勝負服の考基準
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tisato side  1.
 待ちに待った金曜日。
 朝から一日中そわそわしながら仕事をしていたせいか、上司にあたるフィリップの雷をいつになく受けることになった。
「やるきがないなら出て行け」
 そう言われたのも今日は二度。腕の良い菓子職人であるフィリップは仕事にはかなり厳しい。
 しかしそんな僕の様子を見て、初めは眉を寄せて不機嫌そうだったフィリップも、どうやらオーナーに何か聞いたらしく、お昼過ぎにはニコニコ…いや、ニヤニヤしていた。
「クサカ。彼女一度連れてくるよーに」
「絶っ対に嫌です」
 仕事のことに関しては口答えなどできないが、これは完全にプライベートな話だ。何を考えているのは丸分かりな笑顔で言われるのに、こちらも最高の笑顔で返す。
「お前。いつから俺に意見できるようになった」
 すると、この金髪ハンサムはものすごく冷たい顔で脅してきた。
 男前で冷たい印象だからなのか、怒るとその容姿は効果的面だ。きっとトロトロのチョコレートも一瞬で凍らせることができる。
 このフィリップ・ルコントはこの間まで母国、フランスに帰っていた。その間にあった出来事だから知らないのは当然だけど、だからと言って彼に進んで話をしなかったのには訳がある。
「フィルさん、絶対に食べてやるとか思ってるでしょ」
 少々引け腰で言うと、それはそれは悪人も真っ青な悪い顔で笑った。
「ほほう。クサカ、俺をそんな風に見ていたのか。明日も仕事にしてやってもいいんだぞ。そうしたら彼女をここに呼べるだろう」
 半分以上本気に違いないその言葉に、どう答えようかと思っていたら扉が開いた。
「日下の恋人はフィルには美味しくないと思うけどね〜?」
「は?」
 おどけた調子で入ってきたのはオーナーだ。彼は僕の性癖を知っている。
「俺には?」
 フィルは方眉を上げてその意味を吟味し始めた。
「一度見てみる? 趣味はいいよ」
「オーナーは見たことがあるんですか」
「うん。偶然。ね?」
「はい」
 偶然デート中に会ったのは確かだ。その時にオーナーに僕の性癖を知られた。後日気まずい中店に顔を出すと、あっさり「よさそうな人だね」と普通に会話してくれた。僕の服装に関しても、あれで店に立てば男性客も増えると笑顔だった。
 入りたての新人だったので、クビと言われることを覚悟しただけに、あのときほど感謝したことはない。
 フィリップはゲイの友達がいるとか普通に話していたので、バレても大丈夫だよとオーナーにこっそり教えてもらったこともある。なので、バレることに恐怖心はなかったけど、ふと気がついた。
 確かに今までの恋人は女の子大好きなフィリップには無理があるだろうけど、今回はそうではない。
「オーナー。今回はフィルさんの好みかも」
 微妙な笑顔で告げるとオーナーは眉を上げて驚いた表情を作った。
「おや。そうなの? それは私も見てみたいね。機会があったら連れておいで」
「写真くらいあるんだろう?」
「いいえ。まったく。というか、まだ付き合ったばかりなので」
 写真なんかあるわけがない。ましてやこの付き合いももしかしたら玉砕する可能性だってある。
 少し気分が落ち込むと、ぽんと頭に手が置かれた。
「まあ、なんにせよ、がんばりなさい。日下は明日デートなんでしょう? もう店も終わりだし、片付けと仕込みは私が手伝いするからいいよ〜」
「またですか」
 フィリップが言うのにはわけがある。そう、時間的にまだ閉店ではない。
「売り切ったよ?」
「でも、まだ来る時間帯ですよ」
「だって、残したくないんだもん」
「いい年して「もん」とか言わないでください」
「フィリップ君、戻ってから冷たいね。彼女に振られた?」
「…っ」
 ふわふわした印象のオーナーなのだが、よく核心を衝くことをさらりと言う。絶句したフィリップを見る限り、どうやら図星なようだ。
 それを聞くとなんとなく突っかかってくる理由が分かった気がした。
「はいはい。今日はもう終わり。オーナーが決めました」
 そう言いながら僕の肩を押して扉に押しのける。それに甘えて挨拶をしてロッカーへ急いだ。
 明日は待ちに待ったデートの日。
 その前に連絡をくれと言われていたから今日は気兼ねなく電話できる。ルンルン気分で着替えを済ませ、廊下にでると奥さんに鉢合わせた。
「あら、今日はもう終わり?」
「はい」
 苦笑を返すと奥さんも苦笑して店のほうへ視線を投げる。
「まったくあの人は、経営者に向かないわ」
 そう言いながらも結局はオーナーの言ったとおりにするのだから、奥さんもかなり甘いと思う。
「フィルさんも呆れてました」
「もう少し多めに作らせたほうがいいかしらね?」
「そうですね。でも、そろそろクリスマスシーズンですから」
 一年でもっとも売れるイベントがもうすぐだ。今年の店オリジナルケーキの試作を作りたい頃である。オーナーがそこまで考えているかはわからないけど、少し早めに終わるなら試作の時間は沢山ある。
「アユちゃんは手伝わないの?」
「逆に邪魔になるって言われますから」
 フィリップはどちらかというと天才肌だ。ただ興味があるだけでこっちの世界に進んだ僕と違って、職人を目指してこの世界に入った彼では意気込みが違う。
「でも、たまにアイデアを提供してるじゃない?」
「そんな立派なものじゃないですよ。日本人受けする味が分からないっていうときがあるだけです」
 フランスの感覚をそのまま取り入れてもいいと思うが、日本の流行の味をたまに聞かれるのだ。他の店に行って買って食べることはほとんどないと言っていたので、疎いというよりはただ単に我が道を行く人なんだと思う。
 それでも流行や世間の味覚を気にするのは、売れなければ意味がないと思っているからだろう。
「フィル君がいなくなると、ほんと大変になりそうな店よね」
「あはは」
 人柄はともかく、あの情熱は尊敬に値すると思う。何もかも中途半端な自分と比べて、はっきりと一本通った人なのだ。
「まあ、クリスマスは忙しくなるから今のうちに休んでおくのもいいかもね」
 そう微笑んで挨拶をして二人のいる店へと向かった。
 その背中を見送って店を出る。
 時間を確認すると川上さんはまだ仕事だ。
 少しだけ考えてやっぱり買い物へ行くことにした。



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