そんな日の帰り道
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 歩クンからのメールでも知ったが、それ以前に知っていたのは、あの誘いをかけてくれる同僚の情報があったからだ。
 
 駅に近い会社なのだから、当然会社からも近い。
 ガラス張りで店内を外から見渡せるのは最近の喫茶店でも良く見る仕様だ。チェーン店なんてどこも同じような作りか。
 最初はあまり好きではなかったが、待ち合わせには確かに便利だ。
 会社帰りも多い店内は少し混んでいる。学校も近いし、予備校も近い。住宅街は少し離れているので、ほとんどが駅に向かう人たちだろう。立地条件としてはいい物件だ。
 明るい店内をちょっとだけ外から見てみる。歩クンの携帯から聞こえてきていた音から察するにすでに中にいるはずだ。入り口に向かいながらざっと店内を見渡してみたが、それらしい姿はない。
 とりあえず店内へ入って、飲み物を注文するために買い物袋を提げた女性の後ろに並ぶ。その間も店内を見渡してみたが、やはりそれらしい姿はない。
 もしかしたら外に出て待ってたりしたのかも。
 そこまで考えどうしようか迷ったが、とりあえず注文だけでもしておくかと気を取り直して店員さんに飲み物を注文する。注文した物がくる間に店内には新たにお客さんが三人増えた。二人はおそらくカップル。もう一人は中年くらいのビジネスマン。
「本日のコーヒーをご注文お客様」
「はい」
 余所見をしていたら呼ばれてしまった。
 暖かいコーヒーを受取って、さて、どこへ座ろうかと視線を動かす。
 おしゃべりしている人たち、携帯をいじっている人。新聞を広げている男性。子供連れで休んでいる人。騒がしい一団は女子高生。男子高生の団体はどうやら次はカラオケへくり出すらしい。騒がしい声を送り出してもう一度店内を見渡す。
 歩クンが外にいる場合、見つけやすいかと通り側に座ることにする。
 移動すると観葉植物の近くにもう一人男性がいる。外からも見えた人だ。
 後ろで髪を一つに括って、チェック柄のシャツにインナーはTシャツ。暗い色味のスリムパンツをはいた、どこかのモデルかと思うような男性だ。視線は外に向いているが、しかし。
「………」
 その人の前の席にコーヒーの乗ったトレイを置くとようやくこちらを向いた。こちらは立っているので必然的に見上げてきたその顔に覚えがあった。
 
 
「おまたせ?」
 
 
 そう声をかけると、その男性は驚いたように目を見開いてから姿勢を正した。
 おや。もしかしたら違ったか。
「歩クンでしょう?」
「あ。はい」
 こちらの問いに今度はきちんと答える。その顔が少し恥ずかしそうに下を向いて、それからはにかんで顔を上げた。
「よくわかりましたね」
 まあ、印象が違いすぎるといってもいいほど、以前に会った姿とまったく違う。
「人違いかとは思ったよ。さすがに」
 前の席に座ると、所在なげに括ってある髪に手をやった。おそらく今はお化粧はしていないだろうけど、同じ顔だ。つまり、元が可愛い顔してるのね。
 それにしても、なぜ女装ではないのだろうかと首をひねり、一つの可能性が浮かぶ。私服のようであるし、これから仕事か、仕事が終わったか。友人情報によると学生ではないとのことだったし。
「歩クンは働いてるの?」
 コーヒーに口をつけて問うと「はい」と返事がある。彼の手には同じ柄がプリントされたカップ。色味からしておそらく好きだといったカプチーノだろう。
 歩クンの仕事。前に聞こうかとも思ったが、ちょっとだけ夜の仕事かとも思って聞かなかった。今も職業はあえて尋ねなかった。しかし、続く言葉にこちらの予想を大きく裏切られる。
「ちょっと離れたところですけど、個人の洋菓子店でパティシエしてます」
「パティシエって、お菓子作る人?」
「はい」
 意外だ。いや、ある意味納得できる職業か。歩クンが普通のサラリーマンしてるほうが想像付かない。
「この時間って大丈夫なの?」
 普通はまだ営業時間なはずだ。歩くんの年齢から考えるとまだ下っ端なはずで、売り子はしないだろうけどそれなりに忙しいはずだ。
「本当に個人店なので。オーナーが結構気まぐれな人で……だから、僕みたいなのも平気で雇ってくれてますけど」
 ちょっとだけ表情が沈む。
 話からするにオーナーさんは"アユちゃん"のことを知ってるわけか。ある意味器のでかい人だ。まあ、仕事ぶりに問題がなければ特に差別することでもないか。
「川上さんは?」
「ん? ああ、ここの近くの会社だよ。電車通勤してる」
「あ。電車時間は…」
「大丈夫。本数は結構あるから」
 こちらの答えにほっとした様子で微笑み、カップを持ち上げる。
「歩クンはこっちに住んでるの?」
 こちらの電車時間を気にするということは、もしかしたらそうなのだろうかと思ったのだが、首を横に振って否定した。
「僕はバスなんで」
「ああ、なるほど。バスの時間は大丈夫なの?」
「はい」
 ここで会話が終わってしまった。
 私からは特に話をすることもない。そもそも誘いは歩クンからかけてきた。何か話があったのだろうと思ったのだが、こちらの勘違いか? それとも、言い難いことなのか。
 
 三口目のコーヒーカップをソーサーに戻すと、ふと歩クンが尋ねてきた。
「あの、やっぱりこっちのほうがいいですか?」
 両手にカップを持って、視線を落とし、声も少し弱い。
「こっち?」
 いまいち何を聞かれているのかわからない。
 飲み屋よりはスタバのほうがいい。
 昼の喫茶店よりは夜のコーヒーショップのほうがいい
 場所や時間、いろいろあるが、視線を合わさずに聞いてくることで、一つ思い至る。
「ああ。別にどっちでもいいと思うけど?」
 おそらく、今の姿のことを言っているのだろう。
 男性として見える歩クンと、女性にしか見えないアユちゃん。
 率直な感想を言うと、ぱっと顔を上げる。
 その瞬間に合った目がちょっと潤んでいる。そういう表情は男だろうが女だろうが、この人の場合無条件に可愛い。
「本当ですか?」
「だって、どっちも"日下(くさか)歩"でしょう?」
 見た目が変わっても結局、私が接しているのは一人の人間で、その事実は変わらない。
 いつかどこかで同じようなことを聞かれた事があることを思い出す。あれは確か従兄弟が俳優になって帰ってきたときのことだったか。
 芸能人としての自分と、私の従兄弟としての自分。私生活までも"自分"でいるのはどちらなのかもわからないと嘆いていた。そんな従兄弟が聞いてきたのだ。「千智はどっちがいい?」と。
 
 それと同じことをまた尋ねられているのだろう。
 歩クンの場合、もっと複雑かもしれない。
 でも、出す答えは同じだ。
「私が見る歩クンは一人だよ。見た目が変わっても、性格が変わっても」
 問題は、それに私が堪えられるかどうかであって、変わる事が問題ではないと思う。
 私の言葉に歩クンはふんわりと微笑んだ。
「よかった」
 心底ほっとしたようにカプチーノを飲み干す。
「なるほど」
「はい?」
「確認?」
「え?」
「それとも、試したかった?」
 何を聞かれているのかわからないうちはきょとんとしていたが、最後の質問には凍りついたようにカップを宙に浮かせたまま固まった。
「あの、僕はそんなつもりは……いいえ、もしかしたら、そうかも…」
 強い否定の後に、弱く自信なさげにカップを置いた。
 それと入れ違いに私はカップを持ち上げ、残りのコーヒーを一息に飲み干す。
「どっちでもいいよ。今言った事は嘘じゃないし。どっちでも、歩クンは可愛いから」
「え!? あ、の………ありがとう、ございます」
 驚いたように顔をあげ、どんどん頬を染めて、小さくお礼を言いきる頃には耳まで真っ赤になっている。
 そういうところが可愛いのだが、ため息を吐き出してしまうのは何故だろう。
「男の子なのよね。うん」
「はい?」
 ぽつりと洩れる言葉は聞き取れなかったのだろう、不思議そうに聞いてくる。
「用事は終わり?」
「あ、はい」
「それじゃあ、帰ろっか」
 トレイを持って立ち上がると慌てたように歩クンも立ち上がった。
 
 
 揃って外に出ると外気は少し寒くなってきていた。
「そろそろコート出したほうがいいかもね」
「そうですね。ハロウィンも終わりましたし」
 さすがお菓子屋さんはイベント事に明るいなと思いつつ、ハロウィンで思いつくものと言えば、私は一つしか思い浮かばない。
「カボチャ?」
「はい。カボチャ好きですか?」
「嫌いじゃないよ」
「じゃあ、今度食べにきてください。パンプキンパイ」
 決して強引にではなく、にっこり微笑み、そう誘ってくる。
 嫌いじゃないは、好きじゃないより「好き」に近いことを知っているのだ。
 店の名前と場所を簡単に教えてくれる。あそこからここまではバス停三つ分くらいの距離か。
「歩クンの乗るバスは駅から?」
「駅からも出てます」
 それは、他からも出てるけど、あえて駅まで行く理由があるということか。
「バスのほうが早かったら私がお見送りするの?」
「え。…してくれるんですか?」
 先手を打ったつもりだったが、にっこりと極上の笑みで切り返された。
 しかたない、もしそうなら見送るか。
「やっぱり強敵かも」
「はい?」
 
 
 初めてのデートは、そんな日常の帰り道。



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