「よう。嬢ちゃん。暇してるならオレたちと遊ばないか?」
一人、店の壁に寄り添って立つ少女に、複数の男たちが声をかけた。
少女は一度男たちに目を向けると、興味なさそうに目をそらした。
「はは。気の強い女は好きだ」
「それにしてもこりゃ、極上品だな」
男たちは少女を上から下へと舐めるように視線を這わせる。
年のころは十歳前後。簡素で色味もない服に身を包み、癖のない見事な黒髪は膝下まで伸びている。真直ぐ前を向く大きな瞳は同じく黒かった。
「すぐに売るのか?」
「そりゃ、お前。使い物になるかは調べないと…なぁ?」
「ああ。当たりまえだ」
三人の男たちは壁際にいる少女を取り囲むように立っている。
「ちょっとそこまで付き合ってくれないか?」
自分たちの胸の高さよりも小さな少女に、上から圧力をかけるように問う。
少女は彼ら一人一人を見やり、真横を向いて何かを確かめた。
視線の先には派手に音を立てている服屋の入り口がある。
「逃げ込むつもりか? それは無駄だぜ、嬢ちゃん」
少女の視界を遮るように男が壁に手をつき、にやける。
その目はもはや誠実な大人のものではなかった。もっとも、白昼堂々と少女を誘う男たちだ。端から誠実なわけがない。
「人を待ってる」
この場合一番気を変えそうな言葉であるが、そもそもこの男たちは少女の言うことなど聞く気はないようだ。
「だってよ、どうする?」
「あほ。だからどうだってんだ…」
「この路地裏なら邪魔も入らないだろう」
「痛ってぇ!!」
これからの相談を始めた男たちの一人が、突然悲鳴を上げた。
三人の真ん中にいた男が、足を抱えてうずくまると、他の男が驚いたように声をかける。
「なんだ? どうした?」
「あ!! 小娘!!」
自分の話を無視して相談する男たちに、少女は問答無用で一人の脛に蹴りをいれ、うずくまった男を踏み台にしてその場を逃げ出したのである。
なんとも鮮やかな手並みだった。
「待て!!」
男たちは逃げる少女を追う。
土地勘のない少女に大の大人が走って追いつけないわけがない。
少女は人通りの多い広い場所で捕まってしまった。
「オレたちから逃げられると思ったのか?」
髪と手首を掴まれ、男たちに囲まれる少女を見て周囲の人たちがざわめく。
「うるせー!! 見せものじゃねーぞ!」
一人がそう怒鳴り散らすと周囲の人たちも一様に鎮まり、見てみぬふりをして通り過ぎていく。
「さて、どうする?」
しっかりと少女の手首を掴んだ男が下卑た声で仲間に聞く。
「離せ」
「あん?」
かけられた可愛らしい声と、放たれた言葉の違和感に、男は何を言われたのか理解できなかった。
「離せ」
もう一度、無表情な少女が命令した。
しかし、男たちに受け入れられるわけもなく、一笑に付された。
「もしかして、命令してるのか?」
「ははは! そうだな、いいところへ着いたらな」
ニヤニヤといやな笑みを浮かべ、少女を捕らえたまま男たちが移動しようとしたその時、周囲の人たちがまたざわめき出した。
男たちは何事かと周囲を見渡し、そして盛大な舌打ちをした。
「その子を離せ」
穏やかだが覇気のある声は彼が人の上に立つ人間だと物語っていた。
「これはハッシュの旦那」
ハッシュと呼ばれたその男性は少女に視線を投げ、そして男たちに目を向けた。わざとらしく腕を組み、男たちに笑いながら尋ねた。
「離してやれ。それとも力ずくがいいか?」
「い・いいえ! 俺たちはこれで!!」
ハッシュの言葉に、男たちは恐れをなした様子で首をぶんぶんと横に振ると、少女を解放し一目散に逃げていった。
彼はどうやらかなりの力の持ち主のようだ。
「まったく…大丈夫か?」
呆れたように呟くと、捕らわれていた少女に視線を合わせて聞いた。
すると少女はこくりと頷く。
さして怖がっている様子もない少女に、ハッシュは驚いたように目を見開いた。
「……そうか。ならいい。お前一人か?」
この質問に首を横に振る。
「親も一緒か?」
少女はやはり首を横に振る。
少女の仕草に合わせて見事な黒髪がさらさらと動く。長い長い黒色は不思議な光沢を湛え、人目を惹いた。
「親じゃないのか?」
ハッシュは首をかしげながらそう尋ねると、今度は頷いた。
その様子にハッシュは腰をあげ、少女を見下ろした。
「お前ひょっとして、口がきけないのか?」
今度は首を横に振る。
あまり気の長いほうではないのか、ハッシュは諦めたようなため息をつき、空を見上げた。今日は実にいい天気である。
ハッシュが空を見ている間に、少女はさっさと歩き出していて、視線を戻したときにはすでに離れたところにいた。
「お? おい! ちょっと待て」
慌てて追いかけ、声を掛けるが少女はその声を無視して歩き続ける。
少女の後をついて歩くと、一人の女性がきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていた。その女性が少女を見つけるとほっとした様子で駆け寄ってきた。
「ああ、良かった。いましたね。…何かありましたか?」
袋を抱えた女性は少女の後ろにいるハッシュに気がつき、少女に問う。
「男たちに絡まれた」
感情のない声で少女が答えると、女性はなんともいえない顔になり、ハッシュに目を向けた。
それに気がつきハッシュが答える。
「ああ。町のゴロツキに絡まれていたんだ。とりあえずは無事だ」
ハッシュの答えに女性は心底安心した様子でため息をついた。
「そうですか。ああ、もしかして助けてくださったんですか? ありがとうございました」
軽く頭を下げ女性はにっこりと微笑んだ。
とても清楚な印象を与える女性は、薄茶色の髪を後ろで三つ編みにしていた。年の頃は二十歳そこそこといったところか。
「さて、行きましょうか」
女性は少女に声を掛けると、そっと黒髪を撫でた。
その仕草を見て、ハッシュは親子だと思ってしまったのだが、つい先ほど少女がそれを否定したばかりだ。となると、かなり妙な組み合わせの二人連れだ。
「待て。お前たちはどういう関係なんだ?」
「はい?」
質問で呼び止められ、女性は驚いたように聞き返した。
「親子ではないとその子が言っていた。もしかして姉妹か?」
先ほどの女性の仕草は愛すべき者に向けた優しさで溢れていた。少女は親ではないというし、外見もまったく似ていないのでそうなのだろう。他で考えられることでいえば、異母や義理の姉妹。
「姉妹…」
しかし、女性はハッシュの言葉に口元を押さえ笑い出した。
少女はそんな女性を、冷めた目で見ていた。
「私たちはそんな関係ではありません。そうですね……一応、この子の保護者です。でも、親子ではないんです」
女性の答えはあまり納得できるものでもなかったが、嘘をついているようにも見えない。
「預かっているとかか?」
ハッシュの答えに女性は曖昧に笑う。
女性が少女に視線を移したときに、ふと気がついた。
「ああ。お前、今日ここにきた法師か。確か弟子を連れていると聞いた」
大きな町ではあるが法師の噂が広まるのは早い。特に今回は女たちが好きそうな話題を含んでおり、ものすごい速度で町全域を駆け回った。
ハッシュの耳にも入ってきた噂によると、法師が美少女を連れてやってきたというものだ。もちろん邪推付きで。
そのため法師は男だと勝手に思っていたハッシュは、彼女の着ているマントを見ても噂の法師だとは思わなかったのだ。
ハッシュの言った「弟子」は気を利かせた発言で、女性も「弟子…」と呟きなにやら複雑そうにしたが、次には温和な笑顔で頷いた。
「ええ。おそらくその法師です。なるほど、それで目をつけられましたか」
その答えにハッシュは渋い顔をした。
「…すまない」
「いいえ。やっぱり買ってよかったです。はい。鎖ではないですよ?」
「は?」
その言葉にハッシュが反応するが、女性の言葉は少女に向かっていた。
少女は差し出された袋を見ると受け取った。
「次は宿を探さないといけないですね。あ、どこかいいところはありますか? できれば安いところがいいのですが」
女性が悪戯っぽく微笑みながら尋ねると、ハッシュは苦笑いをしながら頭を掻いた。
「ああ、ある…が、俺のところに泊まる気はないか? 大家族だから二人くらい増えても構わない」
「いいんですか?」
意外な申し出に女性は驚いたように聞いた。
「法師なら歓迎する。普通はそうだろう?」
神に仕えるものを無下にしたら罰が当たる。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
「おう。俺はハッシュだ。ハッシュ・セルビー」
その発言に少女がハッシュを見上げてまじまじと見つめた。
「私はアリシア・ダシュクと申します。この子は……ヴィヴィアンとでも名乗りますか?」
「断る」
少女にしては横柄な言葉使いにハッシュは驚き、アリシアの困った様子に名前は聞くなと暗に言われた気がしてそれ以上尋ねなかった。