夕食の席で少年の名前を発表すると、十二人の子供たちがぱちぱちと手を叩いて祝福してくれた。
バロックはどこか複雑そうな空気を纏い、アリシアに目を向けた。それを受けアリシアはにっこり微笑み髪を撫でる。
「よかったですね」
その様子を見ていたマリーベルもにっこり微笑み、ふとアリシアに耳打ちした。
「あの。バロックって男の子?」
「ええ、そうです」
困ったように笑うアリシアに、マリーベルは「まあ」と小さく驚いた。
「将来が心配だわ」
本当に心配している様子の大家族のお母さんに、アリシアは笑いを禁じえなかった。
「そういえば、ハッシュさんはどうしたんですか?」
食事が終わっても姿が見えないことを尋ねると、マリーベルは少し困ったように微笑んだ。
「ええ、ちょっと。今、色々と大変なんです」
一緒に洗い物をしているアリシアは少しだけ後ろを気にした。
子供たちは廊下を挟んだ部屋に集まって、それぞれ絵本を読んだり、バロックにあれこれ教えたりしている。
「私の勘違いだったらごめんなさい。もしかしたらこの町の支配家の問題?」
アリシアの言葉にマリーベルの手が止まった。それも一瞬ですぐに動き出したが、笑い飛ばすこともできないようだった。
アリシアはそれ以上突っ込むことはせず、マリーベルの仕事を手伝っていたが、やがてマリーベルのほうが観念したように重いため息を吐き出した。
「法師様ですからお話しても問題ないですね。実はそうなんです。ハッシュは以前の支配家の直系にあたります。セルビー家当主が亡くなったとき、ハッシュはまだ子供で。セルビーの家を補佐していたクラクベルタがこの町の支配家になりました」
旅先ではよく聞く支配家の交代劇であるが、マリーベルの表情からよくある話ではないようだ。
「今ではここはクラクベルタ家が支配する町です。それはハッシュも納得していますし、町の人も暴君でなければ支配家はどちらでもいいんです」
「そうですね。誰が支配しようが結局、下にいる人間にはあまり気にすることではないものです」
どんな組織も同じものですよと茶化していうと、マリーベルも笑う。
「ただ、今の当主になってから。この町はどこかおかしいんです」
そういうと後ろを振り返る。
「私たちがあの子たちを引き取るようになって、実はまだ半年なんです」
身を持ち崩した親が子供を捨て、その日の酒代欲しさにはした金で実の子を売る。また、そうやって売られてきた子を買い取り、奴隷として使う。
「ハッシュはその現状に心を痛めました。それで、できるだけそういった事情を抱える子供を引き取ろうと言い出して。ここは狭いし、私たちはあまり裕福ではありませんが、小さな心に安息を与えてやれるならと始めたんですが…」
そんな努力も空しく、良くなるどころか日増しに悪くなり、最近では町に目つきの悪い男たちが歩き回るようになった。
「それで、ハッシュは以前の支配家の血筋ということもあって、クラクベルタ家に諫言をしているんです。でも当主のセム様はあまりそのことに関心がないようで。最近ではセルビーをもう一度支配家にと言う人まで現れて………」
明るく朗らかな印象のマリーベルが顔を雲らせる姿はどこか痛々しい。
「『神の家』は何もしないのですか?」
政治的な関与はしないが、人々の救済を謳っている組織だ。助けを求めれば救済にあたってくれるはずである。
アリシアの疑問はマリーベルを完全に沈黙させた。視線が洗い物から動かない。その様子にアリシアは眉を寄せ、口を開きかけた。
「お母さん。ミリーがもう眠いって」
子供声で言葉はそれ以上紡がれることはなかった。
マリーベルもいつもの調子に戻ると、笑顔を振りまき子供たちのもとへと駆けつけた。
「なにかあるわね」
そう呟くと止まっていた洗い物を再開する。
「悪魔がいる」
音も立てずに隣に現れたバロックにアリシアは驚くこともなく、ただ頷いた。
「ええ、そうですね。そうだ、バロック。お散歩しませんか?」
「さんぽ?」
「はい。町をちょっと見て回りましょう」
日の落ちた町を、しかも危ないやからが増えつつある町を、女子供が歩くことがいかに非常識なことか、バロックはまだ知るところではない。
洗い物を終えたことをマリーベルに伝えると、自室に戻りマントを羽織る。
「『神の家』がどこにあるのかも知っておきたいですし、ついでにクラクベルタ家も見ておきますか」
バロックにもマントをつけさせ、一応マリーベルに声をかける。突然居なくなっては主のハッシュに説明できなくなるだろう。
「ちょっと『神の家』に行ってきます」
談話室にまだ子供たちと本を読んでいたマリーベルは時間を確認した。
「もう遅いですよ?」
「ええ、でもこの町についてからまだ行ってないので。それに、法師に手を出すほど荒れてもいないようですし」
世界が壊れてから『神の家』は人が持つ唯一の盾である。そのため、どんな悪人でもなかなか手を出さないものなのだ。
マリーベルもそのことは知っている。世界の常識とも言えるため、強く止めることもしなかった。
玄関までくると「十分気をつけてね」と送り出してくれた。
夜の町は静かだった。さすがに酒を出す店の前は騒がしかったが、それ以外はひっそりとしたものだった。
「さて、『神の家』はどこでしょうかね?」
大体は町の中心部に建てられているため、探すのはそう難しいことではない。
「『神の家』に関心があるのか?」
後ろを歩くバロックの言葉にアリシアはくすくすと笑い出した。
「その質問は、法師にするべき質問ではないですよ」
法師である以上『神の家』に関わっているのだ。関心がある無いの問題ではない。
しかし、バロックはぼそりと洩らす。
「"流下"なのだろう?」
「知っているのですか?」
"流下"とは『神の家』に認可されていない法師を蔑んだ言い方だ。
意外そうにバロックを見ると頷いた。
「敵の見分けくらいつく」
「あら。敵だと認識されているんですね」
敵だと認識されているわりに、気分を害するわけでもなく。いや、むしろどこか楽しそうにしているアリシアに、バロックはそれ以上の話を断念したのか、沈黙を守った。
アリシアの着ているマントは自分が法師だという証明ではあるが、『神の家』に属しているという意味ではない。『神の家』から支給されるマントだが、法師と認められれば誰にでも支給されるもので、だからこそ、階級は一番低い扱いだ。
静かになったバロックをそっと見やり、アリシアは話を続ける。
「普段は『神の家』など、放っておいてもいいのですが、マリーベルさんの話だとどうも無視するわけにもいかない気がしまして……悪魔が居憑くなら絶好の場所ってどこか知ってます?」
悪戯っぽく笑いながらの質問に、バロックは前に見える尖がり屋根を見つめて答えた。
「『神の家』」
「はい。ご名答です」
神住まうこの家は、悪しき者を排除する。
そう信じ、世界のほとんどはこの『神の家』を崇拝している。しかしその実、それは人間が作り上げた幻想で、当の悪魔たちがそれを利用することは多い。
クラクベルタにある『神の家』はそれなりに規模が大きいが、尖塔を中心に左右対称の建物があるのはどこでも一緒だ。
建物を囲うように鉄柵があり、柵の上部は鋭い矛先のようになっていて、簡単に侵入できないようになっている。
その上、門扉は分厚い鉄板でできていた。
「鉄壁ってこういう感じですかね?」
どこか皮肉のように門の前に立ち呟くアリシアの横で、バロックが呟く。
「いる」
「確定ですね」
バロックの宣言を聞くとアリシアはさっさと歩き出した。
その後を追うバロックは一度『神の家』を振り返った。
「認識できているのか?」
「まさか。私は歴とした人間ですよ?」
それにしては、ハッシュの家でのバロックの言葉に驚かなかった。
「悪魔はどこにでもいます。さして驚くことでもないですよ」
こともなげに言うが、法師という立場の人間がいう台詞ではない。人々に安息を与えるのが法師の仕事だ。不安を与えるような発言は控えるべきだ。
しかし今はバロックしかいないこともあり、アリシアも隠すつもりは無い。
「大きな町にはよくあることです。力の強い神官がいればこういう事態は避けられるのですが…どうやら神官は期待できませんね」
『神の家』がのっとられるということは、中にいるであろう神官はすでにいないか、捕らわれていると考えるのがよい。
アリシアは次にクラクベルタ家に向かうことにした。
支配家は大通りに面して、大きな屋敷を構えているのが普通なので、大通りを目指して歩いた。