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 残してくるはずだったバロックも結局くっついてきた村長の屋敷では、家人の他にも沢山の人がいてみんな心配そうな表情で何かを囁きあっている。
 そんな中を突き進み、固い顔で立っている村長とおそらく母親、それに代表格の男性が話し合いをしている真っ最中だった。
 彼らの話が終わるまでジョルジュはこれまでの事情を聞いてみた。
 村にはどうやら医療の知識のある人物がいたらしく、彼が一通りの処置はしたようだった。少女に外傷はなく、ただ寝ているだけであると判断された。しかし、どんなことをしても全く起きないのだ。少女を診た人物の話では原因が分からないということだ。
「リーナさんはどこにいたんですか?」
「それが、エトラの息子の部屋にいたらしい」
 首をかしげるジョルジュに村人の一人が指差して教えてくれた。
「あ」
 その人物は『神の家』でジョルジュに一番食って掛かってきた人物だった。
「わかった。法師に掛け合ってみる」
 苦々しく息を吐き出した村長の言葉でようやく話し合いが終わったのを知り、回りで心配していた村人たちにわずかにほっとした様子が見て取れた。
 村長以下、数人でアリシアのいる納屋へと向かうと、見張りをしていた男性二人が村長に軽く頭を下げた。
「中にいるか?」
「はい。ずっと」
「開けてくれ」
 明かりがいくつもある中、扉を開けて村長が一番に中に入り込んだ。
 納屋は狭いため、村長と男性、ジョルジュとバロックが入るといっぱいだった。
「随分と騒がしいようですが、何かありましたか」
 さして動揺することも驚くこともなく、尋ねるアリシアに村長の肩に力がはいるのがわかった。
「お前はもしかしたら予期していたのではないのか」
「娘さんがかどわかされ、魂が抜かれると?」
 地面に腰を落としたままのアリシアが、村長を見上げて尋ねる。その態度は落ち着きすぎるほどに落ち着いている。逆に言えば最初から全て知っていたように見えなくもない。
「なぜそれを!」
 村長が声を荒げるのに、アリシアは一つ肩をすくめて見せた。
「あれだけ騒いでいて、扉の前の見張りが話をしていれば普通知ることとなりますが?」
 冷静な声にぐっと言葉を飲み、深呼吸をして落ち着きを取り戻してから話始めた。
「とにかくだ。医者が診ても原因がわからない。あれの母親も心配しているし、他に手立てが無い。娘を見てやって欲しい」
 苦々しくそれでも頼む村長にアリシアはわざとらしく息を吐き出した。
「随分都合がいいのですね」
「法師!」
 アリシアの言葉にジョルジュが咎める声を出す。それにちらりと視線をやってから、村長へまっすぐに向き合う。
「見るのは構いませんよ。ですが、私はただの人間で、できることとできないことがあります。医者が診てわからないことが私にわかるとは思えないのですが」
 それは正論で、だからこそ村長には言い返す言葉が無かった。しかし、ジョルジュはそうはいかなかった。アリシアの前に膝を付き必死で訴える。
「アリシアさん。貴方は聖職者でしょう? 人を助けるのがお仕事なはずです」
「違います。私の仕事は迷える魂を解放し還すことで、人を助けるのが仕事ではありません」
 笑みも無く冷たく言い切られ呆然とする。
「そんな…」
「お前をここに泊めることを許可したのは誰だと思っている」
 全く応じる気配のないアリシアに、村長が上から威圧的に攻めてくる。
「勘違いしないでください。私は彼らに宿をと言っただけで、私がここにいるのは貴方がここにと言ったからです。彼らの休息と引き換えに私は行動の制限を受け入れました。それ以外は私が望んだことではありません」
 ぴしゃりと言い切り静かに見つめる瞳には感情が何もない。怒っているわけでもなく、呆れているわけでもなく、蔑むわけでもない。ただただ正論を口にする。
 こんなアリシアをジョルジュは初めて見た。これまではどんなことがあっても大抵は笑みを浮かべて「仕方ないですね」と応じてきた法師が、なぜか今回は周りに壁を作って全く応じようとしない。
「なぜですか?」
 力なくただ、そう問いかける。
「なぜ、力を貸していただけないんですか?」
 ジョルジュの声に村長がはっとしたように視線を落とす。見ればジョルジュのほうが心を痛め今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「私は慈善家ではありません。受けたものにはお返しをしますが、与えられもしないのに、なぜ返さねばならないのですか?」
 アリシアの言葉にジョルジュは首を横に振る。
「アリシアさん、お昼に野菜を戴いたでしょう? お茶を戴いたでしょう? あれは全てリーナさんが援助してくれたおかげです。僕は彼女に何もしてあげることができませんが、貴方なら彼女を助けられるかもしれないんです。お願いです。貴方が差し出したものには僕が必ずお返ししますから、リーナさんを見てやってください」
 必死でなんとかアリシアを動かせる言葉を見つけて訴える。地面に顔を近づけて頼み込むと幼い声が「アリシア」と名を呼ぶのが聞こえた。その声がどこか呆れを含んでいるようで、顔を上げてみると目の前にはいつもと同じように優しい笑みがあった。
「ちゃんとリーナさんにお礼は言いましたか?」
「え、えっと、はい…? え?」
 事態が飲み込めないジョルジュの頭を二度撫でてから立ち上がった。
「さて、ではお礼をしなければなりませんね。案内は頼めますか?」
「はい!」
 なぜか突然やる気を出してくれたアリシアを納屋の外に連れ出すと、村人が驚いたようだったが構わなかった。
「彼女はどういう状態なのですか?」
 村長の家に行く間にリーナの症状、いなくなってから見つかるまでの話をかいつまんで話す。村長の家に着く頃にようやく後ろから村長がやってくるのがわかった。
 家にたどり着くとすぐ、アリシアが周りの様子を窺った。
「そのエトラの息子さんとはどなたです?」
 質問に回りがその人物を探すがどうやらここにはいないようだ。
「その人を連れてきてください。事情を聞く必要があります」
 アリシアの言葉に反応したのは代表格の男性だった。
「エトラの息子は関係ない。部屋に戻ると娘が寝ていて驚いて報告にきたのだ」
 追いついた村長が言うのを無視してアリシアは少女のいる部屋へと入った。医者と同じように診察のようなことをして、不意に頬を叩いた。それは強めの力で、様子を見ていた母親が小さく悲鳴を上げたほどだ。
「起きませんね」
「法師」
 ジョルジュも同じように驚き焦って思わず声をかける。
「大丈夫ですよ。このくらいで死にはしません」
 にっこりと悪びれる様子も無く微笑まれ、二の句が告げなかった。
「さて、では原因を探りましょうか」
「悪魔ではないんですか?」
 ジョルジュの声にアリシアは顎に手を当ててじっとリーナを見つめる。
「おそらく夢魔の類でしょう。このまま祓ってもいいのですが、そうすると別の場所に被害が出る可能性があります。まあ、私はそれでもかまいませんが、彼女はきっと悲しむでしょうから」
「夢魔」
 ジョルジュの知っている範囲で夢魔は悪魔としてはかなり下級とされる。おそらく目の前の法師の相手ではないはずだ。少なからずほっとすると、玄関口が騒がしくなった。
「きましたね」
 それに気がついたアリシアが玄関口へと向かった。
「ここで話しますか? それとも人払いをしたほうがいいですか?」
 周りには依然として村人が数人いた。玄関口でのアリシアの問いに男性は青い顔で首を横に振った。
「お、俺は何も知らない。部屋に行ったらリーナがいて」
「ええ、わかっています。私が聞きたいのは貴方が夢の中で何を願ったのかです」
「お、俺は…俺は…」
 すとりとその場に座り込んだ男性は、それ以上何も話さなかった。
「すみません。人払いをお願いできますか?」
 村人はすぐに家から出て行ったが、家人は中々離れなかった。場所を移してジョルジュが説得し、代表の男性が立ち会うという条件でようやく村長一家が離れた。
「さて、これで話しやすくなりましたか?」
「………」
 アリシアの問いに沈黙したまま語らない男性に、アリシアが視線を合わせるように顎を持ち上げて顔を覗き込む。
「貴方の名は?」
「…ジョン・エトラ」
「"ジョン・エトラ"。大丈夫。心配しないで。話して」
 母親が語るように優しく問いかけると、男性がぽろぽろと涙を流し始めた。
「俺はリーナが好きだった。ずっと、ずっと好きだった。それが、今日そいつが現れて、リーナがそいつを素敵だなんて言うんだ。あんな人なら恋人にいいなって…」
 突然始まった独白にジョルジュが一番驚いた。そいつと指差されたのは他でもないジョルジュである。
 まさかこんなところで自分が関与しているとは露とも思わなかったが、この告白を受けて、あの『神の家』での剣幕がどういったものなのか分かった気がした。
「それで、腹が立って、家にいたら、声が…」
「リーナが呼ぶ声が聞こえたんですね?」
 問いにこくりと頷く。
 リーナが家の前に来て彼を呼んだのだそうだ。それで彼は急いで扉を開けた。するとリーナが抱きついてきたのだという。
 その後はそれこそ夢中で、自分がした行為は彼女も喜んでいたという。
「でも、夢だったんだ」
 気がつけば自分はベッドに横になっており、リーナはどこにもいない。窓の外を見ればまだ昼間。どうやら腹が立ってそのまま不貞寝して、あんな都合のいい夢をみたのだろうと、そう思ったのだそうだ。
「その夢の中で、リーナに何を願いましたか?」
「願い?」
「側にいて欲しい。愛して欲しい。そんなところです」
「ここで一緒に暮らそうって。そしたら…リーナが…欲しいものがあるって」
「それは?」
「それは…」
 そこで男性はぴたりと言葉を途切れさせた。
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