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 大通りに出ると左右を確認し、バロックに尋ねる。
「どっちだと思いますか?」
「…わかると思うのか?」
「あら、悪徳のあるところに悪魔はたかるものでしょう?」
 その物言いに、さすがのバロックも静かに小さく息を吐き出した。
「貴女に言わせると悪魔は蝿と一緒か」
 そんな呟きはアリシアにはなんの意味もない。左右を確認すると、顎に手を当て一つ頷いて決めたようだ。
「こっちにしましょう」
 違ったとしてもどちらかなのだ、無かったら引き返せばいいと簡単に思っていたいのだが、いくらも進まないうちに見覚えのある大男が歩いてきた。
「法師? ランプも持たずに夜遊びは危ないぞ」
 ランプを持って声をかけてきたのはやはりハッシュだった。
「夜遊びですか。ハッシュさんもマリーベルさんが心配していましたよ」
 ハッシュは苦笑しつつ頭をかいた。
「セルビー様。こちらは?」
 ハッシュの隣には一人の男性がいた。身なりは商人のようであるが、アリシアにはその人物が何者かなんとなくわかり、後ろにいるバロックを片手で背中に隠した。
「アリシア・ダシュクといいます。今日ここへ流れてきました」
「そうですか」
 男性はそういうとわずかに眉を寄せアリシアを見た。
「セルビー様とは?」
「俺が泊まるように誘ったんだ。なにか?」
「いいえ。そうですか。私はビンス・サージュといいます。以後お見知りおきを」
「はい。よろしくお願いします」
 軽く会釈すると男性は歩き出した。
「法師、気をつけるんだぞ?」
 通り過ぎるときにハッシュがそう忠告してくれる。それに頷いて答えると、ようやくバロックを解放する。
 アリシアの突然の行動にバロックは首をかしげて見上げた。
「なんだ?」
「さあ、なんだろう…嫌な感じがした」
 真剣な目でその男が見えなくなるまで見送ると、アリシアはふうとため息を洩らした。
「さて、行きますか。ハッシュさんが来たということは、こちらで当たりのようですし」
 にっこり微笑んで何事も無かったように歩き出す。
 そんなアリシアの横顔を見つめ、バロックももう一度あの男が消えた角を振り返る。
「私には神父に見えたが」
 ぼそりと洩らされた言葉を耳にして、アリシアも頷く。
「ええ、私もそう感じました。ただ、何となく嫌な空気を纏っているんですよね〜。まあ、『神の家』に悪魔がいるならそれも納得できますが」
 恐ろしいことを平気で言っているような気もするが、アリシアは意に介していない。いや、彼女にとってはどうでもいいことなのかもしれない。
 少し歩くと他の家とは明らかに違う建物が見えてくる。大人の背丈よりも高い塀だ。
「ここですね」
 町のほとんどは眠りについている時間帯だが、この家だけは明かりが絶やされることは無い。この町をいついかなる状況にあっても守ること、それが支配家としての役割であり、責任でもある。
 柵門の内側に一人剣を帯びた人物が立っている。
「何か感じますか?」
 アリシアは前の屋敷を見つめながらバロックに問う。
「いや」
「そうですか」
 否定を聞くとさっさと歩き出すアリシアに、バロックは少なからず疑問を持ったのだろう、その奇麗な顔をわずかにしかめた。
「何をしにきたのだ?」
「見にきたのですよ? 最初にそう言いませんでしたか?」
 確かにハッシュの家でそう言っていたが、まさか本当にそれだけならしい。
 目の前を歩くアリシアをしばらく見つめていたが、ふと肩が揺れているのに気がつく。後ろにいるバロックからは顔は見えないが、間違いなく笑っているようだ。
「…貴女はもしかしたらこの状況を楽しんでいないか?」
「楽しくはありませんよ。面白いだけです」
「…どう違う?」
「さあ、どうでしょうね?」
 アリシアの背中をしばらく凝視していたが、やがて諦めるように視線を下へ向けた。
「…選択を間違えたか」
「何かいいましたか?」
 ぼそりと洩らされた言葉は聞こえなかったのだろう、アリシアが少し振り返って尋ねるが、バロックに答える気はなく、結局そのままハッシュの家へと戻った。
 
 
 アリシアたちが戻るとハッシュが先に帰っていた。
「おかえりなさい。あの、ハッシュがお話があるそうです」
「そうですか。子供たちは?」
「もう寝ました。どうぞ」
 促されるままアリシアは談話室へと向かったが、ドアの前で立ち止まって振り返った。
「バロックも寝たほうがいいですね」
 にっこり微笑んでそういうと、マリーベルも頷いた。
「そうね。バロック君。私と一緒に部屋まで行きましょう」
 バロックは透き通った黒い瞳をアリシアとマリーベルの間を行き来させたが、やがて真直ぐ前を向いて歩き出した。
 その後をマリーベルが追いかけ、アリシアを振り返ると頷いた。
 バロックとマリーベルが部屋に入るのを見届けると、アリシアは談話室のドアを開けた。
「法師」
「お話があるそうですね」
 ハッシュは頷きながらアリシアに椅子を勧める。テーブルの上にはお茶が二つあった。
「その前に、クラクベルタ家を見たか?」
 その方角に歩いていたのだから見なかったとは言えないが、ハッシュの質問はそういう意味ではないようだ。
「ええ、見ましたよ」
 マリーベルが入ってきてアリシアの前にお茶を置くとすぐにドアへと向かう。
「マリーベルさんは聞かなくていいのですか?」
 その背に尋ねると、一瞬だけ硬直しゆっくりと振り返った。
「以前の話だとしても、セルビー家の妻でしょう?」
「法師様」
 お盆を持ったままうつむくマリーベルはきつく唇を噛んだ。
「マリー。お前にも聞いて欲しい。座ってくれ」
 ハッシュが促すとようやく、のろのろと椅子に座った。
「法師。単刀直入に聞く。セムは…クラクベルタ当主は悪魔と関わりがあると思うか?」
 悪魔という単語にマリーベルがびくりと反応した。視界の隅でそれを認めつつ、アリシアは何も知らないふりをした。
「さあ、それは…。悪魔に関するものは神官や神父の領域です。ただの法師の私では判断つきかねます」
 穏やかに微笑み答えるアリシアに、ハッシュは真剣な眼差しでもう一度聞いた。
「あなたでも、わからないと?」
 何かを含ませたその言い方にアリシアは苦笑した。
「ハッシュさん。あの神父様に何を聞いたかは知りません。ただ、私が言えるのは、クラクベルタ当主が悪魔と関わりがあるか、否かはわからない。わかるのは、この町には確実に悪魔が潜んでいるということです」
「では、セムは悪魔に憑かれているわけではないのですね!」
 アリシアの言葉にマリーベルは勢いよく立ち上がり、テーブルに手をついてアリシアに迫った。
 見上げるとその目には涙が浮かんでいて、すでにいくつかこぼれ落ちていた。
「残念ですが断言はできません」
 アリシアの言葉にマリーベルは落胆し、椅子に力なく腰掛ける。
「当主に会ったわけではありませんし、さすがに私も万能ではないです」
 最後はハッシュに向けての発言だ。
 苦笑するアリシアにハッシュは詰めていた息を吐き出した。
「あの人が神父だとなぜわかった?」
 確信を持ったのは「流れてきた」と言ったアリシアに、眉を寄せたからだが…。
「さあ、なんとなく…。神父という人種はどこか似通っているものなんです」
 彼らは皆どこか冷めた印象を与える。
 それは心を殺し、精神を一定に保つためだとアリシアも知っている。
「それで、話はそれだけですか?」
 まさかそれだけだとは思っていないが、あえて尋ねてみた。
 ハッシュは言うべきどうかをかなり迷っているようだ。その様子にマリーベルもハッシュを心配そうに見つめた。
「ハッシュ、お願い。全部話して」
 先を促す妻の声に、逆にハッシュが心配そうにマリーベルを見る。その視線にマリーベルが笑う。
「聞いて欲しいといったのはあなたよ?」
 笑っているがその目は真剣だ。覚悟があると訴える。
「わかった。俺が聞いたことを全部話す。その上で、法師もよく考えてくれ」
 ハッシュが渋るほどの話は、マリーベルに恐怖と不安を、アリシアに呆れのため息をもたらした。
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