アリシアと別れ、部屋を掃除し、何とか寝る場所を確保して一息入れることにした。
リーナの残していったお茶を飲んでいると、掃除の間どこかにいたバロックがふらりと現れた。
「お茶、飲みますか?」
うんともすんとも言わない少年に少し困ってから目の前にお茶を出してやる。
「ジョルジュは聖職者になりたいのか?」
唐突に質問され、えっと言葉を詰まらせ少年に視線が釘付けになる。
これまでそれほど言葉を交わした覚えはなく、いつもアリシアが少年の相手をしている。この歳の少年としてそれは時々と言っていいほどで、もちろん、ジョルジュに質問してくることは数えるほどしかない。
しかも、今回はかなり個人的な質問で、なぜかとても動揺した。
「あー、えっと。興味はありますが、なりたいかと聞かれると、自分でもわかりません」
声に出して答えるとそれが本心であると確信する。
祖母が聖職者で、その職のすばらしさや重要さ、崇高な心を持つものだけがなれるというどこか信仰に似た憧れがあった。しかし、だからそれに自分がなりたいのかと問われると、正直よくわからない。
特にアリシアの話を聞いた今は、さらによく分からなくなっていた。
祖母は孫であるジョルジュに聖職者とは輝かしく誇り高い仕事だと、そう教えていた。それは間違いではないと思う。祖母はそれに見合う魂を持っていたと思うし、今行動を共にしているアリシアも高潔な人物だと思えるからだ。
ただ、自分がそうなれるのかという疑問はついて回る。
「僕にはアリシアさんのような特殊な力はありませんし、もしなれたとしても…」
「無力な法師のままか」
「…はい」
「それが嫌なのか」
「え」
まっすぐ見上げてくる黒い瞳は何も濁ったものは無く、純粋にただ思ったことを質問してきている。
だからこそ、刺し貫かれたような気分になった。
「アリシアは、だから法師でいると、そう言った」
「あ」
今まで漠然と憧れていた聖職者という職が、実は考えていたほど生半なものではないと知って、落胆した。あの職は祖母が言うように誇り高く清潔で、輝かしいものなのだと思っていたからだ。もし、自分がなれるのならそうなるに違いないと疑いもしなかった。
しかし、それが今音を立てて崩れ始めて、怖くなったのだ。
自分は悪魔を祓うような力は無い。それはつまり、神官などに到底なれるものではなく、もしかしたら人を騙す犯罪者と同じように扱われるようなものにしかなりえないのではないか。
深くそこまで考えたわけではないが、確かに、そう思ったのだ。
「今のお前は簡単に食えるだろうな」
「食う?」
目の前のお茶に手を伸ばした少年の言葉の意味に気がつき、また苦笑が漏れる。あまりに情けなく、両手で顔を覆う。
「本当に、僕は駄目ですね」
こうやって目の前に突きつけられて、ようやく親友のすごさが身にしみて分かった。
「エンドはすごい」
心を強く持つということがどういうことなのか、何者にも侵されない精神とはどういうものなのか。改めて、悪魔と対峙する人物たちのすごさを実感したのだった。
そのまま項垂れてしばらく、バロックも大人しく側にいてくれて、そろそろ日が落ちるという頃ようやく復活した。
「夕飯を温めますね。アリシアさんのところにも持っていければいいんですけど」
さすがにこの時間に動くのは怪しいと思われそうだ。
ジョルジュが夕飯の支度にごそごそとしていると、突然入り口で大きな物音がした。
「おい。いるか!!」
どうやら扉が蹴破られた音だと認識したときには、男が数人で入り込んでいた。
「何事ですか?」
驚いて皿を取り落としそうになったのを阻止しつつ声をかけると、部屋にまで数人が入っていくのが見えた。
「なにかあったのですか?」
「昼ごろ村長の娘さんがここに来ただろう」
あまりの剣幕に質問に「はい」と答えると、別の男に胸倉を掴まれた。
「リーナをどこへやった!!」
「…っ。どこって?」
「わかってるんだ! お前がどこかに隠したんだろう!!」
「僕は…」
ジョルジュが答えようと口を開くと捜索を終えた男たちが集まってきた。
「どこにもいないぞ」
「ここじゃないのか?」
「どこへやった!!」
「僕は何も知りません。リーナさんがいなくなったんですか?」
彼らの話を総合するとそういうことになる。
「白々しい!」
「やめろ」
ジョルジュを掴んでいた男がジョルジュを床に倒すと、ここへ案内してくれた男性が止めに入った。
「リーナを最後に見たのは昼ごろで間違いないな」
「はい。法師のところに行く前ですから、お昼ご飯の前にはここを出ました」
「ということは、半日いないことになる」
「こいつの言うことを信用するんですか!!」
今一番冷静でいる男性の質問に答えると、胸倉を掴んできた男が悲鳴に近い声を出す。
「落ち着け。昼飯にはランディの子がリーナを見たと言っている。その前にこいつが納屋に入ったという報告を受けている。もし、こいつが犯人なら他に共犯がいることになる」
「共犯がいるじゃないですか!」
「法師はあそこから一歩も外に出ていない」
男性の冷静な物言いに興奮していた男性は唇を噛み、怒りのためか白くなった拳を震わせて押し黙った。
「悪いがお前たちを見張らせてもらう。他はもう一度村の周り、田畑を探すぞ」
彼の一言で見張りの一人を残して全員があっという間に出て行った。
まさに嵐のような一団が去ったのを少し呆然と見送ったのだが、見張りの男と目があって、ようやく床から起き上がった。
どうしたらいいのやらと、とりあえず窓の外に視線をやると背中から声がかけられた。
「ジョルジュ、焦げてる」
「あ!!」
慌てて台所に行き火を止めた。
暖めていたパンが片面見事に焦げてしまっていた。その部分を切り落とし、用意してあった食べ物をとりあえずバロックのいるテーブルにまで運ぶ。
「こんな時に食べるのもなんですけど」
アリシアの教えは「食べられる時に食べること」だ。特に今は、もしかしたらこれから食べることさえ制限されてしまいそうな予感に、とにかく食べておいたほうがいいと警鐘が聞こえる。
それに従い、少し引け目を感じつつ、食事を取る。そのことについて見張りの男から何か言われることはなかった。恐ろしいほどの殺気を含んだ視線を感じ、焦げ臭いはずのパンの味もよくわからなかった。
事態が動いたのはそれから随分経ってからだ。
「見つかった?」
「ああ。だが、どうも様子がおかしいらしい」
戸口でそう囁く声が聞こえる。
どうやらリーナは見つかったようだが、怪我でもしたのだろうか。尋ねてもいいものか、ジョルジュがそわそわしていると見張りをしていた男が大きな声を上げた。
「なんだって!?」
「声がでかい! だから、体は無傷なんだそうだ」
その後、彼らの声がどんどん小さくなり、さすがに距離のある状態では聞くことはできなかった。
「リーナさんはとりあえず無事なようですね。大丈夫ですか? 眠くありませんか?」
小さなバロックにはそろそろ寝る時間がきている。ずっと玄関脇の小部屋の椅子の上で、そろそろ疲れてもきていた。ジョルジュがバロックに声をかけると、少し眠そうな様子の少年がちらりと窓の外を見やった。
「くだらない」
「はい?」
小さく吐き出された言葉にジョルジュが目を丸くすると、話をしていた二人がこちらにやってきた。いや、いつの間にかもう一人増え、三人がやってきた。
「お前、リーナに何かしたのか?」
「何かといいますと?」
「何か呪術でもかけたのかと聞いている」
あまりの質問にジョルジュは困惑して三人の顔を順に見つめ、どうやら彼らが真剣だということが飲み込め、首を横に振った。
「僕には特別な力はありません。呪術と言われても、あの…」
険しい顔をして、それでもどこか途方に暮れた彼らの顔を見て、ジョルジュは一つの可能性を口にした。
「呪術的なことで困っているのでしたら、法師に尋ねたほうが早いと思います」
ジョルジュのその提案は彼らの中にもきっとあったことなのだろう。眉を寄せこそこそと彼らで話をし始めた。その様子を見て、医者としての知識もある『神の家』のものならば普通真っ先に応援を頼むものであるが、それが簡単にはできない状況でもある。
ジョルジュを尋ねてきたのはもしかしたらその助言が必要だったのかもしれない。
そんな事を思いつつ彼らのやり取りがどうなるかを見ていると、後ろから眠そうな声が告げる。
「アリシアは応じない」
「え?」
声の主はやはり少年で、どこかぼんやりとした視線で窓の向こうを見つめていた。
「でも、法師は人を助けるのが役目です」
「人を助けるのは法師ではない」
バロックの答えは要領がつかめない。いったい何を言いたいのか、いや、こんな小さな子がいうことにしてはあまりに難しいことである。法師の受け売りなのだろうか。
ジョルジュが少しだけバロックについてを考えているうちに、三人の結論が達したようだ。
つまり、アリシアに助力を求めるよう村長にかけあってみるというものだ。
「それが最善だと思います」
ジョルジュもそう答え彼らと共に村長の屋敷へと向かうことを許された。