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陽だまりの妖精
02
 スノーリルがディーディラン国へきてから十八日。
 挨拶をしなければならないという重役も、残すところあと二人となっていた。
 最初こそ王、王妃、大臣三人にはあっさりと挨拶を済ませることができ、大方の補佐である貴族は大臣と共に会えた。
 それが八日前。つまり十日間でほぼ挨拶は終えていたのだが、あとの二人がなんとも厄介だった。
 正確には今日ようやく会える大臣一人のせいである。
「ここまでくると、どんな人なのか想像できるわね」
 面談するため長い廊下を歩いている途中、そんなスノーリルの呟きに執事カタリナも軽くため息をついた。これまでの苦労を思い返せば、どんな人物か想像するのは簡単だった。
 初めて面談を行う日、その日に会う予定だったはずが、「それは明日だ」と取り次がれなかったと思えば、「今日はどうして会いに来られなかったのか?」と逆に尋ねられ。ならばと訪問してみれば、「トラホスではいいのだろうが、先に約束を取り付けるのが礼儀だろう」など厭味を言われる。
 そんな厭味やら、嫌がらせやら、嘲笑やらをやりすごし、ようやく面談にこぎつけたのだ。
 そんな人が好人物なわけがなく――。
「ようこそいらした」
 その人物は、スノーリルを目にしたとたん、嫌悪も露に眉を寄せ睨みつけてきた。
 ある意味想像通りの反応に、スノーリルは通された部屋の扉の前でぎゅっと手を握り締めた。
「どうぞ、おかけになられよ」
 指し示されたその場所は大臣から遠く離れた椅子だった。
 部屋自体が細長い形で、それにあわせたつくりのテーブルがあり、大臣はその端に座り、スノーリルは正反対の場所へと座らされた。
「初めまして。トラホス国、ソレイユ・レシェフォンの娘、スノーリルと申します」
 特に飾った言葉もなく自己紹介をするスノーリルに、大臣はやはり鼻で失笑してみせた。
「私は"サニー"ギリガムと申す」
 サニーとは貴族階級の第三位の称号である。
「さて、私はあまり回りくどい話が得意ではないので単刀直入に言わせていただく。スノーリル殿。貴女は本気で我が国の王妃になるおつもりか? はっきり申し上げれば、貴女はその座に相応しくないと思いますがな」
 いかに回りくどい話が苦手とはいえ、ここまではっきり言う人物も珍しい。断言した大臣をスノーリルは驚きと共に見つめた。
 ギリガム大臣は濃い茶色の髪と同じ色の髭が、鼻の下から全部覆われており、表情が掴み難いはずなのだが、とても分かりやすい人物であるようだ。
 彼だけではない、今まで会ってきた多くの人物がそうであるように、スノーリルに対して良い感情を持っていない。
 向けられる敵意にスノーリルは笑顔で答える。
「本気かどうかは父上にお尋ねいただけますか?」
「本気だからこそトラホス王は、貴女を我が国へとよこしたのではないのですか?」
「乞われたので、応じただけだと思います」
 本当のところ、スノーリルは父王の真意を知らない。うかつなことも言えない人物だと判断し、曖昧に答えていたが、その答えが大臣の何かに触れたようだ。
「おお、なるほど」
 スノーリルの言葉に大げさに頷いて見せた。
 その仕草の示す相手の心情をスノーリルは読み取り、身構えた。
「トラホスも貴女のような未来を見込めない姫など、大した価値もないとお認めになっているわけですな。なるほど、なるほど。厄介払いをされてきたわけですか。それでは国へ帰ることも躊躇われるでしょう。幸いに我が国には後宮というものがあります。ディーディランは寛大な国です。いかに貴女が不吉だからと言って、放り投げたりはしません。どうですかな? 側女も悪くはないですぞ」
 同情を装った侮辱に、スノーリルはテーブルの上にある青い色の花瓶越しに、ギリガム大臣を凝視した。
 この青い花瓶はスノーリルを直接見ないようにと置かれたものだろう。
 部屋の内装は青い色で統一されており、壁は少し暗めの灰色で、飾り用のカーテンも椅子の布も濃紺。真正面にいる大臣の服も青い色だ。
 その部屋にスノーリルの白い髪はいやに映えた。
 人には滅多に現れないその白い色。
 スノーリルの両親は金髪だ。姉兄も同じく金髪。もし、白に近くとも銀髪だったのなら、もしかしたら愛されたのかもしれないと無駄なことを何度も考えた。
「厄介なものが…」
 そうトラホスの大臣たちが口にしているのを何度も聞いた。
 どうやってスノーリルという災いを取り払うかで、議会が開かれていることも知っている。しかし、王女という立場がそれを簡単にさせない。
 そして、今回。これ以上はない厄介払いの話が舞い込んだのだ。
 物心ついたときから聞かされる言葉という凶器。
 傷つかないように、心を凍らせることも覚えた。そして、反論や哀願は相手を優越感に浸らせるだけだとも知っていた。
 できるだけ無表情に沈黙を通す。
「こう言ってはなんですが、トラホスとディーディランでは生活基準が違います。後宮で不自由はないでしょうし、今よりももっと華やかなドレスもお召しになれます。……それと、もう一つ。後宮に入れば二度と外へ出ることは許されません。貴女の国にもよい結果をもたらすと思いますが」
 どこへ行っても厄介なのだから、この国の後宮に入って、一生外に出るな。留めておいてやるだけでも感謝しろ。
 透けて見えるそんな言葉に、スノーリルは心の中で冷笑した。
 不吉を呼び込むとされる「白姫」でも、追い返すつもりはないのか。あるいはトラホスに恩を売っておくつもりなのか。
 どちらにしてもこの条件を飲めばトラホスは隷属国家とされてしまう。それを嫌ったからこそ、トラホスの大臣たちはスノーリルを手放す好機にも難色を示した。
「我が姫は"皇太子妃"候補としてこちらに来ました。あまり失礼な物言いは控えていただきたい」
 さて、どう反論したものかと考えていると、後ろに控えていたカタリナが固い口調で大臣の言葉を非難した。
 それを受けギリガム大臣は眉を寄せ、カタリナへ視線を向ける。
「これは失礼した。しかし、私は正論を申し上げただけで、間違ったことを言ったつもりはありません。どう見ても、貴女は我らがクラウド王子に相応しくない。そう思っているのは何も私だけではないと知っておかれよ。失礼する」
 最後のほうはスノーリルに向かって告げ、それだけを吐き出すとギリガム大臣は席を立った。
 

◇ ◇ ◇ ◇

 
 離宮に戻ると詰めていた息を吐き出すスノーリルに、カタリナが頭を下げた。
「申し訳ございません。差し出たことをしました」
 大臣との会話に口を挟んだことを詫びているようだ。
 背筋を伸ばした礼を取るカタリナに、スノーリルはくすりと笑った。
「いいえ。庇ってくれてありがとう。でも、あれくらい平気よ。もっと女々しい大臣かと思ったけど、意外にはっきりした人だったわね」
 明るい口調でにっこり微笑むスノーリルに、執事歴の長いカタリナは少しだけ渋い顔をした。
「そんな顔しないで。それより、お茶が飲みたいわ」
 今回の面談での会話は棘だらけだったし、お茶すら出なかった。
 席につくスノーリルはふと自分に与えられた部屋を見回す。
 応接にも使える居間は落ち着いた色でまとめてあるが、淡い色合いのものが多いことに気がつく。
 硝子の窓に下がっているのは白いレースカーテン。
 テーブルクロスは白い布地に濃さの異なる緑の刺繍が施されている。
 備え付けられている茶器も小花が一つ二つあるだけの白いもの。
 そして、視線を落としてみれば、あの毛足の長い白い絨毯。
 畏怖はあれど、決して嫌われている色ではないので、別に気にもしていなかったのだが、あることに気がついた。
「ねえ、カタリナ。気がついた?」
 お茶用のお湯を沸かすため、小さな焜炉に火を点けているカタリナに尋ねた。
「何がですか?」
「あの大臣のいた部屋よ。白い色が一つもなかった」
「…そういえば、そうですね」
 悪戯っぽく笑うスノーリルの指摘に、カタリナもあの部屋を思い出す。確かに、白い色のものは何もなかった。その意味するところは一つ。
「…さぞ、怖かったでしょうねぇ」
 無意識に出たカタリナの言葉に、スノーリルがくすくすと笑う。
 無機質な白でも怖いのなら、意思を持ち、同じ人であるスノーリルはどれほどの恐怖の対象だったことか。
 自分の髪を一房摘まみ、くるくると指に絡めてみる。
「死神に見えたかも知れないわね」
「スノーリル様」
 呆れた口調で嗜める執事に、やはりくすりと笑う。
「大丈夫よ。もう子供じゃないわ」
「わかっています。だから心配なのですよ」
 ポットにお湯をいれ、花型の焼き菓子を持ってくる。
「カタリナに嘘はつかないから大丈夫。あれ? この香り…」
「はい。トラホスのお茶です」
 ディーディランのお茶は土地がよく華やかな香りを立てるが、トラホスのお茶は厳しい土地で取れるため、すっきりとした涼やかな香りがする。
「やっぱりこっちのほうが落ち着くわ。さて、後一人ね」
「はい。やっとですね」
 ほんわかとした午後の日差しは少し傾き始めている。
「今日はもう無理でしょうから、明日にでも伺ってみますね」
 最後の一人も大臣だが、向こうから最後にしてくれと話がきていた。
「最後の最後が一番癖があったりして」
 肩を落とすスノーリルにカタリナも何ともいえない顔をして、焼き菓子を一つ摘まむ。
「カタリナはもうお城の中は覚えた?」
「はい。大体ですけど、位置関係は覚えました」
「そう。暇になったら教えてね。私はまだ全然覚えられないわ。トーマスたちがどこにいるのかも知らないのは少し不安だから」
「はい。暇になりましたらお連れします」
「お願いね」
 トラホスからも当然何人かの護衛やら小間使いやらを連れて来ている。しかし、離宮に常時いるのはカタリナと、二人の侍女だけで、そのほかの者は別の場所に寝泊りをさせてもらっている。
 一口お茶を口にすると暖かい風が入り込んで、レースのカーテンを揺らした。
「ディーディランの風は柔らかいですね」
「柔らかい…そうね」
 カタリナの表現に微笑み、揺れるレースを見つめる。
 ここのところ精神的に疲れることが多かったためか、それをとりあえず一つやり過ごしたことで気が抜けたのだろう。ふんわりと緩やかに揺れる様は眠りを誘う。
「お昼寝をしてもいいですよ」
 ぼんやりとし始めたスノーリルに微笑んで声をかける。すると、ひどくゆっくりと視線を動かしカタリナを見た。
「どうかしましたか?」
 その視線に眠気など欠片もなく、むしろはっきりと思考を保っている瞳に、カタリナは不思議に思い尋ねた。
「ねえ、カタリナ。あの時…私があそこで寝てたとき、窓は開けた?」
 スノーリルが昼寝をしたのは過去に一度だけ。その質問の時間をさかのぼり、カタリナはあの時の自分の行動を思い返す。
「いいえ。窓は開けていません……スノーリル様?」
 あの時、寝ぼけていたスノーリルは"誰かいたか"と聞いたのだ。
 スノーリルの言葉にカタリナの表情が硬くなる。
 真剣な表情で茶器を置くカタリナに、スノーリルは慌てて首を横に振った。
「そうじゃないの! もし、不審者だったら疲れていたからといってのんびり寝てたりしないわ。そうじゃないの……なにか、大事なことを忘れてる気がして……」
 とても懐かしい夢を見た。そんな余韻だけを残して消えた夢を手繰ろうにも、すでに記憶の彼方へ旅立っている。
「あ〜、何かしら。すっごく気になるわ!」
 喉の奥がむず痒いような、手の届かない苛立ちがある。
「もう一度寝てみたらいかがです?」
 含み笑いをするカタリナの提案に、スノーリルは片頬膨らませて抗議した。
「カタリナ。笑い事じゃないわ」
「これは失礼しました。……ふふ」
 口元を押さえて笑う執事に、スノーリルはむっつりとして花型の焼き菓子に手を伸ばし、苛立ちそのままに頬張った。
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