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 いつまで待っても男性の次の言葉が出てこない。どうしたのだろうとジョルジュが男性の顔を覗き込もうとした時だ、椅子に座っていた男性が突然後ろにひっくり返った。
「大丈夫ですか!?」
 驚いて駆け寄るとアリシアにすぐ止められた。
「下がって」
 倒された椅子に座ったままの男性を引っ張り、床に寝かせると真上から覗きこみ声をかける。
「"ジョン・エトラ"。リーナは何が欲しいと?」
「…リーナは、俺が欲しいって」
「貴方はそれに答えたのですか?」
 男性はこくりと頷くとそのまま意識を失ったようだった。
「法師」
「夢魔が欲しいのはこっちで、リーナは手段みたいですね」
 しばらくじっと何かを考えているようだったが、すっと立ち上がると意を決したようにジョルジュを見て、代表格の男性を見た。
「二人を同時に祓うことにします。リーナさんをここに運んでいただけますか?」
「わかった」
 男性が頷いて部屋を出て行くと、アリシアは場所を確保すべく椅子やテーブルを動かし始めた。それを見てジョルジュも手伝うが、何がどうなっているのかさっぱりわからない。
「あの、先ほどリーナさんから祓うのをためらったのは彼がいたからですか?」
 アリシアの言葉だと夢魔が本当に狙っているのは男性のほうで、リーナは巻き込まれた形だということだ。リーナに憑いている夢魔を祓ったとしても問題は解決しない。
「リーナさんから夢魔を祓うのは簡単です。ただ、契約の反故ということで彼が食われることになる。リーナさんがそれを望んでいるのかと聞かれて、ジョルジュさんはどう答えます?」
「望みはしないでしょう。リーナさんが彼を好きかどうかは別にしても」
「そういうことです」
 つまり、リーナの心情を慮ったということだ。
「連れてきた」
「ここに」
 二人を並べて寝かせると男性が苦しみだした。
「離れてください」
 アリシアは二人の額に手を置き、聖言を紡ぎだす。
 法師が言葉を紡ぐたびにどこか景色が淡く光りだしたような気がした。寝そべった男女の間に座り、背筋を伸ばし滔滔と祈る姿は、ジョルジュが思っていた通りの荘厳で静粛な儀式だった。
 
 
 目を覚ましたのはリーナが先だった。
「私、どうしたの?」
「気分はどうですか?」
「少し頭が重いですけど、大丈夫です。あの……ジョン?」
 アリシアの質問に起き上がりつつ答え、隣に眠るのが見知った顔だと気がついたようだ。彼を見て、アリシアを見て、もう一度彼を見る。そして、何か合点がいったように「そうなのね」と呟いた。
 その後は村長と母親がやってきて娘の無事を確認し、法師に頭を下げて礼を述べた。
 その後、アリシアも監禁を解かれ、『神の家』で休むことを許された。その際、ジョン・エトラの母親がアリシアの寝る部屋を整えてくれた。
 しきりに礼を述べる母親にアリシアはいつものように「いいのですよ」と優しい笑みを浮かべていた。
「暖かい食事に、暖かい寝床。お酒まで戴いて、いいんですかねぇ」
 暖めたワインを飲みつつ、にっこりと微笑むアリシアに、ジョルジュがクスリと笑いを漏らした。
「どうしたのですか?」
「いいえ。僕が返さなければならない分も全部返してもらったみたいで」
 そういうとアリシアもクスリと笑った。
「そうですね。村長さんはちょっと複雑そうでしたが、母親は喜んでいましたし、リーナさんもようやく気がついたみたいですし、一件落着と言った所ですね」
 アリシアが悪魔を祓う姿を村長も見ていて、今までの自分の態度を少し反省したようすだったのを思い返し、ジョルジュも今日一日の出来事を振り返った。
「これで『神の家』に対する不信はなくなったでしょうか」
「さあ? 法師が彼らを騙したのは事実でしょうから」
 確かに、三年前の事件がすべて解決したわけでもないし、解決したからといって彼らが元通りに生活できるわけでもない。あったことを無かったことにはできないのだ。
「アリシアさんは分かっていたんですか?」
「何をです?」
「この村に悪魔がいると」
「いいえ。私はそういった能力はありませんから」
「え?」
「あれば避けて通りますよ」
 意外な言葉にニコニコと食事をする法師を見つめる。
「でも、悪魔祓いはしてましたよね?」
「ああ。悪魔がいるとわかるのと、悪魔を祓うというのはまったく別です。通常の悪魔祓いは聖言を紡ぐことで光を集めるので、特殊な能力は必要ありません。悪魔がいるとわかるのは特殊能力ですから」
 アリシアの説明でジョルジュは自分の認識が間違っていることに気がついた。
「あの、聖職者というのは悪魔がいるとわかるものではないのですか」
「ほとんどの人は分からないと思いますよ」
 リーナの話にもあった違和感がなにかようやくわかった。
 たまたま親友が悪魔を感じることができる人であること。元聖職者である祖母がそうした能力面の話はしなかったこと。この二つの点で大きな勘違いをしていたのだ。つまり、聖職者とは悪魔を感知し退治することができるのだと。
 しかし、アリシアの話ぶりだとそれが実は特殊なことであるようだ。
「アリシアさんはじゃあ、依頼があってから悪魔祓いをするのですか」
「そうですね。大概の場合そうだと思いますよ。こうした現象があって、もしかしたら悪魔かもしれないから調べてくれと依頼されて、調査した結果、悪魔が関与してると分かれば悪魔祓いをします。その際、自分の祓う力と悪魔の力を見極める必要がありますが、今回のような下級のものでしたら、多分ジョルジュさんでも十分だと思います」
「え」
「何事も経験が物を言う職なことには間違いないですよ。だから小さい頃からその職に従事している者は有利なんです」
 アリシアは両親が聖職者だと言っていた。つまり幼い頃から『神の家』にいたということである。
「ジョルジュさんは聖職者になりたいのですか?」
「え」
 先に寝てしまった少年と同じ質問をされ、一瞬だけ言葉に詰まった。しかし、心の中にはすでに答えがあることを知っていた。
「もし、なれるのでしたら、なってみたいと思います」
「なれますよ。でも、もう少し世間を知ったほうがいいかもしれませんね」
「はい」
 それは身をもって経験したので素直に頷けた。
 アリシアのような素晴らしい聖職者になりたい。今はそう自信を持って口にすることができる。だからこそ、これからの旅ではもっとよく彼女を見ていようと思った。
 次の日の朝。太陽が顔を出し、鳥たちがせわしなく活動を始める頃、村を出ることにした。
「村長さんには一応挨拶したほうがいいですね」
「はい。リーナさんとジョンさんがあの後どうなったのか気になりますし」
 そんな話をして荷物を持ち、『神の家』から出るとそこにリーナが立っていた。
「おはようございます!」
 駆け寄ってくる姿は元気一杯で、夢魔に取り付かれていたとはまったく感じさせない。
「もう行ってしまうのですか? もう少しゆっくりしていってください」
「そう思ってくださるだけで十分ですよ」
 アリシアが言うのにジョルジュも賛同する。少し遠くに村長がいるのに気がつき会釈すると娘のリーナが盛大なため息を落とした。
「本当にごめんなさい。父がちゃんと謝るべきだと思うんですけど」
「いいえ。彼とは話しましたか?」
「はい。ジョンもすっかりよくなりました。本当にありがとうございました」
 頭を深く下げ礼を言うと、遠くにいる村長も頭を下げていた。
「それでは、私たちはこれで。お世話になりましたと村長さんにもお伝えください」
「はい。お気をつけて」
 手を振って送り出してくれるリーナに手を振りかえし村を後にした。
 
 しばらく歩いてふとジョルジュがそういえばと疑問を口にした。
「結局夢魔はジョンさんが欲しかったようですけど、どうしてすぐに実行しなかったんでしょう?」
 考えてみればジョンが夢魔の要求に答えた時点で契約は完了していたはずだ。
「それが夢魔の弱いところですね。夢魔は寝ている時にしか人間に干渉できません。強いものだと気を失わせたり、強制実行することは可能ですが、今回の夢魔はリーナとジョンの二人に干渉するには力が弱かったということです」
「なるほど………でも、ジョンさんが契約を了承したのは寝ている時ですよね?」
「ジョンの契約にはリーナが必要でした。だから夢魔はリーナをジョンの部屋に連れてきたのでしょう。リーナが見つかったのは人が寝るには早い時間だったようですし、夢魔も相当力を消費したことでしょうね」
 説明でようやく納得がいき、すっきりした気分で歩を進めると、アリシアの隣を歩いていたバロックがジョルジュを振り返った。
「何でしょう?」
「ジョルジュが諸悪の根源だと理解しているか?」
「バロック」
「え」
 どこか呆れたような言葉にアリシアが諌めの声を上げるが、その声もどこか笑みを含んでいるようである。
 ほとほとと歩き、歩きつつ考え、そして思い至る。
「なんてことだ!」
「ジョルジュは鈍感だ」
「そこがいい所でもありますが」
 三人は一路、ベンダーを目指す。

聖職の資質と資格 終

end