1
 旅の道連れができてアリシアは今までの旅よりも格段に気を使うことになった。
 その理由と原因はついこのあいだ拾った子供のせいだ。
 今まで田舎道を歩いていたため、ソレを念頭に置いていなったといえばそれまでだが、人通りの多い道ではいやでも考えてしまう。
「やっぱりフード付きのマントを買ったほうがいいかなぁ」
 呟きながら後ろを歩いている少年を振り返った。
 そこには無表情だが間違いなく可愛い美少年が歩いている…はずだった。
(今日はこれで何度目だったかな〜)
 数十歩ほど離れたところで、少年が立ち往生している姿を見て、やはり先ほどの発言は必要不可欠だと感じた。
「次の町で買おう」
 そう心に決めてアリシアは少年のもとへと向かった。
支配の名前
 この街道に入ってから、気がつくといつも誰かに声をかけられて――大体は不道徳な大人たちだが――立ち止まる少年。
 彼は今"人生"を勉強中。
(ちょっと言い方を間違えたかな…)
 出会ってすぐ、少年が人としての常識がなさ過ぎることに気がつき、アリシアは少年の言い分を受け入れた。
 その時アリシアは少年にこう助言をした。
 人間を知るには人間と触れあうのが一番です、と。
 しかし、それは健全な人間との心の交流という意味であって、誰彼かまわずに触れあいを持てと言ったわけではない。
 少年は知らなくてはならない事が沢山あるが、世の中知らなくていい事もあるのだ。しかし………。
「元が元だからなぁ。知らなくていい事のほうを沢山知ってそう」
 アリシアは少年の"元"を知っているだけに、健全な道へと少年を導けるのかとても不安だった。
 歩いてきた道を戻り少年のもとへと近づくと話し声が届く。その内容に、この鉄面皮の少年は話を理解しているのだろうかと苦笑が洩れた。
「な〜に、お嬢ちゃんならすぐに人気者になるさ。服もお菓子ももらいたい放題だぜ! 難しくないし楽しいところだ…」
「楽しいところ。ですか?」
 声をかけると少年がアリシアを見上げる。
 大きくて透明な黒い瞳。しかし、いまだ表情を知らない瞳。無表情ではあるが白く奇麗な顔に花を添えるのは淡く色づいた頬と唇だ。全体的に静かで可憐な印象を与える。
 その可愛らしい顔を引き立たせるような黒髪は長く、アリシアがそれをひと撫でするとふいと視線を外された。
 どこかウンザリしたような雰囲気をその身に纏う姿に、思わず微笑んでしまう。
「いっそのこと首に鎖でもつけましょうか? そうしたら声をかけられる数も減りますよ?」
 もちろん本気ではない。そうして歩けばアリシアの持ち物であるということで、誰も声はかけてこないぞということだ。
 しかし、少年に冗談はまだ通じないようだ。
「契約なら悪魔の時にするべきだ」
 あまり発言をすることのない少年はそう提言する。
 その声は見た目どおり可愛らしいが、口調は硬く年齢に見合わない。アリシアにはそこが可愛く見えて、ついからかってしまう。
「あら。私に縛られる気があったのですか?」
 少し大げさに驚いた風に言うと少年はもう一度見上げた。
「望むのか?」
「さあ? どうでしょうね」
 問いには答えず、にっこりと微笑むと少年はまたふいと顔をそらす。
 拗ねたようなあまりに可愛い仕草にくすくすと笑っていると、声をかけてきた不道徳な大人がきょとんとした表情で、アリシアと少年を交互に見やる。
「あんたそのマント、法師だろう?」
「ええ。そうですが」
 身につけているマントを見ての問いに、アリシアは当然のごとく頷く。
 マントといっても幅広の袖があり、フードがついている。前開き仕様のマントで、色は黒に近い灰色だ。特に装飾が施されているわけでもないが、肩口の高さでぐるりと体を一周する緋色のラインが入っている。
 それは『神の家』が支給するマントを意味した。
 本来は白い帯も巻かれているのであるが、旅をしている法師はそれをつけているほうが少ない。
 アリシアの肯定を受けるとその人は一度眉を寄せたが、得心したようにため息を落とした。
「稚児ってやつか。もちろん売る気はないよな?」
「そうですね」
 にっこり微笑んで断ると、不道徳な大人は残念そうにその場を去って行った。
「ちょっと背徳的な話に聞こえましたかね?」
 ものすごい誤解ではあるが、アリシアはあえて否定はしなかった。
「ちご?」
 話には加わらなかったが、その言葉が気になったのか、少年がわずかに首をかしげアリシアに尋ねる。
「ああ、ん〜。神に愛された子供のことを言います。普通は」
 なんと答えればよいのやらと、言葉を濁しつつ答えた。
 間違いではないし、教えなければならないことでもない。
(聞いても驚かないだろうけど)
 口にするのは躊躇われた。
 少年もそれ以上興味はないようで、向かう先へと歩き出した。
 
 
 たどり着いた町はここ一帯では一番大きな町だった。
 町に続く街道上に大きなアーチ上の門が立ち、そこに装飾された文字で町の名前が書いてある。
「"クラクベルタ"です」
 少年が見上げているのを見てアリシアが読み上げる。
「確か以前は"セルビー"と聞いていましたから、支配家が変わったんですね」
「しはいけ?」
「この町を支配している家族の名です。ここは聖都から遠いですからね」
 世界崩壊から千年。世界は聖帝に統一された。
 アリシアたちのいる場所も、発布された地図に土地の名前が書いてあるが、都市の名は聖都にほど近い場所だけが記されている。
「聖都に近ければ侵食される心配はありませんが、離れた場所はいつ侵されるかわかりませんから。町の名前は個人の名がつけられるのが普通ですね」
 そこには人間の支配欲も含まれているとアリシアは苦笑した。
「僅かな間でも自分のものだと言いたいのか」
「そんなところですね」
 厳しい意見に困ったように笑うと町へ足を向けた。
「さて、とにかく一番に買わないといけないものがありますね」
 アリシアは街道で考えたことを実行するべく歩き出す。
 大きな町だけあって、いろんな店が立ち並んでいる。食べ物屋はもちろん、宝飾品や武器防具に、魔術道具。
 少年の目にはどれも珍しく、時々立ち止まりアリシアの説明を受ける。
 そんなのんびりした足取りでようやく目的の服屋を見つけ、中に入ろうとすると突然怒声が聞こえた。
「なんだと!! もういっぺん言ってみろ!!」
「何度でも言ってやるわ! このスケベ親父!!」
 どうやら喧嘩のようだ。驚いて立ち尽くしていると回りに人が集まり出した。
「あ〜あ。また始まったよ」
「またなんですか?」
 近くで立ち止まった人の言葉にアリシアが思わず問いかけると、その人は苦笑して頷いた。
「ああ。また旦那が鼻の下のばして客を見てたってのが原因だろう」
 二日に一度は喧嘩してるから気にするなと、その人は手を振ってどこかへ行ってしまった。
「どうしよう?」
 アリシアは一度少年を見たが、少年は興味なさそうに真向かいの店に視線を向けていた。
 服屋の店内では大きな物音が響き、どうやら奥さんが物を投げ始めたらしい。
「ああ、もう! ここにいてね! 絶対に大人しくしてるのよ!?」
 アリシアは少年に声をかけ、嵐の店内へと突撃していった。
1