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 案内された『神の家』は掃除こそされてはいないが、それでも人が居た形跡があった。
「いつから使われていないのですか?」
 素朴な疑問だったので尋ねたのだが、案内してくれた男はむすっとしたまま口を噤んで何も言わない。
 少し後ろを付いてきている少年に視線をやるも、こちらも我関せずといった具合の無表情っぷりで、どうしていいのかわからない。
「だいぶ立派な造りですね」
 外見は故郷にあったものほどではないが、中身はかなり凝った造りになっている。柱には彫刻が施され、壁にも壁画があり、絢爛な印象だ。それになにより、どこか造ったばかりという新しさが感じられた。
 村として成り立ったのが最近の出来事であればそれも当然かと苦笑がもれた。
「何がおかしい」
 見咎めた男が不機嫌そうに聞くのにジョルジュは少し慌てた。
「え。いえ、別に。ただ…」
「ただ?」
「ここまで凝る必要はないだろうにと思っただけで」
 その言葉に男は少しだけ態度を軟化させた。
「法師といるにしてはまともな奴なんだな」
 案内してくれている男はジョルジュと同じくらいか、少し年上だろうか。農作業をしているだけあり腕っ節は強そうだ。
「部屋はどこを使ってもいい。掃除用具はその辺にあるだろう。お前たちの行動は制限されていないが、目があることを忘れるな」
 火をつける用具を手渡し、それだけを忠告して男は踵を返した。
「あ、あの!」
「なんだ?」
「食料を買うことは可能でしょうか」
「どうだろうな。咎めだてはされないだろうが、売ってもらえるかは知らん」
 農家としても現金収入は嬉しいはずだ。嫌悪している法師の連れに売ったからといって咎める人はいないだろうが、そもそも売ってくれる奇特な人物がいるかどうかは交渉してみなければわからないと言ったところなのだろう。
「そうですか。ありがとうございます」
 礼を言うと男は少し罰の悪そうな顔をして去って行った。
「とりあえず、部屋を確保しましょう」
 バロックに一応声をかけてから手近な部屋を覗くことにした。
 入り口近くの部屋は寝るためのものではないことは、実際に暮らしていた経験から知っている。できるだけ奥の部屋の扉を開けてみた。扉の正面にある窓はカーテンがしてあったが、それでも部屋の中は見通せた。一通りの生活用品がある部屋で、ベッドも一つある。二人といってもバロックは小さいので十分だろうと思われる。
「使えそうですよ」
 中に入ってカーテンを払い、光が十分な中でもう一度部屋を見回す。
「少し掃除はしたほうがいいですね」
 さすがに使っていない間の埃が溜まっている。ベッドにはカバーがあるため、なんとか寝ることはできそうだ。とりあえず空気を入れ替えるために窓を開け放す。
「あれ?」
 振り返ると先ほどまで扉に立っていたバロックがいない。廊下に出て、入り口へと戻るとそこにいた。
「どうかしましたか?」
 じっと入り口を見つめるバロックに声をかけると、すぐに扉が叩かれ開いた。
「あのー」
 声は女だ。
「はい。何か御用ですか?」
 ジョルジュが応対に出ると、現れたのはくるくるの巻き毛を一つに括った少女だ。少女はジョルジュを見上げるとにっこりと微笑む。
「あの、私、村長の娘でリーナっていいます。何かお手伝いすることはありませんか?」
「え。あの…」
 屈託無く笑う少女にジョルジュは少しだけ困惑した。
「父たちのことですよね。実はそのこともお話したくて来たんです。あの、中に入っても大丈夫ですか?」
「あ! はい。どうぞ、といっても何もありませんが」
「ええ、知ってますからお気遣いなく」
 少女は『神の家』入ると後ろに持っていた手土産を掲げて見せた。
「水は多分使えると思うので、お茶にしましょう。お腹減ってるでしょう?」
 じっと見上げるバロックにそう声をかけ、さっさと水場へと向かう。その少女の後ろ姿を追いかけてジョルジュも火をつける用具をもって台所へと向かった。
 水が綺麗になるのもわりと短い時間で済み、そのことだけでもここが無人になったのはそれほど昔のことではないとわかる。備え付けてある食器を手早く洗って拭き、少女が持参したお菓子を並べれば、にわかにお茶会といった雰囲気になった。
「えっと、まずはごめんなさい。父たちの態度には理由があるんです」
 少女リーナは父たちの態度を謝った。それにジョルジュは少し複雑そうな顔をして「大丈夫ですから」と答える。
「やはり何かあったんですね」
「はい。何からお話したらいいのかしら。簡単に言うと、三年前私たちは『神の家』に裏切られたんです」
「裏切り?」
 リーナが語るところによると三年前、村人が失踪するという事件があった。
 最初は若い女性だった。旅人の話を聞いて都会に憧れていた人で、もしかしたら一人で旅に出たのではとされたのだが、彼女の家には旅に出た様子がない。
 二番目は若い男性だった。近く結婚が決まっており、いなくなるのはおかしいと捜索もしたのだが見つからなかった。そのうち結婚が怖くなって逃げたのではないかと噂がたったが、彼の家も旅に出たような様子がなかった。
「その後も三人が失踪して、もしかしたら悪魔がかどわかしたのではないかって話になったんです」
 全て年若い人物で、輝かしい未来に向かって生きている人物たちばかりだった。
 小さな村だ。噂はたちどころに広がり、村人総出で『神の家』にいる神官に助けを求めた。
「神官様は父たちの話を聞いて、悪魔祓いをしてくださると言ってくれたのです」
「え?」
 その話を聞いてジョルジュは疑問を覚えた。
「あの、神官が悪魔がいるから祓うとおっしゃったのではないのですか」
「ええ。悪魔はここにいついているわけではなくて、ここを餌場にした可能性があるからと」
「いえ。そうではなくて」
 リーナは少し首をかしげてジョルジュを見る。
 ジョルジュはその視線に困って、隣で大人しくしているバロックに視線をやってしまった。当然、無表情な少年が答えるはずがない。
「あの…」
「いえ。すみません。続けてください」
 結局ジョルジュも『神の家』に属しているわけではないし、それに類する力を持っているわけではない。そのため迂闊なことは言わないほうがいいと判断した。
「それで、その日。神官様が悪魔祓いの儀式をしてくださったのですが」
「効果はなかった」
 ジョルジュの先を読んだ答えに少し驚いて頷く。
「はい。それどころか…」
 その日の夜に犠牲者が出た。それもただの失踪ではなく、遺体が見つかった。
「その時のことは私はまだ子供で詳しくは知りません。でも、大人たちが「悪魔の仕業だ」「悪魔の見せしめだ」って騒いでいたのは覚えています」
 その犠牲者が埋葬されるときには『神の家』の神官と、法師二人はすでに村にはいなかったという。
「父が言うには悪魔の存在に怯えて逃げ出したんだろうって。でも、それきり悪魔が関係しているような事件は起きていません。結果的に神官様は悪魔を祓ってくださったのだと思います」
 リーナはそういうが、果たしてそうだろうかとジョルジュは思った。悪魔は悪戯が成功して満足しただけなのではないかと、そんな気がしてならない。
「ここはそれ以来、神官様がいないんです」
「そうでしたか」
 『神の家』が無人である理由は分かった。しかし。
「法師を嫌う理由も同じですか?」
 村長のあの激しい怒りと嫌悪はそれだけではない気がした。ジョルジュの質問にリーナは視線を落として話し出した。
「実は、その三年前に失踪した女性の一人がベンダーで見つかったんです」
「ベンダーで?」
「はい。あの、えっと…男性を接客するお店で働いていたって…」
 少し顔を赤らめ、うつむいて話すリーナの態度に少し首をかしげる。
「つまり、悪魔にかどわかされたわけではなかったんですね?」
「はい。三年前にいなくなった法師様が連れ出したらしいって話してました」
「それは…」
 駆け落ちか。それにしては村長の怒りが激しすぎるような気がする。
 少し考えこんでいると、それまで静かだった隣から呟きが落とされる。
「売ったのか」
「うった?」
 まだ幼いといっていい少年から落とされた言葉が何を示しているのかを考え、リーナに視線を戻すとまだ赤い顔をして、どこか痛ましい顔をしていた。そこでようやく売るとは何かに思い至った。
「そんな!」
 あまりのことに思わず大声をあげ立ち上がってしまった。それに驚いたリーナの表情を見てようやく我に返る。
「あ。あっと、すみません」
「いいえ。怒ってくださるんですね。よかった」
 椅子に座りなおすジョルジュに、リーナはほっとした様子で微笑んだ。
「父はこの村を守る義務がありますから、あの態度は仕方ないと思うんです。でも、『神の家』にいる全ての方が同じだとは思っていないはずなんです。ですから、どうか父や皆さんの態度を怒らないで下さい」
「そんな過去があるのでしたら、私たちに対する扱いは当然です。そんな中でもこうして屋根を提供していただけているのです。感謝こそしますが、不満に思うことなどありません」
 ジョルジュの答えにリーナは少し頬を染めてにっこりと微笑んだ。
 その後もしばらくお茶をして、食料を提供してくれそうな人物を数人紹介してもらった。
「お昼ですから、何かアリシアさんに持って行きましょうか」
 荷物と一緒に携帯食も持ってきてしまったので、今頃お腹が空いているはずだ。部屋の掃除は寝るまでにやればいいことだし、早速出かけることにした。
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