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陽だまりの妖精
03
 翌日。スノーリルの心配は杞憂に終わっていた。
 朝一では無理かと思い、少し時間を置いてからカタリナが面談を申しいれると、あっさりその日のお昼前には会うことができた。
 ディーディランにきて初めての雨が降っており、どこか城の中も静かな午前。
 スノーリルはいつものようにカタリナを従えて、その人物が待つ部屋へと向かったのだが、意外な人物を見ることになった。
 この巨大な城には、数ある中庭を横切るために廊下がいくつも設けてある。
 屋根のある廊下。水の上を渡る廊下。屋根のない廊下。二階を繋ぐ廊下など様々だ。
 スノーリルが歩いていた場所は回廊で、庭に面して壁がない。庭を挟んだ向こう側も同じつくりで、その廊下をたくさんの侍女を引き連れて歩く女性がいた。
 壁がないため、向こうからもスノーリルの姿を見て取れたのだろう。まだ顔を認識するには遠いというのに、その女性についている侍女たちが何やら騒いでいるようだった。
「カタリナ。あれってもしかしたら」
「ええ。おそらくミストローグの姫でしょう」
 スノーリルと同じく花嫁候補としてこのディーディランに滞在している姫である。
 候補というくらいだからもっとたくさんの姫がいるのだろう思っていたのだが、面談から漏れ聞く話では、どうやらその姫とスノーリルの二人だけのようだった。
 身分的には姫同士。しかし、国力でいうとミストローグのほうが圧倒的に強い。
「ねえ、カタリナ。止まるべき?」
 近づく分だけ聞こえてくる侍女たちの声がやたらと騒がしい。
 その理由を十分すぎるくらい知っているスノーリルは、少し後ろを歩く執事に問うてみた。
「必要ありません」
「そう」
 きっぱりと言い切る執事に見えないように苦笑して答える。
 中庭を挟んでいるのだ、気を使う必要もないのだが、スノーリルは彼の人物が歩く側に用事がある。つまり、中庭を横切る廊下を渡る必要があるのだが、その渡り廊下がすぐ目の前に迫っている。
「エストラーダ姫も挨拶なのかしら?」
「それにしては侍女が多いです」
「そうね。でも、それが普通なのかもしれないわ」
「大国は大変ですね」
「そうね」
 二人でのんきな会話をしている間に距離はどんどん縮まり、渡り廊下の入り口に一歩足を踏み出すと、意外にも姫一行と対面した。
 お互いぴたりと足を止めたが、どちらからともなく歩み始める。
 ざわざわと騒ぐ侍女を引き連れる、一番前の女性の顔を思わず見つめる。
「エストラーダ様。目を合わせてはいけません」
 そんな侍女の声も聞こえたが、向こうの姫もスノーリルから目を離さない。
 蜜色の髪。聞いたとおり、確かに蜜色である。金髪なのだが深みがあり、黄色の艶がある。スノーリルより少し背が高く、穏やかに微笑む口元は薄く知的な印象があった。
「御機嫌よう」
「御機嫌よう」
 挨拶を交わしたさいに見た瞳は深い青。紺色と言ってもいいかもしれない。
 すれ違うとふわりと良い匂いがした。
 十数人いる侍女たちは一様にスノーリルから視線を逸らし、中にはなにやら祈りの言葉を唱えている者もいた。
 廊下を渡りきり、そのまま歩き、彼女たちの気配も完全になくなったころ、ようやくスノーリルが口を開いた。
「わざとかしら?」
「おそらく、そうでしょうね」
 侍女たちの慌てようと、エストラーダ姫の落ち着きようを見れば、姫がわざと渡り廊下を渡ったと考えるのが妥当といえた。
「綺麗な人だったわね」
 感嘆の混ざる声に、カタリナはスノーリルの後姿を凝視する。
「諦めますか?」
 話の繋がらないカタリナの質問に、歩きながら首をかしげ尋ね返す。
「何を?」
「皇太子妃の座です」
 その言葉にスノーリルは目を見開いてカタリナを見る。思わず足も止まったのはそれほど意外なことを聞いたからだ。
「カタリナは私がそれを望んでいると思っているの? それとも、カタリナがそれを望んでいるの?」
「私はスノーリル様の幸せを望んでいます」
 柔らかに微笑むその顔は本当にそう望んでいるように見えるが、スノーリルはそれほど安易にその笑顔を受け取りはしなかった。
 執事の持つ灰色に赤を加えた瞳を覗き、そこに確信を見つける。
「その顔は何か知っているわね?」
 スノーリルの問いに悪びれることなく、口元だけに笑みを残し頷いた。
「はい。私はスノーリル様の執事ですから…」
「スノーリル様に言えない事の一つや二つは陛下に言い含められております。でしょう? わかったわ。何も聞かない」
 カタリナの口癖の一つになっている台詞を先に言うと、とっとと歩き出す。少しだけ足音高いのは怒っているのだろう。その後姿を微笑ましく見つめながら歩いているカタリナは、もう一つだけ問う。
「スノーリル様はどうなさりたいのですか?」
 トラホスでディーディラン行きを告げられた時は、あまりに唐突過ぎて、何も考えていなかったのが事実だ。成り行きに任せここまで来た観のあるスノーリルも、さすがに滞在二十日近くにもなればそれなりに考えているだろう。
「そうね。とりあえず父上には何も言われていないし、こちらの人間に帰れといわれれば帰るわ。でも、その前に一つだけ確かめたいこともあるし。それには重役全員に会う必要があるの」
「確かめたいこと?」
「そう」
 話を途中に大臣と会う部屋の前についてしまった。
 カタリナは前に進み出ると部屋の中へ声をかけた。
 中にいる侍従に取次ぎを頼むカタリナの声を聞きながら、廊下から見える中庭を見る。
「会いにきてくれるはずなんだけど…今の状態じゃ探しにも行けない」
 
 
 通された部屋は大きな窓が開放感を作り出し、雨の庭園を一望できる。
 色調は明るく暖かな印象の部屋だった。
 窓に近い場所に小さな白い円卓があり、囲むように椅子が三脚置かれていて、その一つにすでに先客が座していた。
「初めまして。ようこそいらした」
 にこやかに笑顔で迎えてくれた穏やかそうな人物。
「私はラルフィス・アルジャーノンです」
「初めまして。スノーリル・レシェフォンと申します」
 ドレスの裾を摘まんで軽く礼を取るスノーリルに、五十代の大臣は目を細めて頷いた。
「話に聞くとおり、綺麗な髪ですな」
 向けられた賛辞にスノーリルは目を丸くした。その表情にもまた微笑み、座るように身振りで促す。
「執事殿も座っていただいて構わんよ」
 スノーリルの後ろに少し離れて立つカタリナに言葉をかける。
「いいえ。私はここに」
 ここまでの言動を見て、スノーリルの中にこのアルジャーノンという大臣に対しての疑心が浮かんだ。初対面にしては過ぎた親切。そう感じてしまうのは仕方がないほど、今までの人物たちと対応が違いすぎるのだ。
 無表情で大臣を見つめるスノーリルに、アルジャーノン大臣も何も言わずに、ただにこにこと見つめ返してくるだけだ。
 無言の攻防が繰り広げられる中、大臣についている侍従がやってきて、お茶を二人の前に出すと呆れたように呟いた。
「旦那様。トラホスの姫君相手に睨み合いなどおやめください。怒られますよ」
「誰が睨み合ってなどいるのだ。無言の会話を楽しんでいるのだよ」
 さも心外だと言わんばかりに仰け反り、侍従に文句を言う大臣はスノーリルを見やり頷いた。
「それに、こんなことで怯むような姫君ではないようだぞ? ギリガムの奴には、さぞイライラさせられたでしょうな。あの男は悪い男ではないのだが、信心深くてな。白い猫が目の前を横切っても悲鳴をあげる男なので、許してやってもらえないかね」
 絶えず人のいい笑みを湛える紳士に、スノーリルも微笑む。
「許すも何も、仕方ありません……貴方が"笑い狸"さんですね」
「懐かしい呼び名ですな。父上はお元気か?」
「はい。出掛けに「笑い狸に会ったら視線を逸らすな」と言い含められました。なんの謎かけかと思っていたのですが、今よくわかりました」
 スノーリルの言葉に控えていた侍従の眉がピクリと跳ね上がり、そのままゆっくり顔を背けた。その肩が微かに震えている。
 その様子を笑顔のまま大臣が見たのだが、その目が笑っていないことは見なかったことにした。
「まあ、戯言もこの辺で止めるとして。どうですか? ディーディラン国は」
 お茶の香りを楽しみながらの問いに、スノーリルは素直に答えた。
「とても裕福です。気候は安定してますし、争いが生じるのは仕方がないのかもしれないですね。だからこそ、私には住みにくい国です」
「ふむ」
 スノーリルは自分がもたらす影響をよく知っていた。
 トラホス王が使者に「覚悟しろ」と告げたのは、それだけ大きなものをスノーリルが背負っているということだ。
「我が国は今も戦争をしている。血が流れることは少なくなったが、少なくなっただけで無くなったわけではない。だが近年、現王の治世により表面上は平和になっています。だからなのでしょう、白を嫌う風潮がここ最近強くなっているようだ」
 口にすることなく、受け皿に置かれた白い茶器を見つめる。
「しかし、本来は神の色。全ての者に平等なるものを与える。生がそうであるように、死もまたそうであるだけなのですが。人という生き物は無駄なことを考えすぎて、本来の意味を見失う生き物なのでしょうな」
 しんみりと告げられる言葉は独白のようにも聞こえた。
「これは余計なことを口にしましたな。歳をとったせいか、どうも説教臭くていけません」
 話をはぐらかすようにお茶に口をつける。
 スノーリルも静かに手を伸ばしてお茶を口にする。
 一杯目を飲みきるまで二人とも言葉を発することはなく、ただ静かな時間が過ぎていく。
 無言の会話を楽しむ。
 そういった大臣の言葉は見事に当てはまっているような、そんな空気が部屋の中を満たしていた。
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