旅慣れていない青年はその時点ですでに疲労困憊といった感じで、ついて歩くので精一杯の様子だった。
そこはあえて見なかったことにして、ずんずん歩くこと一週間。
青年は文句を言うことなくここまで歩いてきた。中々感心すると同時にそろそろ休みを設けてもいい頃かもしれない。
ちらりと全く顔色を変えずに歩く美少年を見下ろす。
そういえば、この子も何も文句も言わずに付いてきている。それなりに気をつけていたが、もしかしたら疲労などもわからないのかもしれない。
しかし、そういう感覚は教えてやることはできない。個人的な感覚の問題だ。
「この先に村があります。そこで一日休みましょうか」
この提案に青年は顔をぱっと輝かせた。
「疲れたでしょう?」
「ええ。ですが、いいのですか?」
「私は急ぐ旅をしているわけではありませんから」
先を急ぐもなにも、いく先はまったくの未定だ。にっこり微笑んでやると、青年はほっとしたように笑顔を向けてくる。
さて、問題は泊まる場所か。
一人の場合はそれなりに泊めてもらえたが、少年が付いてからは少しそれが難しくなった。特に小さな村では口が増えるのは歓迎されない。
今はそれに加えて立派な青年。
最悪、野宿もありえたが、それはあえて口にしなかった。
何事も社会勉強である。
やがて丘の向こうに見えてきた煙突からの煙を見つけて、青年が声を上げた。
休息と法師の再考
その村までの道は一本だったが、村の手前でもう一つ別の場所へ向けた道が出来ていた。荷を積んだロバを引いて行商人らしい人物が向こうへ歩いて行っている。
「この道はどこへ繋がっているんでしょう?」
その行商人を見つめながら栗色の髪をした青年、ジョルジュが質問する。
「さあ? 後で聞いてみましょうか」
質問にアリシアは首を傾げた。以前見た地図にはこんな道はなかった気がするのだ。
不安定な世の中で、その土地の正確な情報を事前に手に入れることのほうが困難だ。土地の事は土地の人間に聞いたほうが早い。
たどり着いた村の前にはやはり門があり、村の名がある。
しかし、この村の門は石造りでかなり立派だ。村の場合大抵は木で出来ていて、そこに看板のように吊るされているのがほとんどである。
「"ルイジ・デュ・エムシャイナ"ですね」
「長い名前ですね」
正直な感想を述べるジョルジュに思わず頷く。
大体は人の名前が付いていることが多いのだが、これが人の名前ならわりに長い名前である。
門をくぐり、村に入るとそこは意外に大きな村であることがわかる。
建ち並ぶ家の数が多い。街道から伸びる道の両脇に商店がいくつかあり、中でも小さいとはいえ本屋があることに驚かされる。
「ここは物流がいいようですね」
本の置かれている店の前に立ってみると、随分と難しいものも置かれている。使い古されたものが多いが、まだ新しいきれいなものもある。
店の前に立っていたからか、店主らしき人物に声をかけられた。
にこにこと愛想のいい小男はアリシア、ジョルジュ、バロックの順に目をやり、再びアリシアに視線を戻す。
「法師様。気にいったものがおありですか?」
「とてもよい品を置いていますね」
買うつもりは毛頭ない。差しさわりのない褒め言葉を口にすると、店主は褒められたことに照れたのか、少しはにかむように言葉をこぼした。
「そうですか? ありがとうございます。ご当主のハーティ様が熱心な勉強家でして、いつの間にか難しい本を取り揃えるようになりまして」
「ハーティ様?」
ジョルジュが首を傾げて聞くと、店主は快く説明してくれる。
「ここ、ルイジのご当主でハーティ・サンダース様だよ。ハーティ様がこられてから、この村も潤ってね。ここで作られる作物と、ベンダーの物資を交換しているんだよ。その橋渡しをしてくださったのがハーティ様さ」
ということは、どうやら村の名前は人の名前ではないらしい。
「ベンダー? ここからベンダーは近いのですか?」
アリシアがそんな事を考えていると、隣でジョルジュが驚いたように店主に尋ねる。すると店主は少し自慢するように胸を張って頷いた。
「ああ、ハーティ様がベンダーまでの道を作ってくださったのさ。といっても、実際に道を整備したのは村のみんなだが。作り方や物資などを整えてくださったのはハーティ様だ。みんな感謝しているよ。商人も沢山くるようになったし、おかげで本屋なんかしているんだ」
ベンダーとは町の名前だ。ジョルジュの村、アルテリオからだと大分遠い位置にあり、そこから物資が届くのは数ヶ月に一度というものだ。そのアルテリオから一週間の距離にあるこの村からもそんなに近いはずがない。
「どこに道を作ったのですか?」
「ああ。この方角真直ぐにベンダーがあるが、その途中にある谷に橋をかけたんだ。「吊り橋」とか言う橋で見た目は頼りないしちょっと揺れるがな、丈夫なもんだよ」
自慢気に言う店主に宿はあるかと聞き、一つあるらしいと聞いたのでそこへ向かうことにした。
「法師様はご存知でしたか?」
ジョルジュが聞くのにアリシアも首を振る。
「いいえ、新しい地図でもあるのなら見せてもらったほうがいいかもしれませんね。聖都へ行く近道になるかもしれません」
当面の目標であるベンダーに、すぐにでも出られるのならそれにこしたことはない。
アリシアは以前に見た地図を頭の中に思い描き、店主の言っていた谷を思い出す。
そこは、谷と言ってはいるが大地の裂け目のようなものだ。世界崩壊で傷ついた大地のあちこちにあり、世界がまとまりを無くしている一つの要因でもある。それは動く事はほぼないだろうから、大体の想像はできたがどの部分に橋をかけたのかは見てみないことにはわからない。
「谷は界壁の影響を受けやすいと聞きますけど」
考え事をしていたアリシアの耳にジョルジュの不安そうな声が聞こえる。
「そんなことはないですよ。それはきっと人々の不安から出た言葉だと思います。底の見えない谷は恐ろしいものですから」
笑いかけてやるとジョルジュはそうなのかと頷いてくれた。
谷に界壁の発生率が高いとは聞いたことはない。だが、それはただ単にそこを生活の場としている人間が少ないからだ。
「あ。ここです」
ジョルジュの声に視線を上げる。そこには教えてもらった宿があった。
中に入って交渉すると、一部屋しか提供できないと言われた。
「ベッドは一つしかありませんが」
店主が申し訳なさそうに言うのに、アリシアは一つ頷いた。
「結構ですよ。ジョルジュさんだけ泊まれればいいのですから」
「え!?」
アリシアの言葉にジョルジュは驚いたようだ。
「私たちは『神の家』にお願いしますから。ジョルジュさんは『神の家』よりはこちらのほうがいいでしょう?」
「あ」
普通法師が旅をした先で泊まるのは『神の家』と決まっている。しかし、ジョルジュは法師ではないし、『神の家』に寝泊りするのは精神的に辛いだろう。
「ゆっくり休んでください。明日には出ますから」
「すみません。では、そうさせていただきます」
一週間。何も考えないようにとにかく歩いてきたが、ゆっくり体を休めるとなるとどうしても残してきた人のことを思い出すだろう。ジョルジュもアリシアの配慮に微笑を浮かべて頭を下げた。