ジョルジュを宿に残し、アリシアはバロックを連れて歩き出した。
その後ろをそれまでずっと黙って歩いてきた美少年はようやく口を開いた。
「『神の家』へ行くのか?」
その質問にアリシアはくすりと笑った。
「まさか。たとえ行ったとしても泊めてもらえるとは思えません」
アリシアは"流下"と呼ばれる法師だ。『神の家』には属していないも同然で、ばれなければそれでもいいが、今は少し事情が違う。
「アルテリオのときは特に問題はないと思うのですが、面倒は避けたほうが無難です」
派手な動きはしてないが、アリシアたちの情報が洩れていないとは限らない。いや、この美少年を連れている時点で見つかる可能性は高くなっているだろう。
村の中を散策するように歩き、村の中心にやはりある『神の家』の様子を見てこれからどうするかを考える。本当ならばすぐにでも旅立ちたいが、預かったジョルジュを置いて行くわけにはいかない。
「農家の方に頼んでみますか」
少し村から離れた場所にある農家を訪ねる。
敷地を借りて、できれば薪と食料をいただければかなりましだ。この村は比較的恵まれているようだし、融通してくれるだろうと踏んだのだ。案の定、アリシアを見て邪険にするような人物はいなかった。
野宿でも良かったのだが、物置になっている小屋を一つ借りる事ができた。さすがにベッドはないが、石や木の根がない平らな場所に横になれるのは有難いものである。
薪は小屋にあるものを使ってもいいと言われたし、水は共同井戸があるらしいのでそこで確保できる。
横になれる場所を整え、荷を確かめているとお昼が過ぎていた。
「お腹空きましたか?」
ある程度片付けた場所にちょこんと座って何もしないバロックに尋ねる。
夜になるとそれなりに冷えるので火を起こす道具を小さな暖炉の前に持って行くと、後ろから質問がきた。
「聖都に向かっているのか?」
「ええ。少し近付いておこうと思います」
道具を置いて振り向くとまっすぐ黒い瞳がこちらを見ていた。そこにわずかばかり疑問を浮かべた表情がある。
「行かないと言っていた」
「ああ」
どうやらジョルジュとの会話を疑問に思っていたようだ。
「聖都へは行きませんよ。ジョルジュさんは私が"流下"だということを知らないようですし、ベンダーへ出れば聖都へ行くのは比較的簡単ですから、元々そこまでと考えていました。ただそれが、思いのほか早くなるかもしれません」
ジョルジュのいた村からベンダーへの道は険しいと言っていい。しかし、それがここから近道ができるのならそれを利用しない手はない。この一週間で野宿の方法や水の補給方法など命にかかわることは教えた。あとは都会での対処法を身につければ大抵の事は乗り切れるはずだ。
ベンダーは都会と言っていいくらい大きな町だ。
何度か界壁に侵食されたこともあるが、あの町にいる『神の家』の神官はかなり優秀な人物で、被害は最小限にとどめている。
「ベンダーの『神の家』に申し出れば、もしかしたらそこで案内人を紹介してくれるかもしれませんし、私はそれ以上関与しないほうがジョルジュさんのためでもあります」
アリシアと一緒にいることで、ジョルジュまで『神の家』から余計な詮索をされるのは良くない。特に聖都へ行くのならなおさら。
「さて、お昼ですね。どこか食べる場所があればそこでとりましょう。地図も手に入れたいですし」
そういうと荷物を隠し、必要な物だけを手にして立ち上がった。
小屋を出るととりあえず村のある方向へ歩き出す。
「さて、とりあえず食べる場所を探しましょうか」
物流があるので飲食の場所はかなりある。水も汚染されていないらしく、井戸がいくつも掘られ生活水準はかなり高いようだ。
その中から安そうな店を選んだ。
小さな店構えで、フォークが描かれた看板が飲食ができる店であることを知らせているほかは、何もない。普通の民家のようにも見えるが、窓からは食事をしている人が見えるし、辺りには良い匂いが漂っている。
中に入るとすぐに店員が声をかけてくる。アリシアを見て少し驚いたような表情をしたが、すぐににこりと微笑んで空いている席へと案内してくれる。
「ご注文は何にしましょうか?」
メニューを見せてもらいながら少し考える。
「そうですね、私はハムサンドと紅茶を。この子にはプリンを追加してください」
「はい。ありがとうございます」
すぐに調理しているのだろう場所へと向かい、大きな声で注文内容を伝える。店構えに比べて元気のある店だ。
注文したものはすぐに出てきた。それほど調理に時間が掛かるものではない。
目の前に並べられたものを見て、アリシアは首をかしげる。
「あの」
声をかけると店員はにこりと微笑み、「店主からのサービスです」と言った。ふと視線の先を追うと、店主なのだろう女性がこちらを見ていて、アリシアと目が合うとにこりと微笑んで会釈した。それにアリシアも返すと、店員にお礼を告げる。
目の前に置かれたのは頼んだハムサンドと、頼んでいない豆のスープだ。ちゃんとバロックの分もある。
「これはお礼をしなくてはダメですね」
少し苦笑して手を組んで祈りを捧げると「さ、食べましょう」とバロックを促がす。
久しぶりに柔らかなパンに燻製されたハムを食べ、ほんのりと甘みのあるスープを飲み干し、紅茶を頂く。これだけかなり満足だ。バロックがプリンを食べ終えるまでに少しこの店の中を観察してみる。
女性の店主がどうやら切り盛りしている店で、店員とはおそらく血の繋がりがあるのだろう。でも親子というほどではないようなので、多分姉妹。店の客層は旅人よりも地元の人間が中心のようだ。法師のアリシアがいることが珍しいのだろう、少し注目を集めてしまった。
視線を目の前に戻すと、バロックがスプーンで最後のプリンを口に入れるところだった。
「おいしいですか?」
無表情のまま食べ続ける美少年にそう声をかけると、スプーンを咥えたまま少し首をかしげる。おいしいという言葉を頭の中で考えているのだろう、その姿がこれでもかというくらい可愛い。
出会ってからずっと一緒にいるので変化に気付きにくいのだが、ジョルジュといるこの一週間。目の前の美少年が少し成長していることに気がついた。言葉の理解や感情表現などもそうなのだが、どうやら外見的なものも成長してるらしい。
髪が伸びているのはわかっていたが、どうやら身長も高くなっているようだ。初めて会った時からかなり長かった髪が地面にはつかないでいるところを見ると、そうなのだと思うのだが……。
(成長するのが早い気がする。まあ、でも人間の成長期でもあるからこれで普通なのかもしれないけど)
そんな観察をしていると、当の美少年はスプーンを口から出して皿の上に置くと、一つ小さく頷いた。
以前世話になった一家の子供たちに教えてもらった味覚で、どうやらかなり気に入っているようだ。この姿だけを見ていれば、まさか元があの怖ろしい悪魔だとは誰も思わないだろう。アリシア自身もまさか悪魔がプリンを好きになるとは思わなかった。
「さて、では出ますか」
席を立つと会計をするために店員を呼んだ。
代金を支払うと一枚紙切れを渡した。
「これは?」
「御守りです。おいしいスープをありがとうございます」
「まあ、こちらこそありがとうございます」
店員はその紙を大事そうに胸に当てて微笑んだ。
店を出てまた歩き出すとふとバロックがアリシアを呼んだ。
「なんですか?」
「いいのか?」
「何がですか?」
バロックの質問の意図が少しわからない。多分御守りのことだろうが、いつもやっていることでもあるからだ。
「目印を置いて」
「目印…」
その言葉でようやくわかる。少し呆れもしたのだが、そこは人間と違うバロックだからこそかもしれない。
「大丈夫ですよ。あれが私が作ったものだとわかる人間はいません。聖言で作ってある以上、せいぜい『神の家』から貰ったものだというくらいです。筆跡でばれるかもしれませんが、あんな小さな物をいちいち拾い集めている『神の家』の聖職者がいるとは思えません。彼らはそれほど熱心ではないだろうし」
アリシアが『神の家』から逃げていることは話していないが、一緒にいるのだから当然そのくらいはわかるだろう。
バロックの疑問は、逃げているのに道しるべになるような目印を置いていいのかといったところだろうが、それを認識できる人間がいるのならもっと早く追いつかれている。
地図の置いてありそうなあの本屋へと向かう途中、ふとアリシアもバロックに尋ねる。
「もしかしたら、私を見つけた方法はそれですか?」
あの出会いを思い出し聞いてみる。あの時とは色味を除いて全く違った容姿になっている元悪魔は、その質問にこくりと頷いた。
「それはまた、ご苦労様でした」
どこからアリシアの痕跡を辿ったのか。おそらく師タラクがいた場所からだろうが、アリシアは各地を点々としている。最短だったとしてもかなりの時間が掛かっただろう。時間が残されていなかった元悪魔はかなりの賭けに出たといえる。
「何も私を探さなくても他にもいたと思うのですけどね」
祓うだけならばおそらくアリシアでなくてもできたのではないかと思う。皇位ではあったが、あれほど弱っている状態ならばおそらくアリシアでなくてもできたはずだ。
「祓うだけでは終わらないだろうとタラクが言ったのだ」
初めは感じていた可愛らしい声が放つ違和感を、ここ最近感じなくなってきている事実に少し悲しいものを感じつつ、その言葉には納得できた。
確かに、皇位が現れれば『神の家』は混乱状態で、間違いなく消される。無駄な労力を意義ある労力にしたといわれればそれまでだ。
「それと」
つとマントの裾が引かれる。
その力に足を止め、声の方向に視線を向ける。
「アリシアは絶対に『神の家』と共謀したりしないと」
その言葉にため息が出てしまう。
たしかに『神の家』と共謀などとありえない。
「あなたはどうやってタラク神父と出会ったのですか」
アリシアはそちらのほうがよほど謎だった。
「あれを探すのは簡単だった」
それだけ言うとマントを放して先を歩き出す。その小さな背を追いかけて歩く。
とうことは、最初はタラクを探したということか? なぜタラクを探したのだ? そのタラクの策で悪魔は人間になり、それを手助けするのにアリシアが選ばれた。
疑問は次々と浮かぶが、答えはやはり見つからない。
「今、タラク神父がどこにいるのかもわかりますか?」
その言葉にぴたりと足を止め、振り返る。
「知ってどうする?」
「いえ。背負わされた荷を少しでも減らそうかと思いまして」
にっこり微笑んで言う台詞に、バロックは束の間アリシアの笑顔を見つめていたが、少し眉を寄せ目の前の聖職者の名を呟いた。