い切ったのか、はわ〜とまた背当てに顔を埋める。
「会えて良かったのでしょうけど、本人だったのですか?」
「へ?」
「完全な夢ということは考えられませんか?」
 カタリナの意外な言葉に、スノーリルののぼせた頭も一気に冷める。
「夢…?」
 そういわれると全く自信がない。
 背当てをじっと見つめ、どうやら鎮火した様子のスノーリルに気づかれないように、くすりと笑うと立ち上がって自分の仕事に戻った。
 スノーリルは耳に手をあて、目を閉じ、あの時の様子を思い出す。
 時間は違うが、おおむね今と同じ状況。
 寝ていた時に窓を開けて現れているはずだ。
「妖精…」
 そう呼びかけた。
 他にも何か話した気がするが、そこは覚えていない。
「リル…でも、確かにそう呼ばれたわ。リル…リル…」
 耳に残っているのは男性特有の低い声。
「だって、覚えているもの。はっきり、唇に………えっ?」
 自分の言葉に驚いて目を開ける。
『……リル……』
 形を伝えるように、ゆっくりと残っている。そう、唇に。
 
 
 戻ってきたカタリナがまた"思い出し乱心"する主に、ため息をついたのは至極もっともなことだった。
陽だまりの妖精 終わり
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