3
 本屋は村の入り口近くにある。
 店内に入りあの小男の店主に地図があれば見せて欲しいと頼んでみた。本当は買うべきなのだろうが、路銀をこんなことに使うのはもったいない。
「見るだけでいいのですか?」
 そういうと店の奥から一枚の畳まれた紙を持ってきてくれた。それを広げて、現在地とできた道を教えてくれるが、実際地図にその道が書いてあるわけではなく、店主がただ指を差して教えてくれるだけだ。
「谷までの距離は?」
「男の足で三日です。途中水飲み場を設けてあるので比較的楽だと思いますよ。谷の向こうを一日半行くと村があります。名前は…"バーンズ"だったかな。そこからベンダーまではなにもなければ一週間程度だと思います」
「何もなければね」
 何かあっても二週間かからないのであれば、今までの道のりを大幅に短縮できている。
「ありがとうございました。…あれ?」
 お礼を言って立ち去ろうとすると、後ろにいるはずのバロックの姿ない。探すといっても店内はそれほど広いわけではないのですぐに見つけた。
 小さな背中は壁に掛かる絵を見上げていた。
 きちんと額縁に入っているわけではなく、薄い紙に描かれたそれは直接壁に貼られているものだ。名のある画家が描いたわけではなさそうだが、描かれているものはおそらく世界崩壊の様子だ。
 アリシアが教えられた"世界崩壊"は、人間のいる世界と天使や悪魔のいる世界が一つに結びついた事が原因であると教わった。しかしそれは聖職者が伝えたもので、一般的な"世界崩壊"は少し違う。地球の磁場が乱れたことによる天変地異が原因であるとされていた。界壁などはその磁場が乱れたことによる小さなブラックホールのようなものであると随分長い間信じられていたようだ。
 昔の人間は科学で証明しないことには、天使や悪魔といった未知の存在など信じたくなかったのだろう。
 しかしそれらも、もうずっと昔の話で、本当の原因は今生きている人間のほとんどの者がその真相を知らない。アリシアも例外ではなく、伝承や昔話など口伝で伝えられるのがせいぜいで、書物などの記録は全く残っていないのだ。
 しかし、ふと思う。
 バロックはもしかしたらその原因を知っているのではないか。どのくらいで生まれた存在かは知らないが、命の長さは人間とは違う。
 (そういえば、封印されたのはいつ頃なのかしら?)
 封印が切れた話は聞いたが、封印された頃の話はした事がない。聞いても答えてくれるかは非常に怪しい。
 そんな事を考えているとバロックが振り返った。
「いいのか?」
 尋ねる声に笑顔を作る。
「はい。済みました」
 本屋を出て、村中を歩きながら旅の間の食料などを補充するために買い物をしたり、頼まれて祈祷をしたりなどもして色々と手に入れた。その様子をバロックはいつものようにただ見ていたのだが、時々出くわす母親たちに可愛いと周りを囲まれていたりした。この光景も村に入ると大体起きる現象だ。
「私は女に見えるのか」
 小屋へ戻る間、黙ったままだったバロックがぽつりとこぼす。
 あまりに唐突な言葉で反応に困ると、バロックが真直ぐに見上げてきた。
「なぜだ?」
「まだ外見年齢的に男女の差がはっきりしているわけではないですからね。特にバロックは見た目ではどちらかと言えば女の子に見えるだけです」
 そう答えると「なるほど」と納得の言葉をこぼす。
「アリシアがなぜ私に女の名をつけようとしたのかわかった」
「………そうですか」
 正確な理由までは知らないで欲しいと密かに思ったりしたが、それにしても今まで考えなかったのか? 道中色々声もかけられたりもしていたはずだが。
「ジョルジュは私を男だと思っているのはなぜだ?」
「名前を聞けば男だとわかるからでしょう」
 バロックはどう聞いても男の名だろう。見た目がどれほど女の子でも、さすがにこの名前で女の子はないはずだと誰でも思うはずだ。
「名前に男女の差があるのか?」
 その質問に彼らにはそもそもそんなものはないのだと思い出す。
「そうですね。一応、名前で男女の区別はつくようにしています。ただ、中にはわかりにくい人もいますから、一概にそうだとは言い切れません。ここの当主のハーティは男でも女でもありますから。…そういえば、どちらなんでしょうね?」
 ベンダーまでの道や橋を作ったり、この村を大きくした功績から男かと自然に思っていたのだが、そうだとは限らない。まあ、すぐに出るのだからどちらでもいいのだが。
 小屋につくと農家のお嬢さんがお茶をしないかと誘ってくれた。その誘いにのり、恋愛相談と人生相談にのり、そのまま夕食までご馳走になったので、小屋を貸してもらったお礼に厄除けと豊穣祈願をした。
 そうこうしているとすぐに夜だ。
 真っ赤な太陽が山の峰の向こうに消えていくのを、二人並んでしばらく見つめていた。
「バロックは世界崩壊の理由を知っていますか?」
 昼間思ったことをなんとなく聞いてみると、隣に座っていたバロックがこちらを見るのがわかった。
「アリシアは知らないのか?」
「口伝では聞きましたが、本当の原因は知りません。大昔の話ですからね」
 答えると隣の気配がやけに静かになった。
 ちらりと視線をやると、バロックは足元に視線を落としていた。落ちかけた夕日に照らされて見えるその横顔は年齢に見合わず憂えており、余計なことを聞いたのだと思った。それと同時に出会った当初の様子を思い出す。
 あの時も無表情なのになぜかとても哀しそうに見えたのだ。
 今は小さな女の子に見えるだけに無条件に慰めたくなる。思わず頭を一撫でするとバロックが見上げてくる。
「別に答えが知りたいわけではありませんから。寒くなってきましたね。中にはいりましょうか」
 そう促がして立ち上がるとバロックも大人しく従う。
 小屋の中に入ると続くはずのバロックが扉の前で立ち尽くす。どうしたのかと思ったら真直ぐに見上げて言った。
「理由を知っている」
 突然の言葉に一瞬言葉を失ったが、すぐににっこりと微笑んだ。
「そうですか」
 それだけで、この会話は終了だ。手で中に入るように促がすと、今度は小屋の中に入ってきた。
 ランプに火をつけるのももったいないので、暖炉だけに小さな火を起こす。それだけでも狭い小屋は十分明るくなる。
「ジョルジュさんはどうしましたかね。ちゃんと食べて寝ていてくれるといいですが」
 朝別れたジョルジュはどうしているだろうかとふと思って口に出す。応える声を期待したわけではないが、後ろからまだ幼い声が返る。
「そのために別れたのだろう」
「一人で泣いていたりするかもしれませんからねぇ」
「なぜ」
「寂しくて」
 にっこり笑って振り返ると、バロックはそのまましばらく微動だにしなかった。
 寝るところを整えて一息つき、バロックを見やればまだ固まっていた。
「寝ましょうか」
 どうしたのかと思ったがあえて尋ねる事はしなかった。彼は見た目に反して中身の年齢はアリシアをはるかに超えているのだから。
 地面に直に寝るのはわりに慣れているが、小屋には干し草が積まれていたのでそこを少し整えてベッドにした。暖炉からは遠いが干し草は暖かいので大丈夫だろう。
 先に横になるとバロックもやってくる。いつものようにアリシアの側に寄り添って寝る体勢をとったのだが、いつもと違いもぞもぞと動くとぴったりとくっついてきた。
 隣で寝るのは当初からだったので特になんとも思っていなかったが、体温を感じるほどくっついてくるのは初めてだった。
「寒いですか?」
 初めの寒さを知らなかった頃とは違うので、寒さ感じてくっついてきたのかとアリシアも抱き寄せる。
「アリシアは寂しくないのか?」
 ふいに腕の中からそんな質問をされ、思わず目を瞬いてしまった。暖炉の明かりだけなので、腕の中の顔はよく見えなかったが、こちらを見ている風でもなかった。
「慣れました。ああ、今はバロックがいますから寂しくないですよ」
 そう答えると腕の中の存在は「そうか」と小さく呟くと、どうやらそのまま寝入ったらしい。
 今夜はどこかいつもと様子が違うようだ。
 くっついてきたのはアリシアが寂しいと思ったからなのか。それともバロックが寂しいと思ったからなのか。どちらにせよ、腕の中の元悪魔は人の感情を少しずつ理解しているのかもしれない。
「本当に、変な悪魔」
 くすりと笑いが零れる。黒い髪をゆっくり撫で、アリシアも眠りに落ちた。
 翌日、よく寝た様子のジョルジュと再会した。
「地図はどうしました?」
「あの本屋さんに見せていただきました。谷まで三日、そこから一日半で村につくようです。また野宿になると思いますから気を引き締めてくださいね」
 アリシアの言葉にジョルジュは神妙に頷くと、ふと視線を下げた。
「えっと。よろしくお願いします」
 こちらにも神妙に挨拶すると、バロックは無表情のまま尋ねた。
「よく寝たか?」
「えっ。あ、はい。よく寝れました」
「ならいい」
 それだけ言うとスタスタと歩き出す。その背中をまた呆然と見やると、アリシアを見て、それから少し微笑んだ。
「心配かけてますか?」
「さあ? どうなんでしょうね」
 その心は全くわからない。
 束の間の休息を終え、三人は一路ベンダーを目指して歩き出した。

休息と法師の再考 終

end