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白姫とイジワルな妖精
第一部 プロローグ
「やっぱりおかしいわ!」
 憤慨する主人の前に忠実なる執事は、芳しいこの国で採れるお茶を出し、自分の分も注ぎながらわかりきっている答えを尋ねる。
「何がです?」
「この国の習わしよ!」
 声を荒げる主人の前の席に座り、自作の焼き菓子を一つ摘まんで口へ運ぶ。
 出てきた予想通りの答えに、執事は何の感情も窺わせることなく淡々と相槌を打った。
「そうですね」
 冷静そのものの執事の反応を受け、主人である少女は執事を睨付けた。
 その視線を真正面から受け、執事は静かにため息を落とす。
「スノーリル様。泣いても叫んでも、ここはディーディラン国です。よそ者の私たちが何を言っても始まりません」
 冷静且つ最もな言い分であるが、少女は執事をひたりと見据えたままだ。
「私はそのディーディラン国の未来に関わる立場にあるのよ? 例外を認めろとは言わないけど、一目くらい会わせてもらってもいいと思わない? 本当に見るだけでいいのよ。せめてどんな顔の人なのか、この目で見てみたいだけなの!」
 その主張は主人の立場で思うのは当然と、執事もわかってはいるが、行動に移せるほど強い立場にいないことも事実だった。
「不細工だとは聞きませんので、それなりのお顔だと思いますよ」
「カタリナ、美醜の問題じゃないのよ」
 

◇◇ ◆ ◇◇

 
 
 大陸の中でも大きな国家であるディーディラン王国の名産は茶葉と、硝子。そして、大きな港を持つ国の特権として漁業も盛んであり、船による貿易で発展した国でもある。
 その大国から、彼女たちの故郷であるトラホス国に使者が来たのは二ヶ月前のことだった。
 トラホス国は小さな島国で、これといった特産もなく、それゆえに近隣国とも争いもない平和な国として知られている。
 島であるため漁業は発展してはいるが、巨大な国家からしてみれば豆粒よりも小さな国に、わざわざ大海を渡り何を伝えに来たのかと言えば…。
「我が国の皇太子殿下に、こちらの姫を花嫁に迎えたいと思います」
 大臣たちの中には戦争に参加しろと言うのではと、危機感を持った人物もいたが、使者から告げられた言葉にその場は一瞬静まり返った。
「ディーディラン国には後宮があると聞いておりますが」
 側に控える大臣の一人が難色を示すように使者に尋ねる。
 大臣の言いたいことを使者は正確に捉えていただろうが、至極真面目に答えた。
「はい。我が国には王家を守るものとして後宮がございます」
「花嫁とは、正妃に迎えるということでしょうか?」
「正妃候補の一人として迎えたいと思います」
「候補? ではすでに何人か名が上がっているということでしょうか?」
「はい。すでに一人、候補として我が国へと入っております」
「ディーディラン王は随分と傲慢な方のようですな」
「より良い血筋を残すには、それ相応の方を見定める必要があるだけです」
 毅然と頭を上げて話す使者の口上は、どう聞いても上の立場を取っている。
 お前たちに選択の権限などないのだと、言外に告げているようなもので、大臣たちはわずかながら眉を寄せ渋い顔をした。
 正妃として姫が嫁ぐのなら同等の扱いであるが、もし後宮内の一人して嫁げば、小さなトラホスはディーディランに隷属したと取られる。一国家としてそれは忌むべきことだ。
「候補とはな…」
 目通りしてから一度も表情を崩さない使者に、傍観を決め込んでいたトラホス王が呟き、にやりと笑った。
 少し長い金髪。薄い茶色の瞳は光加減で金に見える。トラホスの太陽王と呼ばれる所以である。
 玉座に腰を下ろしていた王はだらしなく肘掛にもたれ、頬杖をついて使者を見やる。
「なぜ我が子が、お前の王家を守るために働かねばならん? 他を当たれと、帰ってお前の主に言うがよい」
 大国を恐れることなく、はっきりと敵意と軽蔑を乗せた声音に、しかし使者は動じなかった。
「トラホス国にとって、よい話だと思いますが」
 何もない海にポツリと浮かぶ小さな島に、大陸と呼ばれるほどの大地を所有する国に属することは、確かに強い後ろ盾となる。
「…お前、子は?」
 否定しようのない使者の言葉に、トラホス王は一度視線を落として尋ねた。
 その質問に使者は表情を崩した。
「…は? はい、息子と娘がおります」
「ほう、娘がな」
 眉を寄せ、何を聞かれているのかよくわかっていない様子の使者に、トラホス王は顎に手をやり話を続ける。
「その娘に、明日、隣の家の妾になれ。と、お前は言えるか?」
「条件がよければ」
「ほう。その条件とは?」
「我が家よりも裕福で、娘の幸せを約束してもらえることでしょうか」
 淀みなく口にする使者に、トラホス王は嘲笑で答えた。
「お前の言う娘の幸せとはなんだ? 知っていたか? 親の考える幸せと、本人の考える幸せは違うものだ。言い切るお前は当然、娘の望むものが何かわかっているのだろうな?
 後宮のある国にいるのだ、妾がどれほどの扱いを受けるか知っているだろう。それでも、その選択に間違いはないという自信があるか? 娘はこれ以上ないほど幸せだと」
「それは…」
「妾とはしょせん子を成す道具だ。否定できるのならしてみろ」
「………」
 押し黙った使者にトラホス王は打って変わり、居住まいを正し優しい微笑を向ける。
「ところで一つ確認したいのだが。貴殿の主は我が娘をご存知なのか?」
 トラホス王の言葉使いと空気が和らぎ、使者はほっとした様子で小さく息を落とし、表情を引き締めた。
「はい。ディーディラン国だけではなく、シェハナ海に近い国で知らないものはおりません」
「わかっていて、あえて、この話を持ってきたのだな?」
「はい」
 頷く使者に、トラホス王は大臣たちに目を向けた。
「だ、そうだ。私に異存はない。お前たちは?」
「王!?」
「本気でございますか!?」
 トラホス王の同意に驚いたのは何も大臣だけではない。話を持ってきた使者も驚いた様子で目を見張る。
「なんだ。お前たちは常日頃からそうなって欲しいと願っていたのではないのか? 相手はディーディラン国。私の可愛い娘の嫁ぎ先としては申し分ないではないか。何を躊躇う必要がある?」
 どこか面白そうな光を宿した目は大臣と、目の前で固まる使者に注がれる。
「ディーディラン国王に伝えてもらえるか。くれてやるのは我が娘だ。覚悟しろとな。皆それで異存はないな? では以上だ」
 大臣たちに聞いてはいるが、完全な王命だ。異存など通るわけがない。
 立ち上がったトラホス王が一番の大臣に何事かを囁き、去っていくと、ようやく他の大臣たちも動き出す。
 一人、ディーディラン国から来た使者だけがその場に呆然と立っていた。
「……なんということだ……」
 先ほどまで傲然と口上を伝え、表情をまったく崩すことのなかった彼が、誰もいない玉座を見つめ呟いた。
「一体、王は何をお考えなのだ…」
 トラホス国王に子は三人いる。
 一番上は王女。トラホスの陽姫と人々に愛される彼女は、すでに有力な貴族の元へ嫁いでいる。
 二番目は王子。次期太陽王と称えられる彼は皇太子であるため、この話には参加資格すらない。
 そう、こちらの姫を…といえばあと一人だけなのだ。
 末子である王女。トラホスの白姫と呼ばれる彼女は十八になったばかり。結婚適齢期でもあり、世間的にはなんの問題もない。
 特に美人ではなく、特出した特技があるわけでもないのだが……彼女は良くも悪くも有名人だった。
 異称である"白姫"。
 白は死神の持つ色。白い波は海の怒り。空から降る白は作物を殺す。
 白は神の御使いを意味しているとされ、人が無条件に畏怖の念を抱く色。
 その色を異称に持つ姫は、生まれたトラホス国の人間においても、畏怖の対象であるが、それは他国に置き換えれば、絶対に受け入れたくない存在であるといえた。
 ディーディラン国からの使者は、この申出をトラホス国王が拒否するだろうと考え、傲然と口上を述べ、こちら側に非はないと示したかったのだ。
 それがどうだ。
「何を間違えた?」
 使者は与えられた室内で頭を抱えていた。
「わざわざ不吉なものを我が国に迎えるなど…。我が王も何を考えておられるのだ!!」
 悲鳴に近い声はのどかなトラホスの王宮に空しく響くだけだった。
 
 

◇◇ ◆ ◇◇

 
 そんなやり取りから二ヶ月。
 白姫――こと、トラホス国第二王女、スノーリルはディーディラン国へと渡ったのである。
 しかし、もちろん。前途は多難であることは誰の目にも明らかであり、ディーディラン国到着から早七日目にして、スノーリル姫は今いる状況にため息しているのだ。
「あの両陛下にお会いしたんだから、皇太子がそれなりに美形なのは想像するのは簡単よ。……カタリナだってわかってるくせに…」
 ああいえばこういう執事に、ぶつぶつと聞こえるように呟く。
 それでも結局、それ以上少女も何も言わなくなった。
 少女も執事が力になりたくてもなれない状況であることをよくわかっているのだ。
 そんな様子の主に、執事は苦笑しながらも優しい目で見つめる。
「本当にあと三ヶ月も会わせないつもりかしら…」
 ぽつりと呟き、口に運んだお茶は彼女たちに国にはない甘い香りがした。
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