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陽だまりの妖精
01
 部屋に入ると、日の差す絨毯の上へ倒れこんだ。
「疲れた」
「スノーリル様。まだ午後からのお茶会もあります」
 ため息交じりに告げられる声に、げんなりしながらも片手を挙げてひらひらと振って答える。
「わかってるわ。それまではお願い、自由にさせてぇ」
 最後は断末魔のように呟き、挙げた手もぱたりと力なく落ちる。
 その疲れきった主の様子に、執事もそれ以上は何も言わず部屋を後にした。
 故郷トラホス国から、遥々大海原を渡りやってきた旅が終わったと思ったら、休む間はもちろん、食事を取る間も無く挨拶まわりに追われている。
「うう。お茶でお腹一杯だけど、お腹は減った気がする」
 自覚する分にはお腹は膨れているが、それは茶会の席での飲み物が大半で、体力を回復させるものではない。
 いや、それよりもなによりも、精神的に疲れていた。
「誰が置いたかは知らないけど、感謝します…」
 あてがわれた部屋には天井から床まで届く贅沢な硝子の窓があり、その前に誰が用意したのか、人一人分の楕円形をした、真っ白な毛足の長い絨毯が敷いてあった。
 太陽の匂いのするそれは、ふかふかとしており、うつ伏せて寝ると頬に当たる感触がとても気持ちが良い。
「それにしても…」
 ここまでの面会人数を思い返す。
 王族に始まり、重役についている貴族。ここまではスノーリルも当然と考えており、時間がかかるのも覚悟はしていた。しかし…。
「この国の人はどうしてまとめて会う場所を作らないの? 嫌がらせ?」
 とりあえず半分をこなした彼女の思いは、おそらく執事も心に思い浮かべただろう。
 会う予定に組まれている人数は実はたいしたことは無い。
 王、王妃、大臣五人。他補佐官である貴族八人。総勢十五人である。
 トラホス国でこの役職、人数であるならばまとめて挨拶をしてしまう。王と王妃が別なのは後宮のあるこの国では、別だろうとは考えたが…。
 どういうわけか、大臣と補佐官までが一人一人に会わなければならず。しかも移動距離が半端じゃなかった。
 故郷のトラホスと違い、大変な規模を誇る城の、端から端を歩き、小走り、疾走するという、淑女としてあるまじき行動をとらざるを得ない状態で困ぱいし、今に至る。
「この状況で結婚できたらすごいかも」
 深いため息をつき、目を閉じてぽそりと呟いてみる。
 そう、トラホス国王女であるスノーリルがこの国へやってきた理由。
 後宮があるため子沢山のこの国で、誰もが認める皇太子。その人に見初めてもらうために来たのである。
 しかし、まだ一度とて姿を見たこともなければ、今現在容易に会えるはずである状況にも関わらず、いや、会うのが当然であろうこの日がやってきたのに、未だ彼の人を見たことも、見かけたことすらなかった。
「ミストローグの姫とは面識があるんでしょうに」
 もう一人いるという花嫁候補はこのディーディラン国の隣、ミストローグ国の姫だという。
 その女性にも会ってはいないが、噂は耳にした。というより、わざわざ聞かせられた。
 艶やかな蜜色の髪に、深い青い瞳を持ち、誰もがうらやむほどの美姫だという、エストラーダ姫。
 とても勉強家で医学を学んでいて、たしなみとして剣の手ほどきも受けていると聞いた。
 トラホス国では女性が剣を手にすることは少ないが、大陸では女性もそれなりに剣をたしなむのが普通だということだ。ある一定の位置にいる女性は自分を守るために剣技を身につけているらしい。
 頭がよく、強く、美しい女性。
 それがもう一人自分と同じ立場の花嫁候補、エストラーダの評価だ。
 はっきりいって勝ち目のない戦いをしているといってもいいくらい、それほど完璧な女性であるらしい。
「せめて会うことができれば、私も考えるんだけどな〜」
 ここに来たのは父である王の命令だ。
 だからと言ってどうしろと言われてきたわけでもなく、実際のところスノーリルは自分の態度を決めかねていた。
 好かれるべきなのか、嫌われるべきなのか。
「嫌われるのは簡単だけど、好かれるのって大変だわ…」
 目を開ければ視界に入る白。
 絨毯の白にも負けないくらいの白。
「老婆でもここまで白くないわよね…」
 言って自分で落ち込んだ。
 結い上げるために必要な長さを維持してあるその髪は、不吉とされる白い色をしている。
「まったく、父上は何を考えて…いないかもしれないわね。ありえるわ。まったく、だから王家の結婚なんてくだらない」
 もとより選択権も拒否権も存在はしない。彼女にも、相手である皇太子にも。
 諦めにも似た深いため息をつき目を閉じれば、やはり疲れていたのかストンと眠りに落ちた。
 穏やかな午後。離宮であることもありとても静かだ。
 与えられた離宮には小さな庭園があり、大きな硝子窓から外へ出ることもできる。
 木漏れ日が差す庭園から人影が現れ、横になっているスノーリルの上に影を落とした。そっと開かれる硝子窓から心地よい風と人影が、白いレースカーテンを揺らして入り込んだ。
 入り込んだ人影は足音も立てず、スノーリルを起こさないよう、そっと膝をついて小さく尋ねる。
「姫君?」
 反応を返さないスノーリルの頬にそっと触れ、寝ていることを確認すると、そのまま指を滑らせ白く長い髪に指を絡めた。
「…だれ?」
 触れられた感触に起きたのか、ゆっくりと視線を上げて隣にいる人物に尋ねるが、どうやらまだ微睡みの中にいるようで、すぐにふわりと微笑んで目を閉じた。
「ああ、妖精ね」
 まるで思いもしなかった言葉に、その人はきょとんとし、首をかしげた。
「妖精?」
「白い羽があるもの…」
「…羽?」
「そう、はね…」
 答える端から声はどんどん弱くなる。どうやらまた眠りの中へと落ちていっているようだ。
「姫君?」
「んー?」
 目を閉じたまま一応の返事は返す。
 ゆっくりと髪を撫でる手に少しだけ身じろぎ、ゆっくりと息を吐き出す。その様子はまるで安心しきっている猫である。
「だいぶ疲れてるな」
 その人は微笑んで身を屈め、内緒話でもするように囁いた。
「姫君は僕のだ。だから、誰にも渡すなよ――……"  "…」
 
 
「スノーリル様。起きてください」
 部屋に戻ってきた執事の声にパチリと目を覚まし、勢いよく起き上がる。
「どうかしました?」
 あまりに勢いよく起き上がったため少しだけ驚いて尋ねると、当のスノーリルは目が合った執事を見つめ、きょとんとしている。
「……今、誰かいた?」
「いいえ。お一人でしたよ?」
「そう」
 執事の答えに髪を整え、無意識に口元へ手をやる。その仕草に今度は執事が不思議そうに首をかしげた。
「…軽食をもらってきました。今のうちに食べてください」
 どうやら寝ぼけているらしい主をよそに、執事の彼女はてきぱきとテーブルに軽食を並べお茶を用意し始める。
 その執事の姿をつかのま見つめてから、深く考えることなく立ち上がった。
「お茶ばかり飲んでるから、お水でいいわ」
 席につくが、それほどお腹はすいてはいないのだろう、憂いのため息をついてから食べ始める主に執事はふと尋ねる。
「誰かいたのですか?」
「ん? いいえ、私の勘違いみたい」
 食べ物を飲み込んでからにっこり答える主に異常はない。それを確認してから「そうですか」と自分にはお茶を注ぐ。
「とっても懐かしい夢を見た気がするんだけど…なんだったかしら?」
 鶏肉の詰まったパイを頬張りながら考える主に、果物の皮をむきながらふと手を止める。
「スノーリル様にしては珍しいですね」
「何が?」
「懐かしいとは。嫌な夢ではなさそうですが」
「ああ…そうね。ええ、嫌な夢じゃなかったわ」
 執事の言葉に夢を思い出そうとするが、やはりうまくいかないのか食事に戻る。
「何かしら? 何か引っかかるのよね」
 懐かしいと思える昔に、あまり良い思い出のない人だと知ってる執事は、思い出そうとする主のその様子に微笑んだ。
「そのうち思い出しますよ。さあ、そろそろ時間です」
「ええ! もう!?」
「はい。これを食べたら行きますよ」
 絶望的な悲鳴を上げるスノーリルに、執事のカタリナは満面の笑みで答えた。
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